2021/08/03

Night7:プロムをふみつけて

舞踏会ワルツ〉は特定の拠点を保有しない。

 連絡のほとんどを〈代数能力アルゼブラ〉によって違法に作成されたメッセージアプリケーションで行う。たしか、『Promプロム』と名付けられていたはずだ。

 ロレム・イプサムには電磁気記録に介入して痕跡を隠蔽する能力がもともと備わっているけれど、〈舞踏会〉はあまりその仕組みを信用せず、『Prom』だけを唯一の情報ライフラインにしていた。対能力者における情報イニシアチブを握ると言うのがボスの方針らしいけれど、結構ドン引きする。大人の知恵をつかって子供みたいなことをやっているからだ。


 〈代数能力〉なんて下らない。真面目に働けばいいのにと思う。

 ただし困ったことに、かく言うあたしも今となっては〈舞踏会〉の一員なので、上司の方針に文句を唱えるのは面倒事の種になる。せめてこの経験が就活に活かされることを願うばかりだ。


 就職と言えば、〈舞踏会〉の組織図も確かに多少会社に近い部分はある。超能力者によって構成される幽霊会社みたいな感じだ。

 なんなら会社らしく、社是らしきものもある。『ロレム・イプサムが代数能力を自由に振るえる社会に』という大義名分だ。もっともスローガンというモノの常として、この標語も既にあたしの中では有名無実化している――あたしが〈舞踏会〉に入ったのには、全く別の目的があるからだ。


ところで、〈舞踏会〉の組織構造は単純である。

『ボス』とか『社長』とか呼ばれる正体不明のトップに、トップの意志を伝える何人かの上級構成員、そしてあたしのような下っ端から構成されている。また、下っ端の構成員は『Prom』によって通達される上からの指示に従い、各々が空いた時間に仕事を進める。

 仕事の内容が『野良のロレム・イプサムを監視しろ』とか『何時にこの建物を封鎖しろ』とか物騒なものであること以外は、Uberとかのデリバリーサービスのバイトに近いかも知れない。

〈舞踏会〉は仕事の出来る人間に対しては異常に金払いが良いので、その点においてはあたしの目的にも好都合だった。


〈舞踏会〉の上級構成員――『紙の月』との待ち合わせ場所は江東区にある夢の島記念公園だった。園内に彼の知人が経営するカフェがあるのだという。

 ちなみに『紙の月』というのは『Prom』内でのハンドルネームだ。

“身バレ“を防ぐため、基本的に〈舞踏会〉の構成員はお互いの本名を知らない。物理的な接触も最低限に留める風潮があるから、構成員同士でのプライベートな付き合いがありそうな場合、だいたいその人たちは友人同士だと思っていい――そして、『紙の月』はそういう馴れ合いとは一線を引いている人物だった。

 

 例えば、事後処理担当の『去り手』と呼ばれるロレム・イプサムがいる。『劣化コピー』の〈代数能力〉をつかって壊れた物体の『写し』を作り、〈舞踏会〉の痕跡を隠蔽する役割に就いていた。

 彼は陰気なわりに〈舞踏会〉の面子に対してやけに距離が近く、新しいメンバーが加入すると毎回必ず飲みに誘う(そして飲みの席では全然喋らない)という異様なコミュニケーションを繰り返していたのだけど、この無意味にプライベートをさらけ出す行為は最終的に『紙の月』の怒りを買うことになってしまった。話によるとみっちりと“教育”されたらしい。

『紙の月』の〈代数能力〉はかなりエグめの応用が利くらしく、それ以来『去り手』が新人に対して歓迎会を開くことはなくなってしまった。


 だから、そういうエピソードをあと二、三個取り出せるくらいには馴れ合いを嫌う『紙の月』が――先日、何故かあたしに接触してきたときには、高揚とともにちょっとだけ勘弁してくれという考えが脳裏をよぎった。

 彼は組織の中でも相当上の地位にいる雰囲気があったからだ。もちろん〈舞踏会〉の人数自体はさほどのものじゃないけれど、それにしたって半端な代数能力者では束になっても『紙の月』には敵わないだろう。


