夜な夜な魔法少女に襲われてます

重土 浄

第一話「キミは魔法少女に狙われている」



 俺は夢の中で魔物になっていた。


 本来なら巨大であるはずの建物が俺の胸あたりの高さのミニチュアになってる。これは俺が住んでいる街にある競馬場の建物だろうか?競馬はやらないが、その建物の事は俺も知っていた。 


 夢である、と思ったのは深夜だったからだ。明かりのない競馬場には客の一人もいなかった。その暗闇に包まれた競馬場にぽつんと巨大な魔物が立っている。


 それが夢でなかろうはずがない。


 広大なはずのレース場が俺には手狭な公園に見えた。


 俺は目の前にある観客席の張り出した屋根を壊そうと手を振っていた。


 その手もでかい、しかし遅い。この遅さも身体が巨大な証拠だ。ゆっくりと振った腕が長大な張り出し屋根の板を粉々に砕くが、鉄骨が思いのほか硬かった。たわんで腕の勢いを受け止めた。


 でかい体をした割に破壊力がない。少しイラッとした。夢ならもっと豪快に破壊してもいいはずだ。だがその鉄骨も設計強度を遥かに超える圧力にさらされ、プラスチックの建物のようにバキバキと折れた。屋根の塊が落下し野外スタンド席を押しつぶした。巨大な破壊の力をふるった俺が思ったことは、


 「悪いことしちゃったな」


 という夢の中でのおぼろげな罪悪感であった。


 身体が重い。ブヨブヨとしたゼリーの中に浮いているようだ。脳の遥か下にある手足とつながっている神経も細くて長い。命令しても反応までに時間がかかる。それでも、心のなかに次の弾丸が装填される。それが脳の銃身から手足に向かって発射された。


 「破壊願望」という弾丸だ。


 人間サイズの小さい脳から発射された命令弾がブヨブヨとした巨大な手足を再び動かす。


 トラックよりも巨大な腕で、屋根をもう少し欠けさせようと振り下ろした時、空から撃ち降ろされた光によって俺の片腕が吹き飛んだ。


 腕が吹き飛ばされた痛みの信号が、巨体の貧弱な神経ラインに乗って脳である俺のところに返ってきた。それは電撃のような爆発的な痛みではなく、身長以上の津波に押し流されるような、長く続く痛みと混乱だった。


 痛みの信号に散々転がされた後、ようやく俺は眼を光線の発射方向に向けることが出来た。


 空だ、自分の身長よりも上、建物の遥か上空に、少女が浮かんでいた。


 闇夜に浮かび上がるその姿は神々しかった。まとう衣装の布地は少なく、ほとんど全裸と言っていい状態で、とても公共の場にいることが許されないような破廉恥な姿である。その布もまた薄く、全てが透けて見えそうだが、


 それでも神々しかった。


 腰まで届きそうな長い黒髪が風になびいて輝く。白い肌も豊かすぎる胸も丸出しの下腹部も自ら発光しているかのように夜空に輝いていた。その顔は戦闘用と思われるマスクに覆われていたが、こちらを睨みつける乙女の両目の形と艶から、その口元の美しさは容易に想像できた。


 「ああ、ここが夢の終わりか」


 俺はその美しい天使か天女かの登場によって、夢の一幕の終わりを悟った。


 俺の巨体はその輝きに吸い寄せられる蛾のように、天の彼女に向かって進み、届かぬ腕を不細工に伸ばし、分不相応な攻撃を開始しようとした。


 彼女がその手に持った槍を空に掲げると、光のエネルギーがその穂先に集まった。その光による確かな死を求めるかのように、俺はさらに彼女に吸い寄せられる。


 少女が槍をこちらに向け、叫ぶ。


 その瞬間、視界全てに光が…




 目が覚めた時、これが俺の特車な性癖か、何かしらの願望の発露でないことを祈った。


 「なんつー夢見てんだ」


 そのまま布団で寝返りをうった。


 俺は魔物でもなければ、巨体でもない。ここは夢ではなく現実の自分の部屋。冴えない中年男が住む、たった一人の居城、たった一人の寝床だ。


 「別に俺、競馬場を壊す恨みもないし…」


 そもそも競馬に関心がない。なぜあんな破壊活動を行ったのか。


 夢なんてものは、起きた瞬間から記憶の崩壊が始まるはずなのだが、今見た夢は細部までまだディティールを保っていた。それは建物の破壊の様子から、彼女の細く長く白い足のラインまでくっきりと覚えていた。


 「・・・・」


 俺は静かに布団に潜り、二度寝してあの半裸の少女との夢の再会を期待したのだが、外がやけにうるさかった。


 窓の外から聞こえてくるのは、遠くを走るパトカーや消防車のサイレン音、そして多数のヘリコプターの羽音。


 うるさくて眠れそうにない。


 目覚まし時計を見るとすでに十時過ぎ。フリーランスとしてものんきに二度寝していい時間ではなかった。再会を諦めて起き出し、強い日光を浴びて脳を目覚めさせようとカーテンを開けた。


 窓の外、かなり離れた場所、あれは競馬場のあたりだろうか?


