第十五話(最終話)「キミでも進める道」


 巨大な魔物の体内に俺たちは浮かんで立っていた。


 青く光る流動性のある体内は広く高く、巨大だ。ところどころがぼんやりを赤く光る。外部にいる魔法少女たちの攻撃当たった所が輝いているのだ。傷口からの衝撃波が体内を走るのだが、それはあっという間に減衰されて俺たちに届かない。この魔物の強さの証だ。


 俺は体内の中央辺り、もう一人の俺、過去の恨みを抱えた落谷は頭部辺りにいる。


 奴はこの魔物のコントローラー、神経網を握っている。


 奴は俺を見下ろし、俺は奴を見上げる。


 俺たちに言葉はいらなかった。同一の人間として同時に存在して、自分自身を憎みきっているからだ。


 俺と俺との戦いは、こうして始まった。


 俺は奴に向かって飛び出した。




 俺は俺に飛びつき、俺の顔に俺の拳が当たる。


 俺の反撃が俺の腹に入るが俺は構わずにもう一度俺を殴った。「クズが!」俺の意思が俺に伝わる。俺たちの思考は自由に行き来する。俺の拳をかわして俺の腹に俺の肘が入るが、俺は俺の体を掴んで離さず俺の背中を何度も殴った「この負け犬」「イカれやろう」俺の暴言が俺を傷つける。俺の拳が俺の顔に入り膝に来るが俺も俺の顔を殴り返す、さらに続けて何度も俺が俺を殴り俺は俺が殴る。俺が蹴って俺が殴り俺は殴られ俺は蹴られた。「弱虫!」「軟弱が!」


 なんと虚しいなんと情けない戦いであろうか。俺たちは自分を殴り蹴り、けなし、さげすんだ。


 その情けない私闘のすえ、俺は俺に馬乗りになり形勢が決定的になった。俺が勝つ。現実に行き、まだ世界と人を愛している俺が、過去の俺を抑え込んだ。お互いにボロボロになり涙を流していた。俺が俺を殺せば決着がつく。この虚しい戦いも、魔法少女たちの戦いも終わるのだ。


 その時、倒された方の俺の顔が笑顔にゆがむ。実に邪悪な俺の笑顔。俺は彼の手に握られている、魔物の神経網に気がついた。なぜ握っている?魔物の体内での戦いに、魔物自体は加勢できないのに?


 「死にさらせ」


 俺たちのすぐ横にあった、魔物の皮膚を突き破り、突入してきた魔物の指が俺を挟んだ。


 過去の俺は、魔物に自分の顔に指を突き刺すように命じたのだ。


 巨大な二本の指が少しだけねじりを加えた。それだけで挟まれていた俺の肋骨は砕け、ブチブチボキと上半身と下半身は切断された。


 「あああああッ!」


 俺は上半身だけ魔物の体外に引きづり出され、外に捨てられた。競馬場のコースに半分になった俺が転がる。






 戦闘中の魔法少女たちも異変には気付いていた。魔物が自分の顔を傷つけたあと、体内の異物を投げ捨てたの。その投げ捨てられたモノを確認した時、三人とも恐怖に顔がこわばった。落谷の上半身だけが投げ捨てられていたのだ。


 魔物の攻撃は落谷を捨てた後、さらに精度と苛烈さを増した。とても落谷に近づけるような状態ではなかった。彼自身の治癒能力は肉体的な死すら克服できる、そう信じて三人は戦い続けるしかなかった。






 「おあああぁ~」


 俺は苦痛に叫び声を上げていた。俺の上空では光線とイカヅチをミサイルが飛び交っている。花火大会の真下にいるような状況だ。その照り返しで見える俺の怪我は重傷だった。下半身がないのだ。


 俺は修復の力で治そうとしたが、痛みがひどすぎて意識が集中できない。前に死亡から生き返った時は、むしろ完全に意識がなかったことが幸いした。半端に生きているせいで痛みに脳を支配して能力が使えない。


 俺はなんとか再生しようと意識を集中したいができない、再生できない。死の恐怖が半分残っている脊柱を走った。




 


