Night4:ホストの踊り方

 結論から言うと、おれの拳はつつがなく男を吹っ飛ばした。

 当然の結果として、奴はうめき声も上げずに昏倒する。

 おれは倒れた猿マスクの猿マスクを引っぺがした。

 物凄く嫌だったが、今回の襲撃について尋問を行う必要がある。


代数能力アルゼブラ〉で奴のネクタイを硬化させ、即席の手錠で拘束する。

 顎から垂れた血を拭ってやりながら内ポケットに入っていた財布を確認したところ、歌舞伎町のガールズバーの会員証・名刺やドン・キホーテのポイントカードなどに混じって中堅どころの商社の身分証が確認できた。

 どうやらこいつの名前は去原学いはらまなぶと言うらしい。

 なんで人を襲う時に身分証なんか持ち歩くんだと思ったが、ホテルに入る時に必要だったのだろう。ロレム・イプサムは写真や動画に映らないから、行動の痕跡が残っても問題ない。むしろ出来る限り正当な手続きを踏んだ方が、警察などに余計なけちをつけられにくいのだ――そう考えると一応の納得は可能だった。


 結局のところ、うだうだ考えた所で、問題は明確だった。

 ずっと、考えないようにしていた。

 夜嘴さんのことだ。右側頭部を吹っ飛ばされているのだ。

 先輩に続いて夜嘴さんまで失わなければならないのだろうか。

 おれはゆっくりと、彼女の倒れていたエレベーターの前へ視線を向けて――


「おはよう有動少年! 見事〈舞踏会〉の刺客を退けたようだね」

 背後から、ぱち、ぱち、ぱち、と熱の籠った拍手。

 いつの間に移動していたのか、演技がかった仕草で、頭を吹っ飛ばされたはずの夜嘴さんが笑っていた。何がそんなに面白いのかマジで解らなかったが、突っ込むより先に、ほんの少しだけ、つんと鼻が熱くなる。


 夜嘴さんは、まだ生きていてくれた。


「マジで、心配したんですけど。ほんとに……」

 彼女の〈代数能力〉は『回復』のらしいが、頭の右半分を吹っ飛ばされてなお無事なのはやはり奇跡的なことのように思えた。

 夜嘴さんは機嫌よさそうに軽く鼻を鳴らす。

「私がやられた途端物凄い顔しちゃってさァ。そんなに怒ってくれてたの?素直な若者はいいね、現代日本社会の宝だよ。あ、きみわたしのデュポンのライター使ったろ。給料から代金引いとくからね」

「……」

 そして同時に思い出した。

 夜嘴さんに対して、人倫とかそういう類のものは期待するだけ無駄だ。


「いつから起きてたんですか?」

 かなり不愉快だったので、おれは去原さん――猿マスクの男に視線を戻した。

「さっき。きみがこの狼藉者をぶちのめした所からだよ。有動選手、見事に挑戦者をKO! シュ、シュ」

 そう嘯きながら、夜嘴さんは下手なシャドーボクシングを構える。

 右フック、ジャブ、右ストレート。

「基本的に〈代数能力〉の規模は接触時間や発動時間に比例するからね。簡単に言うと、個人差はあるが、『強い効果を発動するには、それ相応の時間がかかる』ってコト。私の場合だと、大きな傷を『回復』するには煙草の一服くらいかかる」

