2021/11/09

Night5:自動的な人々

 最終的に、尾武はおれの荒唐無稽な体験をこう総括した。

「このクソボケ野郎」

「……」

「おい、黙ってんなよ、こら」

 尾武がドクターマーチンのローファーでおれの足を蹴ってくる。痛い。


「お前さ、ヤバいことに巻き込まれ過ぎだろ。ガキじゃねえんだからリスクヘッジ考えろや。お父さん一人なんだろ、心配させたら良くねえって!」

「自分から巻き込まれに行ってるんだから当たり前だと思う」

「お前なあ」

 だが、『危ない』と言うからには、こいつはおれの話を信じているに違いない。

 何故なら――

「尾武も隠してたでしょ。自分が超能力者だって」

 今度は尾武が言葉を詰まらせる番だった。


「隠してたって……そりゃ、ミッシ先輩のこともあるし」

「おれは先輩が〈超能力〉に関係あるなんて一言も言ってないよ」

「カマ掛けたつもりかよ? 悪ィけど、お前を心配させたくなかっただけだ」

「正当な疑問だよ。逆に今のが誘導尋問に聞こえたんだな、お前は」

 やる気のない舌打ちの音。尾武が出したものだった。

「マジになんなよ。何が根拠? 陰謀論かよ」

「お前は海嶋先輩に口止めされてる。違うか?」

「……」

 またしても尾武が沈黙した。

 こいつは隠し事が下手すぎる。

 こんなお人好しがホストとしてやっていけている理由は、世間から想像されるような『女を騙して破滅させる』というイメージとは対極の所にある――致命的に本当のことしか言えないからだ。

 尾武は観念したように息を吐いた。


 ――ミッシ先輩が俺に話しかけて来たのは、うん、一か月くらい前だったかな。

 十月の十二日。スタバの新作の発売日だから覚えてる。

 警察には言ってない。言うなって言われててさ。

 いつもは航と一緒にいるからビックリしたよ。

 何回か顔会わせたことはあるけど、サシで喋ったこと一回もないし。

『航くんのことで話あるから付いてきて』って。

 え? ああ、確かに奢りだったよ。市ヶ谷のルノワールで……

 何でそんなにビックリするんだよ。誰でも後輩には奢るだろ。

 え、お前いつもタカられてたの? ミッシ先輩に? 後輩なのに?

 ……まあいいや。ともかく世間話してたんだけどさ、様子がちょっと変なんだ。

『高校時代は航くんと仲良かったの?』とか、

『今も付き合いはあるんだよね?』とか、

 色々お前のことについて聞いて来るんだよな。

 口許やたら抑えててさ、絶対笑ってたぜアレ。

 それでも聞かれるから答えてたら、急に質問が止まって。

『アンタになら航くんのこと任せられるかも』って、ぼそっと呟いてさ。

 うん。そうなんだ。先輩、たぶん、自分が消えること知ってたんだろうな。

 何だよ、お前、怒らねえの? そっか。

 

 ……ごめんな。

 うん。先輩はさ、ずっとお前のこと気にしてたよ。

『〈舞踏会〉に踏み込もうとしてたら、全力で止めてくれ』ってさ。

 

 そうだよ。あの人、何でか〈舞踏会〉のこと知ってたんだ。

 俺は良く知らないけど、危ない奴らなんだろ。

 そりゃ、関わらないで欲しいよ。

 止められるワケねえのにな。

 うん。お前は、決めたことは絶対やる。

 俺がお前を止められたことなんて、昔から一回もないんだ。

 なあ。止められないならさ、今度はさ。

 俺もお前と一緒に行くぜ。決めたんだ。

 理由は聞くなよ。

 言っとくけど、これ、いつもお前がやってることだからな。

 じゃあ、そろそろ出るか。


 ====


 母はおれが高校一年生の時、クリスマスイブに亡くなった。

 溺死だった。カナヅチなのに水の中に飛び込んだのだ。

 買い物帰りに用水路で溺れている子供を助けようとして、そのまま死んだ。

 子供も助からずに、結局そのまま死んだ。

 その後遺族に何を言われたかについては、あまり思い出せない。

 忘れてしまったのかも知れないし、自分で記憶に蓋をしたのかも知れない。

 父は母との哀別に耐え兼ねたのか、家族に言ったら終わりになるような言葉を何個かおれに投げつけて、それ以来おれの世界はどこか乾いた音を立てて動くようになった。

 父はおれが母を殺したと思っているのだろう。そして、その認識は正しい。

 

