第六話「キミはまだ、魔法少女に狙われている」
自室に金髪美少女がいるだけで、異質感と幸福感がすごい。
先日のエリちゃん試験に合格してから三日が経っていた。
その後、木須屋さんとも話し合った結果、俺が魔物化する予定日の寝ずの番を木須屋さんとエリちゃんが交代でする事となった。
エリちゃんが当番となる前日に、木須屋さんが念入りに俺に言ったことを、短く要約するとこうだ。
「手を出したら殺す」
実際、彼女たちには俺を殺す手段も理由もあるため、俺は素直にそれに頷いた。手を出す気もないので。
土曜の昼頃、彼女は家を尋ねてきた。深夜に来ればいいのに、ずいぶんと早い。
「今日は友達の家に泊まるって言った」
それで外泊を許してくれる親御さんを羨ましく思いつつ、そう言いながらこんな中年の家に彼女が来ているという背徳感が胸を突いた。
俺はなにもしないので、ご安心ください。
そう心のなかでエリちゃんのご家族に詫びた。
来てすぐにエリちゃんは俺の本棚だらけの部屋で物色を始めた。どうやら彼女の目当ては俺ではなく、俺の本棚だったようだ。
「なにか読みたいのあるの?」
「・・・」
これか…エリちゃんは木須屋さんや他の女の子に対しては極めて積極的だが、男子に対しては恐ろしく塩対応だと、木須屋さんが教えてくれていた。実際、俺に対してもほとんど興味がない、と言った感じだ。魔物にでもならない限りまともに相手をしてくれない。
「あ、こっからここは読んじゃ駄目よ」
俺は本棚の一角を指定した。
エリちゃんは恨めしげにこちらを見る。
「別にエロい本とかじゃないから、大人向けすぎってだけ」
「私も吐息も十八です。成人済みです」
俺くらいの世代だと「十八歳=成人」という事実を未だに受け入れられていない。
「じゃあ、自己決定権がある大人として扱い、こちらも解禁いたします」
「やたっ」
エリちゃんが小さく喜びの声を上げた。それを見た俺は聞いてみた。
「男向けの漫画ばっかだけど、読みたかったの」
「…うち、女ばっかだから、こんな本置いてない。男子が読み回してるのを見て読みたいなーって思ってたけど…頼むの恥ずかしいし…」
そんな繊細な一面もあったのか。俺が知っている彼女は、俺に対して容赦のない攻撃を繰り返すお転婆か、木須屋さんに同性であるから許されるギリギリのレベルのセクハラをする奴、という印象だったのに。
「まあ、じっくり読んでよ。夜まで時間あるし。俺のオススメはこれとこれ」
俺は女の子が読んでも大丈夫そうなのをセレクトした。部屋の壁じゅうに本棚が並んでそこに漫画や小説、画集が並んでいる。彼女のご要望に十分に答えられるだけの蔵書はあるつもりだ。彼女は何冊か選んでリビングに持っていく、クッションに寝そべり楽しげに読書を開始した。
「うちは満喫なのか…」
俺は彼女のためにジュースを用意するために冷蔵庫を開けた。
三時を過ぎた頃から雨が降り出した。今夜は大荒れの天気になるとの情報だ。魔物化したあとの後始末が大変になるので、できれば今日戦うのは避けたいところだ。もちろん俺に決定権はないのだけれど。
エリちゃんはまだ同じシリーズの漫画を読んでいる。俺は彼女と同じ部屋で仕事をしている。エリちゃんは父親の仕事部屋で漫画を読んでいる娘みたいだ。
一仕事終わったので俺も寝っ転がってタブレットをいじって暇をつぶし始めた。
手持ちを読み終わったのか、彼女は新たに数冊持ち出してきて、ゴロンと俺の腹を枕にして寝っ転がった。
「おい」
俺の抗議を無視してそのまま漫画を読み始めた。俺の腹の脂肪具合が気に入ったらしく、こちらを見てニヤリとする。
この子はまったく不思議なものだ。さっきまで俺にまったく無関心であったのに、急になつきだす。その毛色からまるで大きなネコのようだ。俺の腹を枕にするのが当たり前、当然の権利といった様子だ。俺は腹に感じる彼女の熱と重さが気持ちよかったのでそのままにした。