 リンカの呼び出したイカヅチは滝のように空から降り注ぎ一本に集約され大瀑布となる。塊のようなイカヅチが魔物の背中をえぐるが、背に生えた棘がイカズチのエネルギーを飛散させた。


 吐息は最終奥義のチャージに入るが、発射まで時間がかかる。それを援護するためにエリが、自らの最大弾頭、棍棒それ自体を巨大な弾頭に変え発射する。コレが着弾すればかなりの時間が稼げるはずだったが、魔物の三つの目から発射された光線がその弾頭の進行を止めて、破壊した。その爆発を近距離で食らったエリは弾かれ建物の残骸に打ち付けられた。チャージの完了していない吐息。魔物の目線から放たれた光線は空に八の字を描いた後、地面を走り吐息の足元をえぐった。


 地面の爆破によって吹き飛ばされた吐息の槍から放たれた光線は、虚しく天空を撃った。


 魔物の後ろから切りかかったリンカも、振り返った魔物の光線に撃墜された。


 三人の魔法少女は敗れた。






 俺はその彼女たちが敗北する姿を見ているしかなかった。俺にはもう魔物を操る力がない。操っているのは、世界を恨んでいる俺だ。情けも容赦もないだろう。魔物が倒れた吐息に近づいているが、俺には駆け出すことも、怒りの声を上げることも出来ない。


 俺は、ただの半死の中年でしかなかった。






 地響きを立てて歩いてきた魔物が、地面に倒れていた吐息を拾い上げる。攻撃を食らい動けない彼女は逃げ出すことも出来ない。彼女の手から唯一の武器である槍が落下し、地面に弾かれ転がった。


 魔物はその体を掲げ、歓喜の声を上げた


 「オンナだ!」


 美しい少女の体を初めてその手に抱いて、魔物の内なる魂は歓喜の雄叫びを上げた


 「オンナダ!」


 魔物の口の部分が笑顔のように開き、その内部が見える。肉欲に歪んだ落谷の姿が現れた。虚ろな目でそれを見ている吐息はそれが別人であると分かっていた。だから悲しかった。


 魔物は少女を平らげようとその口元に引き寄せる。


 その魔物の背後に巨大な光の柱が立った。


 魔物が振り返った時、その柱の中から、光の巨人が現れる。


 高さは魔物と同じくらい、しかし光に脈打つその肉体は、人間の形そのものであり、頭部にある目には、意思を感じさせる光があった。


 驚きのあまり、魔物は手から吐息をこぼす。それを飛んできたリンカが抱えて離脱する。空を飛びながら、二人のトーテムが顔を出す。


 「アレは何なんなの?」


 リンカの質問にトーテムたちが答える。彼らの目は輝き、情報収集に集中していた。


「アレは…アビスの門だ…百%アビスの門だと断言できるが、だがなんなのだ?アレはまるでニンゲンではないか」


 もう一体の吐息のトーテムが引き継ぐ。


 「ニンゲンが、アビスの門と融合している。あれはまるで、まるで…」


 光の巨人の拳が、魔物の顔面を砕き、破壊した。


 「あれは、アビスマンだ」




 顔面を再生しながら魔物が構える。


 答えるように光の巨人、アビスマンも構える。


 炎に包まれた競馬場で双方が対峙する。


 アビスマンとアビスマルの最後の戦いが始まる。


  





 半死の俺の前で魔物は吐息を飲み込もうとしていた。俺は体を引きずろうとしたが、すでに体は言うことを聞かない。痛みと恐怖で混濁した脳は何も元に戻せない。魔物から追い出された俺に、もう何の力もないのか?


