第二話「キミの知らない朝陽が昇る」



 俺の喉先に向けられた槍先が震えているのは、彼女の肉体と心、どちらの震えによるものなのか。


 「私があなたを殺します」


 そう彼女が宣言してからどれくらいの時間が経ったのか。


 周囲に散らばっていた怪獣の青いゼリー状の肉体は無音で溶け始め、その体積を半分にまで減らしていた。魔物の残骸は夜が明ける前に消滅しそうだ。


 だがその魔物が行った破壊の残骸は、たとえ夜が明けようとも消えることはないだろう。俺の罪として白日の下にさらされてしまうだろう。


 


 槍の穂先が震えているのは腕力の問題ではないようだ。彼女の呼吸は荒く、何度もこちらから目をそらし、下を向き、なにかをつぶやいた後で、またこちらを見ては睨みつける。


 「殺す覚悟」というものがまだ彼女の中に明確に形成されていないのは明らかだった。


 俺はそんな彼女の覚悟の完成を待っていた。


 こちらの覚悟はすでに出来ていたのだ。


 二度にわたる怪獣としての破壊活動の罪ではなく、彼女を騙して喜ばせて、裏切ったこと。彼女の心を傷つけた罪。


 それは万死に値すると思った。


 中年が少女を騙し悲しませた。


 「そりゃ死なないと駄目だな」


 やってしまった自分の非道が許せなかった。




 「あー、もう!なんで!なんで!」


 ついに穂先を下げた彼女は、悔しがって地団駄を踏んだ。


 キッとこちらを睨みつけた時、彼女の目からこぼれていた一粒の涙が光った。


 夏の日は早い。もう太陽の光が空にグラデーションとなって現れて始めていた。


 「後日、改めて伺います」


 そう言い残したあとで、彼女はロケットの打ち上げよりも早く、空に飛んで消えた。


 「あ、ハイ」


 俺は彼女に置いてきぼりにされた。


 「後日って、いつ?」


 いいさ、どうせスケジュールはガラ空きなんだから。


 周囲を見渡す、昇り始めた朝日が、あたりの惨状を照らし出した。


 再びの破壊現場。競馬関係者には本当に申し訳ない。


 俺はその場を放置して自宅に帰り始めた。


 朝日が昇りだし日常が始まってしまう。とても治せるような状況ではなかった。






 自宅のアパート前まで戻ってきた。太陽は顔を出して入るがまだ早朝という時間帯だ。一瞬、またあの子に会えるかもと期待したが、今は世界中の、どの女の子にも合わせる顔がなかった。


 もちろん、誰もいなかった。


 アパートに入ろうとした時、一瞬、誰かの視線を感じた。振り向くとあの子の住む家の三階の窓に目が行った。


 誰もいない。だが明かりは点いており、閉まったレースのカーテンの向こうに人影を見滝がした。少し残念に思いながら、そのまま部屋に帰った。




 帰宅した俺は何もする気力がなかった。


 夢で再び怪物になってから半日が経った。やったことと言えば巨大な建造物を半壊した事と、少女を泣かせたこと。そして限りなく死に近づいたこと。


 あまりにも色々な事があった。心が消耗していた俺は、敷いたままだった布団に潜り込んだ。


 この夢が覚めればいい、と思いながら。




 目が覚めた。半覚醒なまま目覚し時計を見ると四時過ぎだった。


 どっちの?朝の、夕の?


 それぐらい時間感覚が乱れていた。カーテンを締め切っているため薄暗がりの部屋。カーテンの隙間から入ってくる光の強さから夕方であるらしい。雨が降っているようだ。


 ネットを見る気も、テレビを見る気もなかった。自分が行った破壊の結果を見たくなかった。その時点でようやく、今日が日曜だと気がついた。布団から起きるあがる気力はなかった。




 玄関のドアを叩く音が聞こえた。


 うちにはドアフォンがないため、ノックするしかない。家に来客が来ることなどまったくなく、ネット通販をした記憶もないため、訪問販売か何かだと思って無視することにした。そんなことで布団から出る気はない。




