第四話「キミが目覚めた後に」
爆撃を受け火に包まれる市営球場。そのグランドの中央には傷つき燃やされて、鳴き声を上げるケルベロス型魔獣がいる。落谷落土の現在の姿だ。
その上空、沸き上がる煙の中で二人の魔法少女が対峙していた。
一人は黒髪をたなびかせ、女子校生として最大級のボディーを持つ魔法少女、木須屋吐息だ。長大な槍を手に持ち、顔には正体を隠すマスクをしている。
対する一人は、輝く金髪が危険な光を放つ新たな魔法少女、その体は吐息と比べれば平坦と言わざるをえない。凹凸に乏しいがその白い肌は異国の血を感じさせ、吐息とは違う滑らかさを感じさせる肌だ。巨大な赤ちゃんの持つガラガラのような、大型の鬼の棍棒のような獲物を軽々と背負い、こちらもマスクをしてる。
二人は上空に漂いながら、緊張感のある距離を保ち近づかない。
「あなたは、何者です?なぜ攻撃をしてきたのですか?」
「愚問ではないですか、センパイ。魔獣がいればそれを滅する。それが我々魔法少女の使命でしょ」
「…センパイ?」
「あなたのほうが早く魔法少女として活躍してるから…当然そうなりまスね」
少女は風に乱れた金髪をかきあげた。炎の上昇気流が強い。
「体が煙くなっちゃうから。さっさと片付けましょうよ、センパイ」
「え、ちょっと待って!」
木須屋は焦った。今この場で事情を説明するには、事情が込み入りすぎているし、この金髪の少女の素性がまったく知れない。何を言ったら危険かがわからない。
「ああ、センパイは自分の獲物が取られるのが嫌なんですね」
「そんなわけじゃ…」
「でも駄目ですよ、魔獣はみんなの物。早いもの勝ちではなく、倒したもの勝ち。私達の勝利は魔獣を倒すことではなく、人類を救うことなん…でーす~かーら~~~」
そう言ってフェイントをかけた後、いきなり下降し始めた。
「いただきます!私の初めての!え~も~の~!」
「ちょっと、待って!」
木須屋も慌てて追いかける。
炎の中の魔獣が落ちてくる二つの流星に向かって吠え狂っている。大量の爆撃により落谷の意識が弱まって支配権を失っているのは明らかだった。
「まずい、このままじゃ本当に魔獣として殺されちゃう」
下降する金髪少女の持つ獲物、大型の棍棒は変形が開始する。側面にいくつものパネルが開き、そこからロケットノズルが顔を出す。そのノズルから噴き出す炎で、彼女の体はさらに加速する。木須屋の追跡が間に合わない。
「ボンバ~ホームラン!」
野球場に相応しい技名とともに、高速の打撃はケルベロスの三つの顔の一つをぶん殴り、巨体を立ち上がらせ、背後のスタンドに倒れ込ませた。
「ひっ」
木須屋が思わず悲鳴を上げる。彼女も何度も落谷を攻撃して殺しかけてきたが、その時は落谷のことを知らずに攻撃していた。
今、目の前で自分以外の殺意が落谷を殺そうとしている。
「だめぇ!」
木須屋の槍から放たれた光線が金髪の魔法少女の動きを止めた。それにより彼女の止めの一撃は食い止められた。
「直接妨害もありってことですか、センパイ?」
「くっ」
木須屋も今の自分の行動がまずいことは分かっている。だが今は落谷を守るしかない。
「本体のある頭を切り落せば…それ以外をあの子にくれてやればいい…。でもどの頭に落谷さんはいるの?」
ケルベロスの三つの頭のどれに本体が収まっているかは、切って開いてみるまではわからない。
苦悩する木須屋の耳そばに、ソダリーが現れてささやいた。
「ここは静観するのもありだぞ、トイキ。あの男は死ぬかもしれないが、それはもう定まった運命なのだ。君が手を汚すか、あの子が手を汚すかの違いだ。キミは、見ているだけで終わる」
