第九話 生命の無い森

 明李は起きて早々狩りに行ったらしい。

 満輝と勝由も、何か添えられる物兼明李がこの辺りは獲物がいないと言っていたことを踏まえて万が一に備えるため食せそうな物を探す。

 日が昇ったことで辺りははっきりと見えるようになり、昨夜ほどの苦労はせず山菜や木の実などを集めることができた。数は然程多くないが腹の足しにはなるだろう。

 程なくして明李が帰ってきた。その手に獲物を連れていなかったことから満輝と勝由は狩りの失敗を悟る。

 明李は弾んだ息を整えながら腕で額の汗を拭った。


「気持ち悪いくらい生き物がいねえ」


 空気は澄み、植物は豊富に生え、近くに水場が無いのが難点だが、草食動物の数匹くらい暮らしていてもおかしくない場所だと明李は思う。しかし、昨夜は鳥を一羽見ただけ。それ以降動物を一匹も見ていない。

 また、明李にはもうひとつ不可解なことがあった。


「勝由、この辺りに川や泉はねえよな」

「のはずだぜ。なんかあったか?」

「……水の音がした」


 それは昨夜、明李が食料確保に出ていた時のことだ。獲物を探していた明李の耳に、水の流れる音が届いた。

 満輝が村にいる間筒に封じられていたカイイの捜索をしがてら周囲を観察していた明李も、勿論近辺に水がないことは知っていた。それなのに音がするとはどういうことかと、あわよくば水も確保できるかもしれないと音を頼りに進んだのだが、川や泉の類は見つからず、水の音もしだいに葉の擦れる音に掻き消されてしまい、諦めたのだった。

 そして今朝も明李は僅かではあったが水の音を聞いた。


「地下水とかじゃね?」

「地下水の音があんなはっきり聞こえるとは思えねえけど」

「でも無かったんだろ?もしくは聞き間違いとか」

「……いや、確かに音はした。それにあの場所、他と比べて空気が違った」


 暗い森の中を音のする方へ進むにつれ、肌がピリつくような感覚になったことを思い出す。


「何かあるかもしれねえ。ここを離れる前に調べる」

「おっしゃ、じゃあ飯食ったら行こうぜ。満輝もいいか?」

「うん」


 次の目的が決まればその後の行動は早い。下処理の必要な山菜は後回しにし、それ以外の木の実やらを口に放り込んで、すぐに出発できる体勢に入る。


 満輝は二人に置いていかれないよう気合を入れた。

 初めての外に初めての野宿。食事の量も少なくなったり色々と過酷な状況ではあるが、これからはこんな日々が続いていくことになるだろう。早く慣れなければ、と思うと同時に腹がきゅうと切なげに鳴いた。幸い勝由も明李も近くにおらず、聞かれる心配は無かった。


「満輝、行くぜ〜!」

「今行く!」


 呼ばれ、勝由の元へ駆けていく。

 明李は既に歩き出していた。その後ろを置いていかれないよう付いていく。


 普段人が通らない場所なのだろう、道がなく、動物がいないことから獣道すら存在しないため、足場の悪さに満輝は苦戦する。

 初めて外に出た満輝が気掛かりで仕方ない勝由はチラチラと何度も後方に目を遣っていたが、ついに堪えられず手を差し伸べた。


「あ、ありがとう」

「急がなくていいぜ。ゆっくりな」


 二人のやり取りを聞いていた明李は思わず振り返る。


「お前、驚くほど満輝に甘いな」

「うっせ。オレにとっちゃいつまでも大事な妹……じゃなかった、弟みてーなもんなんだよ。それよりどのくらいで着くんだ?」

「五分もありゃ着く」


 いくら弟みたいとは言え甘過ぎやしないか。こんな勝由を今まで見たことがなかった。

 昔は満輝に惚れていたようだったし、そう考えればあの甘々対応も有り得ると言えば有り得るのかもしれないが。なんであれ明李が兎角気にすることではないので、短い返答だけして前方を向く。

 満輝は勝由に手を引いてもらいながら歩く途中、ふと上を見上げる。

 何本もの枝と生い茂る葉で埋め尽くされる空がある。昨夜は明李に担がれあの枝を渡ってきたんだなと思い、なんだか目が回るような気がした。


「満輝?」


 勝由が不思議そうに満輝を見る。

 なんでもないと首を振り歩みを止めてしまったことを謝り、再び歩き出す。


 三人は黙々と歩き続け、次第に背の高い植物が減り始め目的地が見えてきた時、明李は視界の端に動く何かを捉え足を止めた。

 遅れて明李に追いついた勝由と満輝は、どうしたのかと明李の背からひょこりと顔を覗かせ、視線の先を確認する。

 何か、黒い物が浮遊していた。


「あれ、カイイじゃねーか!」


 勝由が驚いたように声を上げる。

 中心に行くほど濃く、周りは靄のように霞んでいる黒い何か。大きさは猪くらいだろうか。

 あれがカイイなのかと、初めてその姿を見た満輝は凝視する。

 明李は隣に立った勝由に言う。


「体の中心より下よく見てみろ。印が付いてる」


 よく観察してみれば、確かに文字のような記号のようなものが白く浮かび上がっていた。


「一度捕獲された奴だ。おそらく昨日お前が投げて寄越した筒のカイイだ」

「どこにもいねーと思ったらこんな方まで来てたのか」


 村から離れた場所にいて良かったと思う。発見できたことも運が良かった。

 しかし、このままのさばらせておけばどこで被害が出るかわからない。退治するべく二人は動く。

 その時。

 ぴちゃん、と水の音が響いた。

 三人の気がそちらに逸れた一瞬、カイイの横の空間が歪む。カイイはみるみるそこに吸い込まれていく。


「なんだ!?」


 その様子を唖然として見つめる明李だったが、勝由の驚愕した声に振り返りまたも大きく目を見開いた。

 勝由の胴体に人の腕程の太さの黒い綱のような何かが巻きついていたのだ。出所を追えば、いつの間に発生したのかすぐ横の空間がカイイと同様歪められ、綱のようなものはそこから伸びていた。

 カイイにばかり気を取られ、こちらの異変に気付くのが遅れた。明李は舌打ちをする。


「どわっ」

「勝くん!」


 綱のようなものに引っ張られた勝由の体が歪んだ空間に消えていく。満輝が慌てて手を伸ばし勝由の手首を掴むが、満輝共々呑み込もうとするように歪んだ空間が拡がった。

 脱出が困難だと判断した明李は満輝の腰に手を回し抱え、勝由に巻き付いた綱を掴む。その瞬間、一際強く引かれた三人は歪んだ空間に呑まれ————宙を舞った。

 突然訪れた浮遊感に目を白黒させる満輝。

 明李は満輝が落ちないよう腕に力を入れ、空いた方の手で綱を握り潰す。その威力は少しヌルヌルした弾力のあるソレが千切れる程強い。

 拘束から逃れた勝由を脇に抱え、千切れた箇所からドス黒い赤を撒き散らすソレを一度足場にし、地面を目指す。

 ダンッと豪快な着地をした明李の足元が僅かに凹む。ビリビリとした痺れが足を駆け上がり、明李は顔を歪めた。


「サンキュー明李。助かったぜ」

「ああ。……それにしても、ここは……」


 三人の視線の先では、明李に千切られたものが痛みにのたうち回りバシャバシャと水飛沫を上げている。綱のように見えたそれだが、感触や水を浴びて光る様は吸盤のないタコの足に近い。

 そして、それよりも気になるのは、今明李たちがいる空間だ。


 先程までいた森はどこへやら、辺りは霧に覆われ、目の前には沼が広がっていた。

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