 玄関のドアが音を立てて開いた。鍵は閉めていたはずだった。


 俺のアパートは2Kの部屋割りだが二つの部屋が縦に繋がっている。部屋の間の襖が開き、突風が室内に飛び込んできた。床に散らばっていた衣服や本が渦を作り、明かりの点いていない薄暗い室内に竜巻が起こる。俺はそれを床に寝っ転がった状態で、布団を抱きしめたまま見上げていた。その騒乱状態の我が部屋の中に輝く人物が、空中を浮かびながら入ってきた。


 俺の薄暗い住居が、青い光が渦巻く深海になった。


 彼女が、宣言どおりに俺の元にやってきたのだ。


 「後日って言ったじゃん」


 早朝の別れからまだ半日も立っていない。


 突入してきた部屋の様子をゆっくりと見回した彼女は、俺の不在を疑ったが、自分の足元の布団で、今だ寝た状態の俺にようやく気づいて目を合わせた。


 光の中で浮かび上がる半裸の女性。彼女の衣服から伸びる布が四方にたなびき、部屋全体を占領している。彼女の股下に位置する俺からは、彼女の足と下着のような薄布一枚の下半身は見えたが、彼女自身の胸の大きさに阻まれ、彼女の顔は目から上しか見えなかった。


 部屋の空間のまさしく中央に浮かぶ彼女。その足元に敷かれている薄い布団に挟まれ、床に張り付いたカビのような状態の俺。


 「何だこの状態」


 そう思ったが、客人がいるので口にはしなかった。


 彼女が手を振るうと、光が集まりあの槍が出現した。長大な槍は出現しただけでフスマに穴を開けた。クルクルと構える動きによって、仕事用テーブルを切り、棚を破壊し、壁に切り傷を作った後で、寝ている俺の顔の前で切っ先が止まった。


 「修繕費…」


 そう思ったが客人の手前、無言であった。


 「あの…」


 寝たままの状態でなにか言おうと思ったが、顔に突きつけられた巨大な刃物の圧迫感は強く、息を吸えばそのまま喉奥に突き刺さりそうだった。どうにか一言だけ喋った。


 「どうも」


 家主としての挨拶もろくに出来なかった。


 少女は刃をピクリとも動かさず


 「あなたを殺しに来ました」


 早朝の時の彼女と違い、その目は真剣だった。しかし、目の周りは赤く腫れて、この半日未満の間に起こった彼女の葛藤の重さが見て取れた。


 「わかった」


 俺は起き上がろうという意志を消して、また布団に体を預けた。これからなるであろう死体に近づくために。


 「どうして…」


 彼女が構えた切っ先が揺れる。


 「どうして、何も聞かないんですか?」


 彼女が悲しげに聞いてきた。


 「聞いたら、なにかあるの?」


 「生き延びる可能性が、あるかもしれないじゃないですか。ないんですか、そういう願望が?」


 彼女は覚悟を決めて、俺の部屋に来た。だがその覚悟も完全ではない、まだ揺れている。


 大人である俺がちゃんと協力しないといけないようだ。


 「俺が死ぬことは構わないけれど」


 「けれど?」


 「キミを人殺しにはしたくない。そういう願望はある」


 彼女の目が大きく見開いた後に潤んだ様に見えた。彼女は槍を引き、俺は呼吸がしやすくなった。


 「ソダリー、説明してあげて」


 彼女がそういうと、彼女の髪の中から、プラスチックの消しゴムで出来たようなフナムシが現れた。


 「はじめまして、私は彼女のトーテム、まあサポーター兼教育者といったところだ」


 玩具の虫のような姿で人間の言葉を話す。今朝、聞いた声だ。


 「君は肝が座っている、泣くことも叫ぶこともないようなので話がしやすそうだから、手短に説明しよう」


 虫なのに言葉はなめらかだ。


 「君はアビスの門だ。単純に言えば異世界との結節点。アビス界とこの世界をつなぐ、文字通りの門となっている」


 彼女の目と虫の目が俺を見下ろしている。


 「門を通って、魔物がこの世界に現れる。そのことに関しては説明はいらないだろう」


 「俺自身が体験で実証済みだ」


 「話がはやくて結構。つまり君の存在はこの世界において極めて危険である」


 少女が槍の切っ先を再び俺の鼻先に近づけて、


 「だから、殺さなくちゃいけない」


 「そうだ殺さなければいけない。理由は君がモンスターになるからではない、門そのものだからだ」


 「暴れたことよりも、門であることの方が問題なのか?」


 「魔物はこの世界に門を設置するための工作兵にすぎない。邪魔者を排除して、門を設置して、開く。開いたらおしまいだ。二つの世界は繋がり、大量の魔物がこの世界を襲うだろう」