「黙ってて!」
木須屋が怒りの声を上げると、ソダリーはそれ以上なにも言わずに彼女の髪の中に戻った。
空中で大きく輪を描きながら距離を取りにらみ合う両者。金髪のミサイル攻撃は火力はあるが初速が遅い。対して木須屋の槍の光線技は速さに勝るが、使い手に本気で攻撃しようという意思がない。
互いに相手の動きに注視し、二人の魔法少女は決闘者のように空を回りながらゆっくりと降下している。
金髪少女が構えた棍棒のパネルが開き、何十発もの小型ミサイルの弾頭が顔を出す。それを見て槍先にエネルギーを貯める木須屋。だが、この同士討ちのような戦いに対して引け目を感じているのか、穂先の輝きは弱い。
木須屋の背後、もうもうと溜まって煙がもっこりと盛り上がる。金髪少女が叫びを声上げる。
「危ない!」
煙のドームが引き裂かれ、木須屋に向かって魔獣が飛びかかった。三つの口が木須屋を三つに分割しようと食いかかった。
とっさに槍を背中に回した木須屋は狙いを定めずに発射した。それは見事に命中し、ケルベロスの顔ひとつを半分吹き飛ばした。
しかしまだ魔物には二個と半分の顔が残っている。
とっさの反撃により食われることは避けられたが、巨体による体当たりは避けられなかった。空中を引きずられるように回転した後、木須屋は地面に落ちて転がった。
「こんのォ~~!」
金髪少女の棍棒からミサイルが乱射される。
ケルベロスは半分顔がかけた首を盾にして真正面から突っ込んだ。発射したてのミサイルは追尾性能が弱い。そのため正面の数発を受けきればダメージは抑えられる。獣らしからぬ知恵を持った獣が、金髪の魔法少女も体当たりで吹き飛ばした。飛んでいった彼女はすでに抉れまくったグラウンドの土塁に弾かれ、外野スタンドに叩き込まれた。
グラウンドの真ん中で傷だらけの魔物が雄叫びを上げた。
その雄叫びを、木須屋の攻撃が止めた。
「たァァー!」
地面スレスレを滑空した彼女の槍が、残った首の一つ、真ん中の獣の顔を刺した。その攻撃に対して、魔獣は踏みこらえ、刺された顔面を使って彼女を押しつぶそうと力を込めた。顔面の圧力で地面に抑え込まれる木須屋。
顔の一つを失うことも覚悟した恐るべき反撃。この魔獣に残った三つの目が怒りに燃えている。とてもあの男の意思がこもった目ではないと、木須屋は思った。
押しつぶそうとする魔物の怪力に、槍の尻、石突を地面に挿して耐える。
ホームランされた金髪少女が、外野スタンドに立ち上がり、棍棒を地面に垂直に突き立てた。
「もう容赦しない!バスター!」
彼女の棍棒がバカンと開き、数発の中型ミサイルが姿を表す。
「バスター!」
さらに展開し、ミサイルの数は二倍なる。
「バスタァー!」
さらに展開し、ミサイルの数は四倍になる。
「ファランクス!」
全弾発射された。更に火力を増したミサイルの総合火力攻撃はすべてを吹き飛ばす。魔物もその下にいる木須屋も。
「あ、しまったァーー!」
撃った後で気づいた。
遠く住むマンションの高層階の一室、住人がかすかな音を聞いて窓の外を見た。
「花火…?」
遠くを眺めても静かな深夜の街が見えるだけだ。こんな深夜に花火をやるような奴もいまい。
市営球場も目に入ったが、真っ暗な球場はまったく、一切の興味を引くものではなかった。
「やっちゃった~~~~!」
泣きながらグラウンドに駆け寄る金髪の魔法少女。彼女の攻撃により魔獣の肉体は四方に散らばり青い光とともに蒸発を始めている。
完全に駆逐している。
魔獣が死んだのは遠目にもわかっていた。問題はもうひとりの、あの巨乳の魔法少女ちゃんの方だ。
「どこ~~生きてたら返事してください~」
