3章:桜を咲かせる方法

第11話 春を招く小瓶(1)

 こんにちは、と元気の良い声が店内に響く。


「はーい! お待ちください!」

「おやおや、もしやこの声は」

「紬さん?」


 何やら思い当たる節があるのか、紬はくすくすと楽しげだった。彼の様子に首を傾げた阿近は、それでも客人を優先し急ぎ足で店内へと向かう。

 そうして暖簾をくぐった阿近は、そこに立つ人物に目を丸くした。店内にいたのは客人であるが客人ではない。阿近の後ろから店内を覗き込む紬は、驚くこともなくニコリと笑って客人を迎えた。

 

「やぁ瑠璃君。いらっしゃい」

「紬さん、阿近さん、こんにちは!」


 ネックレスの一件で縁を持った瑠璃はあれから何度か店を訪れている。何が彼女の琴線に触れたのかは分からないが、どうや気に入られたらしいのだ。だからと言って何をする訳でもなく、敢えて言うならば世間話をする程度である。紬の話は胡散臭いが面白いとは瑠璃の言だ。


「おや、雪が降ってきたんだね」

「そうなんですよ。そこまで来たら急にちらちら降ってきて」


 頭に薄らと雪を乗せた瑠璃が頷く。彼女の言葉通り窓の外には雪がちらついており、店先に咲く鮮やかな椿が雪化粧を心待ちにしているように受け止めている。しかし上空に広がる青空を見るに、恐らくすぐにやむだろう。冬ならではの美しいコントラストを楽しむのは別の機会になりそうだ。


「いい天気だと思ってたんですけどね~」

「これは風花だね」

「風花?」

「晴れているのに降ってくる雪のことだよ」


 へぇと感心するように瑠璃は外を眺めた。青い空を背景にちらつく白い雪はすぐに地面には落ちず、風に乗って上へ下へと気紛れに宙を舞っている。そんな光景に既視感を覚え、ふと過ったのは通学路にある桜並木だ。風に誘われるがままにはらはらと散る花弁が眼前に重なった。


「そっか! だから風花なんですね!」

「おや、興味を引いたかな? 狸の嫁入りなんて言う地域もあるようだよ」

「え、狸ですか? 狐なら聞いたことあるけど……」

「天気雨を狐の嫁入りと言うだろう? それに対して天気雪を狸と称しているらしい。まぁ、狐と言えば狸とは安直だが、どちらも化かすものだと考えれば納得でもあるね」

「何で化かす事が天気に関係あるんです?」

「おや、阿近君も興味がわいたかね?」


 確かにと瑠璃が同意して二人揃って小首を傾げるものだから、紬はその分りやすい反応に肩を震わせる。ちょっとした世間話に逐一反応があるのは中々に面白い。


「昔はね、天気雨は不可思議な現象だったのだよ。現在のように多くのものが解明されておらず、至る所に不思議が溢れていた。そういう理解できない事柄を人ならざるもの、例えば神や妖の所為だと考えた。狐や狸に化かされるなんて話はよく聞くだろう? ほら、化け狐とかね」

「成程……。晴れているのに雨が降るという不思議な光景が、狐に化かされたみたいだって事ですか」

「嫁入り行列を真似た狐が人目に触れないよう雨で目眩しをしたなんて説もあるが、いずれにせよ人の理解を超えたものは彼等のような存在の所業とされた」

「へえ、狐の花嫁さんかぁ。あれかな、やっぱり白無垢とか着てたり? 私も見てみたいな」


 阿近は納得したように頷き、瑠璃は好奇心を覗かせて感嘆を漏らした。


「おや、随分素直に受け入れるね。瑠璃君はこういう話を信じるタイプかな?」

「うーん、信じる信じないというよりは何処かにそういうものがいるかもとは思ってますよ。だって誰も見た事がないからって、それが存在しない証拠にはならないじゃないですか。おばあちゃんもよく神様にお供えするってよくお参りしてたし」

「ほう。信心深くて何よりだ」


 妖でも神様でも未確認生物でも、存在しないと決めつけるよりは何処かにいるかもしれないと考えた方が浪漫があるものだ。


「それにこの前テレビで『ついに発見! 山奥で雪男と遭遇!』なんて番組やってましたし。それでですね、もじゃもじゃっとしたものが画面の端っこに映ってたんですよ! あ、あとユーフォーも呼んでました!」

「うん? うん。成程成程」

「それは微妙に違うような……。いや、あってる、のか……? そもそも、それは信仰心なんだろうか。いや、うーん」


 拳を握り締めて瑠璃が力説すれば、きょとりと目を瞬かせた紬が笑みを深めて頷き、阿近が困惑気味に答えを彷徨わせた。

 あのような番組はエンターテインメント要素が強い。楽しむ事も信じる事も否定しないが、根拠としては些か弱いだろう。そもそも、いくら全て不確かな存在とはいえ化け狐や化け狸に始まり、雪男やらユーフォー、果ては神までを同列に扱うのは違う気がする。考えれば考える程に思考が絡まり、難しい顔をして阿近が唸った。


「おやおや阿近君、信仰の形は様々さ。いや、信仰なんて大それた言葉にするからややこしいのか。興味を持つきっかけなんて何でも構わない。そういった娯楽だって馬鹿にはできないものだよ」


 稀に本物が紛れ込んでたりもするしねぇ、と。相も変わらず真意の読めない口振りで、ゆるりと弧を描く唇が言葉を締める。独り言のようなそれを逃さずに受け取ったのは瑠璃だ。思わぬ返答に間の抜けた声を落としその意味を追及せんとしたが、先に口を開いたのは紬の方だった。


「嗚呼、雪が止んだようだね。嫁入り行列を見損ねたんじゃないかな?」

「へ? えぇ……? 流石にこんな住宅地にはいないって事くらい私にだって分かりますって」

「くくっ。さて、どうだろうねぇ」

「紬さんが一々思わせぶりすぎる……」

「この人はいつもこんな感じだよ」


 呆れたように溜息を漏らす阿近を見て、ふと瑠璃が首を傾げた。


「ん、あれ?」


 ふと、瑠璃の視界の端に見慣れぬ小瓶が入り込んだ。そこには確かに何も無かった筈であるが、勘違いだっただろうか。そっと手に取り覗き込んで見れば、透明な液体がちゃぷりと揺れた。


「お洒落な瓶に入った……水?」

「おや。彼女が陽の当たる所に顔を出すなんて珍しい」


 瑠璃の背後から覗き込んだ紬が物珍しそうに目を瞬かせる。


「ふふっ。勿論ただの水じゃない。それは《春水しゅんすい》と呼ばれるものだ。《雪の涙》なんて呼ばれてもいるね」

「紬さん、確かこれ直射日光厳禁って言ってましたよね。奥に戻してきましょうか?」


 先程まで雪がちらついていた窓からは、やんわりと光が差し込んでいる。それが小瓶へも届き、表面をきらりと反射してた。


「いや、構わないよ。彼女が自ら顔を出したんだ。ならばきっと――」


 一瞬の思案を挟んだ紬が阿近の提案を否定する。しかし阿近の言う通り、この小瓶が直射日光を嫌っているは事実だ。普段は布を敷いた箱の中に入れて、陽の射さない倉庫で丁重に保管しているのだから。

 それならば何故。断った紬の真意は直ぐに判明する。


「……ここ、お店?」


 今日も、迷える客人がやって来た。

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