静かな部屋の中には、外から聞こえる雨音とエリちゃんのページを捲る音、そして二人の呼吸音しかなかった。
「わたしってさ、みんなからカワイイって言われるの」
「でしょうね」
俺はエリちゃんの突然の自慢話をタブレットから目を離すことなくスルーした。
「たぶん、生まれた時から今日まで、言われなかった日は一日もないと思う」
俺はタブレットから片目だけ外して、腹の上に寄りかかっている可愛らしい金髪少女の頭を見た。頭の形すら可愛かった。
「それに、わたしが膝の上に乗ったり、抱きついたりしたら、みんなすごい喜ぶんだ。パァァって感じで顔が輝くの」
想像できる。おそらく老若男女、誰であろうと彼女が好意を持って触れてくれただけで、その一日は最良の一日になるだろう。
「小学校でも中学でも高校でも。みんなが喜ぶ顔が見たいから、毎日誰かの膝の上に座ったの。それこそ、クラス中みんなの」
そんな彼女は、今は俺の脂肪の乗った腹の上に頭を乗せている。
「でも、中学の時かなー。男子に抱きついたら先生にすごい怒られたんだ」
「だろうね」
エリちゃんは首をこちらに向けて睨む。
「なんで?」
「エリちゃんだって分かってるだろ。同性にやってよかったことでも、異性にやったら違う意味が出てくるって」
「そう、分かってる。だからその日以来、男子には触れるのもやめた。色々面倒になるって分かったから」
俺のお腹に頬を乗せた少女は、過去の少し苦い思い出を語った。エリちゃんは気分屋な女の子だ。しかしそれでも周囲に気を使うことができる気分屋だったのだ。
「今は中年のお腹を触ることで我慢してくれ」
そう言って俺はお腹を揺らす。その揺れを頬で楽しんだエリちゃんは
「私、ネコになりたかった。ネコなら誰に触っても怒られない。男子にだっておじさんだって、ネコに触れたらみんな笑顔になる」
「じゃあ、今日だけネコエリちゃんだな。ネコエリちゃ~ん」
俺が試しに呼んでみたら、エリちゃんの頭が俺の腹の上を這い上がって、胸のあたりまで登ってきた。タブレットを持った俺の両腕のトンネルをくぐって顎下にまでエリちゃんの顔が昇ってきた。フンフンと鼻を動かし俺の顔を見ている。ネコのように静かな息が顔にかかる。俺はそのネコっぷりに感心した。
「ネコっていえば、ネコが両手でコネコネするのってカワイイよね。人生で一回くらいはこねられたいって思ってた」
「にゃあ、やったげる」
そう言うと突然、俺の体の上に馬乗りになった。
エリちゃんが小さな拳を作って、俺の腹をこねだした。いきなりの突飛な行動にやや面食らったが、彼女は親に嘘をついてまでしてこの部屋にいる。誰にも知られることのない秘密の場所で、自分がやりたかったことが自由にできるということに高揚しているのか。
俺は腹に当たる拳のくすぐったさと、この状況のおかしさに笑いがこみ上げた。
一生懸命こねるエリちゃんもニヤニヤが止まらないようだ。
静かな、誰も見ていないこの場所に、二人の自由な気持ちが溢れていた。
「雨、強くなりましたねー」
フスマが突然開かれ、木須屋さんがいきなり入ってきた。
彼女の目に写っている光景は想像できる。
寝ている俺の股間の上に座っているエリちゃんが、両手を腹に乗せてグイグイ動いている、という光景だ。
穏やかな笑みを浮かべている木須屋さんの右手から、スーーっと音もなく槍が下に向かって伸びていくのが見えた。
俺は今日、本当に死ぬんだなと思った。
「危うく首が飛ぶかと思った」
「・・・」
誤解を解いてなお、木須屋さんの目は冷たかった。
「俺のことは信用しなくてもいいから、エリちゃんのことは信じてやってくれ」
「その言い方だと、なにか裏があるみたいなんですけど」
「ないです。俺を信用してくれ」
「どっちなんですか」