戦いの興奮が覚めてしまい、ヤバさに冷や汗が出ている金髪少女はあたりを見渡す。穴だらけ、溝だらけのグランドの中央辺りに人影がいた。
「よかったぁ~~~!」
駆け寄る金髪。木須屋は地面に座り込んでいたが、五体無事なようだった。
「あの~大丈夫でしたか?バリアーとか使ったんですか」
木須屋は座り込んだまま、金髪少女の方を振り返った。彼女の長い黒髪がたなびく。
「大した技だったわ、今回はわたくしの負けですわ」
「え?あ、ありがとうございます…?」
「あなた見込みがありそうね、次は負けないわ。お互い、世界人類の平和のために頑張りましょう」
凸凹のグラウンドに座ったまま動かない木須屋。
「…ハイ、ありがとうございます!センパイ、これからもよろしくお願いします」
木須屋は変なセンパイ態度をとっていたが、金髪の魔法少女は素直に感銘を受けたようだ。
「次の戦いまで、時間はないわ、戦士には休養が必要よ、早くおかえりなさい」
「センパイは?あのファミレスとかでお話とかしませんか?色々教えて下さい!」
「ウフフ、敗者は土にまみれ屈辱に耐える時間が必要なのよ。この姿、あなたにも見せれらないわ…」
ジ~~ンとする金髪。
「失礼いしました!またの機会、お願いします、センパイ!」
そう言うと彼女は空高く登った後でもう一度一礼をし、飛び去っていった。
「……行った?」
「行ったようだ」
木須屋の確認にソダリーが答えた。
「フ~~~~やばかったぁ」
彼女はそう言って、座り込んで股の間に挟んでいた、落谷の頭部を見た。
両サイドの厚い太ももに思いっきり挟まれて落谷の顔は変形していたが生きていた。
落谷は何か言おうとしたが太ももの締め付けが強すぎてパクパクと金魚のようにしか口を動かせない。その頭をなでていた木須屋は足の締め付けを緩めた。
「助かったようだね、うまくいってよかったよ、ありがとう、苦労をかけたみたいで」
ようやく言えたその言葉に木須屋は何も答えず、体を前かがみにして落谷の頭を優しく抱きかかえた。
そのさいに彼女の胸がゆったりと落谷のおでこに乗り上げていったことは気にしていないようだ。
金髪の魔法少女の攻撃が発射された瞬間。
木須屋は半かけになったケルベロスの顔に落谷の半身が出ているのに気付いた。槍を瞬間的に手の中に消すと、勢いが着いた魔獣の顔は避けた木須屋を食い逃し、地面に激突した。
魔獣の傷口から伸びていた落谷の手を引っ張り、傷口から本体を引き釣り出した後は見つけた地面の窪みに放り込み、その上から尻で蓋をするように木須屋が座りんだ。そして衝撃緩衝シールドを貼って難を逃れたのだ。
「あの、そろそろ出してくれませんか」
木須屋の股の間から落谷が懇願する。爆発の土砂が体を覆って動けないうえ、木須屋が両肩の上に体重を乗せているので立ち上がる動作が取れないでいるのだ。
その状態でなぜか、木須屋はニヤニヤと落谷を見下ろしている。
「あの~木須屋さん、今日も色々ごめんなさい。でもそっちだって楽しんだろ、伏せにお回りに…チンチンって」
思い返すと結構屈辱的だった。
「だから…ありがとう。君のおかげで今日も生き延びれたよ」
なにかを満足したかのような木須屋が立ち上がり、軽々と彼を引き抜いて立たせた。
落谷は体の汚れを払いながら
「何だったんだ、あの子は」
「私以外の、魔法少女…」
木須屋の言葉をついでソダリーがしゃべる
「詳しいことは、後日話そう。今のキミの仕事はこの球場の修復だ」
情報開示の不足に不満を感じる落谷だが、たしかに球場の被害状況は酷い。朝までに治せるかどうか…
「隠蔽シェードは朝までしか持たない。キミは急いで作業を始め給え。さあトイキ、君は帰って就寝だ。時間は少ないぞ」
