第九話「キミの命の味」
「おっそいよリンカ!」
夜中のテニス練習場。三面あるコートを小型の魔物が走り回り、それを魔法少女吐息とエリが追いかけ回している。遅れてきたリンカは今回の落谷の変化した姿を見る。
針が細いウニ。黒くて球体の体から、ひげのようなものが周りにびっしり生え、それがバネのように跳ねランダムに飛び跳ねまわっている。
吐息もエリも先行して来ていたが、その動きの不規則さと速さに、まだ倒せていなかった。リンカが加わり三人になり、敵の行動をかなり捕捉できるようになる。
リンカは生来の感の良さで敵の先手先手を打てる。これは吐息やエリには無い能力だ。
二人に追いかけ回された魔物が選んだ逃げ道を、リンカが塞いでいた。
大鎌を振りかぶり、絶好の狙い玉が来たバッターのように、振り下ろす…
瞬間、リンカは飛び跳ねる首のイメージが見えた。
彼女の止まった鎌の横を魔物がすり抜けたが、そこにはエリの放ったミサイルがあった。
リンカの背後で爆発が起こる。それにより球の半分を失ったウニが地面にドロドロとした青い中身と、落谷をこぼして果てた。
「やった!エリちゃん撃破!」
エリが大喜び。吐息はこぼれ落ちた落谷の回収に向かおうとしたが、リンカの顔を見て止まる。
鎌を構えたまま青い顔をして止まっている。
「どうしたの?リンカ」
彼女に反応はない。ネバネバの中から起き上がった落谷はなにか思い当たることがあるような顔で、リンカを見ている。
ようやく動き出したリンカは一言だけ言った。
「私、魔法少女やめる…」
俺の部屋にリンカがいる。
先日…実際には今日の夜中だが、俺は彼女との別れ際に耳元で言った。
「今日、俺の部屋に来てくれ」
これだけで女子校生がのこのこと部屋に来るわけはないな、と家に帰ってから思ったのだが、彼女は来た。
部屋に上がったが所在なさげにソワソワとしている。夏休みが始まったはずなのに、制服姿だった。それを尋ねると
「うちの学校、参加自由の補習やってるの。だからけっこうみんな行ってるよ。夏休み中の合宿もあるし」
吐息が真面目な生徒が多いと言っていたが、それは本当のようだ。吐息もエリも今日は補習に行っていて。リンカは抜けてきたそうだ。三人ともエスカレーターで大学に入れるが、一般入試を受ける生徒も多く、そういう生徒に引っ張られる形で補習を受ける生徒も多いのだそうだ。
座ってもらって、改めて話をする。寝ずの番のルーティンに参加してもらうお願いだ。
昨晩のやめる発言にはいっさい触れなかった。
「つまり、あんたのハーレムに入れて、私と寝たいと?」
「添い寝だよ。添い座りでも構わない」
大人なので女子校生の挑発などスルーできる。
魔法少女が二人に増えたが、魔物化が来るか来ないかの三日の寝ずの番というのは厳しい。三人でルーティンを組めれば負担はだいぶ軽くなる。
「これを頼めるのは、魔法少女である君だけだ」
俺は真剣に頼んだ。
彼女は視線をそらしながら考えているようだ。辞めるといったものの、まだ未練はあるはずだ。それを繋ぎ止める口実を俺は示してあげた。
「考えとく」
彼女は口を尖らせながら、それだけ言った。
「それでいいよ」
俺も今日はコレでいいと思った。
「話は終わり?…ところでさー、あれって」
用件が終わったことを確認したリンカが指差したのは俺の家のゲーム機だ。
最新機種で買えていない人も多いレアなものだ。
「やりたい?いいよ」
俺は電源を入れて彼女にパッドを渡した。
ゲームのラインナップを確認した後、彼女はアクションゲームを選び。
「セーブデータ作っていい?」
と聞いてきたので許可した。プレイ時間が長いゲームを始めた彼女をほっておいて、俺は仕事机に向かい仕事を始めた。最近は女の子が自分の部屋にいることにも慣れた。
