壱ノ話 旅立ち

第一話 始《プロローグ》(其ノ二)

「これでよし」


 とある晴れた日の昼下がり、民家の屋根の上でしゃがんでいた一人の人間が立ち上がった。

 右腕で光る額の汗を拭う。その手には金槌が握られている。

 修理の最中ずっと曲げていた腰を伸ばし、ついでにと固まった体の節々を伸ばした後、修理した箇所を再度確認して金槌を帯に差す。くるりと踵を返し屋根から飛び降りると、桑の実色のポニーテールがふわりと舞った。


隈橋くまはしさん、屋根の修理終わったよ」

「おお、いつもすまんな」

「他にも手伝えることがあったらいつでも言ってね」

「ありがとうな。いやあ、満輝みつきくんがいてくれて大助かりだよ」


 満輝と呼ばれた青年は家主に手を振ると紺の着物を翻す。

 さて、この後の予定は何かあっただろうか。


寝胡瀬ねこせさんに薬は届けたし波向井はむかいさんの時計は直したし岩糸いわしさん家の窓拭きも手伝ったし屋根も直したから……今日の予定全部終わったな」


 ということはこの後はオフ。となれば趣味のアクセサリー作りに打ち込もうか。

 満輝は進行方向を自宅の方へと変える。


「あ、満輝兄ちゃんだ!」

「みつきおにーちゃんどこ行くの~?」

「満にぃ遊ぼー!」

真弥瑠まみる、千代に千景も。三人で遊んでたの?」


 帰宅途中会った子供たちと会話をしようと、満輝は子供たちの目線に合わせてしゃがむ。三人の子供たちは声を揃えて「うん!」と頷いた。


「そっか。すっかり仲良くなったんだな」


 千代と千景はこの村の出身の姉妹だが、真弥瑠は外からやってきた孤児だった。両親はカイイに殺されたという。

 同じような境遇の子供たちのためにと設けられた寝泊りや勉学を行える施設へ預けられたが、他人に心を開かず一人の時間を過ごしていると耳にし気掛かりだった。が、どうやら杞憂だったようだ。


「まみるくん、さみしがり屋さんなのにはずかしがり屋さんなんだよ~」

「違っ! そんなんじゃねえよ!」

「おこりんぼ?」

「違うっ」

「素直じゃないんだよねー」

「ね~」

「お前らなあ!」


 何の気兼ねもなく話す三人の姿に微笑む。子供たちの元気な姿は安心するものだ、と満輝は姉妹の頭を撫でた。

 ここでみんなと過ごして、少しでも傷を癒せたらと、そう願う。

 余談だが、真弥瑠もと手を伸ばしたら拒否された。


 カイイに怯える子供は多い。

 カイイとは、闇に紛れて人間に襲い掛かる、人間とも動物とも違う生命体。ソレを見た人間の誰かがカイイと呼び、そう名付けられた。

 聞いた話では、それらは闇と同化するほどに黒い体を持ち、見た目は靄のようで、神出鬼没だという。恐れたが最後、命を奪われるのだそうだ。

 そういった話から、子供だけでなく大人も震え上がる存在であり、人間の脅威となっている。


 そんなカイイに襲われ、肉親を失った人間達がぽつりぽつりと集まり、悲しみ、怒り、悔しさをを皆で抱えて、生きていくため協力し合い生まれたのが、満輝たちの生活するこのいだき村。光と優しき心に溢れたこの村にカイイが現れたことは一度として無い。

 安全な村の中で皆が笑顔でいられるように、そのためなら己がここにいられる間なんでもしようと、満輝は心に決めている。


「何して遊んでたんだ? 良かったら俺も混ぜて欲しいな」

「いいよ!」

「じゃあ満輝兄ちゃんオニでだるまさんが転んだ仕切り直しな!」

「まーくんまたすぐ捕まっちゃいそう」

「んなことねーよ!」


 開始位置へ駆けていく子供達の姿に笑いながら、オニの定位置である近くの一本の木へ向かおうと立ち上がった時だった。


「満輝、くん? ちょっと直して欲しい物があるんだけどね?」


 突然背後から話し掛けられ、思わず「わっ」と声が出る。振り返ると、そこには三十代前半くらいの男が立っていた。


「えっと……」

「ああ、初めましてだったね。僕は三郎。この村の住人達は皆優しく良い人ばかりだと聞いて最近越してきたんだ。それで荷物を片付けていたら、その内の一つがどうやら運んでいる最中に壊れてしまったようでね。君さえ良ければ見てもらいたいんだ。君はこの村のなんでも屋さんだと聞いたものでね」