 だからおれは沢山台所に立つことにした。

 如何にも子供らしい考えだが、経験を積めばもう皿を壊すこともなくなるだろうと思ったのだ。母が死んだのはおれが皿を割ったせいだ。

 それに、母がいなくなったので、父の分の料理を用意するのはおれの仕事だった。もっとも父はおれが家を出るまでの五年間で一度もおれの作った料理に口を付けることはなかったが、無駄な努力だとは思っていない。


 母は家族目から見ても優しい人だった。

 たとえば自分の子供が料理に使う皿を割っても、笑顔で代わりを買いに出かけてくれるような、道端で困っている子供がいれば迷わず助けてしまうような、愚かなまでの善性を持っている人だった。おれも誇りに感じていた。

 ただ同時に、自分の身を捧げること意外に、他人に優しくする方法を知らなかったのだろうとも思う。


 十二月の川に浸かった遺体はひどく冷たく、やわらかい氷を触っているみたいだった。葬儀のあともずっとその手触りが肌から離れずに、しばらく駐車場の植え込みで一人ずっとはんぺんみたいに白くなった自分の手を見ていた。

 そんな時に、おれを探しに来たのが尾武だ。

 あいつは部活を早退して葬式に来てくれたようで、私物のスポーツバッグとバスケットボールをそのまま小脇に抱えていた。


 夕暮れの駐車場に、空咳みたいなボールのバウンドが響く。

 世界にたった二人きりのようだと思ったことを、今も覚えている。

『おれさ、昔から、この音嫌いだったんだ』

『はあ? 何で?』

『ボールが苦しんでるみたいに聞こえる。母さんが言ってたんだよ』

『お前なあ』

 尾武がおれの手から、鮮やかにボールをスティールする。

 ふわりと襟足が夕日に流れた。あの頃はまだあいつの髪も黒かった。

『バスケ部の前で言うなよ、それ!』

 

 たん、たたたっ、とたん。

 澱みのないドリブルから流れるようなレイアップシュート。

 自然法則のように、ボールがゴール代わりの自販機に吸い込まれる。

 二点取られた。七対二で負けが続く。

 跳ね返ってきたボールを尾武は片手で掴み、こちらに投げて寄越した。

 押されるようにパスを掴み取った。勢いに弾かれて、言葉が出る。

『おれさ、怖いんだ』

『何が?』

『母さんが死んで、人生のかたちが決まっちゃった気がする』

『……お前に責任なんてあるもんか。誰も悪くねえ』

 尾武は軽薄に笑ったが、わずかにその唇が噛み締められていた。

 こいつは嘘が下手すぎる。それでもその嘘の中から夜の光がのぞいた気がした。

 壊れてしまった心の罅からは、その寒々しい光が、結構眩しく見えた。

 きっとおれはあの時から、何にも壊れて欲しくないと望むようになったのだろう。尾武にはそれを肯定されたように感じた。

『誰も悪くねえよ。ほんとだ。一緒に練習する相手がそんなんじゃ困る』

 尾武はもう一度、傷跡をなぞるように言った。

『最後まで付き合え、航』


 ……誰かを助けるのが、悪いことだなんて思いたくなかった。

 だからおれは母の死を思ってしまうよりも先に、

 何も考えずに人を助けることにした。


 そう。自動的に。


 夜の海を泳ぐなら、考えすぎない方がいい。

 そう教えてくれたのは誰だったか。

 瞳の奥から、水の音が聞こえる。


 ====


 東宝会館のカフェから出た後は、〈代数能力アルゼブラ〉が使える夜まで、おれの部屋でゲームをしたり漫画を読んだりして時間を潰した。その間に、尾武はいくつかロレム・イプサム――奴は単に〈超能力者〉と呼んでいる――のことを教えてくれた。