「え、でも」
木須屋もこの状況で落谷を置いて自分だけ帰ることに不服だった。
「いや、木須屋さんは帰って。明日学校でしょ。ここは俺に任せて」
落谷は大人っぽいセリフを言いたいだけだった。
「実際、ここ壊したのは俺だし…いや、半分以上あの金髪のせいだけど…」
落谷に追い出され、木須屋は渋々空に飛び上がり、落谷の方を一度だけ見てから、帰宅していった。
「あ~~、これは大変だわ」
落谷の前には、内戦の国の野球場のような、破壊されまくった惨状が広がっていた。
破壊された球場の修復には時間がかかった。終わったのは朝の通勤時間の間際だった。
俺は土に汚れた格好のまま球場から自宅のアパートまで徒歩で帰る。やがて学生やら会社員たちの通勤通学と出くわす。
フリーランスの仕事をしていると、こういう普通の人達と同じ道を行くことはまずない。社会から外れた人間であることを感じさせられる。汚れた衣服がさらに恥ずかしかった。
ようやく自宅前についた時はかなりの疲労だった。帰り道は短かったが、球場の半壊を治すのは俺の人生の中でも、最大級の重労働だったからだ。
自分の部屋の玄関のノブにコンビニ袋がかけられていた。中には栄養ドリンクとゼリー系の食料とプリンが入っていた。小さなメモ書きに書いてあった文字は、
「おつかれさまでした」
誰の字かはわからないが、誰が書いたかは分かった。
俺は彼女の家の三階の窓を見たがそこは閉まっていた。彼女は今日も学校に行かなければいけない。俺よりも彼女のほうが大変だろう。
とにかく家についた。あとは寝るだけだ。
その日も、その次の日も木須屋さんは部屋に来なかった。あの金髪の魔法少女についての情報が欲しかったが、こちらから来ていただく手段がない。なにしろ携帯のアドレスも知らないのだ。彼女の自宅はそばにあるのだが、もちろん伺うことなど許されていない。
待つしかないのだ、彼女の忠実な魔物としては。
ようやく彼女が訪れたのは野球場の一件から三日後の夜十一時過ぎ、次なる戦いの備えのギリギリの時間だった。
玄関から入ってきた彼女は言葉少なく疲れが見えた。俺は自分の布団の隣に、余っている掛け布団をひいて彼女の寝床を作っていた。
「もう寝る?」
彼女に尋ねるとコクリとうなずいた。
木須屋さんは真ん中に槍も置かずに持ってきた枕を投げて横になった。
俺は電気を消して寝床に入った。
今日は彼女の顔を見ながら寝ている。話をしなければいけないからだ。
横になった彼女はフーーーっとため息をつく。その息が俺の顔にかかる。
「で、どうだったのあの新しい魔法少女は」
俺の質問にまた溜め息をつく。
「いました、会いました。私と同じ学校でした」
「え?そうなの、じゃあ話できたんだ」
俺は興味津々というていで顔を近づけた。彼女はそれを上目で見ていたが文句は言わなかった。
暗闇の中、俺の目の前で、彼女は月曜からの話をしはじめた。
月曜、あの野球場での戦いの後の話です。
私が通っている誠心高校の…
「あそこ通ってるんだ、すごいね。私立で大学の付属校だろ」
……ええ、そうですけど、言ってませんでしたっけ?
「聞いてなかった。何年生?」
高三です。これも?
「聞いてない。受験は…付属だからいいのか」
たしかに大学にはエスカレーターで入れますけど、だからってみんなだらけてる訳じゃないです。うちの学校、真面目な人多いですから。
「木須屋さんはどうなの、勉強の方は」
なんでそんなこと…
「どう?」
それなりに頑張ってますから、その…学年一位とかもとったことありますし。
「すごいね!」
顔!近すぎます!