 そこから黒煙が空にたなびき、多数のサイレンがそちらの方向から遠く鳴り響き、その上空をマスコミのヘリが多数飛んでいた。


 慌ててテレビをつけると、わが街の競馬場の建物が「何者かによって」破壊されたというニュースが流れていた。




 俺には、身に覚えがあった。


 いや、その夢に覚えがあった。







 夕方の競馬場。破壊活動の事件現場に俺はいた。いや、犯行現場か…。


 集まっている野次馬たちに紛れ込みドキドキしながら現場に近づいた。当然ながら競馬場の正面入口は警官らによって封鎖されて、中に入ることは出来なかったが、建物の破壊跡は敷地外からでも見ることが出来た。


 「なんてこった」


 夢で見た、というか行った破壊の結果とまったく同じだった。巨大な建物の張り出し屋根が崩れ落ちスタンド席にめり込んでいる。夢の中ではその光景を下に見ていたが、今はそれを見上げている。


 「犯人は必ず犯行現場を訪れる…」


 自分の有様を自嘲的に口にしてしまった。自分がつぶやいた言葉を誰かに聞かれてないかと怯えた俺はとっさに周囲を見渡す。大量の野次馬たちは全員、屋根の崩落部分を見上げて各々の携帯で撮影している。俺のことなんて誰も気にしていない。マスコミのカメラも現場に来ていたが、罪のない競馬ファンのおじさんにインタビューしているだけで、最大の容疑者である俺を撮ろうとはしていない。当然だ、俺はただの野次馬の一人でしかないのだから。


 しかし一人だけ、こちらを見ている人物がいた。その人物と目があってしまった。


 互いの視線が磁石のようにお互いの顔と顔を向き合わせた。


 制服を着た女子校生らしき人物。


 少女と大人の女性の間にある凛とした顔立ち。化粧っ気がまったくないが透明な色に彩られた瞳と唇。一つの学校に一人か二人しかいない、完成された美少女の顔だ。背も高く、周囲のおじさんたちの頭の上に小さな顔が出ている。


 学校帰りにそのまま来た様な美少女が、俺の顔を見ていた。


 先程の独り言を聞かれたのか?その言葉の意味を理解し、この破壊事件の真犯人を見つけたと思ったのか?


 一瞬の不安がよぎったが、少女は俺の顔に一瞬だけ視線を寄せた後、関心すら無いように視線を再び建物に向けた。


 俺は幻の被告人席から開放されたかのように、ホッとした。


 俺の夢の犯行を知る者は、とうぜん俺だけである。怯えるのがどうかしていた。


 いや、犯行の暴露よりも、あんな美少女と目があったことのほうが怖かった。あの汚れない純粋な輝きの視線を浴びるだけで、俺のような中年は身が削れるような劣等感に襲われるのだ。


 あのような美しい存在は俺のようなモノを見てはいけない。


 ただ、美少女と目があったのは、人生の加点でもあるので、プラマイではプラスが大きかったのは事実だ。




 俺はそそくさと現場を離れることにした。破壊の跡を眺めているだけで夢の罪悪感が増してくる。あるはずもない罪悪感だ。


 暮れ始めた帰り道を歩みながら俺は考える。


 「かの名探偵も言っていたではないか、全ての不可能な事を消していって、最後に残ったものがいかに奇妙なものであってもそれが真実だって…」


 まず最初に消すべきものは、夢の中での破壊活動が現実にも起こったという容疑者「俺」の自供である。


 これが一番不可能で、一番奇妙で、一番非現実的かつ非常識だからだ。


 二番目に消すのは、俺が怪物であるということだな。今の俺ははどう見ても人間だし。すでに何十年も人間として無難にやってきたし、両親も魔界のモノであるというファンタジー世界の住人でもない。現実世界の人間である。


 このように不可能なことを消した結果、あの破壊事件と俺は無関係である、という推理が成り立つ。


 なにせ俺にはその時間帯は寝て夢を見ていたという完璧なアリバイすらあるのだ。今、この足で警察に駆け込んで誠心誠意自供したところで、刑務所どころか留置所にすら入れてもらえないだろう。


 「にしても…」


 あの破壊跡は夢で見たままであり、あれを破壊した手の感触が、今でも自分の手に思い出せた。それと同じくらいのリアルさで、あの空に浮かぶ少女の身体も思い出すことができた。


 薄暗闇になりはじめた夕焼けの中、夢とうつつに戸惑いながら帰宅する俺の前に、あの少女がいた。


 どうやら帰る道が同じようで、同じ道を同じ方向に、同じ速度で歩いていた。


 数メートル先を歩く少女のポニーテールが左右に揺れている。


 「まあ、同じ道を歩くこともあるだろう」


 そう思って、そのまま彼女の背後に着いて歩いていたが、いつまで経っても道が違わない。こちらも最短の帰り道を歩いているため、ルートを変更する必要がないので、いつまでも彼女の背後を歩くことになった。