二人、まったくバラバラなことを始めた。
「おじゃましま~す。いやー暑いですねー」
午後になって吐息とエリが遊びに来た。彼女たちも補習終わりらしい。制服が汗に濡れている。
「そんなに暑いのか、部屋から出ないからわからなかったよ」
「そんな不健康な。お外出ましょうよ、暑いけ…ど…」
クーラーの効いた部屋に入ってきた吐息の動きが止まる。
部屋に寝そべってゲームをしているリンカが目に入ったからだ。
「あ、リンカだ。ちーっす」
止まっている吐息の代わりにエリが挨拶する。リンカはぞんざいに挨拶を返した。
「なぜ…リンカが、ここに?」
「俺が呼んだんだ、話がしたくて」
「ハナシ…?」
吐息の動きはガタついたままだ。
「呼ばれちゃった。二人きりになりたいって」
「ヨバレ…チャッタ?」
リンカの挑発も同じ女子校生には通用するようだ。俺は騒がしくなりそうなので、仕事を一旦辞めることにした。
リビングではエリはアイスを食べながら漫画を読み、リンカが寝そべりながらゲームをやっている。完全に占領された形だ。
書棚の部屋ではテーブルに参考書とノートを広げた吐息が自習をしていた。
俺は彼女の前に座った。彼女は顔も上げず、未だ不満そうだった。
「だから言ったろ、リンカが加わってくれたら、君たちの負担が減るって。夏休みだってもっと楽しめるようになるし」
なにが不満なのか、吐息はノートに黙々と字を書き続ける。それをチラリと見て俺は
「俺が君の勉強を見てやれればいいんだけど、あいにく大人になると、大人のための勉強のせいで受験知識が消えちゃうんだよね」
「…それ教えて下さい」
「え?」
「もっと大人に必要なことを教えて下さい」
下を向きながら不貞腐れたように吐息が言う。俺はヤレヤレと肩を落とす。
「リンカが隣で寝てたってなにも起こらないよ」
「本当ですか?」
吐息が顔を上げ尋ねる。俺は彼女の頬を両手で包んで
「何もない。いかがわしいことは何も起きません」
と約束した。吐息は俺の両手に自分の両手を重ねる。
「そういうのが、いかがわしい行為っていうんじゃないのかな~」
襖から現れたリンカがそう言うと。俺と吐息は急いで手をしまった。
次の日も、リンカは家に来てゲームをしている。特に会話もなく、お互い干渉もせず。
彼女のゲームプレイを見ていると、時々止まることがある。敵キャラに止めをさすシーンで止まるのだ。やっているのは十八歳以上の大人向けのアクションゲーム、マイルドな暴力描写ではない。カットシーンによる止めが敵の首を跳ねるところで、彼女はプレイを止めてクッションに体を大きく預けた。そんな感じで、ゲームのプレイは度々止まった。
「君に言っておきたいことがある」
「なに?」
リンカは疲れた様に両目を手で覆いながら返事をした。
「君に俺を殺させたこと、謝っておこうと思って」
彼女はそのままの姿勢で大きくため息をつき。
「いいよ、別に」
「君がそのことで傷ついているのはわかる。昨日の辞めるってのもそういうことだろ」
彼女は返事をせず、ゴロンと寝返りこちらに背を向けた。
「リンカ、君はその苦しみを誰にも言えない。家族にも友達にも言えることではない。君のトーテムは君を肯定するだけだろう。それに、君は吐息にもエリにもそれを言えない」
ようやく彼女はこちらを見た。
「君がそのことで文句を言って、ボロクソに言っていいのは俺だけだ」
立ち上がったリンカは座ったままの俺のアゴを人差し指で持ち上げた。
「なんで生きてるの?」
「再生能力がある、だから生き返ったが偶然みたいなものだ。一つだけ言っておく、だから、君は、殺してない」
