第2話 星空願う守り石(2)

 木組みの格子窓が目を引くそれは、よく言えば趣があり、悪く言えば古い。重ねた年月だけ深みを増した古色が美しい木造建築だ。私有地なのか周囲に他の建物はなく目の前の建物だけが視界に映る情報の全てとなっていたが、それ故に不思議な感覚を覚える。この空間だけ時の流れから置き去りにされたような。或いは郷愁を閉じ込めたような。ありふれた住宅街の風景との差異を実感すればするほど、現実感が遠ざかっていきそうな空間だった。


 先程紬は自らを店主だと言った。店主ということは、あの建物は家ではなく店ということなのだろう。よくよく見れば引き戸の横に“よすが堂”と書かれた小さな木札が下がっている。しかし店だというのに主張はそれだけだ。屋根に大きな看板が取り付けられているわけでも、店頭にウェルカムボードを置いているわけでも、ノボリ立っているわけでもない。中を覗こうにも格子窓の向こう側は薄暗く不明瞭だ。唯一目に留まったのは戸に貼られていた墨で書かれた半紙である。


『失せもの、探しもの有り〼』


 貴重な情報源である張り紙ですら情報不足で、瑠璃は綴られた文言を見て小首を傾げるしかなかった。


「失せもの、探しものって『品揃え豊富で何でも揃うぜ!』的なやつ? え、でもそれって何屋さんなの? 本、文房具、雑貨、家具……。うーん、服って感じじゃないし、まさか食べ物でもないよね」


 貼り紙を見て、店構えを見て、また貼り紙を見る。取り扱い商品の手掛かりはやはりどこにもなくて、瑠璃は適当に思いついたものを挙げてみたがどうもしっくりこない。答えを求めて紬を見上げれば、彼は「これは難しい質問だ」と勿体つけるようにわざとらしく眉根を寄せた。唸る瑠璃を面白がっているのは明らかである。


「うちはそういった専門店の類ではないが、けれどそのどれをも扱っていると言える。敢えて言うなら骨董屋だろうか」

「いや、漠然としすぎて余計分からないんですけど」

「おや、そうかい?」


 紬が悪びれた様子もなくクツリと笑い、例えばこういうものを扱うのだと抱えたものを軽く持ち上げてみせた。それは彼が先程神社から持ってきたものだが、どう贔屓目に見ても欲しがる人がいるとは瑠璃には思えない。割れた手鏡など誰が欲しがるのだろうか。そもそも拾ったものを売るのはありなのか。いや、それよりもあれは骨董品になるのかと、考えるほどに分からなくなってくる。数珠繋ぎに浮かぶ疑問は答えが得られず長くなっていくばかりだが、強制的に断ち切ったのもまた紬だった。


「ほらほら、いつまでも店先に突っ立っているのは如何なものか。どうぞお嬢さん」

「あ、はい。ええと、お邪魔します?」


 ガタリと立て付けの悪くなった引き戸が、音を立てて瑠璃を迎え入れた。促されるままに一歩。自然光を頼りにした店内は奥に行くほど少し薄暗いが、商品ヲ眺めるのに不自由はない。物珍しさもあり落ち着きなく店内を見回せば、骨董品を扱うという言葉の通り確かに古そうなものが並んでいた。壺、掛け軸、ランプ、蓄音機、飾り箪笥、カセットデッキ、マフラー、玩具のロボットなんてものまで。思わず首を傾げてしまう品も多々あったが、どれもかなり使い込まれた物のようだ。

 店の最奥にある畳敷きの小上がりには帳場机、その背面には沢山の引き出しが並ぶ百味箪笥が置かれており、そこが店主の居場所であることは明らかだった。小上がりの横には暖簾の掛かった通路が伸びおり、こちらは居住スペースにでも繋がっているのかもしれない。


阿近あこん君、戻ったよー。それとお客人だ」

「あ、おかえりなさーい」


 誰かがいたらしく、紬が暖簾の向こうに帰宅を告げればすぐに返答が返ってくる。彼がそのまま帳場机に持って帰ってきた品々を並べていると、間もなくして暖簾が揺れた。


「へぇ、珍しいですね。紬さんがお客さんを連れてくるなんて」

「あまりにも熱心だったから気に掛かってしまったのさ」


 経でも唱えてるようで面白かったからと、瑠璃を見る紬の視線は遠慮の欠片もなく楽しげだ。暖簾の向こうから現れた男、恐らく彼が阿近と呼ばれた人物だろう。大学生くらいに見える彼はパーカーにジーンズというラフな出で立ちで、和服姿の紬とは随分対称的である。その彼からの視線も受け止めることとなり、瑠璃は恨めしげに紬を睨めつけた。