 尾武は何度かロレム・イプサム同士で交戦していたらしく、自身や他人の〈代数能力〉の仕様についてもある程度詳しく知っていたのだ。

 尾武の話を総合すると、以下のようになる。


 ①ロレム・イプサムは夜にしか〈代数能力〉を使えない。

 ②〈代数能力〉を発動すると、書字が身体や中空に浮かび上がる。

 ③〈代数能力〉の発動には「条件」がある。


 この中でも、ロレム・イプサム同士の戦闘では、特に③の「条件」が重要な要素となってくるらしい。

「いいか航。どんなに強い能力にも、必ず使うための条件がある。例えば俺の能力は、俺がバッシュを履いてないと発動しない」

 そう言って尾武は持って来たシューズバッグをぶらぶら揺らした。


「『条件』は物品だったり儀式だったり結果だったり、まあ色々あるわな。俺が見た中で一番面白かったのは、ネットでレスバしないと能力が使えないヤツだったけど……“夜嘴”なら詳しいこと知ってんじゃねえの」


 そう言えば、喫煙所でおれたちを襲って来た男も何故か豆電球を持っていたし、去原さんも偽装の妨げになりそうな奇抜な恰好をしていた。あれは尾武が言ったような「条件」なのだと考えると辻褄が合う。しかしそうすると、同時に新たな疑問が浮かび上がる――おれの〈代数能力〉の『条件』とは何なのだろう?


 日付が変わったころ、おれたちは歌舞伎町のガールズバー〈21〉に足を運んでいた。〈21〉はカジノ風のガールズバーで、キャストと『チップ』と呼ばれる店内通貨を使って簡単なゲームが楽しめるらしい。

 尾武の話によると、一番街ではちょっとした人気店らしく、ジュークボックスやビリヤード台、スロットマシンなんかが上品なレイアウトで配置されていて、ガールズバーという言葉から連想するイメージとは程遠い店構えのように思えた。だが、荷物を預けたあとのエントランスで、尾武は眉を顰める。

「あんまり良い予感がしねえな、この店」

「なんで?」

 おれは尋ねた。尾武がこうやって何かを悪し様に形容することは珍しいからだ。

「こういう『接待』はガルバでやっちゃいけない。法律とか、色々あんだよ……まあ、最近だとキャバなのにガルバの名目で営業してるとこも多いけど」

「犯罪なの?」

「黒寄りのグレーってとこだな。だからこういう所に出入りしてる奴は、当然客層もよくない。……行こうぜ、航」

 尾武がバッシュに履き替えたまま顎をしゃくる。

〈舞踏会〉というのはどう考えてもまともな組織ではない。

 最悪の場合、ロレム・イプサム同士の戦闘もありえた。

 おれはショルダーバッグの中からペットボトルの水を取り出した。

 意識を集中する。脳髄の回路が火花を散らす感覚。


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 書字がボトルの外装にひとりでに刻まれ、水がレジンのように『固まった』。

 ――問題なく〈代数能力〉は行使できる。

 尾武の言う『条件』が何かは解らなかったが、少なくともただちに戦闘に影響を及ぼすものではないと判断した。

 能力を解除し、ボトルの水を鞄に戻しながら責任者らしき人物を探していると、尾武がおれの隣からいつの間にか消えていた。


「どこ行ったんだあいつ」

 こういう時、尾武がいないと困る。おれは慌てて奴の姿を探すが、

「ようこそお客様。お席はお決まりですか?」

 スリーピース姿の女性店員に無言の圧力をかけられ、そのままジュークボックス近くのテーブルへと誘導されてしまう。話を聞くのに金を落とさずに帰ると言うのも、確かに不躾な話ではあると思ってしまったのが運の尽きだった。