俺と木須屋さんは書庫の部屋の隅で顔を近づけコソコソ話だ。エリちゃんはリビングの方で木須屋さんが持ってきてくれた手作りの料理を並べている。
「やっぱり私も、今日はこっちに……」
「駄目だよ、今日の木須屋さんはお休みなんだ。それは話しあっただろ?休みの日はしっかり自分の事をしないと。会いたい人に会ったり、したいことをしないと。俺だって君にこれ以上迷惑はかけたくない」
俺の言葉に木須屋さんはなぜか不満顔だ。
「さ、今日は帰って。あ、料理ありがとうね。美味しくいただくから」
「え、ちょ、ちょっと」
強引に木須屋さんを追い出した。彼女にはあまりにも世話になっている。これ以上負担をかけるわけにはいかない。
リビングに戻るとエリちゃんが
「料理二人分にしては多いんだけど、吐息も一緒に食べるつもりだったみたいよ」
「う…追い返したのは不味かったか。でもこれ以上、木須屋さんに迷惑かけるのも…」
「落土」
いきなり敬称ぬきで呼ばれた
「なに?」
「吐息」
「え?」
「そろそろ吐息って呼んだら?木須屋さんじゃなくって。さん付けする間柄じゃないでしょ。命かけあってるんだから」
「でもね、俺みたいなのに名前呼ばれたら木須屋さんもどう思うか…」
「わたしはずっと、誰からもエリちゃん、って呼ばれる。なぜか会った全員から」
「そうだろうね」
「だからわたしは、相手を好きなように呼ぶようにしている。だから、落土。そう呼ぶ」
「俺もエリちゃんって呼んでいるからなぁ…。じゃあ、吐息…」
言ってみたら恥ずかしくなる。相手方のご両親に彼女ネーミングに関して文句を言いたくなった。
「吐息……ィいただきますか」
「ご飯までついてるよ。たぶんこの大きいタッパが落度のだよ」
ご飯は大きいタッパが一つ、小さいタッパが二つあった。三人で食べる用だ。
「明日、吐息にあやまらないとまずいな」
俺はそう思いながら、うまそうな料理に手を付けた。
夜の十一時を回った。そろそろ寝る時間だ。エリちゃんは未だに漫画を読んでいる。俺は彼女をずらして布団を引く。
「はい寝るよ、漫画はしまって」
完全に姪っ子を叱るおじさんだ。
ようやく本を元に戻し、寝支度をしたエリ戻ってきた。明かりを消して俺も寝床につくと、俺の布団の上にエリがのしかかってきた。
「わたし、たぶん寝ちゃうからここで寝るね。ここなら落度が消えた瞬間に目が覚めるから」
ほとんど俺の上で寝るような形になっているエリ。だが彼女自体が軽いためか苦しくはない。
「構わないよ。転げ落ちなければね」
俺が体を揺らすとキャッキャッと笑いが返ってくる。
「おやすみ、気をつけて」
エリがそう言ってくれた。これからの数時間は危険な時間だ。俺とエリと吐息にとって、命がかかった数時間が始まるかもしれない。
本当は彼女たちにこんな危険な事に参加してほしくなかった。できれば平和でリスクゼロな普通の生活をしてもらいたかった。
俺をすぐさま殺せばそれが出来たのに、彼女たちはそれ以外の道を選択してくれた。
だから俺は彼女たちを守らなければいけない。なんとしてでも。
布団の外に伸ばした手をエリの手が握った。
今、俺たち二人は危険な戦いの場に向かうために、布団に入って寝ている。助け合えるのはお互いしかいない。
これから数時間、平和な朝を迎えるまで、この手を離してはいけない。
外の雨音はより激しくなり、遠くに雷の音が聞こえはじめた。
この荒れた天候は朝まで続くそうだ。
エリが見ていた夢は子猫になって親猫の背中でうたた寝する夢だった。
ガクンと体が落ち夢から覚めた。彼女を支えていた存在が突然消えたのだ。落谷の不在を確認したエリは置いておいた携帯で吐息にコールする。ワンコール前に繋がりすぐに切れた。すぐさまエリは変身した。
窓を開け、外の豪雨を見た時には、すでに隣の家から高速で空めがけて飛んでいく吐息の姿があった。雨粒のカーテンを切り裂いて上昇していく。エリもそれを追って空へ飛んだ。