 自慢じゃないけど、〈舞踏会〉の構成員は(あたしも含めて)大体めちゃくちゃ強い。あたしの能力は戦闘向きじゃないけど、それでも戦闘手段の一つや二つは確保しているし、上級構成員に至っては戦闘機や爆撃機なんかと同じ規模の破壊が可能なのだという。

 そんな能力を持った人間と会うんだから、緊張して当たり前だ。


 待ち合わせ場所の歌謡喫茶『しんめとり』は、ちょっと前に静岡から東京に移転してきたらしい。店内には古びたレコードから米米CLUBの『浪漫飛行』が流れていて、ちょっとだけあたしと音楽の趣味が似ているなと思う。


 一番奥、店の右角のテーブル。メッセージで告げられた席で、『紙の月』はつまらなそうに煙草を蒸かしていた。神経質そうな三十ほどの男性だ。

 引き締まった体で、手の辺りだけがやけにささくれているから、例えば塩水によく漬かるマリンスポーツをやっているのかなとも思ったけれど、体格が取り立てて大きいというわけでもない。そういえば、あたしの後輩――航くんは人に比べて背が高かったんだなとぼんやりと考えていると、

「〈海馬プリン〉か」

 男が低い声であたしのハンドルネームを呟く。

 あたしは頷いて席に座った。こちらも、看板メニューらしい梅ジュースを頼む。

 するとすらりとした女性の店主がやって来て、グラスを置いてからおもむろにこちらに目を向けた。透き通るような視線。

 何だろうと思ってあたしも顔を上げると、

「貴女折口おりぐちくんの知り合いでしょ? あたし超能力のこと知ってるから、会話とか気にしないでねー」

 一瞬あたしはぽかんとした。

「……仕事をしろ、形部かたべ

 目の前の『折口』さんは溜息を吐いて、店主を手で追い払う仕草を見せた。形部と呼ばれた彼女も肩を竦め、店の奥のカウンターに帰って行く。

「アッハハ! あの美人さん、『紙の月』さんの彼女?」

 あたしは思わず吹き出して尋ねた。

「折口でいい。あと、あれを彼女にするのは相当の物好きだ」

「えー、仲良さそうだったじゃん」

 すると『紙の月』――つまり、折口の表情が更に険しくなる。

「ふざけるな。喫煙可なのが唯一の取り柄なのに、煙草まで不味くなる」

 折口は灰皿に細かく煙草をゆすって吸い殻を落とした。

 神経質な手つきだった。

「大学の腐れ縁だ。だいたい、俺は結婚してるんだよ」

「指輪ないけど」

「妻は死んだ。人前に出なきゃいけない時は、面倒だから指輪は外してる」

「ふうん」

 ちょっと意外な口ぶりだった。妻は『死んだ』のにも関わらず、結婚『してる』という言葉尻に滲むわずかな違和感。常識人に見えたけれど――なるほど、この人も立派なロレム・イプサムと言うわけだ。


「で。用って何? あたし、手のかかる後輩が居るから、早めに帰れそうだと嬉しいんだけどなあ」

「そうなのか? 学生なんて年中暇だろう」

「人呼びつけといてその態度なの、結構真面目にヤバいよオッサン」

「…………」

 折口はパソコンがエラーを吐いた時みたいにいきなり黙り込んでしまった。ちょっと面白いけど年上の自省に付き合う気はなかったので、あたしはさっさと話を進める。

「どうせ〈舞踏会〉の指令でしょ? 言っとくけど、殺しはやんないからね」

「それはわかっている。お前は、〈舞踏会〉に極めて非協力的だ」

 言葉の濾過が終わったのか、折口も視線をやっとあたしに戻した。

「何なら〈代数能力〉を下らないとまで思ってる。違うか?」

「当たり前じゃん」

 あたしは思わず笑ってしまった。

「〈舞踏会〉の大半の奴らは『大手を振って超能力を使える社会を』だの何だの言って頑張ってるみたいだけどさ。その後の社会の混乱を考えたら絶対に秘密にしてた方が良いでしょ。あいつら公民権運動とか習ってないワケ?」