「ドリンクはいかがなされます?」

「麦茶で」

「あ、ごめんなさい! 当店フリードリンクやってないんですよ~」

「じゃあレモンサワーでお願いします」


 適当に頼むと、すぐに飲み物がテーブルの上に置かれる。

 卓上にはブラックジャックで使うようなルーレットホールが据え付けられており、その用意周到さがますますおれを暗憺とさせた。

 先輩がこの光景を見ていたら絶対に爆笑していただろう。

 女性店員は紙の『チップ』をおれに配りながら、なおも笑顔で話しかけて来た。

「お兄さん、名前何て言うんですか? あ、体ガッチリしてますね! 絶対スポーツとかされてたでしょ、ラグビーとか?」

「有動航です。スポーツは、剣道を少し」

「ええっ。有動さん、絶対モテるじゃないですか! 顔もシュっとしててカッコいいし、背も高いし。私ファンになっちゃったな~」

 店員はグラスを傾け、おれの顔を覗き込んできた。

 物凄く適当を言われていると思ったし、猛烈に帰りたかったが、この女性も別にこんなことをやりたくてやっているわけではないだろう。

 聞くべきことをさっさと聞いた方がお互いのためだ。


「すみません。今日はお客さんとして来たわけじゃなくて。この人探してるんです。知りませんか?」

 おれはコンビニでプリントアウトした去原さんの名刺を差し出した。

 すると先ほどまで朗らかだった女性の顔から、すとんと表情が抜け落ちる。

「去原くんの知り合いじゃん。ただの客じゃねえのかよ……」

 続けて軽い舌打ち。穏やかではないと思った。

「どういうことです?」

「聞きたいのはこっちだよ。あの人、〈21〉にスロットとか卸してくれてた商社の人なんだけどさ。数日前から全く連絡取れないの。これからクリスマスまで、掻き入れ時なのに困るんだよね」

 女性はスリーピースの懐からホープを取り出し、自分のテキーラに浸してから火を点けた。バーの演出で着ているスーツと相まってやけに様になっている。


「有動くんって、去原くんとどういう関係? 絶対同僚じゃないよね」

「こちらの質問に答えてくれれば教えます。ちょっと危ないので」

「探偵ごっこしないでよ糞ジャリ。こっちは仕事なんだって」

「ごっこを楽しむ余裕もないんですね。この店はそういう場所じゃないんですか?」

「ウザ」

 女性は黙って煙を吐き出す。

 アルコールの気化した鋭い香りが煙に浮揚して消えた。

「質問したら帰って。ドリンク代ぶんしか応えないよ。聞きたいことって何」

「ありがとうございます。じゃあ去原さんに最近変わったことはありました?」

「警察かよ。ウチは真っ当な営業だってば……まあ別に、あの人自身とはそこまで付き合いあったわけじゃないから詳しくは知らないけどね」

 溜息と共に、煙草の火が灰皿に躙り切られる。

「でも、一個変なこと言ってたなあ」

 二本目のホープに火が灯る。

 煙は希望という言葉のように、不確かな足取りで薄暗い照明に紛れてゆく。

「会社のイメージ広告とかで、女子大生くらいの女の子を探してるから、見かけたら連絡してくれって……何か写真も渡されたような気がするんだけど。絶対事案だよね」

「女子大生を?」

「そうそう。で、それきり連絡が取れなくなって。天罰で三週間くらい前に起きた、ほら、葛西臨海公園の地盤沈下あったじゃん。あれに落っこちたんじゃないかとか言う人も言うくらい」

「それは」

 おれは思わず、握っていたレモンサワーのグラスから手を離した。

 そのまま自分の鞄をさぐり、海嶋先輩の写真を探そうとしたが――

「何、いきなり黙って」

「……いえ」

 おかしい。

 鞄の中で大切に保管していたはずの先輩の写真が、


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 文字型の穴でぼろぼろに穿たれている。

 勤勉なタイピストがパンチングカードを打ったような、無惨な痕跡だ。

 ――これが、おれの『条件』なのか?

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