 「これはまずい」


 すでに十分以上彼女の後ろについて歩いている。抜かしてしまおうと足を早めると彼女も足早になり、先に行ってもらおうと遅めると彼女もちょうど遅くなる。


 「あきらかに、ストーキング…」


 中年男性が制服姿の少女の背後を追跡する、リスキーなスリップストリームに俺は入ってしまっていた。ただ帰宅するだけで犯罪行為疑惑が生まれてしまう、それほどまでに女子校生と中年だけの空間は危険地帯なのだ。


 自宅寸前までその犯罪予備行為は続いた。


 ようやく道を違える所まで来た。まさか彼女も俺のアパートに入り俺の部屋に向かうルートには進むまい、そう安心しかけた時、前方を行く少女が振り返り、キッとこちらを睨んだ、


 「先程からつきまとっているようですが、なにか御用でしょうか?」


と、堂々と怯えることなく言い放った。


 その彼女の容姿の凛々しさに見惚れるよりも先に、彼女の勇敢さに心打たれた。


 果たして自分にできるだろうか、長時間ストーキングしてきた見知らぬ中年に、ここまで堂々と問いただすことが。彼女の身体に震えはなく、その顔に怯えもない。こんな正々堂々とした姿を見たのは何十年ぶりだろうか。


 「いや…すまない、俺もまずいなと思ってたんだが、ルートが完全に一緒だったんだ」


 彼女の眉がキッと上がる。信用してないのは明白だ。


 「あの…これ家の鍵、そこの」


 俺は実際に家の鍵を取り出して、すぐ隣のアパートを指差す。荒ぶる若い獣に対してここがマイホームなんです、誤解ですよと無害さを示したが、彼女の警戒色は一切色褪せなかった。


 「・・・・」


 信用されてないのは明らかなので、俺はその鍵を掲げたまま、警官にホールドアップされた容疑者のように、ゆっくりと一階一番奥の扉に近寄って、鍵を刺し、鍵を開け、扉を開けてみせた。


 「ほら、ここが俺の部屋なんだよ」


 それを見ると、彼女の顔は夕焼けの空よりも赤くなって


 「ご、ごめんなさい!勘違いでした!」


 思いっきり頭を下げた。


 道で頭を下げたままで止まっている彼女を置いて部屋に入るわけにも行かないので、彼女の傍に行って。


 「俺も、これは完全にストーカーだと思われてると思ってたんだ、ごめんね」


 「いえ、その!」


 顔を上げた彼女の目には涙の光があった。さすがに少しは怖かったようだ。それを見て俺も申し訳なく思った。


 「はぁ~良かった。どうしようか悩んでたんです。逃げるか、家に飛び込むか、叩きのめすか…」


 彼女の選択肢の中に不穏当なものがあった。実際、睨んでいた時の彼女にはその覚悟があっただろう。


 「あの、そちらにお住まいなんですか?」


 「ああ、そうだけど」


 「じゃあ、お隣さんだったんですね!私のうちはここなんです!」


 彼女が指差したのは、俺の安アパートの道を挟んだ隣に立っている大きな家。三世帯は住めそうな大きな家だと、前々から知ってはいたが…


 「そうなの?俺、こっちに越して十年くらい経つけど、一回も会ったことないよね」


 「そうですね。私もお会いしたのは初めてだと思います」


 俺はこんな美少女が隣に住んでいたら決して忘れないだろうが、彼女は俺のような中年男性を見たとしても記憶にも残さないだろう。


 自宅作業のフリーランスと通学する学生が家の前で遭遇するチャンスというのは、殆どなかったのだ。


 「競馬場の事故現場にいたよね。それで帰り道が一緒だったんだね」


 女子校生との共通の話のネタは、今ところこれしかなかった。


 「事故…そうですね、事故なんですよね。世間一般には…」


 「え?」


 「いえ!あの、そうなんです学校帰りにちょっと見に行ったんです。あれでは、当分競馬場開けませんよね…」


 「そうだね、あれは、当分無理だよね…」


 またしても夢の罪悪感に襲われて俺は気落ちしたが、なぜか彼女の方も気落ちしているように見える。被害にあった競馬関係者の人のことでも思っているのだろう。


 「たぶんどっかのテロとか、そんなのだと思うよ。いずれ犯行声明とか出て、犯人がわかるんじゃないかな」


 俺はとりあえずそう言うしかなかった。もし犯行声明が出せるとしたら、自分しかいないのだが。


 「もっと被害を小さくできた…してくれたら良かったんですけどね…」


 そう言う彼女の声も沈んでいた。なぜかお互い落ちこんだまま、その会話は終りを迎えた。


 俺は自宅のドアを開けてから振り返ると、彼女もまた自宅のドアから顔を出してこちらに手を振ってくれていた。


 俺も手を振り返そうと思ったが、中年がやるとキモいかと遠慮している隙に、彼女は家の中に入ってしまっていた。


 俺は遅れて手を小さく左右に動かしてから


 「お互い、名前も聞かなかったな…」


 美少女と話せたという幸せと、破壊された建物の痛々しさ、その両方を胸に抱えたまま、俺は自宅に戻った。









 自宅に戻り、あり物で夕食をとった。食事中にテレビをつけたがニュースで競馬場の映像が流れたのですぐに消した。PCを起動して仕事をしばらくしたが、集中力に欠きほとんど進まなかった。