「彼は阿近君。助手のようなものだ」

「助手と言えばかっこよくなるとか思ってません? やらされる事大体雑用ですからね? ――従業員の阿近です」

「あ、ええと、瑠璃です」


 紹介された阿近はその内容にジトリと紬を見遣り不平をぶつけてから瑠璃へと向き直った。瑠璃に続き阿近からも穏やかではない視線を送られることとなった紬は、それでも他人事のようにやれやれと肩を竦めどこ吹く風である。


「ほう。お嬢さんは瑠璃というのか」

「あれ? そういえば言ってなかった、かも?」


 阿近に続いて自らも名乗った瑠璃だったが、反応は思わぬところから返ってきた。紬である。声を掛けられてそのまま此処へと連れてこられたから、名乗るタイミングを逃していたのだ。


「それにしても……」

「ふふ、随分とヤンチャなお嬢さんだろう?」

「……ヤンチャ? え、私のこと?」

「ちょっと待っててください。あ、その前に頼まれてたものです」

「嗚呼、すまないね」


 小さな木のトレーを紬に差し出すと、阿近は再び店の奥へと引っ込んだ。瑠璃が何となくその背を見送っていると、チャリと金属が擦れる音が耳に届く。音の出処は紬の手元だ。誘われるままに視線を移せば、トレーから持ち上げられたそれを見て彼女は目を丸くした。


「あぁぁぁっ!」


 張り裂けんばかりの叫びが店内に響く。そのあまりの声量に堪えかねて紬は眉を顰め、奥に引っ込んだはずの阿近は何事かと顔を覗かせた。


「お嬢さん、もう少し声量を抑えてくれ。耳が痛くて敵わん」

「一体何を騒いでいるんですか。向こうまで届いてますけど」

「ご、ごめんなさい。でも、それ! それ私のかも! どこにあったんですか⁉」

「これは今朝庭にやって来たカラスの足に絡まっていたものだ。飛び辛そうにしていたから、そのままにしておくのも可哀そうだろう? だから外して、泥落としを阿近君に頼んでいたのさ」


 真新しい傷や欠けはなさそうだと、検分しながら紬が告げる。その言葉に心底安堵したと胸をなでおろした瑠璃が、見せてくれないかと感情をそのまま叩きつけるように両手を机に叩き付けて身を乗り出した。衝撃で机の上のランプがカタカタと揺れ、ぬいぐるみはコテリと倒れる。押し寄せる興奮の波から逃れるように紬は後退った。


「それは構わないが……。その前に阿近君」

「はい。――どうぞ」

「私に? 何で濡らした手拭い?」

「おや、気付いていないのかい?」


 阿近が差し出してきた手拭いを訳も分からぬまま受け取り、勧められるまま側にあった卓上鏡を覗き込む。そして、瑠璃は悲鳴を上げた。


「な、なな何これー!」


 鏡に映り込んだのは頭に枯れ葉を引っ掛け、頬を泥で汚した自分自身の姿だ。慌てて枯れ葉を引き抜き、乱れた髪を手櫛で整え、手拭いで頬の泥を拭い取った。よくよく見ればワイシャツにもカーディガンにも汚れを見つけたが、ここではどうしようもない。何故こんな事にと疑問が浮かぶも、己の行動を振り返れば原因は明白だった。


「ちょっとした興味なのだが、お嬢さんはどんなヤンチャを?」

「……木登りです」

「き、きの……木登り。ぶふっ」

「別に趣味とかじゃないから勘違いしないでくださいよ⁉」


 流石に予想外だったと紬が堪えきれずに吹き出した。阿近も口元を押さえ顔を背けているが、笑っているのは一目瞭然だ。瑠璃だって逆の立場なら笑っていただろうし、冷静に考えれば高校生にもなって木登りはないと自分でも思うが、必死だったのだ。


「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」

「ふ、くくっ。――いや、失礼した」


 空気を切り替えるようにクイと眼鏡を押し上げて、紬は金茶の瞳をスゥと細めた。ランプの光が反射して不思議な輝きを帯びている。


「さて。流石に宝飾品を『私が落としました』『はいどうぞ』と渡すわけにはいかないからね。よければお嬢さんのネックレスの話を聞かせてもらえないか?」


 それは星空を閉じ込めたようなラピスラズリのネックレスに込められた願いの話だ。

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