「殺した。首を切った」
「殺したってのは命を止めることだ。俺を見てみろ、死んでるか?」
「生きてるか死んでるかは関係ない。私は殺そうとして殺してしまった。もう私は違う人間になちゃったの」
俺は立ち上がった。彼女の背は高く俺とあまり変わらない。
「だから言っている、殺そうとしたが殺しそこなった。失敗してる。見てみろ!俺の首を。君は傷一つ残せてない。失敗してんだよ!」
そう言って俺は襟を伸ばして首筋を見せつけた。中年の傷のない首筋を。
「あんたがなんと言おうと、私は殺人者だ、もうダメなんだ」
「なにが駄目だ。ちゃんと見ろ!この下手くそ!切れてないだろ。お前は殺してない!」
涙で目が潤んだリンカに俺は自分の無傷の首を差し出す。顔の前に、よく見えるように首筋を伸ばす。中年にはこの姿勢を維持するのも辛い。
リンカは差し出された俺の首筋に顔を近づけて、よく見る。そしてクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
「どうだ切れてない、死んでない、お前は何もやってないんだ」
俺が念を押し続けると、彼女は、
ガブリと俺の首筋に噛み付いた。血が出るくらい強く、歯を立てて。
「いったっぃ…どうだ…切れてないだろ、ちゃんと確かめろリンカ」
痛みを受け入れて、彼女の思うがままに任せる。噛み付いた傷口に彼女の流す涙が流れ込んだ。
噛み付いたままの彼女の肩をしばらく抱きしめた。それからしばらく経って彼女の肩をポンポンと叩く。「そろそろいいんじゃね?」という合図だが、噛む力が衰えない。
いい加減、マジで痛いし喉元の急所を噛みつかれているのは怖いし、呼吸も苦しいし、血も結構出てるみたいだし
「あの、リンカさん…もうそろそろ…」
俺は喧嘩に負けて首筋を噛まれている犬のような情けない声を出した。
スーーッと部屋の襖が開いた。
吐息が幽霊のような顔をしてそこに立っていた。
「あ・・・」
俺は溜め息のような言葉しか出せなかった。
彼女の手の中からスーーーっと槍が伸びているのを見て、俺は恐怖で死にそうになった。
カパァっとようやくリンカが噛みつくのを止めた。よだれと俺の血で汚れた口元を吐息に見せつけるように拭った。
「なにしてるの?」
吐息の真剣な声が怖い。
「なにって~~?」
修羅場を楽しむ情婦のような動きで俺の背後に回り、指先を俺の体に沿わせて遊ぶリンカ。背後から俺を抱きとめ
「いろ・いろ?」
そう言うと、今度は吐息に見えるように俺の首筋に噛み付いた。
「ギャ」
俺と吐息の悲鳴が同時に上がる。
獲物を渡すまいとする野生動物のように、噛みつきながら目線で敵を威嚇するリンカ。
それに負けまいと涙目で対峙する吐息。
ただの草食動物と化した俺。
その三者とまったく関係なく部屋に入ってきたエリが、その光景を見て、一目散に俺のシャツをめくって、横っ腹に噛み付いた。
「ギャー」
俺はほんとに悲鳴を上げた。あまりにも意外な攻撃だったからだ。なに考えてんだこの娘は。
突然現れたこの異常な空間の中。「噛むか噛まれるか」が正常という異常空間の中で、ただ一人取り残された吐息が、ススっと俺の目の前にやって来て、覚悟を決めた表情で、
俺の喉元に噛み付いた。
「喉はダメッ…死ぬから…」
俺の必死の懇願も無視されて、なぜか俺は女三人に噛みつかれ続けた。喉元、首筋、横っ腹。不幸な俺はただ女達に噛まれるだけの存在だった。
俺は体中に噛み傷を受けて横たわっていた。
その俺の上で、女達は唇についた獲物の血を舐め取り、強い共感を感じあっているかのようであった。
「なぜ…」
俺は涙目でそう思うしかなかった。
その翌日。この日はリンカの初泊まりの日なのだが、なぜか三人ともお昼から来ていた。