 今日見た夢と実際の現場の、そのあまりの一致ぶりに心が沈んでいく。何度も自分は無関係である。これは偶然の一致であり、一致したこと自体は罪ではない、と自分に言い聞かせたがPCを操作する手は度々止まった。


 「仕事にならんな」


 俺は室内着から外着に着替えて、外に出た。


 時間は深夜一時を回っていた。本来なら寝る時間だが、寝るのが少し、怖かった。




 深夜の競馬場には、当然ながら人はいなかった。マスコミも関係者も野次馬も消えていた。俺は警察の貼った立入禁止のテープを乗り越えて中に入った。


 「俺も事件関係者みたいなものだから」


 もしかしたら犯人なのかもしれないし。


 フェンスの崩れた場所を見つけ、競馬場の敷地内に侵入した。つけっぱなしの照明が破壊の跡を夜の闇の中に浮かび上がらせていた。


 屋根の一部が削られ、その破片が観客席を押しつぶしていた。記憶の通り、いや、体感した通りの破壊の状況。


 「俺が、犯人か・・・」


 そう思うしかない状況だった。全ての不可能な事をを取り払ってたとしても、この奇妙な事件の真犯人が自分であると実感できた。


 破壊された建物のそばに行き、落ちている巨大な屋根の破片に触った。自分の腰の背丈ほどもある鉄骨の構造物。上を見上げると、穴の空いた張り出し屋根が見えた。


 「これ治すの大変だろうな…」


 罪の重さを感じつつも、賠償請求が発生しないことに多少は安堵する。誰も俺の罪を問う者はいない…しかし、それでいいわけがない。


 足元に落ちている金属の破片を拾う。もう一つ、その破片の割れた片割れの破片も拾った。両手に持ってガチャガチャとくっつけようとしてみたが、くっつくわけはなかった。


 「駄目だよな…」


 その破片を投げ捨てようとした時、二つの破片がくっついて離れなかった。


 その破片を見てみると、二つの部品は組み合わさっていて、どこで二つに割れていたのかわからなくなっていた。俺はその破片をブンブンと振ったがもう切り離せない。


 しばらく眺めた後、それを捨てて、別の破片を探してみた。車のタイヤくらいのサイズの破片だ。それに合いそうな部品を探したが、飛び散らかっている中から探せるわけもない。


 「治すのは…無理だよな」


 そう思った時、カタカタという音が聞こえて身構える。音のした方を見ると、小さな破片がカタカタと震えていた。それを見た俺は思わず言ってしまった。


 「治り…たいの?」


 その言葉を発した瞬間、合図を待っていた犬のように、破片は飛び出し大きな破片に衝突した。その衝突跡を観察してみると、完全に一体化してどう割れていたのかわからなくなっている。


 その結合面をなでながら、しばらく考えた俺は…


 「治…る?」


 そう言ってしまった。その時、俺の両手はわずかに発光した。


 …タカタカタ、カタ


 四方から小さな破片が飛び込んできて、どんどんと大きな破片と合体していく。


 無数の小さな破片や大きな破片がくっついて、屋根の一部へと戻っていた。俺は女の子のように両手で口を隠して驚いていた。


 「自分にこんな眠っていた才能があったなんて…」


 だからどうした。


 その屋根の一部は地面に落っこちたままで、これをクレーンで持ち上げたとしても元の屋根に戻せるわけがない。このまま大きな廃材として回収するしかない代物だ。


 「治…すしかないよな、やっぱ」


 


 俺はまた夢を見ているのだろうか。破壊する夢と治す夢。どちらもまともじゃないし、どちらも現実とは思えない。俺は今が夢の最中かどうか確認するのが怖かった。もし目覚めたら、この夢の能力は消えてしまうだろう。たとえ夢であったとしても、この罪を消してしまいたい。


 そう、今やっていることは、殺人犯が目の前の遺体を解体してしまう心理となんら変わらなかった。罪の原因を消せば、無罪になれる。そういう願望が俺にこの非現実的状況を積極的に受け入れさせた。


 「治す…治す…治す」


 大きな屋根の破片を目の前にして集中する。集中に合わせて手の光が増す。


 「そりゃそうさ、手が光ってるんだから、治るに決まってる!」


 俺の、そのただの願望は、正しかった。


 巨大な破片が浮き上がった。俺一人では持ち上がりそうもないその巨大な構造物は、はっきりと宙に浮いている。もう俺の背の高さを超えた。


 「OK…じゃあそのまま、治ってみようか」


 俺はそう言うと、その破片に屋根まで飛べと念じた。手の光は、はっきりとした光の球になっていた。


 破片はどこまでも登っていく。シャボン玉のように空を漂って、正しい位置へ、屋根まで飛んでいく。屋根まで飛んで、静かに、治った。


 俺はへたり込んで、その屋根を見ていた。再び落っこちてくれば自分が潰されるかもしれない。その危険性は感じていたが、破片は完全にくっついたようだ。屋根のどこが取れていたのか、下から見ただけではもうわからない。