 その時、裂けたおれの腹部から光が生まれた。明滅する光がやがて、あのアビスの赤い光に変わる。


 「アビスの門?」


 馬鹿な、魔物が全て退治された後に現れるはずのアビスの門が、すでに俺の中に生まれ始めている。ダイナーで会った、あの顔のない男の声が響く。


 「魔物が残り一体、門が一つ、だが契約者が二名もいる。これがどのような結果になるか、ワレワレにも解らない」


 「わからないじゃねぇ!」


 俺は怒りの声を上げるが、赤い光はどんどん強くなり、俺の体内を全て照らし、穴という穴を赤く照らす。世界を破滅へとつなげる門が開こうとしている。


 俺は魔物の方を見る。吐息の生命の純潔はすでに絶体絶命だった。


 俺は体内の光を見る。覚悟はある。決まっている。彼女のために命を賭けよう。


 「それが俺の世界だからだ」


 俺は自らの腹部に手を突っ込み、すでに質量を持ち始めていた光を掴む。抵抗する光を握りしめ。命じる。俺の力にする。お前を奪い取る。アビスの門を俺のものとする。不可能だって可能にしてみせる。どうせ誰にも、答えなんてわからないんだから。


 握られ抵抗していた赤い光が、白い光の爆発となり、柱になった。






 俺は奴の前に立ち、構える。光はニンゲンの形になりコントロール可能である。俺の精神の形に沿っているのだ。だが、内部で爆発生成されるエネルギーは莫大で、安々と肉体の形を砕く奔流となる。俺はそれを押さえつけ、俺のコントロール下に抑え込み続けた。


 魔物の無機質な顔に、俺の顔を見る。世界を恨んで自死した男の亡霊だ。だが、それは変えることの出来ない俺の過去そのものでもある。殴ってくる、巨大な力で。俺の体の一部が砕けるがすぐに再生する。俺も殴り返す、拳からのエネルギーが奴の肩を砕き、そのまま地面を削ってえぐりかえす。


 奴の悲鳴と怨嗟が届く。そして、新たに生まれた俺自身に対する恨みが聞こえる。


 奴はついに俺を恨み始めた。


 女に囲まれ、目的があり、努力もでき、生きていることが辛くない、俺に対する恨みを感じた。


 俺の目から涙がこぼれて、それが光の流れの中に消えていった。


 「お前を苦しめているのは、お前だけだ!」


 俺の一撃で魔物の半身が消し飛んだ。


 その肉体の傷口に片腕を失った俺がいた。


 痛みに泣き叫び、俺を罵る俺が見えた。


 「俺はお前を殺す」


 俺は断言した。


 「俺は生まれきてから今日までの全ての夢を殺す。俺は昨日まで持っていた全ての望みを殺す。過去をすべて殺さなければ、俺は過去に殺される


 俺が作ってきた価値観も、俺が育て上げたあるべき自分も、全て破壊する


 俺が今を生きるために、俺は過去の俺を殺す!」


 半身だけ見える奴の顔が恐怖にゆがむ。「生きる事を諦めていない自分」こそが奴の最大の恐怖の対象だった。自らの命乞いの表情を俺は見させられる。だが容赦はない。


 過去の自分こそ、自らを殺す殺人者にほかならない。


 俺の最期の一撃は、魔物の頭部を頭上から貫き、地面に当たった瞬間に巨大な光の柱となった。消え去る魔物の中から、


 奴の恨み言と俺に対する呪詛が聞こえた。




 俺は神経を集中し、自分の体を思い浮かべる。もう一度人間の体で修復を始める。光の巨人の体を人間の皮膚で包み抑え込む。巨大すぎるエネルギーを人間サイズにまで縮小させる。


 成功した。人間の、元の姿に戻った俺は地面に倒れ込む。体内に荒れ狂う門のエネルギーを感じる。もう精神がクタクタだ。だが気を緩めれば門が開き俺の体を引き裂くだろう。


 俺の視線の端にあの男の足が見えた。


 ダイナーにいた顔のない美少年の足だ。


 「キミはアビスの門と一体化している。今は抑え込んでいるが、キミの精神が門のエネルギーに負けて消え去るまで……ざっと十二時間といったところだね」


 そう告げた。俺が目線を上げると、そこには誰もいなかった。


 ようやく立ち上がったが、それだけで体の中に充満しているエネルギーが溢れだしそうになった。エネルギーが吹き出した箇所の皮膚を再生しながら俺は


 「これは長くないな」


と実感した。命がもうほんの僅かしかないと。


 戦いが終わって、三人とも大丈夫なようだ。立ち上がってこちらを見ているが、いつものように駆け込んでは来ない。おそらくトーテムたちが説明したのだろう、俺の状態を。見る者が見ればわかることだ。