リンカは黙ってゲームを始め、エリは漫画の続きを読み始める。吐息は自習と読書を繰り返す。
完全に学生たちの秘密のたまり場になっている。
みな学校の補習帰りの制服姿。
リンカに今日の夜はどうするのかと聞いたら、全員が、
「親に友達の家に泊まる」
と告げたから大丈夫だと言った。みな信頼のある親子関係で羨ましい。たしかに友達の家と言ってもいいが、親が想像する友達とはだいぶ違う。中年男性のお友達の家だ。親御様たち、彼女たちに悪いことは教えませんのでご容赦くださいませ……。
彼女たちの俺に対する姿勢が徐々にぞんざいになっているのを感じる。殺しても死なない、殺されても生き返るというのがそれを加速させたようだ。
にしても、制服のスカート姿で寝っ転がり、本を読んだりゲームをしているのは、俺の目に悪い。目を休めに吐息の方に行くと、折り目正しく姿勢良く過ごしている。彼女に少しだけちょっかいをかけて、少しだけ笑顔を見せてもらう。それだけで満足できた。
夕食は俺がピザを頼んだ。Lサイズ二枚にサイドメニューたっぷり。俺の命の防衛費と考えれば安いだろう。彼女たちがいなければ、俺は危険極まる有害な存在に成り下がる。俺がまだ人間のような顔をしていられるのは、この少女たちのおかげだ。感謝しかない。多少、高く付いたが。
夜は、みんなで無駄話。市内のお店、市外のお店の話。吐息とリンカのであった頃の話。ゲームの同時プレイ。他愛のないことで時間を過ごした。
深夜、今日から俺が魔物になる時期が始まる。この三人の魔法少女たちは俺の睡眠を監視し、姿を消して魔物化して別の場所に現れた瞬間にすぐに出動する。そうすることで被害を最小に、そして人的被害を出さないようにするのだ。
俺は徘徊する老人怪獣で、彼女たちはその介護者とでもいえるか。
三人とも着替えを持ってきていたようで寝る前に制服から着替えた。普通に寝間着だ。寝る気満々だではないか。
俺は部屋いっぱいに布団をひくと、その真中に寝た。あとは彼女たちのやりやすいスタイルでやってもらう。俺はそれに従うだけだ。
俺が消えたことすぐに察知できればそれでいいのだ。寝るも寝ないも彼女たちの自由だ。
吐息が俺の右横に寝て腕を絡ませた。
それでいいの?と思ったら逆サイドはリンカが腕を絡ませ、体を寄せてきた。
近すぎない?
と思ったら、エリが俺の布団の上に寝た。
これで男が寝れると思ってるのだからスゴイ連中だ。
明かりが消される。
視覚が薄くなり聴覚と触覚が鋭敏になる。
両サイドの二人の呼吸が迫る。寝る気配がまったくない呼吸だ。俺の両腕は胸に絡み取られ動かせない。吐息はさらに手を絡ませ、ガッチリとホールドしている。リンカは手を太ももに挟み、一切の挙動を禁じている。
エリは人の腹の上で大の字になり、もう寝ていた。
暗闇の中、眠気に油断すると二人の呼吸音が近づいてきている。争うように距離を縮めてくる。いつの間にか二人の顔が耳そばに迫っているのを感じた。二人の吐息が耳の穴に直接入ってきた。
耳から入ってきた息が、脳内に吹き荒れ意識が混濁する。ゆっくりと二人の胸の中に落ちていくような感覚がして…
落谷は姿を消した。
「もう!」
起きだした吐息とリンカ。寝てるところを起こされたエリ。
「変身!」
三人それぞれのポージングから変身が開始する。男主のいなくなった部屋に三人の少女の裸体が放つ三色の光が乱舞する。
上空に飛びだした三人が周囲を索敵すると何も見つからなかった。
「どこ?」
吐息が必死に探すが、獲物は彼女の上にいた。
月を背に落ちてくる巨大な影。広げた翼の幅は十五メートル以上、超巨大な怪鳥型の魔物が落下してきた。
