第二話 始《プロローグ》(其ノ三)
草木の匂いをやけに近くに感じる。それに、全身が揺すられている気がする。
俺はいったい何をしていたんだっけ……?
「う……」
深い眠りから目覚めるようにゆっくりと意識が浮上していく。
半目で、ぼんやりと流れていく景色を見ていた満輝だったが、意識の覚醒に伴いズキンと痛み出した後頭部に顔を顰めた。
「痛……!」
反射的に手を後頭部へ回す。
「起きたか」
「え」
すぐ側で聞こえた人の声に目を丸くする。そしてようやく己が不可解な状況になっていることに気が付いた。
「へ? え、え?」
俺、担がれてる? どうして!?
現状に至った経緯を思い出そうと必死に記憶を手繰り寄せる。
村の皆の手伝いをし、帰りに真弥瑠たちに出会った。そこで会話をしていた時に、引っ越してきたばかりだという三郎という男と出会い……。
「そうだ! 三郎さんの持ち物直さないと!」
原因はわからないが気を失ってしまったらしい己を三郎が運んでくれているのだろう。迷惑をかけてしまった事を謝罪しようと振り返った。
「あれ?」
視界に広がる背中はなんとなく小さい気がする。髪は2つに結わえて前へ垂らしているようだが、三郎はそんな髪型をしていただろうか。
それに、第一最初に聞こえた声はどう聞いても男性の声にしては幼過ぎたように思う。
「三郎って奴が誰かは知らねえが」
満輝を肩に担いでいる誰かが話し出す。低くなく甲高くもないそれは、声変わり前の少年か、少女のどちらかの声か。髪を二つに結わえていたところから少女と推測する。
「お前は誘拐されてここまで来た。で、俺がその誘拐犯からさらにお前を誘拐した」
——誘拐? 俺が? 誘拐されてここまで来た? 誘拐の誘拐?
「俺……誘拐されたのか」
「ああ」
「ここって……どこだ?」
「擁村の近くの森の道」
「……村の外……?」
辺りを見回す。
大きな木と所狭しと伸びる草で囲われた薄暗いこの場所が、外の世界。満輝の知らない世界。思わず感嘆の声が漏れる。
「俺、村の外って出た事ないんだ」
「え?」
「誘拐してくれた人に感謝しなきゃな」
「は……?」
「でも三郎さんどこに行っちゃったんだろう。まさか俺と一緒に誘拐されたとか……?」
「……」
「ねえ君……あ、まだ名前聞いてなかったな。俺は石流満輝。君は?」
「……明李……」
明李はあまりの衝撃に口を開けていた。
村の外に出たことがない?いや、それよりも誘拐犯に感謝?何を言っているんだこいつは!?
「明李ちゃん、か。ねえ、俺以外に誰か誘拐されてる人いなかったか?」
「いや……」
「そうか。うーん、じゃあ村の方にいるかな……」
一緒に誘拐されていなかったとなるとまだ村にいるか、どこかで逃げ出せたかだろうか。まずは村に帰らなければ確かめられない。と、ここで満輝は「あれ」と思い出す。そういえば明李も誘拐したと言っていた。とすると。
「明李ちゃんは俺をどこに攫ってくの? できれば一度村に寄りたいんだけど……」
このまま攫われては三郎の安否が確認できないし約束も破ってしまう。それは避けたいとお願いする満輝だが、まるで突飛なその言動に明李は絶句してしまう。
誘拐に危機感が無いのか。そもそも誘拐というものを知らないのだろうかこの男。
「お前……誘拐の意味わかってるのか?」
「誘拐は……、知らない人にどっかに連れてかれちゃうやつだろ?」
意味としてはまあそうなのだが、どこか他人事のように聞こえる。自分がそれに巻き込まれたことに自覚がないような、そんな感じだ。
「大体は合ってる。お前はそれに巻き込まれたんだけどな、そこは理解してんのか」
「ああ、それはわかるけど……何かまずいの?」
想定外の返答。明李は顔を顰める。頭が痛くなってきたな……。
「人を攫うって行為は犯人が何かしらの目的を果たすために行うことが多い。攫われたらどうなるか……。犯人の目的にもよるだろうが、まず人として扱われねえだろうな」
「うん……うん?」
「酷いことされると思っとけばいい。そんな奴らが素直に攫ってきた奴の言う事聞くと思うか?」
と、説明をしてみたものの、この男にどこまで伝わっただろうか。なんというか、知らない人にどこかに連れていかれる事を怖いと思っていないのだと思う。
自分自身が被害者にならなくとも身近な人間がそういった目に遭ったら怖いと思うだろう。おそらく満輝の周りでそういった事件が起きなかった、話も聞かなかった、だからわからないんだ。それだけ安全な所に居たんだろう。
「うん、外に出れて俺ちょっと浮かれてたかも。父さんや母さんに物凄い心配されてそうだ」
「やっぱ内容まったく伝わってねえけど今がまずい状況と分かっただけいい。って言うかお前、その三郎って奴に誘拐されたんじゃねえのか」
満輝の話から推測するに、満輝が誘拐される前まで一緒に居たのはその三郎という男のようだ。ならば一番怪しいのはその男だと明李は言ってみたのだが、満輝は首を振る。
「三郎さんが? そんな事するような人には見えなかったよ」
端から見れば不審な点は多かったが当事者の満輝はそんな事全く覚えていない。頭にあるのは村を褒めてもらったことばかりだ。