えっと、ああ、月曜でしたね。
午前中は普通だったんですけど、ちょっと眠たいくらいで。昼休みになったら突然、あの子が…
「あの子?」
恵来(えらい)エリ…同じ学校、同じ学年、違うクラスの女の子…
彼女は学内でも目立つ生徒だったの。なぜなら誰もが一度見れば忘れない、通り過ぎれば振り返るような、輝く金髪の持ち主だったから。
母方の祖母がイギリスの方らしくて、その血筋が色濃くでている。その肌の白さ、綺麗な鼻筋、少女のような愛らしさと不思議な魅力を感じさせる透き通った瞳の蒼い色。
とにかくみんなから好かれている子です。だってみんながほしいと思った全ての物を持っている。日本人にないもの全て、白い肌に金髪に青い目。
よその教室で見かける時は、いつも誰かの膝の上で可愛がられて、クラスの人気者なんだな~って思ってました。
「木須屋さんもそうでしょ、クラスで人気あるでしょ、普通に」
え、いや、私は…少し距離があるっていうか…。
「嘘、木須屋さんなら誰だって友達になれるでしょ」
私…ちょっと人見知りするんです。それにみんな私に気を使ってっていうか、近寄りがたいって思われてるみたいな。
「ああ、完璧すぎるとそうなっちゃうかもね。でも、俺にはそんなに人見知りに見えなかったよ」
それはあなたが、落谷さんがその…初めて会った「殺してもいい男性」だったからで、そうなると付き合い方も変わります。
「…初めて会ったぞんざいに扱っていい男だったってわけね…」
そんな感じです…。
月曜の昼食時、その恵来エリさんが私のクラスにやってきました。彼女が入ってきた時、そして私に話しかけてきた時、クラスが一瞬ざわつきました。
「トイキ、話があるんだけど」
昨日の今日で、普段は接点のない金髪少女からの呼びかけ。私にもすぐに理解できました。
「いいですよ」
私は、空腹を我慢して彼女と一緒に人目のない場所に移動しました。
私の前を歩くエリさんは、私よりも頭一つ小さくて。目の前で揺れる金色の髪がほんとに可愛らしくて、彼女の頭をいつでも撫でられる隣のクラスの女子達が羨ましくなるくらいでした。
日も当たらぬ体育館裏。ここならば昼休みは誰もいません。エリは振り返って切り出しました。
「魔法少女、アビスの門」
「アビスマル、トーテム、ゲートキーパー」
簡単ですがお互いの確認が済みました。この単語の並びを言えるのは魔法少女だけです。変身して見せるまでもありませんでした。
でも私が、エリこそが金髪の魔法少女だって分かったのは当然として、なぜ彼女は私のことが分かったんでしょうか?マスクもしてましたし、黒髪だけだと私だなんて分かるわけが…
「君のは…体が特徴的だから…」
体が?もしかして変ですか私の体って?