 「そうならないためにを…君が世界を守っていると」


 俺は彼女に向かって訪ねたが、彼女は答えず、ソダリーが答えた。


 「そうだ、彼女は今現在の契約者、魔法少女として私に協力してもらっている。私はこの世界を守るための防衛機構の一端。何百年にもわたり、アビスからの侵略を防いできた」


 「そして今回も?」


 「そうだ、アビスの門の保有者をいちはやく発見できたのは幸運だった。門の保有者は消滅させなければいけない。君には申し訳ないが、世界を守るためだ。恨むなら彼女ではなく私を恨んでくれ」


 「そうする。じゃあ、話は終わりだな」


 「そうだ」


 ソダリーと俺、二人が彼女を、処刑人の使命を負った魔法少女の顔を見た。


 彼女に言われて、このソダリーという生き物から話を聞いてみたが、俺が生き延びる道はやはりなかったようだ。


「なんでそんなにアッサリ受け入れるんですか…」


 彼女の声は泣きそうだった。


 彼女にはわからないだろう。罪の重さを一度でも自覚してしまうと、もう普通には生活できないということを。


 彼女が力を込めるだけで、槍の先端に光が集まり始める。光はわずかに熱を持ち始め、俺はアゴ先でそれを感じた。光量はどんどんと強くなり、俺は眩しさに目を細める。


 光の向こうに隠れてもう彼女の顔は見えない。死ぬ前に彼女の顔をちゃんと見たかった。彼女の体ももっと見ておきたかった。真下から見上げる体のオウトツを。下から見上げたと彼女の胸この世のなかでも至上の光景の一つであった。


 「それだけが、心残り…」


 などとやましいことを思いながら、光の向こうの光景に思いを馳せていた時、俺は自分の心の中の一欠片に気がついた。


 「あ、心残り…」


 「え、心残りあるんですか?」


 俺の一言を聞き逃さず彼女はすぐに槍先の光を消して顔を近づけてきた。


 心残りだった彼女の胸が下を向きながら急激に接近してきたのを俺は見逃さなかったが、凶器をもった女性に対してそういう視線を送り続けるのは難しかった


 「心残りあるんですよね?言ってください」


 彼女の声に明らかに喜びの音がある。彼女の覚悟もまだ、足元がおぼつかないようだ。


 「いや、ここでこのまま死ぬと、大家に申し訳ないかなって…」


 「ああ、そうですか…そうですよね」


 俺がまだ、死ぬ前提を崩していないのが彼女には残念だったようだ。


 「それと…」


 「それと?」


 「すまないがもう少し時間をくれないか、さすがに昨日の今日だ。俺も大人だからな。勝手にいなくなったら不義理なことが多い」


 彼女は彼女のペットのフナムシと顔を合わせて相談した。


 「逃げないよ。約束する」


 俺は寝たままの姿勢でそういった。布団に寝っ転がったままの中年男性。その説得力はおそらく皆無だったろう。


 「わかりました、今から四十八時間…」


 彼女はそう言って俺の部屋の壁掛け時計を見たが、真っ二つになった状態で壁に半分だけ掛かっていた。


 「…二日後の朝まで猶予を与えますから」


 彼女は自分の持ってる槍を後ろに隠した。


 「ですから、お互いに…もう一度覚悟を決めましょう」


 そう言って彼女は、空中を浮遊した状態で部屋から出て玄関から外に消えた。一度として俺の部屋に足をつけなかった。


 輝く少女が退出して玄関の閉まる音が聞こえた。俺の部屋は再び薄暗い元の部屋になった。


 いや、半壊した、薄暗い部屋になっていた。


 う~~ん、と伸びをした後、再び布団に潜った。しばらく出たくなかった。


 昨日から、色々ありすぎる。


 昨日から、死が近すぎる。


 俺は疲れていた。






 翌日の朝、ようやく起き出した俺は、締め切り前の仕事を手早く片付けた。こんなに快調に仕事が進んだことは今までなかった。


 「死んじゃうという締切は凄いな」


 出来上がったファイルを送る時、別れの挨拶でも入れようかと思ったが、メール先の顔も知らなかった。同じ仕事先だが担当者が何度も変わっているため、名前も満足に覚えていない。