 おれはしばらくぼんやりとそれを眺めていたが、彼女もすぐに真似事に飽きたのか、こちらに視線を戻した。

「良かったじゃないか。きみもロレム・イプサムになったんだろ」

その言葉は妙に拗ねているみたいに聞こえた。

これでいて、夜嘴さんには結構子供っぽいところがある。

「そうですね。この能力なら、次は夜嘴さんの盾になれますし」

「うわ、出た。〈代数能力〉はそんなに奇麗な力じゃないって何回も言ってるだろ」

 彼女はかるく肩を竦める。

「そりゃ、きみの能力は確かにヒーローごっこに向いてる。喫煙所でナイフ男に襲われた時も、無意識で能力を行使してたんだろうな」

 夜嘴さんの呟きがカーペットに落ちていく。

 まさかと言おうとしたが、それを否定するだけの材料がないことに気付いた。

 そうだ。あの時――ナイフで刺された感触は確かにあった。

 だがホテルで傷口を診てみると、切創の一つも確認できなかったのだ。

 考え得る仮説は一つ。ナイフの刺突に合わせ、無意識化におれの〈代数能力アルゼブラ〉が発動し――『硬化』した皮膚によって、刃を防いだのだろう。

「だから言ったろ。きみは超能力者だって」

 こちらの思惑を見透かすように、夜嘴さんはほそやかな指でおれの額を小突く。

「閾値を越えた欲望が現実に代入されて、外れ値が出力されたんだよ。まあ、あの時はきみも自らの欲望を自覚してなかっただろうから、能力の起動も限定的になったんだろうけど……欲望は自弁することによって強固に内面化されるからね。そして脳有力はその欲望を叶えるための器官として振る舞う」

「純粋な疑問なんですけど、そういう物言いが好きなんですか?」

 本当によく解らなかったので、おれは聞き返した。


「……異常な強度の欲望は現実を塗り替える。現実の代わりに欲望を入れ込んで、人智を越えた現象を導き出すから〈代数能力〉なんだ。願いを叶えるための力なんだよ。だがそのレベルの欲望を発揮するには、自身の内面を知悉している必要がある」

 夜嘴さんは唇を尖らせて呟いた。この説明はかなり解りやすい。

 おれは頷いて、夜嘴さんに続きを促す。

「ふん。理解力に難のありそうな有動くんにも解るように説明してやるさ……考えてもみると良い。普通に生活していて、”自分の本当の望み”とやらに辿り着くような人間がいったいどれだけ居ると思う」


 彼女の言いたいことは、何となく理解できる。

 おれは、さっき自分が〈代数能力〉で陥没させた壁を見た。

 別にこんな力はいらない。人間は欲望だけに生きる生物ではない。

 幸福とは理性や社会の上に築かれることが大半なのだ。

 おれだって、先輩が隣にいてくれれば別にそれだけで良かった。

 自分の本当の望みなんか知らなくても、大多数の人間は生きていけるはずだ。

 だが、夜嘴さんはそんな”普通”を指を振って否定する。


「〈代数能力〉を獲得するための欲望は、モテたい!勝ちたい!稼ぎたい!って感じのヤツじゃダメだ。それは社会的に強いられたものだからね。むしろ正反対の、夜にしか話せないような、後ろ暗い、個人に深く根ざした欲求が必要なんだよ」


 後ろ暗い欲求。

 スーツにパチモノのクロックスという、奇妙な出で立ちを思う。

 あの猿マスクの男も、そういう欲望を持っていたのだろうか。


「能力のことも含めて、去原さんに聞いてみます?」

「去原? ああ、この男のことか……おいおい、尋問なんて出来るのかい?」

「おれだって嫌ですけど。誰かがやらないとでしょ」

「ふゥん。私にやれ、とは言わないんだね」

「貴女に」

 おれは、顔を上げて夜嘴さんを見た。

「そんなことはさせたくない」

「詭弁だろ。きみ、死ぬほど嫌いじゃないか。暴力」

 夜嘴さんは鼻を鳴らした。そのまま倒れていた去原を引きずって、おれたちの宿泊していた507号室の前まで連れて行く。

「だけどきみは自己中心的だから、他人を壊してまで他人を守ろうとする。そしてそれらの要素は矛盾なくきみを構成している。だから気持ち悪いんだよ、有動くんは」

 507号室のドアがきいと開いた。

「きみに任せておいたらどんなことになるか解ったものじゃない。去原から話を聞くのは私の役目だ。きみには他にやって貰うことがある」

 夜嘴さんはそう言って紙切れをおれに渡す。

 去原さんのポケットから出て来た、ガールズバーの名刺だ。


「私はね。〈舞踏会ワルツ〉のことはあんまり興味ないんだ」

「興味がない?」

「〈舞踏会〉は、世界征服を企む超能力組織ってわけじゃない。小規模な集団クラスタで、かなり積極的にロレム・イプサム同士の抗争に関与したりするが、異常な戦闘力を有していること以外ほとんど情報がない」