豪雨を高速で突っ切る二人。雨のシャワーを突き刺す二つの線が空を目指す。魔法である程度の雨は防げるが、雨足が強すぎて二人共びしょ濡れになった。
二人共衣服が透けるのも構わず、空の一点に止まり周囲を見渡す。闇の夜の豪雨で視界は悪く、彼女らの強化された視力と魔法感知の能力をもってしても、落谷が変身して現れた場所が見つからない。
雷がいくつも市内に落ちる。雷雲が空を覆い尽くしている。
「いた!」
エリが叫ぶ。雷の一つが魔物の姿を一瞬照らし出した。川の堤防の向こうにその姿を捉えた。
二人共に同時に飛び出す。雨量は激しく、滝の中に飛び込むのに近かった。
大きな川の河川敷、そこに巨大な魔物が立っていた。三十メートルクラスだ。広い河川敷に立っていても存在感が衰えない。雷が何度も落ち、その姿を照らし出す。両手が武器化して刃物になっている。今までより遥かに好戦的な姿だ。
魔物の上空に到着した二人は周囲を全て遮蔽魔法で囲った。広い河川敷はただの草むらか野球場だ。今回は被害を少なくすみそうだ。
落雷の頻度が増し、街全体が雷と光と音に支配されている。次々と雷は落ち、あらゆる方向からフラッシュが瞬く。
「ウソ、落谷さん!」
吐息が見つけたのは魔物の頭部、大きな三メートルほどの頭の頭頂部に生えているものだ。
「うわ、落土だ」
エリも見た。巨人の頭部から生えている落谷の上半身を。
巨人と同じ質感で塗りたくられ、上半身だけの彫刻のようだが、間違いなく落谷本人であろう。それはひと目見れば分かった。
普段なら頭部に収納され魔物の脳の一部としてあった落谷が、その上半身だけ外部に飛び出している。今までなら内部に「囚われている」と見ることが出来ていた落土だったが、この姿はまさに「魔物を生み出す存在」という彼の実像を表していた。
落土の姿にショックを受けた吐息は
「大丈夫、大丈夫、大丈夫…」
自分を励まし心を保とうとしていた。
「吐息!はやくあのおじさんを助けてあげましょう!」
エリも吐息を励ました。
「うん、いきましょう!」
ようやく吐息も槍を構えて戦いへと降り立った。
「落土~止まっててよー!」
エリが地面を蹴り魔物の足を狙う。まず機動力を封じる作戦だ。彼女の棍棒からミサイル弾頭の頭だけが顔を出す。棍棒のヒットと共に爆発し打撃箇所を確実に破壊する事ができる攻撃だ。
同時に上空から吐息が斬りかかる。両者同じタイミングでの攻撃。互いが互いの囮となって、どちらかが必ずヒットするはずだ。魔物はまだ動かない。落谷の意思が体を支配している証拠だ。
同時に襲いかかった二人の攻撃が、空を切った。
驚くべき瞬発力で飛び上がった巨体は雨を塞ぎ、二人のいる空間の雨をすべて消した。
吐息は自分の頭のすぐ上に魔物の巨大な足、トラックサイズの足の裏があるのを重力のようなもので感じた。
その足で上から蹴られた。
地面に叩きつけられバウンドした吐息の上に再び豪雨が降り注ぐ。
攻撃を空振りしたエリは空中をネコのようにしなやかにカーブを描き、加速を殺さず魔物の着地点に走る。横目で吐息の落下を見るが、そちらに駆け寄るような真似はしない。
着地の足を狙った打撃を放つが、魔物は着地より先に、手についた刃物を地面に突き刺し足を防御した。エリの棍棒はその刃物に当たり爆発するが、魔物の最硬部であるため破壊できない。ハンマーの爆裂で動きが止まったエリに向かって、もう一方の腕についた巨大な刃が振り下ろされる。まるで躊躇がない、人体を二つにすることを狙った攻撃だった。
回避不能だったエリの代わりに吐息の槍による横殴りの攻撃が、魔物の武器を弾いた。
「落谷さん!」
吐息の叫び声にわずかに反応を示す魔物。頭を抱えるようにして後退を始める。魔物のうちに潜む落谷が、自分のした攻撃を悔やみ苦悩するかのような動きを見せた。