 「あはっ」


 変な歓喜の声が出た。急な修復能力の発現と、自分の奇跡のような技と、罪の一部が消えたという、三つの喜びが同時に声となって出た。


 だが、まだ屋根のほんの一部が治っただけだ。まだ破片は無数に転がり、観客席も砕かれたままだ。夜明けまではまだ時間はある。


 「証拠隠滅タイムは、まだ終わっていない」


 俺は立ち上がって、もう一度屋根の修復具合を確認しようとした時、


 こちらを見つめる人の姿を見つけた。


 その人物は、治った屋根の端に立ち、こちらを見下ろしていた。


 その立ち姿から、今までの全てを見られていたことは明らかであった。暗い夜空の中で発光しているように姿が見えた。


 その人物は、夢に見た、あの少女だった。


 恐怖に駆られ逃げだしたくなった。


 俺はあの子に、殺されたことがあるのだ。







 屋根の上からから舞い降りてきた少女は、夢で見たとおりの神々しさと半裸さだった。


 今、見ている方が夢で見た時よりも鮮明で彼女の身体がはっきりと、見えてしまう。目のやり場に困る姿をしているにも関わらず、彼女は堂々としていた。


 


 ピースが揃った。


 破壊された競馬場、それを治す不思議な能力を発現した俺。そして天使のような姿をした少女。


 これらのピースが揃った結果、残されていた最後のピースの形がはっきりと浮かび上がった。


 俺がこの破壊をもたらした魔物だ、というピースだ。


 「最後に残ったものがどれだけ奇妙であっても、それが真実…」


 俺はジリジリと後退していく。彼女の持っている破壊の力を知っているからだ。彼女はたやすく魔物の腕を吹き飛ばし、殺傷したのだ。その力は魔物であった時の俺を上回っていた。


 俺の前に降り立った彼女は、なにかを言いたそうで言わない、モジモジとした態度で俺を見ている。今すぐにも俺を消し去るという感じではなかった。だが彼女が持つ背丈よりも長い槍はあの巨体を消滅させた恐るべき武器である。モジモジとした身体の揺れによって、大きく何の支えもない彼女の胸が揺れていたとしても、心が休まる状況ではなかった。


 彼女が言葉を発した。夢の中では聞こえなかった彼女の声を初めて聞いた。


 「あの、これを直したのはあなたでしょうか?」


 「え、ハイ。そうです」


 俺の返事は、工事現場の作業員のような平凡さだった。そんな返事でも彼女の顔には喜びの表情が浮かび上がった。マスクに下半分が覆われて表情の全てはわからなかったが、喜びでその瞳と身体の輝きが増したようだ。


 「すごい!じゃあ、私と同じ側ってことですね」


 「ええ、モチロン」


 あまりにも鮮やかな嘘の付き方。言ってしまった自分でも驚くほどだ。もし悪事を測るメーターがあったら、建物破壊よりも今の嘘の方がメーターは上がっていたはずだ。


 「あの、これ全部直せますか?」


 少女はお願い事のように聞いてきた。


 「任せください」


 俺は水道工事のCMタレントのような安請け合いをした。コチラとしても命がかかっている状況だ。ブラフを通すためになら、いくらでも嘘をレイズするつもりだった。


 「よかったー。私も気になって見に来たんです。あ、これ壊しちゃったの私なんです。もちろんアビスマルを退治するためだったんですけど…私も初めてで無我夢中で…まさかこんなに壊しちゃうことになるなんて思わなかった…」


 彼女は、俺と彼女の初めての殺し合い、初めての共同作業の結果としての破壊の跡を悲しそうに眺めた。俺は言ってしまった手前、適当に拾った小さな破片同士をくっつけようとする、下手な芝居をしていた。


 「でも、ほんとに良かった。被害を直してくれる仲間が、こんなに近所……同じ市内にいたなんて。すっごく嬉しいです!」


 「いや~まったくそのとおりでさァ。私にお任せください。ささ、お嬢さん、夜も遅いですから、ここはアッシにまかせて帰ってください」


 どんどん俺の芝居は下手になっていった。


 「そんな!私にも手伝わせてください。ほらこれとかも」


 少女は片手で大きな鉄骨を軽々と持ち上げた。その鉄骨を落とすだけで、俺を殺せるだろう。


 「いやいや、お気遣いなく。こういう仕事は専門職に任せるのがベストです。ささ、そんなものはお下げになって、夜道は危のうございます、気をつけてお帰りになってください」