「なんでも屋? みんな大袈裟だなあ……」


 村のみんなのためになればと、仕事の手伝いをしたり、物や家を直したりしているだけで、なんでも屋と呼ばれるほどのものではない。からくりや建築の専門知識があるわけではないし、家事に関しては見様見真似である。

 人のためになることをしたい気持ちと趣味の延長のような部分が高じて、それなりの形になっているだけだ。と、満輝は思っている。

 それに、そんなことは些細なことだとも思っている。

 この三郎という男は、擁村の人たちが優しくて良い人と聞いて引っ越して来てくれた。満輝にとってはそのことの方がずっと重要だった。誰かに村の人たちを褒めてもらえる——それは何ものにも変えがたい喜びだ。満輝の胸は喜びと誇らしさでいっぱいになった。

 お礼に、頼み事を引き受けることにする。


「修理は、専門知識があるわけじゃないから直せるかは物によるけど、それでも良ければ見るよ」

「ああ、お願いするよ」

「それから俺は石流満輝せきるみつき。よろしくな、三郎さん」


 自己紹介の後「少し待ってて」と言い、遠くから様子を伺っていた子供たちの方へ駆け寄った。


「三人ともごめん。用事できちゃったから、一緒に遊ぶのはその後でもいいかな?」

「みつきおにーちゃん行っちゃうの?」

「すぐ終わらせて戻ってくるからな。それまで三人で遊べる?」


 三人は顔を見合わせ、少し寂しそうに頷いた。その様子に満輝は申し訳なさそうに笑みを浮かべる。このまま三人と遊んでいたいが依頼人を待たせるわけにもいかないと自制し「行ってきます」と三人に手を振れば、「いってらっしゃい」と送り出してくれる。良い子達だ。


「お待たせしてごめんなさい。えーと、三郎さんの家は……」


 子供達と別れ、三郎と並んで歩き出す。


「こっちだよ。村の外れの方なんだ」

「そうなんだ。だから引っ越してきたの知らなかったのかな……。あ、そうだ! 引っ越してきたばかりなんだよね? 後で村を案内するよ」

「本当かい? ありがとう」


 二人はどんどん村の外れ、人気の無い方へと歩いていく。

 元々人口の少ない村。住人とすれ違わないことは良くあることだが。

 それにしても不自然なほど出会さないように感じるが、話しに夢中になっている満輝は全く気にしなかった。

 やがて見えてきた建物を目にして、満輝は歩く速度を落とす。


(あそこ、今は空き倉庫だったはず……)


 三郎の目的地はどうやらその倉庫のようだ。不思議に思ったものの迷い無くそこへ向かっていく三郎を見て、ここを人の住める家として解放したんだ、と浮かんだ疑問を自己完結した。


「ここだよ」


 案内され、躊躇うこと無く足を踏み入れた室内は真っ暗だった。


「ここ元々倉庫だったんだ。家として解放してたなんて知らなかったよ」

「そうだね……。君はもう少し、人を疑った方がいい」


 ぱたん、と扉が閉められる。


「三郎さん?」


 いったい何のことだろう。

 訊ねようと口を開いた満輝だが、次の瞬間ゴツという鈍い音が頭に反響すると同時後頭部を激しい痛みが襲った。

 何が起きたのか理解できない中で己が床に倒れたことだけは把握した。


(なに、が)


 薄れ行く意識を繋ぎ止めようとする抵抗も虚しく、深い闇の中に沈んでいった。

 その様子を眺めていた三郎含む三人の男は手を叩いて喜んだのだった。



 *



 擁村から少し離れた森の中の小道。歩いていた明李あかりはふと足を止めた。


「どした?」


 後ろを付いていた勝由かつよしもまた足を止める。

 明李は前方を睨んでいる。それに倣って勝由も前方に目を凝らす。

 人影がこちらに向かって歩いてきている。人数は三人。編笠を被っており顔は見えないが服装と体格からして全員男のようだ。三人のうち一人が大きな袋を肩に担いでいるが、残りは手ぶらに等しい格好をしている。