 俺はよろよろと彼女たちの方に寄っていく。彼女達は止まったままだ。ようやく彼女たちと会話できる距離まで近づいた。彼女たちの表情が見えた。俺を心配しているが、それ以上に困惑している。俺はいつものように挨拶した。


 「ああ、俺はみんなの最後の敵、この世界の破壊者だ」


 残念ながら、それが事実だ。


 競馬場はその殆どが破壊され、今も燃え続けていた。







 最後の魔物が倒され、アビスの門と一体化していた落谷さんはもとの姿に戻った。だがその体は内部で発生しているエネルギーに翻弄されている。


 「トイキ、彼はもう人間ではない。アビスの門と一体化し、そのものとなっている。彼のあの体は、門に付けられた飾りにすぎない」


 私は、美術館で見たあの地獄の門を想像した。天辺にいる考える人が今のあの人だ。


 揃った三人のトーテムが同一の見解を出した。


 「彼が人間の意思を持っているうちに消滅させるべき」


 あの門を守る守護魔獣たちは全て倒している。我々なら難なくあの門を消し去れると。


 難なく?私達には全てを破壊することに等しいのに、なぜ難なくなんて言うの?


 あの門が開く時、あの人の心が溶けてなくなる時、二つの世界が繋がり、世界の破滅が始まる。それは理解できていた。


 エリもリンカも同じ思いだろう。結局の所、誰かがやらねばならない。誰かが彼を殺さなければならない。


 三人一緒に?


 四人で運命をともにする?


 そうではない、覚悟とは…覚悟とは一人でするものだ。私は、譲る気はなかった。


 近寄った彼がいつもの調子で言った。


 「ああ、俺はみんなの最後の敵、この世……」


 私は前に進み出た。






 「……界の破壊者だ」


 そう言い終わると、吐息が一人前に出てきた。傷ついた魔法少女姿。その足取りは堂々として決意の強さを感じさせた。


 俺の前に立つと、彼女はその槍先を俺に突き付けて宣言した。


 「私が、あなたを殺します」


 やはり、君だったか。俺はその言葉にデジャヴュを感じて納得した。彼女は続けた。


 「私こそ、あなたの運命の女です」


 「ありがとう」


 おれはそう言うしかなかった。




 後ろのエリとリンカは、涙を流している。安堵、悔しさ、悲しみ、そして踏み出せなかったことへの怒り。全てのために泣いている。


 俺は燃え盛る競馬場を手のひらでひと撫でした。それだけで建物は元に戻り炎は消えた。体内で暴れる膨大なエネルギーを使って修復したのだ。皆が驚いたが、俺の背後からあの男が伝えた。


 「残り九時間」


 力を使ったことで死期が早まったが仕方ない。被害を放っておくわけにはいかなかった。




 ここで解散することとなった。エリとリンカは帰宅し、残った俺と吐息だけで片を付ける。別れの挨拶は親愛のハグとおでこへのキスだけだった。彼女達との別れは辛く、ただ「元気で」としか言えなかった。


