第3話 星空願う守り石(3)

「私、昔から運が悪かったんです」


 何も無い所で転ぶし、落ちるし、ぶつかるし。当時を思い出し重くなる心に比例して落ちていく視線は、やがて己のつま先を捉える。瑠璃は一度深呼吸をして、組んだ指をぎゅっと握り締め再び口を開いた。


「ある時、同級生の子に言われたんです。瑠璃ちゃんと一緒だと嫌な事が起こるから遊ばないって」

「ふむ。子供は時に残酷だからねぇ」

「それが悔しくて、悲しくて。私だって好きで転んでるわけじゃないのにどうしてって。それでおばあちゃんに泣き付いたんです」


 涙が止まらなかった。私だって一緒に遊びたいのにどうして駄目なの。けれど分かってもいた。

 とある同級生が瑠璃と一緒に階段を一段踏み外したことがあるのだ。低い階段一段。幸い尻餅をついただけ。うっかりしちゃったねと笑いあえたかもしれないささやかな失敗だった。しかし片方が瑠璃であったことが災いした。彼女と一緒にいたから転んだのだと。きっと彼女に起こる嫌なことが移ったのだと。その同級生はボロボロと泣いた。階段を踏み外したことによる驚きや気恥ずかしさ、そういったものが彼女への忌避へと置き換わったのだろう。そんな子供の感情が周囲に伝染するのは、あまりにも早い。


 瑠璃の両親は共働きだったため祖母と過ごすことが多く、彼女が何かを打ち明ける相手は決まって祖母であった。皺だらけだけれど温かい手のひらが、背を撫でる度に悲しい気持ちを消していく。溢れてくる涙を引っ込めてしまう魔法の手だった。


「それから暫くて祖母がくれたのがネックレスだったんです」


 深い青色の中に金が散る。星空を閉じ込めたような丸い石が付いたネックレスだった。


『これはラピスラズリ。瑠璃石ともいうんだよ』

『瑠璃? わたしとおんなじだ!』

『そう、瑠璃ちゃんと名前がお揃いね。これは悪い事から守ってくれるお守りなのよ』

『おまもり? じゃあ、もうイヤなことおきない?』

『ええ、きっと』


 大事に持っていなさいと祖母はそれを瑠璃の首に掛けてみせた。鏡に映った自分は首元をキラキラと輝かせ、いつもよりも大人に見えて、高揚したのを覚えている。しかしお守りといっても流石に小学校に着けていくことはできない。二人であれこれ悩んだ結果、お守り袋の中に入れて首から下げることにした。万が一ばれたら二人で怒られようかなんて内緒話をしながら。


 お守りを持ち歩くようになってからというもの、不思議と不運に見舞われる回数が減り、いつの間にか友達も増えた。あの日一緒に階段を踏み外した同級生とも仲直りできた。涙ではなく笑顔を祖母への土産にするようになっていったのだ。祖母が亡くなるまで、そして亡くなってからも、いつだってお守りは瑠璃と共にあった。


「ネックレスを失くしたのは三日前。カラスに取られちゃっんです」


 スゥと一息ついて、瑠璃はその事実を告げた。しかし特に反応は返ってこない。てっきり先程のように笑われると思っていた。下がりがちだった視線を上げて紬を窺えば、予想よりも遥かに真剣な眼差しが瑠璃を見つめている。もう一人、阿近はといえばこちらも笑う様子はない。黙することに徹するつもりのようで、静かにその場に控えているだけだった。


「成程ねぇ。だから木登り、か」

「カラスの巣を探したら見つかるかと思ったけど、やっぱり見つからなくて。今日も駄目で……。それで、ふとクラスの子が失せ物探しにご利益のある神社があるって話してるのを思い出したんです」


 そうして紬に会ったというわけらしい。




 ふむ、と顎に手を添えて紬は考える。散々探し回った瑠璃には残念な知らせだが、今の時期のカラスは林などのねぐらで集団生活だ。持ち去ったカラスの巣を求めて住宅地を探しても期待はできないだろう。わざわざ伝える必要性はないので口にはしないが。

 しかし彼女のその熱意が紬との縁を結び、そして途切れかけたネックレスとの縁を手繰り寄せている。想い想われ縁は続くもの。彼女の想いの強さは本物だろう。沈黙するラピスラズリが輝きを増したように見えた。


「――このよすが堂はね」


 瑠璃が口を閉ざした隙間を埋めるように、紬がゆっくりと切り出した。彼が店内に並べられた品へ順に視線を巡らせれば、釣られるように瑠璃もその視線を追う。


「様々な理由で持ち主の手を離れてしまったものたちが、再び持ち主との縁が結ばれることを願って集まる場所だ」

「……縁?」

「そう。縁だ。縁結びと言えば人間関係、取り分け恋愛成就を思い浮かべる人間が多いだろう。けれどね、物との結び付きというものも存外強いものだ。思入れの深さとでも言えばいいだろうか。そういうものは不思議な引力が生まれる」


 ネックレスの乗せられたトレーの縁を労うように、紬の指がそっと撫ぜた。


「つまり、このラピスラズリが此処に迷い込んだのも、お嬢さんが今此処にいるのも必然ということだ」

「じゃ、じゃあ! ネックレスは返してもらえるんですか⁉」


 先程までとは一転して表情を輝かせた瑠璃が、期待に満ちた様子で紬に詰め寄る。散々探し回ったネックレスがついに見つかった。手の届くところにあるのだと。興奮が手に取るように伝わってくる。

 しかし紬はその熱意に吞まれる様子はなく、先程のように仰け反って逃げてみせる素振りもない。違和感を覚えるほどに静かな佇まいで、二人の温度差が際立った。


「あの……」


 流石に瑠璃もおかしいと感じたが、紬は俯いて何かを考え込んでいるようだ。その視線はネックレスに注がれているように見える。一体何を見ているのだろうか。瑠璃は不可解な沈黙に居心地の悪さを覚え阿近に救いを求めるが、彼は本当に口を出す気がないらしい。


「ええと、紬さん……?」

「ん? 嗚呼、失礼。勿論お互いが望むのならば返すのは吝かではないよ。けれど、お嬢さんには決断が必要だね」

「それ、どういう意味ですか?」


 話し掛けづらい雰囲気ではあったが、思い切って話し掛けてみると意外にも簡単に紬は視線を上げた。そんな彼から返ってきたのは欲していた答えである。

 しかしそこに付け加えられた不穏な言葉に、瑠璃は表情を曇らせた。ネックレスが返ってくるのは喜ばしいことのはずなのに、胸がざわついて仕方がない。問い返した声も緊張で僅かに震えていた。もしかして金銭でも要求されるのだろうか。瑠璃の想像力ではこの程度の可能性しか思い付かなかったが、これまでに紬が告げた内容を思えば恐らくはそうではない。ならば別の何か。それを知る紬の表情には相変わらず変化はなく、彼の様子から真意を探ることはできなかった。


「お嬢さんはこのラピスラズリをとても大切にしているようだが……」

「あ、当たり前です! これはおばあちゃんに貰った大切なお守りで、これのお陰で嫌な事が起きなくなったんですから! 私の大切なお守りなんです!」

「ラピスラズリもお嬢さんを大切に思っているようだし、込められた祖母君の願いも強い。では聞くが、祖母君から貰ったことと、厄除けのお守りであること。お嬢さんにとってより大事なのはどちらかな?」

「……え?」

「おや、違いが分からないって顔だね。けれど重要な事だ。きっとこのラピスラズリはお嬢さんの手に戻った時、――砕けるだろうからね」


 予想もしなかったその言葉の意味を、瑠璃は理解できなかった。

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