 「まあ、次の依頼メールに返事がなければ、それで終わりだろう」


 自分の人生の社会との接点の少なさ、接点の弱さを思う。寂しくはあるが悲観するほどでもない。


 「あとは…」


 部屋の掃除と洗濯だが、まだ早朝なので後回しにしよう。食い物がないのでコンビニに行くことにした。最後の晩餐がコンビニの食事になるだろう。コンビニ飯で生き、コンビニ飯で死ぬ。それでいいじゃないか。


 財布を持って外に出た。




 アパートから出ると、目の前にお隣さんの女子校生が立っていた。何かを待っているかのような険しい表情でこちらを見ている。俺は思わずほころんだ顔で


 「おはよう!」


 と元気よく挨拶してしまった。


 「え?あ、お早うございます」


 彼女は驚いて返事を返す。朝っぱらからこんな中年に出会って挨拶なんてされたら不機嫌にもなるだろう、彼女の顔は少し険しいものだったが、こちらは人生にもう後がない中年だ、陽気に話ができる。別れの挨拶だってできる。


 「急なんだけど、引っ越すことになったんだ」


 「え?、キュ、急ですね。どちらに?」


 「遠くさ…」


 そう言って俺は空を見上げる。彼女は眉をしかめる。


 「あの、それって絶対に行かないといけないんですか?」


 「え?引き止めてくれるの?」


 「引き止めては…いません。けどよく考えた方がいいと思います。この街だって、住みやすいし…」


 「住みやすいし、君の故郷だもんね。でも俺はもう、ここにいちゃいけないんだ」


 「…誰かに追われてるんですか?…借金取りとか」


 「ハハハ、借金取りよりも、も~~~~っとおっかない人に追われてるんだ」


 「おっかないって…そんなわけないじゃないですか!」


 「いや~、すごいのが家に来てね、もう大暴れしたから」


 「大暴れ…それは怖いですね。ひどいですネ…。だから逃げるんですか?」


 「逃げないよ。逃げない。自分の役目を果たすために、ここにはいられなくなった。大人だからね、おじさんは」


 「大人は…逃げないんですか?怖くても」


 彼女と会話している時、ヘリコプターが頭上を通過する音が響いた。このヘリも、あの競馬場に向かうマスコミが乗っているのだろう。


 「ずいぶん、怖いことになっちゃったね」


 俺は何機ものヘリが上空を飛んでいる競馬場の方を見ながら言った。


 「そうですね、また壊れたみたいで。でもあれは事故であって、誰かが悪いわけじゃ…」


 「俺は、みんなが怖いと思っていることを放っておいちゃいけないと思うんだ。誰かが対処しなくちゃいけない。一人で対処できないなら、二人で…」


 「二人だったら対処できるんですか?」


 「一人じゃ無理みたいだから…二人じゃないと」


 彼女と一緒に遠く競馬場の方を見つめていた。女の子とこんなに長く喋ったのはいつ以来か。死ぬ前にいい思い出が出来た。


 「じゃあ」


 最後の晩餐を買いにコンビニに出かけた。覚悟が決まっている男は、たとえ女子校生が見つめていたとしても振り返らない。




 食事を終え、部屋の片付けをした。大掃除には程遠く、床を撫でるだけの掃除だが気分は良くなる。


 「俺だって、跡を濁さず」


 濁しっぱなしの人生だったが、最後に女の子二人と知り合え、会話が出来た。十分だった。一人はお隣さん、もう一人は世界を守っているらしい魔法少女だ。小さな荷物を懐に抱えて座り込み、待った。