雷は鳴り続け、雨の勢いは止まらない。川は増水を始めている。
「ビ、ビエェェェェ!」
魔物は大きく鳴いた後、動きをゆっくりと止めた。両手の武器を下ろしてみせた。
二人が安心しかけたその時、一本の雷が巨大な魔物の頭部の最突端、落谷の上半身に落ちた。
魔物の頭部に偶然落ちた雷は、その頭部の避雷針のように生えていた落谷に直撃し、体を通って地面に流れた。
一瞬のスパークに視界を失った後、爆風のような落雷の轟音が続いた。
吐息とエリ、二人の耳と目が感覚を取り戻した時、魔物はまだその場に止まったままだった。
その頭部についている落谷の姿を見て吐息は悲鳴をあげそうになった。
落谷の上半身は各所で崩れてそこから焦げた煙があがっている。表から見てもかなりのダメージに見える。その内部もひどく損傷したと見るべきだろう。
いち早く、彼を救出しなければ命に関わる。
二人が動き出す前に、魔物が突然動き出した。
両手で地面を掘り返した。体を回転させプロペラのように回って倒れた。足をばたつかせ寝たまま体を滑らせ、急に立ち上がり、また両腕を回転させ回り続ける。
完全に壊れている。雷が脳神経部分にダイレクトに落ち、破壊してしまったのだ。
雨の寒さに青くなっていた吐息の顔がさらに青くなる。落谷のうけたダメージは深刻だ。
「エリちゃん!」「了解!」
エリのミサイル乱射で足止めを狙う。雨風を吹き飛ばすミサイルの爆発が魔物の足元で起こる。地面ごと炸裂させることで暴れまわる足を空転させ、動きを止めた。
「せやぁぁぁ!」
空を飛ぶ吐息の必殺の一撃。狙うは首への一閃。首を飛ばし、まず落谷を確保し、胴体を殲滅する。
魔物が吐息に気づいたかのように、頭突きで迎撃を試みる。だがその動きはギリギリ届かない。その首が槍の圏内に入ろうとした時、吐息は足を掴まれた。
勢いにつんのめった吐息が掴んだ相手を見ると、頭部から生えていた落谷の腕が吐息の足を掴み、吐息の攻撃を防いだのだ。
魔物の体を操るどころか、魔物の体に落谷が操られていた。
落谷の腕は人間とは思えない力で吐息の振り回し、魔物の顔部分に叩きつけた。
ショックとダメージで吐息は逆さまのまま動けなくなった。
「吐息姉さま!」
注意をおろそかにしてしまったエリに、魔物の手刀が飛んできた。防御に使った棍棒もろともエリは堤防の上まで吹き飛ばされた。
「お…落谷さん…」
怪物の頭部から生えた落谷の体によって、獲物のように逆さに掲げられる吐息。反撃の力はほとんど残っていない。
堤防の上に転がるエリ、彼女もまた、その光景を雨に打たれながら見ることしかできない。
二人の魔法少女は、その戦闘力の殆どを失っていた。
その現場から少し離れたところ、一級河川に架かる長い橋の最上部、塔の上に一人の少女が立っていた。
風になびく彼女の衣服。魔法少女特有の薄布が雨に濡れ肌に張り付いていても、彼女の気高さは損なわれていない。むしろその荒々しさが彼女の気高さを強く見せつけていた。。
「あれが、アビスの魔物。そしてアビスの門から世界を守るための魔法少女……たち?」
マスクの下の彼女の顔は見えないが、見えている彼女の目は、空から落ちる雷光よりも鋭かった。
「そしてあれが、木須屋吐息…。フン、その程度なの、吐息?」
彼女は飛び出し、戦場に向かった。
雷が鳴り、落谷の焼け焦げた顔が見える。ひどい有様だった。彼を殺さない、助けると決めていたのに。その彼に吊るされている自分のなんという情けなさ。守るとお互いに誓ったはずなのに。吐息は悲しさに涙を流すが、雨はその涙さえも許さず飲み込んだ。
持ち上げた吐息の身体を見て獣のように吠える落谷。理性はどこに消えたのか。
雷が鳴る。空に光の柱がそそり立つ。
吐息には時が止まったかのように見えた。イカヅチの柱がゆっくりと残像のように残って、何秒経っても消えないのだ。