「そういうお前だから頼める任務だよ。力に溺れない人間が必要なんだ」

 折口は囁くように独り言ちて、梅ジュースのグラスを鳴らした。

 そのまま懐から数枚の写真を撮り出し、机の上に載せる。

「こいつらは、公安無記課こうあんむきかと呼ばれる法治組織の要員だ」

「公安って……警察?」

「正式名称は警視庁警備局公安無記四課。要は警察がロレム・イプサムどもを取り締まるための組織だな」

「警察が超能力者知ってるってのがまず初耳なんだけど」

「当然だ。やつらが野良の超能力者相手に出張って来ることは滅多にない。大抵の場合、自浄作用が働くからだ。それでもどうにもならなかった場合や、一般人に危害が加わった場合のみ、奴らが必ず制裁を加えに来る。抑止力みたいにな」

「アッハハ! ロレム・イプサム同士で潰し合わせてるってこと? 番人気取り?」

「番人気取りで良いんだよ。奴らはかなり手強いし、そもそもまず――“正義の味方”によって、常に超能力による犯罪が潰される」

 折口は声を潜めた。

 “正義の味方”――あたしの脳裏に、お人好しをエゴで絡めて煮詰めたような後輩の顔が浮かぶ。


「ロレム・イプサムの軽犯罪はほとんど表沙汰にならない。時々不審事件として新聞に載るくらいだ。何故か解るか?」

「公安の陰謀かな」

 真面目に付き合う気になれない話だった。

 あたしはふざけて返したが、折口は神妙な顔で頷く。

 肩の力を抜くことが出来ない性質たちなのかも知れない。

「それも理由としちゃあるが、そもそも起こる前に潰されてるんだよ。警察でも何でもない、善意の超能力者の手によってな」

自警活動ヴィジランティズムね」

 あたしは思わず笑ってしまったが、その後すっと自分の笑みが消えるのを感じた。

 ヒーロー漫画でしか見ないような奴が現実に?

 在り得ない――少なくともお人好しが三人も四人も居るとは思えない。だが折口はあたしの困惑を感じ取ったのか、更に声の諧調を落として続ける。

「馬鹿げてるだろうが、事実だ。本当に頻度は少ないが、呆れるほど強大なロレム・イプサムが一般人の中から出現しやがる……〈代数能力〉に目覚めたばかりなのに、全てを捻じ伏せられる奴がいるんだ」

 そう呟いて、折口は夢の島の海を眺めた。


「そう言えば、結構前に――立ったろう。スカイツリー。東京タワーが老朽化しているから、新しい電波塔が必要だという名目で」

「それが何?」

「その”老朽化”が、一人の人間の手によるものだと言えば信じるか?」

「……」

 押し黙るあたしに、折口は訥々と言葉を重ねる。

 高揚も羨望もなく、ただ新聞記事を読み上げるように。


「そうだ。たまに、ニュースに対して些細な違和感を覚えることはないか? そういうものは、大体“正義の味方”の起こした出来事だ。例えば東京タワーの老朽化に関わっていたのは、錆を操る〈代数能力〉だった――テレビでロレム・イプサムのことをバラそうとしたアホと対決する時に、電波塔の東京タワーを丸ごと劣化させたらしい。それで結局、全国に電波は流れずに済んだ」

「何それ? それが“自浄作用”?」

「そうだ」

 折口は静かに頷いた。

「当の俺たち〈舞踏会〉も便宜上“正義の味方”には含まれる。〈舞踏会〉の選敵ロジックについてはまだ教えていなかったな」

 かちん、とティースプーンが陶磁器に擦れる音。

 いつの間に注文したのか、折口がコーヒーにミルクを一滴垂らしていた。

「簡単な理屈だ。超能力者が人権を得るためにはまず、超能力者側の優生思想を解決する必要がある。こちらが少数派な以上、有用性を示して社会に参画するしかない。その事実を理解しない人間を、俺達は処分している」