 夜を待った。






 夜空の月のすぐ横に、新しい星が輝いていることに気づく者はいなかった。


 アパートから出てきた男も気が付かなかった。周囲の人がいないかだけを気にしていた、空など見る余裕はない。男は小さな荷物を抱えて、小走りにでかけていった。


 月の横で輝く星、魔法少女は男の様子を空から見ていた。空高くに浮かんでいた彼女は、男が走っていった方向に飛び、追跡を開始した。






 深夜の競馬場、二度目の破壊現場となった競馬場。更に多くなったマスコミや野次馬が消えるのを待っていたら、夜中の二時すぎになっていた。俺は再び敷地内に侵入しコース側から建物を眺めた。


 「時間もないし…どうすんのコレ」


 前回の被害が、屋根の一部の欠損だったのに対して、今回は建物から突き出していた巨大な屋根が丸々へし折られている。


 「まあ、俺がやったんだけどね」


 今日の部屋掃除の時に、魔法少女が訪問中に破壊した部屋の修復も行っていた。俺の修復能力は自分が壊したもの限定の能力ではないようで、彼女の壊した家具も治すことができた。修理する際に俺にその物体に対しての知識がなくても完璧に修理できる、というのを確認できたのはラッキーだった。


 つまり俺はこの建物を治せる。


 「ただし、それは俺がどれだけ頑張れるかが問題と…」


 建物に近づくたびに、治すべき建物の巨大さと、破壊の大きさに圧倒される。傷を受け痛がってる巨象に近づいているような気分だ。俺にほんとに治せるのか?


 「手近なところからコツコツと…やるしかないか」


 俺は落ちていた建物の破片を拾った。この巨大な建物の大きさに比べたら、ホコリのように小さな破片だった。






 競馬場を囲む様に立っている高いポールの上に、魔法少女が立っていた。彼女は眼下の競馬場で行われている、孤独な男の修復作業を見つめていた。彼の姿は一万ピースのジグソーパズルに迷いこんだ蟻のようだ。


 彼女の肩に止まっているプラスチックな虫が話しかける。


 「やはり私は反対だ。長い歴史の中で、門の所有者とのコンタクトは全て悲劇に終わっている。我々は最大のチャンスを得ている。彼は協力的で殺されることさえ拒否していない。いち早く殺すことで君もこの使命を最速で終わらせることができる。それを引き伸ばしても得られるのは増大するリスクだけだ」


 この虫の静かな説得に魔法少女は答えを返さなかった。


 「遮蔽シェードの魔法は万全なの?」


 彼女は違う質問で返した。


 「ああ、この周辺に貼っている魔法は、周囲の人間の意識をこちらに向かわせない。姿も音も合わせて隠してから大丈夫だ」


 「そう、だったらもう少し待ちましょう」


 彼女はそう言ったが、夜明けまでもうそれほど時間は残っていなかった。







 ポールの上に立っている魔法少女の顔に朝日があたり、彼女は目を細めた。東の空が明るくなっているのを確認した彼女は、眼下の状況に目を移した。


 修復はほとんど進んでいなかった。


 未だ屋根は破断された状態のまま、男は地面を這いずり破片パーツのパズルに没頭しているが、この調子では一週間の時間与えたとしても直せはしないだろう。


 ついに男はへたり込み、休憩を取り出した。


 少女はため息をつき、手に集めた光を長大な槍に変える。


 立てた槍を顔のそばに持っていき、槍の柄におでこをあてて、つぶやく。


 「これは私の使命…これは私の使命…」


 祈るだけで男を消す覚悟ができたら苦労はしない。結局の所、覚悟なきまま行動するしかないのだ。






 「フヒーーー、きっちーー」


 俺はへたり込んで、持ってきたバックから飲み物とタオルを出して休憩に入った。作業の進展から目をそらして再充填する時間が必要だった。


 「やっぱタダってわけじゃないか~」


 自分の手に光を作って確認する。この修復の力、使えば使うだけ体力が奪われる。当然のことだった。


 「あ~日が昇る…」


 明るくなった空を見上げると、あの魔法少女がちょうど降りてくるところだった。いつもどおりの艶やかな姿、マスクでその表情は読めないが、彼女の素顔を想像するだけで、生きる希望のようなものが湧いてくる。