 とにかく帰すのに必死だった。彼女の身体に触れはしなかったが、背中を押すようにして彼女を現場から押し出そうとした。目の前に少女の細いが豊かな身体が見えたが、それを凝視する精神的余裕はなかった。


 「そ、そうですか?後始末だけ押し付けるようで心苦しいのですが」


 「適材適所でございます。ここはわたくしの仕事場ですから!」


 「それじゃあ…お願いします!」


 振り返った少女の顔が、俺の目の前にあった。長いまつげと輝く瞳が、純粋な喜びを表していて、俺の胸にチクリとなにかが刺さった。


 飛び立った少女が闇夜に消えたのを確認した後、俺は猛烈に修復作業を再開した。


 とにかくここからいち早く去らねばならない。


 とにかくここをいち早く修復しなければならない。


 そのためには、この能力の由来など考えずにいきなり百%の力を発揮しなければいけなかった。


 いくつもの破片が宙に舞い、接続される。それらが次々と発射され屋根を再生していく。潰れた座席たちも、芽が出るように再生していく。とにかく必死だった。この夢の現実から抜け出すためには、この場を治して、帰宅して、再び布団に潜り込むしかないからだ。




 全てが治った時には、陽の光が東の空から差し込まれ始めていた。


 建物の形は、完全に戻っていた。建物の強度もおそらく戻っているだろう。機能は?様々な電気回線や機械部品は正常に戻ったのか?それは知らない。後で本職が検査してくれるだろう。


 俺は早朝の競馬場を抜け出して、人気のまったくない道を走った。


 携帯を見ると時刻は朝の六時少し前。世間が起き出す前に仕事を終わらせていた。


 現場から逃げ去るように逃亡した俺は、息を切らせて自宅そばまで戻った。


 これで自分の罪は消えた。あの夢は終わったのだ。布団に潜り込めば、そこで日常に帰れる。


 そんな安心感を感じていた時




 「おはようございます!」


 突然挨拶されて驚いた。自宅のアパートの直前のことだった。


 「あ、ああ、おはよう」


 昨日出会った女子校生が、部活だろうか、こんな早朝に制服姿で彼女の自宅前、つまり俺のアパートのすぐ隣に立って挨拶してきた。


 犯行現場から逃げてきた犯人気分であった俺としては、突然の挨拶に驚いたが、近所に住んでいる美少女からの挨拶チャンスを無下にはできなかった。


 「早いですね」


 「おじさんも朝、早いんですね」


 彼女は、なにがうれしいのかニッコニコな顔で話している。中年男性と出会って嬉しいことなど何もないはずだから、きっと毎日が楽しいのだろう。


 「まあ、仕事の関係でね…ちょっと忙しくて」


 俺は今日一日でつきなれてしまった嘘をまた言ってしまった。


 突然少女は、俺の汚れた両手を、その白く透き通った両手で握って顔の前に持ち上げて、さらに強く握ったあとで


 「お疲れさまでした!」


 と思いっきりの笑顔で言ってくれた。


 「は、はあぁ…?」


 女の子に両手を握りしめられたのはいついらいだろうか。俺は自分の過去の記憶を探ったが、いくら探しても見つからない。出てくるのは、コンビニのバイトの女の子ばかり。検索スピードは光速を超え、はるか恐竜時代にまで遡ったが、そこにも女子との記憶は存在しなかった。


 完全に呆けてしまった俺を置いて、彼女は自宅に戻っていった。玄関から可愛く手を振った後で家に入った。


 俺は壊れたロボットがその最後の力を振りしぼったかのように手を振った後で、壊れたまま自分の部屋へと帰っていった。


 部屋を出た時の罪悪感は軽減されたが、


 謎の修復能力


 謎の夢の少女


 謎の証拠隠滅作業


 謎の機嫌の超いい女子校生と、


 多くの謎に脳がオーバーフローを起こし他状態で、敷いたままの布団に倒れ込んだ。


 なにはともあれゴールできたのだ。


 手は洗わなかった。明日も、きっと洗わないだろう。









 修復作業で疲れ果てて眠った日。昼過ぎに布団からようやく起き出した俺は、テレビで騒ぎを知った。


 破壊された競馬場が一夜にして元に戻ったという不可解な事件に大騒ぎになっていた。破壊された事件よりも注目を集めていた。


 俺はすぐにテレビを消し、自宅作業の仕事を始めた。ニュースを見ないことで無関係であると思い込みたかったのだ。ただ、鉄骨の強度や配線がきっちり機能しているという、専門家の発言だけは聞き逃さなかった。ちゃんと直せていたことには一応安堵した。




 事件から三日が過ぎた。世間での騒ぎは続いているようだが、俺は情報を遮断することでそれと距離をとっていた。事件を忘れ自宅とコンビニを行き来するだけの人間に戻っていった。ただコンビニに出かけるたびに、隣に住む彼女の姿を探したが、あれから一度も会っていない。