「普通すぎますね。都市伝説みたいだ」

 おれは何の気なしに感想を述べたが、夜嘴さんは満足げに頷いてくれた。

「そうなんだよ、解ってくれるかい。彼らは〈代数能力〉を手にした人間の行動として、。だから興味がない。出来ることならなるべく関わり合いにもなりたくなかったんだけどね」

 ぱちん、と指を鳴らす音。


「私は気持ち悪くない人間にはあんまり興味が湧かない性質たちなんだ。その点きみはもう最高だね。エゴエゴしくてぐっちょぐちょに濡れちゃう」

「教えてくれてありがとうございます。本当にそのたとえで大丈夫ですか?」

「……水泳女は〈超能力〉という言葉を残して消えたんだろう? なら、十中八九ロレム・イプサムを追えということだ。見て解る通り、〈舞踏会〉は活発に〈代数能力〉を運用している集団でもある。情報はより情報の多い場所へと勾配する」

 おれの問いを無視して夜嘴さんは続ける。おれも聞かなかったことにした。

 だは確かに、彼女の理屈――〈舞踏会〉の部分――は筋が通っている。

「ロレム・イプサムに詳しいだろう〈舞踏会ワルツ〉を調べていけば、彼らに接触できる。そこから先輩のことを聞き出せる……」

「その通り。確かさ。有動少年の知り合いに、バーとかホストに詳しい子がいたろ」

「尾武のことですか?」

 おれは思わず訊き返した。剣呑な話の最中、予想外の名前が出て来たからだ。

 尾武嵐おだけらん。一応はおれの友人だが、あんまり関わりたくないやつだった。

「そう、あのホスト崩れの子。去原がガールズバーに出入りしていたなら、彼のことを見かけてるんじゃないかい?」

「確かにそうですけど、夜嘴さんを一人には――」

「店に直接問い合わせても警戒されるだろうし、こういうのは人伝手で聞き出すのが一番なんだよ。ホラ、行った行った」

 そう言うと、彼女は有無を言わせぬ口調で去原さんを部屋に引きずって行った。

 最後に見えたのは、ひらひらと振られたピースチョキ

「また夜にね、有動少年。愛してるぜ」

「ちょっと、」

 ばたん。返事する間もなく、扉が閉まった。

 取っ手に手を掛けても開かない。施錠されている。

 無理矢理に開けようとしたが、〈代数能力〉は起動しなかった。廊下の奥を見る。窓の外から光が漏れていた。夜が開けたから、能力が使えなくなったのだ。

 仕方がないので、

「やばくなったら、すぐ連絡して下さい」

 とだけ言って、おれはエレベーターに向かう。

 扉の奥からは、ぱしゃりという水音が返事のように聞こえてきた。

 男の呻き声と一緒に。


 ====

  

 ホテル〈サウザンドイン〉からは普通にチェックアウトできた。ところで夜嘴さんが言っていた、〈代数能力アルゼブラ〉は夜にしか使えないという話はどうやら確からしい。現におれの〈代数能力〉も起動できなくなっている。能力を使用する際の、自身の中に回路が通電したような感覚も既に潮引いており、今おれの中に残っているのは〈舞踏会〉に近付かなければならないという宙ぶらりんの使命感だけだった。


 早朝の新大久保は人通りが疎らだ。底冷えた寒気に肩を震わせながら、『Natural Garden』と書かれた緑色の看板の店を曲がり、南へ向かう。ここら辺の通路は『イケメン通り』と呼ばれており、安い居酒屋や韓国料理の店が雑然と立ち並んでいる。


 ふと、大学一年のクリスマスに、先輩と『イケメン通り』のワインバーに連れて行って貰ったことを思い出した。彼女は下戸のくせに辛党かつ酒乱という異様な嗜好を有していたので、クリスマスの日も『暖を取る』と言いながら厨房にずかずか足を踏み入れ、ローストチキン用の石窯に頭を突っ込みかけたのだ。先輩が焼き鳥になる所を見るような趣味は全くなかったので、その時は頑張って止めた。