 「やあ」


 俺は気安く挨拶したが、彼女は返事を返さなかった。


 「よっこらせっと」


 立ち上がり、彼女のそばに近寄ろうとしたが、槍を脇に構えている彼女に拒絶の意志を感じて途中で止まった。


 「もう、時間かな?」


 彼女は無言のままだ。


 「時間じゃしょうがない。もういいよ」


 「なんで、逃げないの?」


 ようやく一言喋った。


 「ああ…跡を濁さずってのを、やってみたかったんだ。今まで何も出来なかった人生だったからね。一つくらいは、って思ったんだけど…」


 明るくなりはじめた周囲を見渡す。広い敷地に屋根の破片が並べられているだけで、何も直ってなどいない。


 「ご覧の有様だ」


 つい、自嘲的な嫌な笑顔を作ってしまった。何も出来てない。俺の人生そのものだ。


 ただ漫然と生きて小さな成果物の破片が並んでいるだけの人生。大きな形を作ることが出来なかった、連続性のある、価値のある人生を。


 「逃げれば良かったのに、そうすれば、少なくとも死なずにはすむのに」


 「そしてまた魔物になるのか?そんな人生は嫌だからここに残ってる。誰かに迷惑をかけるのは人生だから仕方ないけど、災害のレベルの迷惑だからね。さすがに逃げられない」


 もう一度、自分がやってしまった破壊跡を見る。そして彼女を見る。朝焼けを背景にした、今、世界で一番美しい彼女を。


 「それに君を傷つけた。心も、体も。嘘についてはゴメン、本当にゴメン」


 「いいんです、それはもう」


 「それになんどもキミを殴った。止めようとしたけど、やっぱり俺は怪物に負けた。俺が危険な存在だってよくわかった」


 彼女の体がピクリと動いた。


 「止めようと…したんですか」


 「え?うん…なんどかコントロールは奪えたけど…」


 「じゃ、じゃあ!あの怪物が自分で自分を殴ったのは?」


 彼女が俺に飛びつかんばかりに迫った。


 「それは俺がやった」


 それを聞くと、彼女の顔に明るい光が指した。自分の肩に向かって


 「ほら、やっぱり!この人、魔物をコントロールできたんだよ!私の勘違いじゃなかった!」


 彼女の髪の中からトーテム、ソダリーが出てきて


 「たしかに、それは興味深い。ほんらい魔物は門の所有者の破壊願望によって動く。門の所有者自身がつねに破壊願望の権化、世界の敵であることが常だからだ」


 「そうなの?」


 俺には完全に初耳なことだった。


 「ソダリー!つまり私が言ってた、もう一つの作戦ができるんじゃない?」


 「だがそれでもリスクは高い。君はまだ本当の魔物と戦っていないから、そんなにのんきに言えるんだ。門の所有者が抵抗を示さない今こそ最大のチャンスだ」


 「そうだねー」


 俺は適当に相槌を打ったが、魔法少女の方に睨まれた。


 「だめだよ、ソダリー。戦略も戦術も私が決める。最初っから私は言いましたよね、道具にはならないって」


 彼女の強い言葉にソダリーは反論できずに黙った。


 「ところで。そのもう一つの作戦ってナニ?」


 話の主体であるのに会話から阻害されていた俺は聞いてみた。


 魔法少女は俺の顔を強く見つめ


 「あなたにはこれからも魔物になっていただきます!」


 「え?」


 「そしてその魔物を動けないように心で縛ってください。被害も最小限にしてください」


 「え?」


 「そしてその動けない魔物を、私が楽々と仕留めます!」


 「ええ~~?」


 俺ばかりが大変そうな作戦が提示された。


 「門には十二体の魔物が仕えている。十二体を倒し切ると無防備な門だけが現れるから、それを破壊する」


 ソダリーが追加で説明した。


 「つまり?」


 「キミはもう二体出現させて倒されている。魔物はだいたい三~六日周期で現れるから、あと九体、全部終わるのに二ヶ月弱かかると思ってくれ」


 ソダリーの数字込みの説明は今後のスケジュールまで入っていた。


 俺はしばらく空を見上げて考えた。魔法少女は期待を込めた目でこちらをみている。


 「つまり…俺は四日おきくらいに魔物になって」


 「ハイ!」


 「それを動けないように頑張って縛って」


 「ハイ!」


 「それを君が倒すってのを、九回繰り返すってこと?」


 「そういうことです!」