 なんだか妙な連中だ。


「勝由、お前先に行ってろ」

「はあ? あいつら相手に何するつもりだよ」

「気になった事を聞くだけだ。目的の村はこの先なんだろ。先行って様子見とけ」

「……ちぇ、わかったよ。変な問題起こすんじゃねーぜ」


 勝由は繁みに飛び込むと男達を迂回するように進む。

 明李も顔を俯かせ男達への警戒を悟られないよう歩き出す。

 一歩二歩と繰り出す足がぐんぐん距離を縮める。

 やがて聞こえるようになってきた男達の話し声は、一般的な会話の声量にしては小さく、ひそひそ話にしては大きい。明李は会話の内容に耳を傾け、そして一瞬瞠目した。


「こいつの血で出来たルビーは綺麗だったなあ」

「磨けばもっと綺麗になるぜ」

「こいつがいれば宝石は作り放題。俺達は金を儲け放題だ」


 血で出来たルビーだって? それは……、まさか。


「おい」


 すれ違った男達は足を止め、たった今彼等を呼び止めた少女へ視線を向ける。少女こと明李は己に向けられる男達の視線の圧力にも臆さず、大きな袋を指差してたった一言。


「その肩のものここに置いていけ」


 男の眉がピクリと動く。


「……お嬢ちゃん? 勘違いしてもらっちゃ困るがこれは俺達の大事な商品でねぇ」

「知ったことじゃねぇな。さっさと担いでるもん下ろして立ち去れ。そうすれば今回は人拐いだろうが見逃してやるよ」

「このガキ……大人に舐めた口きいてんじゃねぇぞ!」


 一人の男が明李に近付くと拳を振り上げる。

 今にも殴られそうだというのに明李は動じず、冷静な表情が崩れることはない。

 振り上げた拳は明李目掛けて勢い良く振り下ろされ、パシッという乾いた音を響かせた。


「……は?」


 呆気にとられる男。それも仕方の無いことだろう、力を込めて振るった拳は華奢な少女の片手にあっさり受け止められてしまったのだから。

 一方明李は呆然とする男の手首を掴むと軽く横へ振る。たったそれだけで男の体は真横へ飛び、木を何本かへし折って止まった。ズルズルと崩れ落ちる男は既に気絶している。


「兄貴ぃぃ!?」

「な、な……」


 一部始終を見、気絶した男と明李を目を見開いて交互に見る男二人に真紅の瞳を向けると、「ひぃっ」と震え上がる。


「て、てめェいったい何者……」

「お前らと同じ人攫い」


 二つの真紅が言わんとすることを男たちはわかっている。担いでるものを置いてどっか行けさもなくばあいつと同じ目に合わせるぞ、だ。


「すっ、すみませんでしたあああ!」


 二人でかかっても勝ち目はないのは火を見るより明らか。恐怖に負けた男たちは大きな袋をどさりと落とし、伸びた男を連れて一目散に逃げていった。

 やれやれ。

 明李は肩を竦めると人一人入れる大きさの袋へ近寄る。縛られた口を開き乱暴に裂いていけば案の定、中には桑の実色の髪を伸ばした青年が一人入っていた。


「男?」


 明李は怪訝な顔をする。

 先程の男たちの会話から、人でありながら宝石を作り出せる特殊能力持ちと推測したが、とすると勝由から聞いていた「能力持ちは女の子」という情報と合致しない。

 推測が外れたか。だとしてもここに放置していくわけにもいかない。

 ため息を吐き、せめてこの先の村へ預けようと肩へ担ぎ上げようとした時。

 袖に引っ掛かっていたのか、小さな赤い石がコロリと転がり落ちた。


「これは……」


 拾い上げじっくりと観察する。

 透明度のあるそれはそこらに転がっているただの石と比べ鮮やかで綺麗だった。これを宝石と言うのだったら、この青年が能力持ちで間違いないのではないか。

 石が出てきた箇所、青年の左腕付近を調べてみる。


「ここ、切られたのか……? 血が固まって石と同じになってる……」


 普通ではまず有り得ない現象だ。この青年が能力持ちと思っていいだろう。


「お前も俺と同じ生贄ささげものか」


 性別は違うが。


「いや、どう考えても勝由の情報の間違いじゃねえか。嘘つきやがってあの野郎」


 改めて青年を担ぐと、勝由が先に行っているはずの擁村へと急いだ。

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