 彼女たちが去り、俺と吐息だけになった。


 彼女は俺から片時も離れなかった。


 「逃げるとでも思ってる?」


 「まさか」


 「ところで相談なんだが」


 「なんですか?」


 「少し時間がほしい。といっても俺に残っている時間はあと八時間ほどだ」


 「なにを・・・するんですか?」


 「ちょっとね…さすがにね、実家に挨拶だけはしておきたい」


 「あぁ………」


 吐息はしばらく考えた後、


 「分かりました、わたしも一緒に参ります」


 そう言った。彼女は俺の最後の旅に付き合ってくれた。




 実家に向かう道中、電車の中で吐息は浮かれていた。夢を語るかのように話した。


 「ご両親にはなんと言えばいいのでしょう…。婚約者?恋人?」


 「そんなこと言ったら向こうが卒倒するから止めてくれ」


 「でも、隣の家の娘ってわけには行けないでしょ。それなりの関係性がないと不自然でし…大切な人、有望な学生…ああ、人間関係を表す言葉が少なすぎます!」


 「じゃ、さっきの運命のなんとかで良いんじゃない…なんなの?運命の女って」


 「ああ、あれは、私が考えていたことです。男の人にとって運命の女って二人いると思うんです」


 「恋人か奥さん?」


 「いいえ、恋人や奥さんは一人とは限らないでしょ…一人が良いですけど…」


 「じゃあ、誰?運命の女って」


 「一人は、あなたのお母さん。命を与える女」


 「確かに、他に変わりようがない運命だ。もう一人は?」


 「あなたを殺す女。命を奪い終わらせる女」


 「君か」


 二人で肩を寄せ合い笑いあった。




 故郷の駅についた俺達は、バスに乗り目的地についた。墓地だ。


 「お墓参りでしたか」


 「君があんまりにも楽しそうだったから、言い出せなかったんだ」


 俺は両親の墓の前で手を合わせ、短い別れの言葉を思った。再会できるとは思っていない。彼女も手を合わせてくれた。


 墓参りを終えた俺たちは、墓の裏手にある傾斜を昇り奥に入っていった。彼女を連れて旅をする楽しさは新鮮だった。俺は再び「もっと早くこうしていれば」と自分と過去の自分の人生を後悔した。


 しばらく歩くと木々の向こうに、広い海が見えた。時間はすでに昼を過ぎていた。


 綺麗な光景に吐息の瞳が輝くのが見えた。高い崖の上からなら、海がどこまでも広く遠く見える。


 俺は崖のそばまで寄り崖下を見た。遥か下に海と険しい岩が見え、そこに波が打ち寄せていた。


 「やはり、ここだな」


 俺は広い海を見ながら、背後の吐息に向かって言った。


 「やっぱり、ここになってしまう」


 俺は繰り返した。


 ここに来たのは二度目だ。あの日は墓参りもしないで、すぐにここに来たんだった。


 「俺の人生の最後はここらしい」


 俺は振り返り吐息にいった。


 彼女はすでに、魔法少女の姿で槍を俺に向けていた。槍の穂先に光が集まっている。すでに発射可能な状態だ。


 さすが俺の、運命の女だった。


 


 槍先の膨大なエネルギーを挟んで俺と吐息が向かい合っている。お互い無言で、強い海風が彼女の髪と衣装を揺らし続ける。




 「ありがとう、吐息」


 「気持ち悪い」


 「君には感謝してる」


 「あなたみたいなおじさんに話しかけられて最悪でした」


 「俺は君に詫びなければならない」


 「いやらしい中年の指で何度も触って」


 「君を人殺しにしないって、約束」


 「汚い部屋で添い寝させられて」


 「果たせなかった」


 「ほんと…最低な男です」


 「吐息、好きだった」


 「女子校生に好きだなんていう中年は…」


 「そうだな、死んだほうがいい」


 「はい、すぐに殺してあげます」


 「吐息、」


 「…まだなにか言いたいんですか…」


 「愛してる」


 「…………」


 涙が溢れてこちらを見れなくなっている吐息、だがその槍先は俺からはブレない。強い覚悟がブレさせなかった。もう一度俺を見た吐息は、涙をこぼしながら、光を放った。




 俺の体に突き刺さった光は、接触した場所から分解を始めた。俺の体の中心から光が広がり、体を光の粒子に解体してく。そのエネルギーはアビスの門を破壊しうるものであるため、俺の肉体などは薄皮が溶鉱炉に落ちたように一瞬で蒸発する。


