2章:万年筆

第6話 夢見る筆先(1)

 鮮やかな赤へと装いを変えた。そんな紅葉に彩られた小道の奥に、その店はある。存在を訴えるような大きな看板はなく、古びた引き戸の横に“よすが堂”と小さな木札がひっそりと下がっているだけの店だ。その為か客の入りは多くはない。

 本日も接客で中断なんてこともなく、早々に掃除も終えた阿近は手持ち無沙汰に堪えかねて店の引き戸に手を掛けた。

 

「紬さーん。俺買い物に行ってきますけど、くれぐれもサボらないでくださいよ」

 

 店内を振り返り留守を告げれば、返ってきたのはだらりと芯の抜けたような声だ。

 

「大丈夫、大丈夫。ほらほら、君はさっさっと行っておいで」

「そう言ってこの前も店番ほったらかして倉庫に入り浸ったじゃないですか」

「おや、そうだったかな?」


 ひらひらと手を振って送り出そうとする紬をじとりと睨みつけ、阿近はわざとらしく溜め息を漏らした。紬はよく店番をサボるのだ。倉庫に籠ってそこに眠る品々と見つめ合っていることもあれば、ふらりと出かけて何かしらを抱えて帰ってくることもある。迷子ならぬ迷い物。普段の飄々とした態度からは分かりにくいが、そんな迷い物を紬は大層大切にしている。

 だから店番をサボる店主を阿近も形ばかりは咎めるが、実際はさほど気にしてはいない。事実、紬がサボるのは客が来ない時だけなのだ。阿近には分からないが、店の品を求める縁がざわめいたという時には紬は必ず留まっている。

 

「そうそう、今日は迷い人が彷徨っている気がするんだ」

「分かりました。見掛けたら案内しますね」


 だから、紬がこんなことを言う時は必ず客人が訪れるのだ。

 

 

 男の溜め息が街の賑わいに溶ける。急遽休みを取った水曜日。元々期待できるほど有益な情報ではなかったが、それでも空振りに終わった足取りは非常に重い。馴染みのない街並みには知らぬ店名が並んでいるし、走り抜けたバスの行先表示器の地名は読み方すら分からない。心なしかすれ違う人々すら男を邪険にしているように思えた。こうして知らぬ街にまで足を運んで、慣れぬ喧騒に身を包む。

 男-墨田すみだ-はまた一つ溜め息を落とす。己の自覚以上に疲労感は募っていた。


 ふと目に付いたファーストフード店へと誘われるように入店すれば、何処へ行っても代わり映えのない店構えが墨田を出迎える。地域の特色などないそれが却って有り難かった。疎外感が遠ざかり、ほっと息を吐く。百円のホットコーヒーがじんわりと身に染みた。

 

「やっとテスト終わった~。これで自由だよ~!」

「返ってきたら地獄が待ってるけどね」

「もう! それは言わないでってば!」

 

 一息ついて心にゆとりが生まれたのか、不意に隣の席に座る女子高校生の会話が聞こえてくる。自分もテストは嫌いだった。学生時代の記憶を辿り、いつの時代も嫌われ者のテストという存在に思わず笑みが漏れた。偶然聞こえてきた話だ。これ以上無遠慮に聞き耳を立てるつもりもなく、墨田は少しだけぬるくなったコーヒーに手を伸ばした。

 

 さて、これからどうしようか。収穫はなかったが、目的は達成してしまった。一応スマートフォンで周囲を検索してみたが、目的としていた店以外めぼしいものはない。ぼんやりとこの後のことを考えていると、気になる言葉が墨田の耳に届く。

 

「そういえば手袋見つけたの?」

「……ない」

「駅の落し物とかは?」

「なかった。も~、せっかく買ったばっかだったのにさ。片方だけとか逆に諦めきれないっての。朝の自転車とかすっごく手が冷たいのにさぁ」

「中途半端に片手だけ残ってもねぇ。あ、失くしたで思い出した。この前クラスの子たちが失せ物神社?みたいなの噂してたんだよね」

「失せ物神社? なにそれ」

「私もよく知らないけど、なんか探し物が見つかるらしいよ」

 