 『ダーメだあ。あたし、あたしさ、お酒飲むとメチャクチャやっちゃうから、来年も航くんが止めてよ。絶対だからね、約束ぅ――』

 

 あの時は『約束ぅ』の『ぅ』の部分で先輩が嘔吐したので結局最後まで聞くことはできなかったが、確か今年のクリスマスもどこかに遊びに行く約束をしたような気がする。けれど、詳しいことはもう忘れてしまった。あの時はまだ、約束を忘れても良かったから。

 どうせこの先も、先輩と一緒にいるだろうと思っていたのだ。

 

 もう少し進んで職安通りに足を踏み入れ、夜嘴さんがテキーラと包帯を買ってくれたドン・キホーテを更に南に進む。程なくして、都営大江戸線を抜け、目的地の歌舞伎町一番街まで辿り着く。おれの友人の尾武は、歌舞伎町東宝ビル近くのホストクラブでアルバイトをしていた。どうして大学生なのにホストと二足のわらじをしてるのかと聞いたことがあるが、奴曰く『人と話すのが楽しい』かららしい。

 最初はふざけた奴だとしか思えなかったが、尾武は母親が神奈川の不動産会社の社長であり、彼個人もやろうと思えば三回くらい大学に入り直せるだけの蓄えがあるらしいので、多分『人と話すのが楽しい』という言い分は建前に似た本音なのだろう。実際のところあいつはおれの二十倍くらい友達が多いし、そのお陰でギリギリ留年を免れている。おれなんかよりよっぽど要領が良い男だった。


 待ち合わせ場所は東宝ビルの下にあるカフェチェーン店だった。下から数えて三番目くらいの規模のフランチャイズだが、今日日珍しく喫煙コーナーを備えているので喫煙者の尾武はここを気に入っているのだ。もっとも尾武は煙草を一人で嗜みたいタイプらしく、おれと一緒にいる時にはヤニのヤの字も口にしない。

 カフェに入ると、奥の喫煙席、軽薄に手を振る茶髪の男が目に映る。

「おっ。お疲れ、航! プリン頼んどいたぞ」

 尾武はサングラスを外しておれに笑いかけた。狼にも似た端正な顔だが、笑うと目尻がくっと下がってどことなく愛嬌が仄見える。これにやられる奴は多いだろう。

「尾武さ、営業モード抜いてから来てよ……絶対徹夜で仕事してたろ」

「営業じゃねーって。俺はいつでも航一筋だから」

「それだよアホ。っていうか、待たせて悪い」

「良いって。俺と航の仲だろ?」

 そう言って奴は弾けるようなウインクをかます。

 尾武と会うのにあんまり気が進まない理由わけの一つがこれだった。

 高校生の時におれの母が死んで以来、こいつは過剰におれにベタベタしてくる。

 真心が籠っているのに口に合わない手料理みたいな善意だ。居心地の悪さとむずがゆさを同時に感じさせて、時々こいつの友情に答えられない自分がとんでもなく嫌な奴なんじゃないかと思うことがある。というか、実際薄情だと思う。