 崩れた俺の体は体勢を保てず、崖下に落ちた。落ちながら、全てが消えていった。


 消えていった先は






 カランカラン


 ドアベルが鳴り、俺は馴染みの店の馴染みの場所に座っていた。


 俺の目の前のには顔のない美少年が、書類を前に渋い顔をしていた。


 「なんだよ」


 俺は不平を言った。自分の死の覚悟をないがしろにされたのだ。文句を言って当たり前だった。


 「一つ、書類に不備があってね…。ああ、実験はご苦労さま。良いデータが取れた。次の侵略に利用させてもらう」


 この次元の侵略者は事も無げに次回予告をした。顔のない男は書類を一枚こちらに向けた。


 「ここ、ここだよ。契約者には最初のサービスとして一つ、願望が叶えられる。まあだいたい女、金、容姿、健康といったサービスだが、この欄が書いてないんだ。空白だ」


 「いいだろ、こんなオマケ。負けたんならとっと帰れよ」


 「そうもいかない、キミも気づいていると思うがワレワレは契約至上主義にして文書主義の文化を誇りにしている。こ・れ・は、美しくない」


 空欄を何度もペンで叩いて言った。侵略者の美学に付き合う気はないが、死ぬまでの数秒、付き合うのもいいだろう。ペンを奪って


 「なに書けばいいんだ?」


 「聞くなよ、そんな事。それに書かなくても口頭でも構わない。願望だよガンボウ。あるだろ、死んでいく君にも」


 俺は顔を上げて男の目を見たが、相変わらずどこに目があるのか分からなかった。 


 「なにそれ?悪魔の誘惑?」


 「違う、ちがう、本来は最初に与えるものが最後になってしまったという不備だ。言えよ、簡単だろ。望み、今一番の」


 俺は少し考えた。死んでいく俺にはリスクなんてなかった。


 「だったら、少し違う言い方をしたい」


 「なんでも、ご自由に。修辞を尽くし給え」


 俺の言葉をもって、この顔のない男は今回の仕事を終わらせたいらしい。俺はペンを置き背筋を伸ばしてこう言った。


 「俺はまだ、自分の人生を諦めたくない」




 「なら、そうし給え」


 顔のない男はテーブルの上に広がっていた書類をカバンの中に一瞬で詰め込むと、刺さっていたレシートを手に席を立った。


 「ここはボクのおごりだ」


 彼はレジへと向かった。


 俺は気になって尋ねた。


 「また来るのか?」


 「キミが年寄りになった頃にね」


 彼は颯爽と支払い、店から出た。


 ドアベルが鳴った。






 俺が見たのは、体を折り泣いている吐息の背中だった。声をかけるのがはばかられたが、そういうわけにもいかなかった。


 一声かけると、振り返った吐息の息が止まり…俺に抱きついた。もう決して離さないというように、強く抱きしめてきた。彼女は何度も


 「私も!」


 と叫んだ。俺が死んだ後、俺に伝えたかった言葉らしいが、俺は自分が死に際になんと言ったのか忘れていた。


 吐息のトーテム、ソダリーが俺の体を何度も調べたが、人間という結果しかなかった。アビスの門も魔物の力も、修復の能力も消えていた。ただの人間だった。


 なぜこうなったのか、俺は覚えていなかった。ただ、男と話していたような気がするが、その顔を全く思い出せず、俺は寂しい気持ちになった。


 俺は吐息と二人でこの場所を後にした。吐息はもう疲れたから今日は一泊しようと言ったが、俺はすぐに新幹線で帰ることにした。 


 帰りの車中、電話でエリとリンカに経緯を説明すると、涙混じりで馬鹿だのアホだのと散々なじられた。吐息は俺の隣で眠っている。昨日から一睡もしていないのだ。俺も彼女の肩を借りて、しばらく眠ることにした。


 俺は久しぶりに、何も悩まずに眠ることが出来た。






 早朝、玄関から出ると、隣の家から出てきた吐息と鉢合わせた。玄関先に顔を出した吐息の母親と会釈で挨拶をする。


 もう新学期が始まっていた。


 「私達って、どういう関係なんでしょうか?」


 吐息が何度目かの質問をしてきた。


 「また今日もそれを聞くの?」


 「恋人、友人、それともただの隣人?」


 「どれも違うと思うよ」


 「じゃあなんでしょうか?」


 俺は通学する彼女と同じ方向に向かい、一緒に歩き出した。


 「同じ道を行く人、こんなのでどう?」


 「今日も朝からコンビニですか?」


 「ああ、いつもはこっちじゃないけどね。今日は君と一緒に歩きたくてね」


 「良いですよ、そのまま一緒に学校まで行きましょう」


 「さすがにそれは…」


 気持ちの良い朝の光の中、俺は彼女と同じ道を行く。同じ道を行く限り、いつだって会えるし、いつまでも一緒だ。




                (完)


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夜な夜な魔法少女に襲われてます 重土 浄 @juudo

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