とっさに避けた三人だったか、落下の風圧だけで飛ばされてしまう。魔物は落谷のアパートギリギリで翼を開き再び上昇する。彼自身に寄る自宅の破壊は避けられた。
飛翔型ゆえに今までの魔物と違って場所に固定されない。街の上空全てがヤツの領域だ。
「これじゃあ遮蔽魔法が使えない!」
吐息が全員に告げる。敵の行動範囲が広すぎて魔法で覆い尽くせない。一般市民に見つからない内に上空で倒すしかない。
「空中なら、私におまかせ!」
エリの棍棒からミサイルが発射される。何発もの弾頭が空中の敵を追尾し逃さない。一気に片がつくかと思われたが、怪鳥が空中を一回転し、追尾してきたミサイル全て薙ぎ払った。市の上空でミサイルの爆発が何発も起こった。
「アワワワ」
エリが狼狽える。遮蔽魔法が掛かっていない上空で起こった爆発は、市民に丸見えなのだ。深夜でほとんどが眠っているとは言え、このままの攻撃を繰り返せば、深夜の花火大会となり、全市民に発見されることになる。
「わたし、出来る限り遮蔽魔法かけてます、あとよろしくー」
エリは自主的に戦線から離脱した。
吐息とリンカが空中で武器を構える。彼女たちも飛び道具を封じられた形だ。空で光のイリュージョンをするわけにはいかない。槍と鎌の肉弾戦を、あの怪鳥と行わなければならない。
「わたしが!倒します!」
吐息が前に出る。
「絶対、私のほうが上手い!」
リンカも譲る気はない。
二人の魔法少女は、一人の男を倒す権利を互いに譲るつもりはなかった。
夜の街の空を巨大な怪鳥が飛ぶ。
それを追いかける二つの流星。
怪物は落谷落度の変わり果てた姿であり、流星は吐息とリンカの二人の魔法少女の輝く飛行航跡である。
空を飛ぶもののスケール感は分かりづらい。シルエットだけの黒い鳥の回りを二つの光が追走している。光が人間サイズであり、黒い影はそれを遥かに超える大きさだ。その二点の光が鋭角に曲がり、黒い影と交わり弾かれている。必死に鳥を上から下から切りかかっているのだ。
「たああああ!」
吐息の槍の突撃、リンカの鎌の斬撃。空中機動を繰り返し何度も何度も攻撃を仕掛けるが、壁のように巨大な鳥の羽がそれを防ぐ。羽に邪魔されて本体にまで攻撃が届かない。
飛行しながらの戦闘は距離感が変わってくる。高速で移動し続ける三者はいつのまにか市内を抜けて丘陵地帯に入っていた。民家は少なく街頭すら疎らになっていた。
怪鳥の動きが変わる。自ら低空に降下して地上の闇に紛れた後、吐息の真下から突然現れ攻撃を仕掛けてきた。
「くぅっ!」
槍で防御するが巨大なくちばしの突撃をくらい闇夜に消えた。
「吐息ッ!」
仲間が消えて不安になるリンカ。彼女は持っている鎌に力を込める。鎌の刃が光に変わり巨大化する。ここまで来たら地上の目は気にしなくてもいい。最悪UFO騒ぎ程度で収まるはずだ。
怪鳥が大空で羽根を広げ、一気に急降下してリンカを襲う。有無を言わせぬ質量攻撃だ。リンカがいかに攻撃を当てようと、そのまま押し潰されてしまうのは必然である。
それを分かっているリンカも冷や汗をかきながらも覚悟を決めるしかなかった。相打ちでも倒すという覚悟を。
突然、急降下する怪鳥の胸のあたりが輝いた。その輝きの色にリンカは見覚えがあった。
「吐息!」
先程の攻撃で弾かれて消えたと思っていた吐息が、怪鳥の胸に槍を突き刺し隠れていたのだ。そしてチャンスを逃さず槍にエネルギーを込め、怪鳥の内部を破壊し始めた。
「ギャアアァ!」
悲鳴を上げながら急降下する怪鳥。それを見逃すリンカではなかった。
「ハァァワッ!」
よろめいた怪鳥を避け、雄叫びを上げその首筋に大鎌を切りつけた。その斬撃は見事に頭部だけを切り飛ばした。
頭部と胴体の二つに別れた怪鳥。