「いや、違います。どうぞ話を続けてください。エリちゃんはなんて言ったんですか」
…エリちゃんは、彼女が言ったのは…
「私のお姉さま!」
そう言って、私に抱きついて、思いっきり顔を胸に押し付けてきたんです…。
真夜中、私は月曜からの出来事を語っている、私の隣で横になっている男性に向かって。 寝付けぬ彼のためにおとぎ話をするかのように。
実際、話しているのは魔法少女にまつわる現実離れした話、おとぎ話と変わらない。
話しながらふと思う、私がこんな風に一人の男性に対して話し続けるのはいつ以来だろうか?父親にも、こんなに長く話したことはないだろう…。ましてこんな、暗闇の中で。
「私のお姉さま」
と校舎裏で抱きついてきた恵来エリちゃんを、私はそっと引き剥がして近くに座らせた。その前に私も座り、
「同い年でしょ」
と諭した。
「いいえ、あなたは私のセンパイで」
「同い年です」
「私のお姉さま」
「同じ学年です」
「私のセンパイお姉さま!」
エリちゃんはまた抱きついてきました。
私はちょっと、めんどくさいなと思ってしまいました…。
エリちゃんの話を聞いたところ、彼女は先週、自分のトーテムと出会い、魔法少女に関してのレクチャーを受けた後、日曜に実戦に入ったようです。その辺りは私の経験とあまり変わりません。
彼女の戦闘力は我々が見たように高く、適性も対応力もあるようですし、意欲もありました。ただ…
「僕のことはまだ説明してないと、」
はい、正直まだ彼女のことが分かっていません。アビスの門の所有者は我々魔法少女にとって倒すべき最大の敵と教わります。それは世界を憎みきった人間が門に選ばれるからです。憎しみの鬼となった人間は、説得することも不可能ですから。
目の前にいるこの男は、なぜ鬼ではないのだろう。アビスの門に選ばれたのに、いつも穏やかで普通で。魔獣になった時でさえ私に気を使う。世界を憎みきった人間とは、とても思えない。
「木須屋さん…?」
あ、スミマセン、ちょっと寝そうになりました。
私以外の魔法少女がどう動くかわかりません。あなたを殺すことにまったく躊躇しない可能性も高いです。それで自分の使命は完了するわけですから。
できれば彼女への説明には時間をかけたいんです。
「そこのあたりは、お任せするしかない。でも、あまり気にしなくていいよ、俺のことは」
そういうわけには…。
それで、月曜以降のことなんですが、
エリちゃんに完全に付きまとわられて…
ほとんどストーキング…
「いや、そこは濃いめの友情だと考えようよ。同じ学校なんだから」
昼休みも、放課後も、私のところに来るし。なぜか一緒に下校してるし。それに登校時には家の前にいるし。
「濃いめの、友情だね…」
だから、落谷さんの部屋に来れなかったんです。疲れました。
その、贅沢な事言うと、好かれすぎるってのも疲れるものなんですね。
「ご苦労さま」
他人事だと思って…。嫌いじゃないんですよ彼女。かわいいし、むしろ好きなんですけど。向こうの好きが大きすぎて…。
「会ってみたいな~エリちゃん」
なんですかそれ?
「え、いや、どんな魔法少女なのか、ちゃんと会ってみたいと…」
・・・・・・
「それに、こっちのことを理解してくれたら、一緒に協力してくれたら、木須屋さんの負担も減らせるだろ」
負担?
「こうやって、俺の横で寝ずの番を毎回しなくてすむし、交代制になれば、君ももっとゆっくり眠れるだろ」
交代制?
「だから……、君とエリちゃんで交代で…」
あ~~、金髪の美少女と添い寝したいんですね。
「違うって」
ちょっと私、それはどうかと思いますよ。あんなかわいい美少女をこんなおじさんの隣に寝かせるなんて、そんな犯罪的行為に加担をしたくありません。
「……」
・・・・・・
話が止まった。会話が、意思の疎通が止まった。
夜の暗闇が再び動き出し、私と彼の間を閉じてしまった。
これは、嫉妬心なのだろうか?
