Night13:砕けぬ背中

 だから俺は、あの時〈代数能力アルゼブラ〉を手に入れたんだと思う。

 人より早く動ける足。バッシュを履くと、手元には文字でボールが形成されて、パスを出すとボールがぶつかった地点まで瞬間移動できる。


 でも、それは航を助けるための力なんかじゃなかった。

 俺が本当に航の友達なら、あいつに怪我を負わせないための力を発現させていたはずだ。

 ……能力の使い方は、手にした瞬間直感的に理解できる。

 航のように自分に無頓着な奴じゃない限り、能力を手にした時自分が何を望んで、世界に何を代入したのかも大体は分かってしまう。


 昔から、やろうと思えば一通り何でもできた。自分のことは、器用で要領も良い方だと思う。唯一苦手だったことと言えば嘘くらいだろうか。

 そもそも生きる上で人を騙す必要もあまりなかったから、いざ嘘をつこうとすると何を言えばいいのかよく解らなくなってしまうのだ。

 でも、ちょっとくらい欠点があった方が生きて行くには楽だ。

 周りが勝手に都合よく解釈して助けてくれる。

 自分を特別打算的だとは思わない。ただ、周りが言うような『良い奴』だとはもっと思わなかった。人は皆基本的に見たいものを他人に見ている。

 なら本当に『良い奴』ってなんだろう?

 そういうありがちな疑問を抱いたまま、俺はぼんやりと日々をこなしていた。

 ホストのバイトをしているのも、多くの人と触れ合えると思ったからだ。

 そういう職業に就けば、一人くらいは『良い奴』を見付けられると考えたけど、結局のところは無駄な試みに終わった。金を払って楽しみに来ているのに、相手のことにまで気を遣えるほど、人間と言う動物はよくできていない。


 つまるところ俺の興味の対象は打算なく人を助ける航だけだった。

 あいつのやっていることがまともじゃないのは、誰にだってわかる。

 だから『自動的な人助け』とやらがどこまで続くのか見届けたかった。

 あいつの傍に居れば、自分の抱いた疑問の答えが解る気がしたから。

 そしてあの日、航が躊躇わず俺の怪我を手当して、その証明は完了された。

 俺の人生で初めて、誰かに、決定的に敗北した瞬間だった。


「俺はあいつに負けたくなかったんだよな。だから、って思ってさあ……でも、心配するよりも先に、友達に負けたくないって思うだなんて変だろ。最低だよ、マジでさ」


 結局航は俺を庇った怪我を押して大会に出て、驚いたことに決勝まで勝ち上がったが――それまでだった。怪我の悪化で不戦敗になり、IHインターハイ3位という記録を得て航の剣道は終わった。

 俺が終わらせてしまった。


 俺たちがアキレスと亀なら、追いつくことのできないアキレスは俺の方だ。

 それでも、航に負けたくはない。あいつは俺の親友で、同時に――俺の初めての『敵』だ。大抵のことが上手く行くのに、航だけが思い通りに行かない。

 海嶋先輩に頼まれたからじゃない。今度こそ、あいつと対等の存在になる。

 何があろうと、最後まで。


「だからあいつに付き合うのは……全部俺のためなんだよなあ」

 俺がそう呟くと、堅吾は「友達付き合いって何だか難しいッスね」と笑った。

 店の奥からは、ちょうど杖を鳴らしながらウトさんが出て来ている。


「待たせたねジャリ共。こっちは問題なさそうだ。伏兵は居ないよ」

「っつーことは、結局『しんめとり』の店主はシロだったんスか?」

 堅吾が訊くと、ウトさんは軽く鼻を鳴らした。

「少なくとも接続症例マルセツじゃあない。折口と個人的な親交があっただけの、野良のロレム・イプサムさね。〈舞踏会〉の構成員なら、ことこの局面で静観している理由もないだろう。今後は無記課の監視下に置く」