 当然だ、彼女が家の前に姿を表すのは出かける時、つまり通学時の朝と夕方、それと出かける用事がある時だけ。合わせても一日で一分もないだろう。対して俺はというと、完全不定期な生活で昼過ぎや深夜の活動も多い。接触する可能性はほとんどなかった。隣に住んでいながら十年以上、一度も会わなかったわけだ。




 事件から三日目の夜、また夢を見た。


 怪物になる夢だ。




 また、競馬場だった。深夜、暗闇の中、いくつか点いている照明の明かりが俺が直したばかりの観客席と屋根を照らしていた。


 そしてまた、俺はその屋根を見下ろす巨体だった。


 怪物となった俺の体は前回と違い、より寸胴体型のようだ、足が短くよちよちとしか歩けない。


 またしてもブヨブヨのゼリー人形のような体の中に浮いている感じだった。直したばかりの建物を傷つけまいと、体を動かさないようにしようとしたが、ゼリーの体にビリビリと弱い電流が流れているのがわかった。俺の意志とは関係なく流れる神経の電流。


 体が勝手に動き出した。


 屋根を殴ろうとゆっくり腕を振り上げた。


 「止まれ、止まれバカ!」


 俺は必死で体をコントロールした。腕は振り上げた位置で止まったが、振り下ろしたくてプルプルしていた。


 その時俺は気づいた。この怪物の脳の位置にいるのは俺で、思考を司っているのが俺なのだが、この怪物の体にはそれ自体に本能がある。その本能が破壊活動をしようと、弱い電流を体中に駆け巡らせている。


 足が観客席を蹴飛ばそうと跳ね上がる。


 それを脳である俺が止めた結果、短い足はバランスを崩して横に倒れてしまった。


 結果的に競馬場のコースと、レースのための施設をいくつも踏み潰してしまった。


 「やっちまった」


 慌てて体を回転させて起き上がったが、被害が拡大するばかりだ。


 そんな風に俺が巨体を持て余して、七転八倒している時、空から光が舞い降りてきた。


 再び彼女がやって来たのだ。


 「やっばっ!」


 今の俺は、いたずらが見つかった子犬のようなものだ。子犬なら口頭でのお仕置きですむが、怪物である俺に対しては、


 光線が飛んできた。


 脇腹をかすめて競馬場の芝を焼いた。


 俺の足元から建物の二階分下にある脇腹から痛みの信号津波が押し寄せて、俺を飲み込む。俺の意識が弱ると、肉体の本能が主導権を奪い取る。


 俺が操っていた時よりも敏捷に動き、空中に浮かぶ少女に攻撃を仕掛ける。足の短さからは想像できない跳躍力で建物の遥か上にまで飛び上がった。しかし少女はその攻撃を空中飛行で回避して、飛んできた魔物の大きな腹に何発も光線を叩き込んだ。


 潜水艦映画でみたような、海中での魚雷爆裂のような破裂が怪物の体内で起こるのが足元に見えた。そしてその衝撃波が何度も俺を襲う。


 衝撃が俺の意識をかき乱し、怪物の肉体の支配を完全に失わせた。


 俺の支配から開放された怪物が赤い目を光らせ、雄叫びを上げる。落下しながらも空中で回転して、腕による一撃が少女にヒットする。愚鈍そうな魔物の姿からは想像できない機敏な攻撃を仕掛けられて、小型車サイズの拳をモロに食らってしまった少女。飛ばされた先、観客席の広い張り出し屋根の上を転がり、なんとか体勢を戻したが、そこに再び飛んできた怪物の両腕が振り下ろされた。


 建物の巨大な張り出し屋根が真っ二つに打ち砕かれた。


 その亀裂の真ん中に、打ち落とされる少女の姿があった。


 滝のように破片が降り注ぐ観客席に、少女も落ちて跳ねた。


 その様子を見た俺は、急速に意識を取り戻す。このまま攻撃が続けば、


 勝ってしまうのはこの俺だ。


 ギュっと意識の手綱を締める。自分の両手にこの巨大な魔物の神経網を握っているのが実感できた。止めを刺そうとしていた腕の動きを食い止める。俺は歯ぎしりしながら神経を引っ張るが、持ち上げられた腕を落とさないようにするので精一杯だった。


 だがその一瞬の静止が少女を助けた。再び空に飛んだ彼女に遅れて、魔物の腕は振り下ろされて観客席のコンクリ床だけを砕いた。


 「逃げろ!」


 そう叫びたくても怪獣の体内で浮いている俺は、声を発することが出来なかった。彼女も俺という災厄を置いて逃げることはできないようだった。


 空中に退避した彼女であったが、ダメージは深刻なようだ。ツバメのように空を飛んでいた彼女が、今や弱った蝶のような飛び方だ。当然だ、鉄骨の屋根を砕く攻撃をモロに食らっている。死んでいないだけでもすごい。