 声の主は先程の女子高校生だった。距離の近さ故に容易に墨田の耳にまで届いてしまうのだから、一度気に掛かってしまうと意識から弾くのは難しい。子供の噂話に興味を持つなんて、藁にも縋る思いだったのかもしれない。それほどまでに、探し物というキーワードは、今の墨田にとって惹かれるものだった。手にしたままだったスマートフォンで周辺の地図を検索してみれば、それらしい神社が一つある。どうやらそこまで遠くはないらしい。

 

 


 店を出た墨田は悩む。件の神社は帰り道の駅とは反対側にあるようだ。


「神社か……」


 そんな所に行ったからといってなんになる。それでも何もしないよりはマシだ。相反する思考がぶつかり合い、墨田の足はどちらでもない方向へと向かう。店の入口でいつまでも立ち止まっていても迷惑なので、とりあえず歩きだした結果だ。


 しばらくは歩き続けたものの目的は定まらず、おまけにどこへ続いているかも分からない道では足取りは重い。立ち止まって辺りを見渡した時のことだった。


「何かお探しですか?」

「あ、いや、そういうわけでは……」


 声を掛けてきたのは青年だ。咄嗟の答えに迷えば、青年は首を傾げて墨田を窺った。


「慣れない道で迷ってしまって」

「そうなんですか? 俺には何か探している様に見えたんですけど」

「え? そ、そうかい?」

「探し物をしている人って独特の雰囲気があるんですよね」


 不思議なことを言う青年に墨田はドキリとした。探し物をしている。その通りだったから。


「でもまぁ、道に迷っただけというなら……。この辺は入り組んでますし、良ければ駅まで案内しましょうか?」

「それは有難い。手間を掛けてしまうが、君さえ良ければ……あ、いや。この辺に万年筆を扱っている店はないかな? 新品ではなくて、古いものを扱っているような骨董品の店とか」


 道案内を買って出た青年の善意を有難く頂戴しようとした墨田だったが、寸のところで留まって代わりの言葉を持ち出した。青年が買い物袋を下げていることから地元の人間であろうことが察せられたので、土地勘があると考えたのだ。そうであるならば地元民しか知らないような店があるかもしれない。けれど「骨董?」と首を傾げた青年を見て選択を誤ったと思った。いくら地元の人間でもこの青年のように若い世代には縁のないものだろう。やはり駅までの道を教えてもらって大人しく帰るべきかと思い直したのだが、青年からの反応は予想に反したものだった。


「やはり探し物なんですね。それも大切なものであるとお見受けします」

「あ、嗚呼。父の万年筆なんだ。昔に手放してしまったものを探している」

「成程。でしたら当店にお越しください。店主の紬がお力になれると思いますよ。あ、俺は従業員の阿近です」

「阿近君か。私は墨田という。ええと、それで店とは……」


 聞くところによれば、その店というのは骨董を扱っているそうだ。此処で会ったのも何かの縁と、阿近の勧めを受け取ることにした。




 案内されて着いたのは小さな神社だった。参拝客の姿はなく寂しげだが、最低限の手入れはされているらしい。先程地図を調べた際に周辺の神社は一つしかなかったので、ここが女子高校生の会話にも出てきた神社かもしれない。


「もしかして失せ物が見つかるっていう神社かい?」

「ご存じなんですか?」

「いや、詳しくは。さっき女子高生たちが話しているのが聞こえてきてね。せっかくだしお参りしていってもいいかな」

「勿論ですよ」


 二礼二拍手一礼。失せ物にご利益があるというならば、願掛けの内容は決まっている。随分と記憶から褪せてしまった万年筆を思い浮かべて、手を合わせた。


「お待たせして申し訳ない」

「いえいえ、大丈夫ですよ。それじゃあ行きましょうか」

「お願いするよ。――おや、綺麗な紅葉だね」


 待たせてしまった阿近へ謝罪を告げていると、ふと視界の端に鮮やかな赤が映った。お参りをしようと奥まで進んだことで目に入ったようだ。季節の風物詩ともいえる紅葉が、寂しげだった神社に彩りを添えている。

 思わず目を奪われた墨田が、そこに伸びる小道を辿るのは間もなくのことだ。

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