あの金髪の可愛い少女に、学校の人気者と三日間過ごした。全く接点のなかった彼女と…あの子の屈託の無さ、人懐っこさ、陽気さ、全て私が持っていないもの…そして欲しかったもの。いるだけで目立つエリちゃんが私のそばにいることで自然とみんなの目が集まった。比較されているのがわかった。誰だって、私ではなくエリちゃんと仲良くなりたいと思うはず。きっと、落谷さんも…。
「フーーーー」
彼の溜め息のような寝息のような音にビクリとしてしまう。彼の落胆が呼吸に現れたと感じてしまう。目にはシルエットしか見えないから耳だけが敏感になる。
「木須屋さん」
闇の中からの突然呼ばれる。動揺を隠しながら返事をすると彼が、
「俺の存在が君に迷惑をかけているのを心苦しく思っている。できれば俺たちはなるべく早く離れるべきなんだ」
そうですね。
「エリさんと話して決めてほしい。彼女と話せば自ずと出るはずだから、正しい選択が」
おそらく出るだろう、正しい答えが。私と彼の関係はあまりにもイレギュラーだ。魔法少女とアビスの長い戦いの歴史を記憶しているソダリーも、このような状態はなかったと断言した。
正しい答えがでる。私のわがままを超えた。
手を横に伸ばすと、布団の外に出ていた彼の手に当たった。私は構わずその手の人差し指に自分の人差し指を少しだけ絡める。
「なに?」
驚いた彼が尋ねるので私は答えた。
こうやって指を絡めておけば、あなたが消えた瞬間に気づく。私がウトウトしていてもすぐに目が覚めるから、こうしていましょうと。彼は受け入れて人差し指の指切りのように絡めたままにした。
「おやすみ、木須屋さん」
おやすみなさい
「ありがとう」
そう礼を言ってくれた彼が寝るまで、そのシルエットを見ていたかったが…
携帯にセットしていた目覚ましが鳴っている。私はそれに起こされた。
やば、寝てた。
慌てた私は起き上がろうとしたが、片手が動かない。よく見ると、彼と手をつないだまま寝ていた。その手は全ての指が絡み合い、ガッチリと握られていた。起き上がろうとしていた私は、再び枕に顔を突っ伏してから、クスクスと笑った。
彼は魔物にならかったのだ。
ただ私と一緒に夜を明かしただけだ。
しばらくニヤニヤと笑った後で、ゆっくりと、彼を起こさないように手を抜き出した。
時計は五時五〇分。世間が起き出す前に部屋に帰らなければ。髪を少し整えた後、ゆっくりと部屋を出ようとしたが、
彼は平和そうにいびきをかいて寝ている。私がこんなに苦労してるのに、この男は…
すぐさま行動に起こした。
彼の顔を両手で乱暴につかみ、ブルブルと揺らす。
起きろー!朝だぞ~!
突然のことに彼は目を覚ます、そして私の顔を朝一番に見る栄誉を与えた。
「あ、なに?木須屋さん。朝?」
無理やり起こされたボケた顔の彼を見て、私は大きな笑顔を作った。ざまーみろ。
私は寝ぼけたままの彼を置き去りにして部屋を出る。玄関から外に出ると、朝の涼しい空気が気持ちよかった。
一瞬思い返すのは、夜中の彼の顔と、朝の彼の顔。間抜けな、私に油断しきった大人の顔だ。久々に、健康に目覚めた時の活力を感じた。今日は楽しくなりそうだ。それにまた夜にはここを尋ねる。そういう使命なのだから仕方がない。日常を逸脱した予定に心が踊った。
私は軽やかに、すぐ隣りにある自宅に帰ろうと、大きく一歩踏み出した時、
自宅の前で制服姿で立っていた恵来エリと目があった。
私は歩行途中で停止してしまった。
彼は濃いめの友情と言っていたが、今はまだ早朝も早朝だ、なぜ私の家の前にエリちゃんがいる…。
私を発見したエリは嬉しさといぶかしさの混ざった態度でこちらに寄ってきた。
「センパイ姉さま、こちらのアパートから出てきましたけど…」
私は釈明をしなければならなかった。嘘をつくしかないのだ。
この部屋には足の不自由なお婆さんが住んでいまして、ご近所ですから、たまにお世話をさせていただいてますのよ。
見事なストーリーテリング。瞬発的な嘘。
それを聞いたエリちゃんの顔に再び私への尊敬の輝きが見えた。
このままこの嘘で押し通す!と思った瞬間、私の背後のドアが開き、
「木須屋ちゃん、枕忘れてるよ」
寝間着姿の中年男性が、あろうことか女子校生に己の枕を男の部屋に置いていった、と告げてきたのだ。
私の前に立つエリちゃんの顔面が固まっている。今、彼女の頭の中で爆発的に行われている推理は容易に想像できた。
この木須屋吐息の破滅的スキャンダルが今、彼女の脳内で生まれているのだ。
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