 何発も空を切り続けていた魔物の攻撃が、ついに当たった。空中で叩かれた彼女は、競馬場のコースの上に叩きつけられ、何十メートルも転がっていった。


 そして動けなくなった彼女の元へ、魔物が巨体を揺らしながらゆっくりと近づいていく。俺の支配は肉体側に完全に敗北していた。止めようとしても止まらない。


 魔物が彼女の目の前で止まり、大きく右腕を上げて構える。止めの叩きつけ攻撃をするつもりのようだ。


 地面に倒れ、うつろな目でこちらを見上げる少女と目があったように思えた。


 彼女は泣くことも嘆くこともなく、最後の瞬間まで目をそらさないつもりのようだ。


 実に、気丈であった。


 「殺させん」


 俺が彼女を殺すことを、俺は許さなかった。


 振り下ろされる巨大な右腕、肉体の本能はその攻撃する右腕に集中していた。


 そして、左腕のことは完全に意識の外だった。


 俺は左腕に最大の信号を送り、支配した。


 振り下ろされる右腕めがけて、左腕を殴らせた。


 彼女の寸前で、左腕が右腕の迎撃に成功した。砕かれた右腕が殴り飛ばされた方向に合わせて、体も一回転した。


 自分の目の間で起こった奇っ怪な魔物の行動に驚いた彼女であったが、そのチャンスは見逃さなかった。


 片手を前に伸ばすと、観客席に転がっていた彼女の槍が飛び出してきて、その手の中に瞬時に収まった。


 その槍を構えた彼女は、最大攻撃を放った。


 それは、俺の股下から、股間を腹を胸を、真っ二つに裂く大出力光線だ。


 俺は、股間に感じた熱が下腹部を通り、胃からせり上がってくる感覚を強烈に味わった。


 その灼熱の熱波の中、


 「やばい」


 怪物の体内にいる俺の体を横に移動させ、光線が俺自身の体を焼き尽くすのを避けた。光線は俺のすぐ横を通り、怪物の頭部を通り抜け空に通り、ついに巨体を半分に分けた。




 二つに別れた巨体から、青く光るドロドロとした体液が漏れ出してくる。俺はこの魔物の肉体が完全に死んだと実感できた。今まであった神経網の温かみが消えてしまって、今ではすっかり冷めてしまっている。僅かなバランスで立っていた体が斜めになると俺の体がズルリと滑り出し、地面に向かって落ちていく


 「あ、死ぬ」


 頭部の高さは三〇メートル以上あるのだから、ここからの落下は確実死ぬ。しかし、俺の体は斜めになっていた魔物のもう半分の体にのめり込み、そのまま滑り台のように滑り、最後は二メートルほどの高さから転がって地面に落ちた。


 ブチャリと大きな音がしたと思う。






 「門の所有者がいるはずだ。前回は逃したが、今回は必ず殺そう」


 誰かの声が聞こえた。少女の声ではなかった。機械を通した子供の声のような…


 「所有者を殺さない限り、アビスマルは何度も現れる。見つけるんだ」


 どうやら魔物の本体を探しているようだ。俺は魔物の巨大な死体の影に、逆さまに転がったまま、その話を聞いていた。


 「俺だよな」


 どう考えても俺のことだ。俺が魔物の本体、俺こそが魔物を生み出す魔物であるようだ。魔物退治の専門家らしい彼女らが言っているので間違いないだろう。


 「誰?そこにいるのは?」


 今度の声は先程の声とは違う。あの少女の声だ。俺に対して「ありがとう」と言ってくれた、あの少女の声。俺を仲間だと思って喜んでくれたあの少女の声だ。


 「嘘ついてたな、俺」


 怪物であることを隠して、仲間だと偽った。


 少女の足音がすぐ側まで来た。


 俺は観念して寝っ転がった状態から体を起こして、近づいてきた人物と顔を合わせた。


 「…嘘」


 驚きに目を見開いた少女が立っていた。槍を持ち見事なスタイルと衣装の彼女。マスクをしてその顔はわからないが、その瞳の形は崩れ悲しみと辛さを伝えてくる。


 「なんで、あなたが…?」


 俺は彼女の顔を、申し訳無さと情けなさの合わさった表情で見るしかなかった。申し開きの言葉もなかった。


 「これが門の所有者だ。さあ、」


 彼女の肩に乗っている、プラスチックできたフナムシのような生き物が人間の声を発していた。それだけでも充分異常だが、今はもう気にならない。その変な生き物が彼女に最後の覚悟を迫っているようだ。


 「そうだな、嘘つきの中年なんて生かしておく価値もないよな」


 そう思った俺は彼女の前に無防備な姿を晒した。両手を広げ、彼女に委ねた、自分の命を。


 俺は魔物であったことよりも、彼女に嘘をついたことのほうが罪深いと思った。


 突然の事実に悲しげに目を泳がせる彼女、だが周囲に広がる怪物の残骸と、先日とは比べ物にならない破壊の惨状が目に入った。


 目を伏せた彼女は、ゆっくりと、息を吐き、吸った。槍先を俺の喉元に定めて、覚悟を込めて宣言した。


 「私があなたを殺します」




 闇の中、世界には俺たち二人しかいなかった。




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