 片手を上げて店員を呼ぶ。

「ウインナーコーヒーとレモンティーお願いします」

 去って行く店員を尻目に、尾武が意外そうな顔をした。

「あれ、俺レモンティー飲みたいって言ったっけ」

「お前一限出る時いつも死にそうな顔でレモンティー飲んでるじゃん。好きなんでしょ?」

「確かに、二日酔いん時は毎回飲んでるけど。他店の先輩が言ってたんだけどさ、レモンって二日酔い効くらしいし」

「絶対それ意味もなく騙されてるぞ。尾武さ、後で家来なよ。しじみ汁でも作るよ、半パック冷凍してるし」

「お前」

 尾武が先輩よろしく死にかけのナマズみたいな目でおれを見た。

 結構傷ついたが、いい加減おれもこういう時の対応は身についている。

「……解ってる。”気持ち悪い”は言われ慣れてるから、何も言うな」

「ちげェ~~よバカ。部下にそんな酷いコト言う奴居んのか? パワハラだろ」

「いや、夜嘴さんとか海嶋みしま先輩とかに普通に言われるけど」

「あ”あ”~~、出た、”夜嘴”。ミッシ先輩はともかく、そいつは航の話聞いてる限り絶対にやばいぞ」

 尾武は地獄のようなうめき声と共にカフェのテーブルに突っ伏した。基本的に育ちが良いはずなのだが、この行儀は社長令息的にOKなのだろうか。

「付き合うにしてもソイツは止めとけ......! 絶対ロクな女のコじゃないし、第一名前が超絶に『悪』じゃん! 完全にラスボスのネーミングだろ......」

「人を外見や名前で判断するのは恥ずべき行為だ」

「そうだけどそうじゃねえんだよなァ~」

 死にそうな顔で、尾武は運ばれてきたレモンティーを受け取る。

 おれも尾武が頼んでくれたプリンとウインナーコーヒーを口に運んだ。

 お互いに無言の時間がしばらく続く。


「つかさ。今更だけど、悪ィ」

先に沈黙を破ったのは尾武だった。

「何が?」

「先輩の話題出しちまった」

「いいよ。こっちこそ気遣わせた。今日は元々その話するつもりで来たんだ」

「……ミッシ先輩の?」

 レモンティーのマドラーをかき混ぜる、精悍な腕が止まる。

 ここからの説明をするのは限りなく嫌だったが、仕方がない。


「尾武さ、〈超能力〉って信じるか?」

「宗教? 勧誘ならインスタ上げて良い?」「殴るぞ」

 自分で言うのも何だが、そこまで信用がなかったのかと少し落ち込む。

「いや、見せるのが難しいんだけど、夜まで待って貰って良い?」

「あー……」

 尾武はとうとう、いたたまれないとでも言いたげな表情をおれに向けるようになる。

 完全にドツボに嵌まったと思った。

 こいつの哀れみは最もだ。これ以上説明しても逆効果かも知れない。

 面倒だが、去原さんの出入りしていたガールズバーを直接訪ねるしかないかとおれが思ったその時――


 かしゃり。

 ――シャッター音。

 いつの間にか取り出したスマホで、尾武がおれを撮影している。

 ぶわり、と全身が総毛立つ。

 反射的に立ち上がりそうになるのを、おれはすんでの所で抑えた。

 代数能力者は写真に写らない。それがおれの知るルールだ。

 そして、〈超能力〉の話の後に、自分の写真を撮られた――間違いない。

 尾武は、おれがロレム・イプサムなのか確かめようとしている?


 ……だとすれば、尾武嵐を再起不能にするしかないのだろうか。

 

 おれは目を細め、靴の裏に忍ばせたペーパーナイフ(ホテルから持って来た)の所在をもう一度確認する。

 だが尾武もおれの剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、慌てて、

「落ち着けって。内カメラだよ! お前、警戒しすぎ。超能力持ってるだけで襲われることなんてねェんだから、一旦深呼吸しようぜ、な?」

「襲われたから、こんなに警戒してるんだ」

「え、マジで?」

「いったん整理しよう」

 どうも話が噛み合わないが、ひょっとしてこれはおれが悪いのだろうか?

 確かに尾武がおれに危害を加える気なら、能力が使える夜に奇襲した方が良いように思えたし、大体こいつにおれの能力を把握する術は皆無と言っても良い。

「尾武は、おれに危害を加える気はないの?」

「はあ!? お前の私生活どうなってんだよ? 引くって」

「尾武にだけは死ぬほど言われたくないんだけど」

「嘘だろ、こいつ……あのさあ、色々言いたいことはあるんだけど」

 尾武は溜息を吐いて、内カメラで撮っていたというスマホを裏返した。

 そこには、


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 割れたiphoneの画面いっぱいに、書字の群れが並んでいる。


「改めて、話を聞かせて貰おうか。


 尾武嵐はいつもの調子で、軽薄に笑う。まただ。

 おれの母の葬式が終わってから、最初にこいつが見せたのもこの笑みだった。

 やっぱり尾武とは、あんまり関わり合いになりたくない。

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