吐息はそのまま切り離された胴体にエネルギーを吹き込み続け、体を完全に破壊する。
リンカは飛んでいった頭部、その中にいる落谷を追いかけて飛んだ。
丘陵地帯を流れる河川。岩だらけの細い川に向かって、怪物の頭部が飛んでいく。その頭部はボロボロと崩れ、小さな人間の姿が現れる。落下する落谷落度は小さな谷のゴツゴツとした岩場に激突しようとしていた。
目を開けた落度は、自分が高速で落下しているのを感じた。
「また落ちてる…これで何度目だ」
木の天辺をかすめて根本へ向かって飛んでいく。着地地点には死が待っているのを感じた。
何本目かの街頭が彼の下を通り過ぎた時、光の筋を引いて天使が飛んできた。
その天使に強く抱きかかえられた落度は、川の水面のギリギリを飛んでのち、再び加速し夜空に昇った。
落谷の頭は女性の胸に包まれていた。彼の体は女性の腕と胸にだけ固定されて空を飛んでいる。その豊かな胸に戦闘で流れた汗が浮かび筋となって流れて落谷の顔に流れ着く。人の持つ温かい匂いと味がした。彼はその胸に顔をうずめ、湧き上がる安心感に浸った。
「ちょっと、くすぐったい」
リンカが文句を言った。誰にも許したことがない場所を、この男は楽しんでいる。「しかたないだろ」と反論したくても押さえつけられた落谷の唇は彼女の肌を舐めることしかできなかった。
川に架かる橋の塔の上に二人は静かに降り立った。まるで肌と肌が癒着してしまったかのような二人は、ようやく抱きしめあっていた体を離した。
狭い塔の上に立つ二人。裸足の落谷に対してヒールを履いているリンカの方が背が高い。
彼女の勝利に高揚した笑顔を見て落谷が
「いろいろ…出来たみたいだね」
と彼女の戦闘復帰を祝った。彼女はすぐ眼前にある落谷の顔を見て頷いた。
「フーー、また死ぬかと思ったよ」
高い塔の上、何も支えるもののない状態で遙か下を流れる暗い河を覗いて落谷は安堵した。それを聞いたリンカが
「もう一回、殺してあげよっか?」
と実に楽しげに聞いてきた。僅かな月明かりの中で輝く少女は怪しく悪い笑顔を見せた。
落谷はそれが何を意味しているのかわからなかったが。
「ああ、いいよ」
全て彼女に委ねてみることにした。
リンカは再び彼を抱きしめ空に飛び上がった。見つめ合いながら、どんどん、どんどんと上昇し、遥か遠くの大都市が地平線に見える高さにまで上がった。
空には雲もなく、月と彼女の顔しかなかった。
そんな空高くで、リンカは腕を離した。
落谷の体は空中に浮かぶ支えを失って、地面に向かって落ちていく。リンカは空の上に去っていく。心臓は縮み上が目の端から暗闇が広がる。手足は血液を失い風にはためくだけで抵抗を生まない。背中に巨大な死を感じる。地球そのものが巨大な死の球になって落土の背中に向けて迫ってくる。脳はその死を受け止める準備ができない。終わりに向けての秒数すら数えられない。
脳が思考を失い、闇に支配された瞬間、体を掴まれた。
落下は減速され、地面は死ではなく安心の大地に変わった。浅く呼吸を繰り返す落度は受け止めたリンカの顔を見た。冷や汗を幾筋もかき、彼女自信も瀬戸際を飛んできたのが分かる。彼女は抱きしめた彼をもう一度、胸の中に招いた。
落度を抱えた彼女がまた上空に上がっていく。落度もそれに文句を言わない。ただその胸に包まれている間、安心を貪っていた。
上空、彼女が満足する高さに到達した。
わずかなアイコンタクトの後、また開放され落下した。
こんどの落下は違った。全てを与えた落下だ。自分の命も恐怖も安心も彼女に与えた。
「俺の全ては君の手の内にある」
そう信じて落下していった。信頼し命を投げ捨てている。