そしてもう一本、イカヅチの柱が落ちた。
魔物両サイドに雷の柱が空高く建っていた。
その異変に気づいた魔物が顔をあげようとした瞬間、両方のイカヅチの柱から水平に雷が発生し、魔物の首の上下を挟んだ。
そのイカヅチも個体の様に空間に固定され、魔物の動きを完全に封じた。
「ブエェェー!」
吠えてもその電気の枷はびくともしない。落谷も握っていた手を離し、吐息はなんとか地面に着地した。
吐息は見上げる、そのイカヅチの柱を。その高さは、橋の塔を超える。吐息の場所からはビルほどの高さに見えた。。
「これは魔法?魔法少女の?」
吐息はようやく見つけた。イカヅチの頂点に立つ少女の姿を。
彼女は魔法少女らしい半裸に近い格好。雷雨とマスクで顔は見えないが。その物腰は極めて好戦的に見える。そして彼女が手に持ち肩に担いでいるのは、巨大な鎌だ。
死神が持つような鎌、魔物を狩るための絶対的な武器だ。
少女が吐息に向かって叫ぶ。それは雷の音よりも早く、吐息に届いた。
「木須屋吐息!あなたに出来ないこと!私がやってあげる!」
自分の名前を呼ばれて驚く吐息。その時に光った雷が、この舞台の全容を見せた。
二本の巨大な柱、それに首を固定された魔物。
そして頂点に立つ彼女の鎌が、あっという間に巨大化した。
「断頭台?」
吐息の予想は当たった。
魔法少女の持つ鎌の刃が巨大化する。あっという間に刃の長さが十メート以上になる。その刃を振り下ろすと柱のレールに噛み合った。そしてそのままレールを滑り、鎌の刃と魔法少女は地上に向けて加速する。
バタバタと暴れる魔物の手足。だが雷の断頭台はピクリともしない。
刃は加速を続け、容赦なく罪人の首を通過し、跳ねた!
鎌と一緒に落下した魔法少女と、魔物の落ちた首は、同時に着地し泥の冠を作る。
危機的状況の最中であったが吐息は喜んだ。とりあえずこれで落谷は助かる。彼の体は魔物の頭とともに地面に落ちた。いくらかの治療は必要だが、彼の命は助かったと。
近寄ろうとした吐息の足元に、鎌の作った烈風が炸裂し地面をえぐった。
新たな魔法少女は鎌で威嚇し吐息を近寄らせない。
彼女は吐息に向かって言った。
「あなたに出来ないことをするって、私言ったでしょ?」
「出来ないって、なに?」
少女は切り落とされた頭部から落谷を引き釣り出した。首の切断時から崩れ始めていた頭部はすでにグズグズの状態にまで溶け始めていた。
落谷の頭をがっしりと掴み、ブラリと揺れるその体を吐息に見せつける。
吐息は、その体が息をしているのを見て安堵した。
手を離して地面に落とすと、座った状態の落谷の目が開いた。吐息の姿を見たその目はかすかに微笑んだ。
「あなたに出来ないことをしてあげる!」
その落谷の隣には、鎌を大きく背後まで振りかぶった少女の姿があった。
「……ダメっ」
吐息の悲鳴が届く前に、少女の叫びが響いた。
「私なら世界を救える!」
全力で振られた鎌は、
やっと意識が戻って、自分の体がどこからどこまでだったかを思い出した。地面に足がつき、尻までついたのを感じた。
頭にカミナリが落ちた時から今までの記憶がおかしい。バラバラになっているようだ。
ようやく目が機能し始めた、遠くに吐息の姿が見える。どうやらまた君に助けられたようだね。
また助けられた…今回こそ俺が助ける番だって思ったのにな。
彼女がなにか言いたそうだ。耳がキンキンで何も聞こえない。あれは、ナニ?隣のこの少女
空が
暗闇が
川が、
地面に
ドロ、ドロ、
泥が目に入る。草
鎌と少女
体
血を吹き出している
首から
俺の体から
血が吹き出ている
俺の首は
どこだ…?
雨の中、落谷落度の首が転がった。
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