 接続症例――耳慣れない単語を不思議に思ったのが顔に出ていたのか、堅吾が

『一般人に手ェ出したロレム・イプサムの別称っスよ』と解説してくれた。

「今ン所上級構成員で残ってるのは二人スね。尾武クンと交戦した女のコと、新宿の喫煙所で有動クンと夜嘴サンを襲って倒された蔵内クラウチサン……『暗闇を移植する』人スね。この人は捕まってたはずなんスけど、いつの間にか脱走してましたね。正直こっちの方がヤバいっす。『記述迷路きじゅつめいろ』を突破出来る方法があるってなると、ロレム・イプサムの収容手順が一気に白紙化されるんで」

 堅吾はこん、と爪でガラスのカップを弾く。

「無記課の工作員が能力で施した『マーキング』も無力化されてたッス。なんで、今僕らに出来るのは、とにかく〈舞踏会ワルツ〉を全員捕まえることッスね。蔵内の方は顔バレしてるんで……泳がせます」

「バカか。『泳がせます』じゃあないんだよ気取りやがってからに」

 ウトさんは堅吾を杖で殴り、そのまま俺の方に指した。

「まァ、一緒に引っ張り出したい奴が居るのは確かだ。今まで徹底的に公安との対決を避けて来た〈舞踏会〉がこうまで派手に動く以上、必ず奴らは仕掛けてくる」

 そう言って帽子を目深に被り、彼女は一言を付け加えた。

「あんたが追っかけてた嬢ちゃんねえ。〈舞踏会〉の親玉かも知れないよ」


 ====


 スカイツリーの足元、押上駅ロータリー近くの喫煙所。

 おれと夜嘴さんは、そこで無記課の『作戦』が始まるのを待っていた。

 単に人払いがされているのかも知れないが、終電も過ぎた駅にはほとんど人が見られない。夜嘴さんは新しいピースを取り出し、ゆっくりと火を点けた。

「〈舞踏会〉のボスを公安無記課はほとんど把握していない。今まで無記課との交戦は徹底的に避けられていたし、こうして一般人に危害が及ぶようなやり方を取ることもなかったからだ。能力者同士で潰し合わせるという方針は無記課と何ら相反するものではなかったから、治安維持にリソースを割いていたというわけだ――しかし、状況は変わりつつある。彼らは既に“正義の味方”であることを止めた。恐らく最も激しい交錯は一瞬で終わるだろう」

 そこまで言って、夜嘴さんは長く息を吐いた。

 煙が喫煙所の底冷えた光にわだかまってやがて消える。

「不安になったかい? 有動くん」

「いいえ。どちらかと言うと、適当な言葉で誤魔化されなくて安心しました」

「ふふふ。安心してくれたまえ、私はきみに嘘をつく気はないよ」

 ピースがち、ち、ち、と夜嘴さんの指の弄びに合わせて光の線像を描く。

「〈舞踏会〉は海嶋円果やきみを追っている。そして〈舞踏会〉のボスもまた、出て来るには今しかない――なら、パズルのピースはここで揃うはずさ」

「今更なんですけど、どうして水族館なんですか? 戦いやすいからとかいう理由じゃないですよね?」

 無記課の要員の詳細は把握していないが、佐備沼さんとの戦いで確認できた、空間を編集できるロレム・イプサムは間違いなく存在するはずだ。

「そう。基本的に場所の優位は私たちにとって関係ない。では、どうして最終決戦の舞台をすみだ水族館に設定したのかと言うと」

「……」

「入館料が高いから」

「何ですか? 何……何が?」

「真顔にならないでおくれよ。いやさァ、公安の金で水族館に行ける機会なんてそうそうないだろう。非常に高いんだぜ、ここの入館料!」

 夜嘴さんは平生と変わらぬ軽薄な笑みを浮かべていた。

 先輩がこの場に居たら手を上げていたかもしれない。


「私見ですが、述べても構わないですか」

「なんだい少年」

「スカイツリーとその周辺の土地は、無記課の管理下にありますね?」

「……なぜそう思う?」

「佐備沼さんの言動から逆算しました。彼はおれをスカウトすると言っていましたが、無記課の損耗率と、彼があの局面で敵だったおれにそんな言葉を投げかけたことからしても、彼も無記課に入った経緯がスカウトだった可能性が高い。加えて、彼が最初におれに見せたフェイクの『条件』」

