第13話 春を招く小瓶(3)

 瑠璃の前を通り過ぎていく少年がいた。手に持ったビニール袋が歩調に合わせるようにガサガサと鳴っている。少年は何かを探しているらしい。キョロキョロと辺りを見回しているのが気になってよくよく見れば、それは見知った顔であった。


「春樹君?」

「あ、瑠璃ねえちゃん」

「久しぶりだね。こんな所でどうしたの?」


 前回春樹と会ったのは一週間程前だ。桜を咲かせる方法を探していたあの日である。


「えっとね、紬にいちゃんのお店さがしてる。あ、聞いて聞いて! あの水あげたらね、桜がさいたんだよ!」

「ええ! 本当に咲いたの!? 流石紬さん。よく分かんないけどすごいな……」


 縁を大切にしている紬の店には不思議が詰まっている。きっと普通の店ではないのだ。客の一人であったが故に瑠璃もそれを感じている。しかし、だからといって季節を超えて桜が咲くというのは流石に半信半疑だったのだ。


「お母さんすっごくビックリしてたし、すっごくよろこんでたよ!」

「そっかあ、それは良かったね!」

「うん!」


 興奮気味に頬を紅潮させ、瞳をキラキラと輝かせ、満面の笑みを浮かべて。抑えきれぬ喜びが手足にまで行き渡り、全身を使って春樹が感動を伝えた。そんな彼を見ていれば、如何に桜を咲かせたかったのかが伝わってくる。紬の言う探しものとは、こういう場合もあるのだと瑠璃は知った。


「それでね、紬にいちゃんにありがとうって言いたくてお店さがしてたんだけど、見つからなくて。ここらへんだと思ったんだけど、おかしいなぁ」

「なるほど~。そういえば今日は一人で来たの?」

「ううん。お父さんといっしょだよ。これからお母さんのおみまいに行くんだ。しゅじゅつね、せいこうしたんだって! お母さんげんきなるんだよ!」


 辺りにそれらしい姿は見えないが、どうやら春樹は父親と一緒らしい。聞けば病院に向かう途中だったが、紬の店がこの辺りだったと思い出したとのこと。少し待っていて欲しいと伝え、一人でここまで来たという。流石にそれは心配をかけてしまうのではないかと瑠璃が苦笑を漏らせば、ちょうど男性の声がこちらへと近付いてきた。


「おーい、春樹ー! どこだー?」

「あ、お父さんだ。ちょっとまっててって、言ったのに」


 目的を達成できていないことに不満を残す春樹が頬を膨らませている。そんな彼に瑠璃が一つ提案をした。


「それじゃあ、私が春樹君と会ったよって、紬さんに伝えておくのはどうかな。お父さんも探してるみたいだし、お見舞い遅くなっちゃうよ?」

「うーん。じゃあ、これわたして! 桜のお礼。おいしいんだよ!」


 少しだけ悩む素振りを見せたが、母親の名を出せば天秤は容易に傾いたようだ。手に持っていたビニール袋を差し出した春樹が、お勧めだからとにっこり笑う。紬の店を探しがてら駄菓子屋で購入したらしい。袋の中を覗けば小遣いで購入したと思われる菓子が幾つか入っている。


「任せて。ちゃんと渡しておくよ。ほら、お見舞い行っておいで」

「うん! 瑠璃ねえちゃん、またね!」


 駆け出した春樹を見送れば、丁度良く曲がり角から男性が現れた。彼が父親なのだろう。春樹は勢いを緩めることなく男性に突撃して抱き着くと、一度瑠璃の方を見て大きく手を振った。不思議そうにしていた男性だったが、春樹が友達とでも伝えたのか表情を緩めてこちらに向かって会釈をする。瑠璃も慌てて頭を下げて、そしてもう一度春樹に手を振り返した。