再び、空中でキャッチされた。猛禽類が空中の獲物を捉えるかのように。
キャッチされた瞬間。命がある幸福感と信じたことが報われた幸福感に包まれ、落谷は体中がしびれた。それは抱きしめているリンカも同じようだ。汗まみれの彼女の体が震えている。
汗にまみれながら再び上昇する二人。
二人はまるで言葉のない鳥が戯れるように空を往来する。
また落とされた時、今度は安心感しか感じなかった。
顔を胸に埋められてキャッチされる。そう予感した時、落谷は片足を掴まれて逆さまにキャッチされた。
「ずいぶん…ずいぶん・・・楽しそうでしたね」
魔物に止めを刺してきた吐息が、ようやく二人を見つけたのだった。
「やあ、吐息さん。ご苦労さま」
逆さまの落谷は違う今までと違う恐怖を感じた。
「こういう遊びですか、楽しそうですネ。私も混ぜてください」
あちゃーという顔をして並走するリンカ、先程までの恍惚とした表情は消えている。落谷は逆さまのまま乱暴に扱われている。。
逆さまに持ったままの吐息が急上昇を開始する。負けじとリンカも上昇し勝負が始まる。
上空から投げ捨てられた落度が落下した。さっき感じた安心感など微塵もなく、ほんとうの恐怖の落下だった。
「あああああ!」
落ちていく落土に食いつこうと同時にダイブする二羽の猛禽。幾度も空中でぶつかり合いながら一匹の獲物を取り合う。取り合いに時間を取られて獲物は地面スレスレ、とっさに取ったのは吐息だった。吐息の胸に抱かれた落土であったが、まさに生死のギリギリ体験だったため、胸に包まれようが感覚が麻痺して何も感じれない。
第二回戦
今度は高度を下げて短期戦だ。落とされた落土が地面につくまで二人の牽制は続いた。今回勝ったのはリンカ。足一本で拾われた落度は顔面を川の水にぶつけた。
第三回戦は吐息が勝利した。胸の中に落度の顔をうずめるナイスキャッチで高得点をゲットした。愛おしく彼の顔を胸で挟み込んだのもポイント高いが落谷は生死の境を彷徨ったままだった。
第4回戦はリンカ、ただキャッチの際に片腕を取ったため、落度は肩をひねったので減点とされた。
結果ドローという形で帰宅した三人であった。帰りの遅さを心配し文句を言うエリ。
満足げだった吐息とリンカに対して満身創痍の落谷から、今後二日間自宅への出入り禁止を言い渡された。
ダイナー2
俺はいつも通りダイナーにいる。
ファミレスだが調度品もサービスもアメリカンダイナーを手本にしている店だ。ここにいると、行ったこともないアメリカにいる気分になれる。
「いっとけば良かったな、アメリカ」
行こうと思えばいつでも行けたはずだった。
「そのたびにキミはパスポートがないって言うんだろ」
顔のない美少年が茶化す。たしかにそのとおりだ。結局のところ面倒くさかったのだ。
「またアビスマルが倒されたぞ。コース料理だとしても進みが早すぎる」
俺の向かいに座る、顔貌(かおかたち)のわからない美形に嫌味を言う。目下のところの二人の話題はこれがメインだ。
「料理を食べるスピードはお客様次第だからね。それにこれは予定通りでもある。負け惜しみじゃなくね」
調理場の騒がしさが聞こえる。今も新たな料理、新たな破壊の獣が作られている。
「そろそろ次の料理ができそうだ。今度のはキミの期待に答えられたらいいんだけどね」
調理場からの音が上がる。俺は料理ができあがる瞬間のこの音が好きだ。
匂いと音が期待を掻き立てる。どんな料理も食べる前の期待が重要なのだ。期待こそが料理を美味しくする。
調理場から溢れた魔物が調理人を何人も押し殺した。
これは期待できそうだ。
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