第5話 星空願う守り石(5)
瑠璃の来店から一週間ほど。あのコロコロと表情を変えた少女の賑やかさも、随分記憶から遠ざかっていた。 店内に客の姿はなく、阿近がはたきを手に掃除に精を出す。そんな穏やかな日のことだった。
突然引き戸がガタガタと揺れる。
「おや、豪快なお客人だ」
帳場机で万華鏡を覗いていた紬が愉快気に引き戸に目を向けた。どうやら立て付けの悪さに手擦っているらしい。音ばかりを立てて一向に姿を見せない客人だが、四苦八苦するその声には覚えがあった。
「あ、開いた! こんにちはー!」
元気よく現れたのは、先日客人として迎えた少女である。紙袋を二つ抱えた奇妙な出で立ちで来店した意外な人物に阿近は呆気に取られていたが、すぐに持ち直し道を開けた。
「これはこれは、どうされたのかな?」
「今日は報告とお礼に来ました。ということで、どうぞ! これお礼です。二人で食べてくださいね」
要件を尋ねる紬ににこりと笑って答えた瑠璃は、側にいた阿近に抱えてきた紙袋の一つを強引に預けた。反射的に受け取りはしたものの戸惑いは隠せない阿近が中身を覗き込めば、鼻先をほんのりと甘さと香ばしさ入り交じった匂いが掠めていく。
「焼き芋……?」
「来る途中に売ってたんで!」
奇妙なチョイスだが買ったばかりという焼き芋は温かく、食欲をそそられるのは確かである。紬に至っては今シーズン初焼き芋だと上機嫌だ。
「せっかくだから早速頂くとしよう。阿近君、彼女にも茶を」
「あ、私はちょっと寄っただけなので大丈夫です。ほら私の分の焼き芋はこっちに! 温かいうちにおばあちゃんにも供えて一緒におやつにするんです」
「おや、それはいいね。では先に話を聞くとしようか」
長居する予定はないともう一つの紙袋を見せて、瑠璃は裏へ引っ込もうとした阿近も呼び止めた。紬の座る帳場机の前まで進んだ彼女は紙袋を一度置いて、自身の首元へと手を伸ばす。
「今日はこれを見せたくて」
コトリと帳場机の上に置いたのは、小さなガラス瓶の付いた見知らぬネックレスだ。紬が断りを入れてそれを手に取り、観察するように光に翳してみればガラス瓶の中身がきらりと光る。そこには見覚えのある青が詰まっていた。
「これは……、もしかしてあのラピスラズリかい?」
「やっぱり分かります? 実は紬さんが言って通り、壊れちゃったんです」
きっと丁寧に拾い集めたのだろう。形こそ砕けて細かくなっているが、ガラス瓶の中に収まる欠片は大小様々でそれなりの量がある。美しい星空を留めていた青は今や星屑となっていた。しかし星屑はガラス瓶を傾ければ共に波のように流れ、一つ一つが光を受け煌めいては不規則な反射をその波に溶かしている。不均一な欠片だからこその輝き方だろう。これはこれでとても美しい。
「この前、自転車とぶつかりそうになったんですけど……」
会話に夢中になっていたグループとすれ違った際に向こうのバッグがぶつかり、その反動でバランスを崩したところに正面からやって来た自転車と衝突しそうになったのだという。ところが突如自分の意思に反して体が横へと引かれるように動き、事なきを得た。勢い余って尻餅はついてしまったが怪我はなかったのだと瑠璃は笑った。
「私がなんともないのはネックレスのお陰かもって思って。心配になって取り出してみたら砕けちゃいました」
紬からネックレスを受け取ってから以降、首から下げて過ごすのは不安があった。だからといって大事に家の中にしまっておくのも違う気がして、ハンカチに包んで持ち歩くようにしていた。もしも知らないうちに割れてしまうことになったとしても、ハンカチの中なら大丈夫だろうと思ったのだ。そんなネックレスの無事を確認したくて急いで取り出してみればきちんと形を留めていて。ああ、よかった。まだ大丈夫。しかしほっと安堵したのも束の間、ネックレスは手の平の上でパキンと音を立てた。
「壊れちゃったのはやっぱり悲しくてボロボロ泣いちゃったけど、だけど嬉しいとも感じたんです。これはおばあちゃんが守ってくれたんだなって。紬さんの話しを聞かなかったら、たぶん自分の不注意で壊してしまったんだって凄く後悔したと思う。悲しいって気持ちももっと別な形をしていて、もっともっと泣いたと思うんです。だからね、ありがとうございます」
「ただの老婆心というやつだ。それをどう受け止め、何を思ったかは君自身によるものなのだから礼など不要さ。このネックレスだって君が自分で考えてこうしたのだろう? 形は変わってしまったが、私はとても美しいと思うよ」
「ふふ、そうでしょう! 自信作なんですよ!」
瑠璃はとても晴れやかに笑った。
*
言いたいことを言い終えると焼き芋が冷めるからと瑠璃は早々に店を出ていった。また遊びに来ると言い残していった彼女に、阿近が奇妙なものを見たとばかりに難しい顔をしている。
「彼女がまた来店するとは思いませんでした。探し物がなければ店への道は繋がらないはずですよね?」
「そうだねぇ。けれどごく稀にこの店自体と縁が繋がる人間もいる。彼女は本当に遊びに来るかもしれないね」
「この店と、縁が?」
「つまり住人である君とも」
「俺とも……?」
ゆるりと持ち上げた紬の指先が阿近の鼻先に伸びる。楽しげに細められた金茶の瞳を見つめ返しながら、阿近は去ったばかりの少女の姿を思い浮かべた。彼女と縁ができたからなんだというのか。何が変わるとも思えなかったが、紬はそうではないらしい。
「きっと彼女は、均衡を保つことしかできない私に代わり君に変化を与えてくれる。それは君が自身を知ることに繋がるだろう。そうしたら君の探し物だって見つかるかもしれない」
「俺には彼女にそんな力があるようには見えませんでしたが……」
「うん? 別に特別な力があるとか、そんな話ではないさ。ただ外からの刺激というのは存外影響力があるというだけのこと」
「そういうものですか?」
「そういうものさ」
劇的な何かが起こるわけではない。要は交友関係が広がれば視野も広がるというだけのこと。阿近が納得しきれていないことには気が付いていたが、紬はクスクスと笑うだけだった。
「勿論焦る必要はない。けれど停滞はするな。どれだけ緩やかであっても時の流れが完全に止まることないのだから、置き去りにされないようにしなさい」
さぁ、そろそろお茶にしよう。パンと手を打った紬が半ば強制的に会話を断つ。焼き芋が冷めてしまうと茶を促せば、諦めたように肩を竦めて阿近は店の奥へと消えていった。
一人残された紬は頬杖をつき、自らが終了させたはずの思考をもう一度拾う。均衡を保ち続けることは難しく、変化を与えることもまた難しい。それらを両立するは尚難しい。
この縁が彼にとって良いものになるよう、切に願う。
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