 二人揃って歩き出した背を改めて見送って、瑠璃は手の中の頼まれ物を見下ろした。ここから神社は近い。せっかくだからこのまま渡しに行くことにしよう。

 いつもの神社を抜けて椿の咲く小道を抜ければ、見えてくるのはよすが堂だ。春樹の身長では椿に隠れて道が見えなかったのかもしれない。艶やかで厚みのある葉が密生しているので、向こう側は見えにくい。


「紬さーん、お届け物ですよー!」

「おや、瑠璃君。今日はどうしたんだい? 届け物?」

「そうですよー。はい、どうぞ」

「何を頂いたんです?」


 首を傾げた紬にビニール袋を差し出せば、阿近と二人で中身を覗き込んでいる。そこにあるのはスナック菓子やチョコレート、グミや飴。ユニークなネーミングや個性あるキャラクターが描かれたパッケージの駄菓子である。


「春樹君からお礼だそうですよ。オススメを選んだみたいです」

「おやおや、それは嬉しいねぇ」

「それじゃあ、せっかくなのでお茶を煎れましょうか」

「お願いするよ。瑠璃君は時間あるかい?」

「私もいいんですか?」

「勿論さ」


 茶を用意しに行った阿近を待つ間に、紬が机の上を片付けている。とはいっても端に避けているだけなのだが、湯呑みを置くには十分なスペースだろう。傍らに置かれた椅子に腰を下ろして、瑠璃も素直に待つことにした。


「これを預かったということは春樹君に会ったのかい?」

「はい、この近くで。桜が見られてお母さんがすごく喜んでたって。手術も成功したそうですよ」

「ほう。それはめでたいじゃないか」


 満足そうに紬が笑っているが、瑠璃はふと疑問が浮かんだ。


「でも、あの小瓶――春水しゅんすい、でしたっけ? あれって何だったんですか? 季節を無視して花を咲かせるって、ドーピング的なスペシャル肥料?」

「なんかその言い方、危ない薬みたいじゃないか」


 横から差し出された湯呑みと共に、呆れたような溜め息が落とされる。


「春水とは文字通り《春の水》だ。春を呼ぶもの、春に焦がれるもの、春を願うもの」

「ううん?」

「時折、山桜が狂い咲きをすることがあるだろう? 今でこそ環境的要因だと考えられるが、昔はそうではなかった」

「あ、この前の狐の嫁入りみたいな話ですか?」

「嗚呼、そうだね」


 紬の話は相変わらず回りくどい。本題が何であったか忘れそうになるが、前回の話に通じるものがあるらしいことは分かった。不思議にまつわる話ということだろう。


「ところで、桜の下には死体が埋まっているなんて話は知っているかな? とある地方の伝承に似たような話があってね、雪女は死ぬと溶けてしまうのだが、その水を桜が吸い上げると狂い咲きが起こるんだ」

「ええと……つまり、雪女は栄養満点?」

「おっと、そうきたか」


 予想外の返答に紬が苦笑を漏らし、阿近が肩を竦めている。そんな彼らの反応を見て、瑠璃は慌てて話題の根本を思い返した。春水の話である。そして、桜の狂い咲きを起こす雪女の話だ。

 つまり、ということは。結び付いた答えに瑠璃が手を打った。


「あの小瓶の中身は雪女が溶けた時の水ってことですか?」

「さて、瑠璃君はどう思う?」


 何とも思わせぶりで遠回りな語りを披露しておきながら、決定的な答えは与えないらしい。くすくすと紬が楽しげに笑っている。こんな荒唐無稽な話を君はどう受け止めるのか。そう問いかけられているようだった。

 本当にそんなものが存在するのかなど分からない。しかし、桜が咲いたのは事実である。狐の嫁入りの話をした際にも答えたが、そもそも瑠璃は頭ごなしにそのような話を否定するつもりはない。


「そうだったらすごいですよね」


 だから、いつか雪女に会えたら面白そうだと好奇心に水をやることにした。

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よすが堂の縁結び とき @fujibayashi_toki

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