彼にとって村を褒めてくれる人は良い人だ。だから三郎も良い人なのだ。
明李も三郎という人物を知っているわけではないため、これ以上言及するつもりはなく口を閉じる。
「明李もさ、俺を攫って酷いことしようとしてるようには思えないんだ」
「どうしてそう思う」
「俺の知らない事をたくさん教えてくれたから」
それはお前が無知すぎる、という言葉は飲み込んだ。
こうして満輝と話す中で、明李はあるひとつの事を確信する。
今までよく生きてこられたなこのバカ、と明李は呆れた。
*
村に近づいてきた。
擁村で能力持ちを探す予定だったがその探し人は既に見つかったため、明李は先に向かっている勝由を探して出発することに決める。
「明李ちゃんはどうして俺を誘拐するんだ?」
未だ担がれたままの満輝が尋ねると、明李は眉根を寄せる。
「ちゃん、は付けんじゃねえ」
「ん? わかった」
気を取り直して答えようとした時、明李たちの横の茂みがガサリと動いた。
「明李!」
「……お前
茂みから出てきたのは、先程まで明李と共に行動していた勝由だった。てっきり村の中で人を探しているものだと思っていたがずっと外で待っていたのだろうか。もしくは探したものの見つからず外に出てきていたのか。
「それは……中に入りにくいっつーか、入りたくないっつーか……色々事情があんだよ」
ごにょごにょと喋りながら丈の短い上衣の裾を指先で弄る。どうやらずっと外で待っていたようだ。
勝由の仕草から以前この村で訪れたくなくなるような何かがあったのだろうと推測する。村での生活が苦労ばかりだった明李が、嫌がる勝由を無理矢理村に入らせるような酷な事を出来るわけがない。もう探し人は見つかったから安心しろと伝えるべく口を開く。それと重なるように、満輝がもぞもぞと動き出した。
「ちょっと、降ろして!」
今まで大人しかったのに急にどうしたのか。明李は怪訝な顔で満輝を降ろす。
満輝は足の指先が地面に付いたところで待ちきれないとばかりに上半身をぐるりと捻った。
茶色の瞳に、毛先をあちこちに飛ばした癖のある黒い髪の毛の男の子を映すと、その目を見開き、そして煌めかせた。
「
喜びに満ちた声だった。
「え!?」と声を上げる勝由は次の瞬間抱き潰されてくぐもった悲鳴を上げた。
「なんだ。知り合いだったならそう言えよ、ったく」
「……ぷは! しっ、知らねーよ!」
「能力持ちそいつだったぞ」
「はあ!?」
いや、いや、知らないぞこいつ!?
ぎゅうぎゅうと抱き付く満輝の腕からなんとか逃れ、明李に抗議する。
「満輝は女の子だ! こいつ男じゃん!」
力強く言う勝由が、何より真っ直ぐ明李を見る目が嘘を付いているようには思えず、「だとしたらどういうことだ」と明李は首を傾げる。挙げている人物は同じはずなのに性別が合わないとは、いったい。
考え込む明李と、怒る勝由と、そんな二人の様子を見ていた満輝は何かに思い至ったのか苦笑を浮かべた。
「二人とも、俺が満輝で間違いないよ」
声に、二人の視線が満輝へ集中する。
「流れた血や涙が宝石に変わる体質をしている満輝っていう奴は、たぶん俺だけだと思う」
「え?でもお前、女の子じゃ……」
「ごめんな、勝くん。俺、男なんだ」
「え、な、男……? だって、満輝は前、色鮮やかなかわいい着物着てたじゃねーか! 髪もお団子にまとめてて、他の女子に負けず劣らずかわいくて……!」
そんなに褒められると恥ずかしい。満輝は少し赤くなった頬を指先で掻いた。
確かに、勝由の言うとおり、満輝は小さい頃女の子の格好をしていた。明るく華やかな着物を身に纏い、伸ばした髪もお団子や二つ縛りなどにまとめ飾りを付けて、女の子らしくしていた。全て母の薦めだったのだが、満輝自身も薦められるものをひどく気に入っており、女の子の格好をすることに何も躊躇いがなかったのである。
勝由と一緒にいた間もずっと女の子の格好をしていたため、勝由が満輝を女の子と勘違いしていても不思議ではなかった。
「俺あんまり性別とか気にしないから着たいものを着たいように着てて……、その……、騙すようで本当にごめん」
八の字眉で伏し目がちに謝る満輝の前で、勝由は口をパクパクとさせている。
言葉が、言葉として出てこない。というより、感情の整理が付かず、何を返したらいいのか、どう表現したらいいのかが全くわからないのだ。
一方明李は満輝の話を聞き、色々突っ込みたいところはあるがそれは個人の自由だと敢えて何も言わず——突っ込むと自分に特大ブーメランな気がした——事情は理解できたと一人スッキリしていた。対称的にまだもんもんとした感情が続く勝由。
満輝は、とにかくかわいかった。
かわいかったのだ。
それこそ一目惚れしてもおかしくないくらいかわいい、勝由の目にはそう映っていた。
「……お」
「勝くん……?」
「オレの初恋を返せええええええ!!」
初めて心がときめいて好きだなあと思った相手が実は男だったなんて、そんなのあんまりだ。
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