第十二話 沼の底
時は少し遡る。
「行って勝くん」
「は? でもお前は」
「俺が行ってもカイイの払い方を知らない。それ以前に泳ぎ方がわからないんだ。だからお願い!」
進化した黒い足を前に、満輝だけをその場に残すことは勝由にとって非常に心配なことだった。
戦場という、傷を負い、命のやり取りをする世界とは無縁に生きてきた満輝だ。心得も戦い方も知らない彼を一人置いて万が一の事があったら、勝由は自分を許せない。それほど迄に勝由にとって満輝は大切な存在だ。
だが、満輝の言う通り、泳ぎはともかくカイイを払う方法を知っている——払う
満輝を守るか、御神体を見つけカイイを払うか。
葛藤の末、カイイを払うことに決めた。それは戦場を総合的に見ての判断だった。
沼からカイイが出現してからずっと空中で戦闘を続けている明李は相当体力を消耗している。神体からカイイを払えたとしても明李が動けなければ退治できずに取り逃がす恐れがある。それだけは避けなければならないと勝由は思っている。
決して勝由が弱いわけではない。これまでにも多くのカイイを退治しており実力はある。だが、神に取り憑くカイイとなると話は別で、強さの幅が広すぎるあまり予測が難しく、もし予測が外れて勝由の強さを上回るカイイと相対してしまった場合、前述の通り取り逃がすか最悪こちらが全滅する可能性も出てくるのだ。だから明李には最後まで残っていてもらわなければならない。これまでの道中や前回の神域でのカイイ退治で共に戦い連携を取ってきた中で、どんな強さでも明李なら必ず倒せると確信している。それだけの強さを持つ明李だが体力は無限ではなかった。
明李が動けなくなればほぼ敗北が確定する。しかし早急に神体からカイイを払えば勝利したも同然だろう。そしてそれは確実に満輝を救うことに繋がる。
「わかった! すぐ戻る! 危ねーと思ったら逃げろよ!」
少しの間。少しの間でいいから持ち堪えてくれ。満輝はきっと、この状況で逃げろと言われて逃げられるような奴じゃないから。優しい奴だから。
わかっていたから、心の中でそう祈り、沼に飛び込んだ。
陸で見た通り水は濁り気味で視界が悪い。勝由はぼやける光を目指して泳ぐ。
が、ほんの少し進んだところで急激に水流が激しくなった。流されそうになる体を沈水植物を掴むことでなんとか堪える。
まるで水の流れで作り出した壁のようだ。光はこの先にあるのにこれでは近づけない。だがこの壁のおかげでこの先に神体があると確信できた。大切なものは頑丈な金庫の中に入れるというものだ。
ここを突破できれば戦況は変えられる。
勝由は沈水植物の力を借りて水流の壁に挑む。
この流れの激しい水の中を千切れず生えている植物はどうやらカイイの毒気に侵されていないようだ。枯れた痕すら見られない。
轟轟と唸る水流の中、流れの激しさに進めなくなりこのまま正面突破は困難だと判断した勝由は沼の底まで潜る事にした。
一度水流の壁から距離を取り、流れが比較的遅く静かな場所から潜る。底の水はそれまでの水質と違い、澄んでいて清浄さすら感じる。これがこの沼本来の水なのかもしれない。
勝由は今度こそ壁を越えるべく進む。沼の底でも水流は発生していたが上ほど激しくはない。何度か煽られる度に植物を掴みそれらを伝いながら進むことで、水流の壁の突破に成功した。
しかしここで一息ついている暇はない。息も苦しくなってきた。不老不死のため酸素がなくなっても死ぬことはないが、気は失う。勝由は急いでぼやけて見えていた光を探す。
壁を抜ければすぐ現れた山形のカイイの真下にソレ——淡い光を放つ石はあった。
周りを囲う黒粒子の幕を潜り石へ近付く。石からは黒いオーラのようなものが立ち上っており、カイイとの繋がりができている事が見てとれた。石の発する清浄さとはあまりに不釣り合いな繋がりだ。この石が神体で間違いない、と勝由はカイイを払うため石へ手を伸ばす。
その時、水が揺れた。
はっと振り返った勝由の目に飛び込んできたのは黒い足だ。
勝由はすぐに石を抱えて回避行動をとる。黒い足が空振りした隙に、地上に上がるべく底を蹴り水面を目指す。それを許すまいと黒い足が迫る。
足を取られた弾みに体内に残していた酸素が口から吐き出された。動きの鈍った勝由に黒い足が巻き付く。勝由は、神体の石を絶対に離すまいと両腕で強く抱きかかえた。
黒い足に引っ張られ勝由の体は地上へと飛び出す。全身が空気に触れたことを感じ、止めていた呼吸を再開する。
図らずも地上に出られたのは運が良かった。
「勝くん!!」
満輝の悲痛な声に閉じていた目を開く。
満輝は、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見上げていた。良かった無事だった、と勝由は安堵する。
その隣で満輝とは対照的な強い眼差しを向ける明李に目を遣り、「待たせたな」と言わんばかりに叫ぶ。
「明李ぃぃ!!」
明李が大地を蹴った。満輝は音でそれを感じた。
瞬きをした一瞬のうちに明李は勝由を捕らえている黒い足まで飛んでいた。急激な速度の上昇にカイイは反応出来ず、驚愕に固まる。
「清浄なる光よ 我が手に宿れ」
勝由が何かを唱えると呼応するように勝由の右手の甲に光る模様が浮かび上がる。一方、明李は黒い足を踏み台に遥か上空へ飛び上がる。
「身蝕す闇を祓い給へ!」
石に翳した右手の模様が一際強く輝き、掌から溢れた光が石を覆っていたオーラを消し飛ばすように払った。
オオオ、とカイイから到底声とは程遠い音が発せられる。神体との繋がりが絶たれ、それまでの力を失ったカイイの体の輪郭が黒い粒子となって崩れ始める。そのカイイの真上に迫るのは跳躍した明李だ。右手を強く握りしめ後ろに引き、重力のままにカイイに向かって行く。
「これで終いだ!」
明李の拳が振り下ろされた。
直撃を受けた所から衝撃波を生み、カイイはその体を沼の底の地面に減り込ませた。あまりの衝撃に沼の水が淵へ捌け、底が丸見えになってしまうほどの威力を目の当たりにした満輝は開いた口が塞がらない。
それほどの力を見せつけ満輝を驚かせた当事者たる明李はというと、形を失ったカイイの足から解放され宙を舞う勝由を抱きかかえて少し離れた場所へ着地した。もうカイイが動き出す気配はなく、疲労と、ようやく終わった安心感から一つ大きく息を吐く。
「お前な、オレあいつに捕まってたんだから少しは手加減しろよな! 一緒に死ぬかと思った!」
「止め刺すんだから手加減なんかできるわけねえだろ。それに仲間を殺すヘマはしねえ」
ぐぬ、と勝由は押し黙る。確かにそうだ、あの場面で手加減は必要ないし、現に自分は明李に救われてこうして生還している。明李の腕は信じているし万が一の事があっても不老不死なので死にはしないが、正直なところそんなスリルは味わいたくない。
「あいつ、腰抜かしてるな」
ふと明李が呟いた。
首を傾げた勝由が明李に下ろされながら彼女の見つめる先に顔を向ければ、地面にぺたりと座り込んでポカンと口を開けたまま微動だにしない満輝の姿があった。
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