 「………メンドクサ!」


 「ナニがですか!!」


 俺は大きくため息を付いた。死ぬか、と思った最期の日に、二ヶ月近い今後のスケジュールが決まってしまったのだ。


 「それが、俺が生き残って、君を人殺しにしない唯一の方法ってわけ?」


 彼女に近づいて目を見ながらそう言った。


 「ついでに世界も救えますよ」


 彼女も俺の目を見ていってくれた。


 この魔法少女と一緒に頑張れる。


 あと二ヶ月生きている理由としては、最上のものじゃないだろうか?人生の目的が決定した音が脳内で聞こえた。俺は手を差し出した。


 彼女の細い手が俺の手を握ってくれた。


 「ヨロシク。俺の命を君に預けるよ」


 「よろしくお願いします」


 二人の契約が成立した。


 魔法少女と世界を滅ぼす魔物との共闘の契約だ。


 


 「八百長っぽくない?それって」


 「ヤオ…チョウ?」


 若い女の子はプロレス用語を知らないか。


 もう朝日は昇り始めていた。人々が目を覚ます時間も近い。


 「じゃあ、帰りましょうか?」


 「いや、まだ修復作業が…」


 「とてもキミには無理だ。諦めて早々に立ち去ることをおすすめする」


 「まあ、そう言わないで…」


 魔法少女とそのトーテムに反対されたが、俺は作業を諦めていなかった。


 大きな破片がゴロゴロと並ぶ現場に戻り。


 「フン!」


 腰だめの姿勢になり両手を広げる。まるで土俵入りするお相撲さんのようだ。


 魔法少女たちは呆れた顔で見ているだろう。屋根の部品は全て地面に落ちている。本来、屋根があるべき三〇メートル上には魚の骨のようなわずかな骨組みしか残っていない状況だ。ほとんど手つかずにしか見えないだろう


 俺の両手が輝く。人生で初めて得た特殊能力だ。力を込めるほどに輝きが増す。


 今、最大の力を込める。


 「ヨォ!」


 お相撲さんのような、大工の棟梁のような掛け声。地面に並んだ全ての部品が一斉に浮き上がる。プルプルと震える俺の足。まるで全ての重量が両足にかかっているかのようだ。


 「な~~お~~れ~~~」


 みっともない掛け声だが、これしかない。そしてその掛け声に合わせて全てのパーツがどんどんと上昇する。上昇に合わせてパーツの間にあった隙間がどんどんと縮まり、建物の高さの半分を超えたあたりには、完全に屋根の形になっていた。


 魔法少女の驚く声が聞こえた。気分が良かった。


 「いきなりピースをはめちゃ駄目なんだ。まず小さなまとまりから、それを合わせて中くらいにして、そして大きなパーツにする…そしてそれを…はめる!」


 足を震わせながら説明した俺は、最後の力で元の形になった屋根を、元の場所に戻した。ガッチリと組み合った感触を手に感じた。


 はまった屋根は、もう落ちることも剥がれることもない。完璧に、治った。


 作業を終えて力が抜けた俺は尻餅をついた。後ろを振り返ると、魔法少女はすでに上昇を始めていた。俺を褒めるように目が笑っていた。


 「君は?名前は?」


 俺は去って行こうとする彼女に、最後の質問を投げかけた。


 喜びに溢れた彼女の目、彼女は自分の口元を隠していたマスクを外した。


 彼女の肩にいたソダリーが慌てふためく姿が見えた。


 マスクの下の笑顔は可憐であった。


 俺は、二人の少女の顔が同じであったことに、驚きではなく喜びを感じた。


 飛び去った彼女がどこに向かったのか、俺は知っている。




 自宅前に戻った。今日もまた色々なことがありすぎた。この日の最後、俺は確認しなければならなかった。お隣に住む、あの子の名前を。


 大きな住居に掲げられた表札を見る。


 「木須屋」


 「キスヤ…」


 名字を確認できただけで嬉しかった。


 その建物を見上げると、三階の窓が開いていた。レースのカーテンの向こうから、魔法少女が顔を出し、こちらを優しげに見ていた。レースが揺れると、その姿は女子校生のお隣さんになっていた。


 俺が小さく手をふると、彼女は少し恥ずかしそうに手を振り返してくれた。


 それだけで、生きている幸せを感じた。


 生きている理由があった。




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