「……処分って?」

「言わせるなよ。能力を用いて犯罪に走るロレム・イプサムを駆除しているってことだ。――」

「それってさ」

 あたしは席を立つ。

 以前ならこんな暴論もギリギリ聞き流すだけの分別はあったのだけれど、今のあたしはちょっとあの子にやられてしまっているのかも知れなかった。

「社会参画どころか、優生思想そのものでしょ。あんま人のコト舐めんなよ!」

 財布から千円札を机に置き、そのまま店から出て行こうとするが――


「俺たちが」


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 autem vel eum  iure repreh  enderit,vel ill  um, qui dolor  em eum fugiat,


 気付くと。

「――善と悪の究極について、論じることのできる立場だと思うか」

 店内が闇に浸されている。

 窓という窓に、何十枚も折り紙がベタ貼りされて、即席のブラインドのように光を奪っているのだ。『紙の月』のハンドルネームの由来、光を折り紙に変質させる〈代数能力〉――厄介すぎる。あたしの■■■■では到底太刀打ちできない。能力発動の「条件」もまだ満たせていない。

 しかも、それ以上に最悪かつ不可思議なのは――

「言っただろ。〈舞踏会〉はロレム・イプサムを駆除する側だ。昼間に能力を使う手段くらいは当然講じてある」

 あたしの首元に、折り紙で作られたクナイが添えられている。


「失望させないでくれ。〈海馬プリン〉――必要なら、俺たちが“正義の味方”にならなければいけない。誰かがやらなきゃならないことなんだ」

 折口は陰鬱な声で囁く。あたしは仕方なく両手を上げた。

「任務の背景くらい教えて貰っていい? 重要なんでしょ。こっちだって命がけだし、知っときたい」

「俺たちの目的には無記課が邪魔だ。奴らもまた、駆除する側に居る……」

 折口の苦無から手を離す。

 それは光を発することなく、ただの折り紙のように床に落下した。

 ――一杯食わされた!

 舌打ち。溜息を吐くと同時に、店内が元の明るさへと戻る。

「いっぺんに何人も追うのは無理。こいつら、手強いんでしょ」

 明るさに慣れない目を抑えながらあたしは尋ねた。

「心配しなくて構わない。お前が監視するのはこの内の一人だ」

「誰?」

夜嘴環よるはしたまきという」

 折口は一枚の写真をあたしに手渡す。多分『去り手』が複製したものだろう。

 写真には、真っ黒なコートとパンツスーツ姿できめた女性の姿が映っていた。

 とにかく黒い。鴉みたいに奇麗な人だ。


「見覚えは?」

「知らない」

「……なら、指示通り夜嘴を追跡しろ。上手くやれよ。能力に振り回されないお前にしか、こういう仕事は頼めないからな」

 それだけを残して、折口は席を立ち、カウンターへと去って行く。

 そうして席にはあたしと飲みかけの梅ジュースだけが残された。

 彼が『しんめとり』の店主に詫びを入れる声と彼女がそれに文句を言う声が交互に目の前のグラスを揺らした。かろり、と溶けた氷がさざめく。


 ……確かにあたしも、彼の言う通り善悪を論じることの出来る立場にはいないのかも知れない。さっきは折口に嘘をついた。

 あたしは、彼女の――夜嘴環の情報を得るため〈舞踏会〉に潜り込んだのだから。

 夜嘴環は、なぜ有動航に近付くのか。それを探る必要がある。

 彼を守るために。


「悪いけど、踏みつけにさせてもらう。〈舞踏会〉」


 自分には似合わないマジな言葉が口から零れたことに、ちょっとだけ自嘲する。

 ひょっとしたらあたし自身も折口の言う“正義の味方”なのかも知れないと一瞬思って――けれどその考えは、簡単に一笑に付すことができた。


 あたしは”正義の味方”なんかじゃない。

 もう、たった一人だけ、その名に値するひとを知っているからだ。

 そして彼は、自分のことをヒーローだなんて思いもしないだろう。

 だいたいあの子は生真面目すぎる。あたしが舞踏会を台無しにしたと言ったら、きっと困った顔をするに違いない。

 

 

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