 佐備沼さんは、最初右腕の包帯を解き、おれに錆びた腕を見せつけた。

 それが彼の〈代数能力〉の条件かと思い、そのまま突っ込んだ結果――実際の彼の条件は、自身が生涯で吸入できる酸素の『前借り』だったので、能力の発動タイミングを見誤って反撃を受けた。

 恐らく錆びた鉄粉をまぶした接着剤なんかを腕に着けることで偽りの「条件」を演出していたのだろうが、何もない所からそう言う発想が出て来るとは考えづらい。よって、元々右腕に隠したいもの――例えば傷跡などがあって、元々そこに包帯を巻いていたと考えた。

「痕が残る外傷には、切傷や刺傷なども挙げられますが、代表的には火傷――特に真皮層を貫通して筋肉まで損傷させる電撃傷でしょうか。加えて彼は酸素中毒や金属に結合した分子の重さの増加と言った科学知識も攻防に織り交ぜてきていたので、日常的に電気を扱いつつ、ある程度理系のリテラシーもある人間の可能性が高いです。つまり彼の元の職業は送電関係ではないかと推測したので……」

 そこまで言っておれは夜嘴さんを見る。彼女は肩を竦めた。

 これは正解の合図なので続ける。

「ここからは仮定の部分も多くなってくるのですが、“正義の味方”が居るとするなら……佐備沼さんはその類の人間でしょう。例えば、電波塔である東京タワーに異変があった時に、それをいち早く察知できた立場にあるなら、何とかしてそれを妨害するんじゃないでしょうか。そして、それを契機にして佐備沼さんは公安無記課に“発掘”されて――」

「彼の事件を収める代わりに、材料として上に提案したんだよ。無記課が直接管理できる電磁気情報送信施設を作った方が良いぞってさ」

 夜嘴さんはくつくつと含むように笑う。

「まったくきみは、末恐ろしい奴だなァ。そうさ……後は概ね君の予想した通りだ。我々は関係省庁として既に構想されていた電波塔建設計画に食い込み、資金源となる代わりに“多少”の便宜を図って貰うことにしたというわけ。いやあ、ロレム・イプサム相手に上手く立ち回ろうと思ったら、こうでもしないとやっていけないからね」

 それに、と夜嘴さんは付け加える。

「墨田区には交通課執行分室と消防庁第七方面本部が設置されている。最悪の事態が起こった場合でも、我々が抱えている拠点の中では――最もマシな対処ができる」

 煙を吐き出し、金縁眼鏡が冷えた照明を向く。


「私は確かにろくでなしだが、公安無記課の役割は市民の安全を守ることだ。本来ならば、きみたちも巻き込む予定ではなかった。私の無能故に、酷な務めを強いていると思う。すまない」

 そう言って煙を吐く夜嘴さんはしおれた煙草のように見えた。

 エキセントリックな言動のせいで勘違いされることも多いが、夜嘴さんも物を考え生きている人間だ。今まで彼女に寄り添おうとした人はいたのだろうか。

「貴女が居る限り、おれは壊れません」

 おれは夜嘴さんから貰ったポケットの煙草を握った。

「行きましょう。おれと夜嘴さんが居れば、〈舞踏会〉は追ってくる。彼らを倒して、先輩のことを聞き出し、彼女を取り戻す。そうすれば、全部元通りだ」

「……そうだね。きみの願いが、叶うといいな」

 夜嘴さんは、おれの耳元をくすぐるようにささやいた。

「ねえ」

 そして、煙草を持っていない方の手を絡めてくる。

 指と指を溶け合わせるように、冷たい左指を一本ずつ。

「夜嘴さん」

「少年。少しだけだ」

 遮るような声が、夜に冴えた。


「少しだけこうさせてくれ。そうしたら私は、何もかもを――」


 ====


 夜嘴さんがこの時、何を言おうとしたのかは結局わからなかった。

 答えを聞く機会も、永久に失われてしまった。

 彼女はあの夜の海辺で、何を探していたのだろう。おれは今でもたまに考える。

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