07 今日

「……そうや、折角やし、わて、宗拾そうじゅう土産みやげェ渡しまひょ」


「土産、ですか」


 利休さまはどこからか取り出したのか文房四宝(紙、筆、硯、墨)を並べて、さらさらと書き始めました。


「宗拾はんは、その言う、きょうえねん。せやから……」


 曽呂利そろり

 そう書いた紙を渡して寄越しました。


「……関白のお心遣いが有っても、何や思いつめて宗拾っちゅう、わての弟子がるかもしれへん。せやから、こう名乗っとき。わての弟子なら、わての土産て分かるはずや」


 その時からでございます。

 私が、曽呂利そろり新左衛門しんざえもんと名乗るようになったのは。

 坂内宗拾という名は、関白さまの御伽衆となるために僧形そうぎょうになったので、名乗った名でございます。

 鞘師さやしとしての俗名は杉森新左衛門と申しておりまして、そしてこの頃、関白さまはすてさまや唐入りにとお忙しくなり、御伽衆はあまりお求めにならないので、致仕しよう、つまり辞めようと思っておりました。ですので、折角、利休さまからいただいたのだから……と名乗りに変えたのでございます。


「せや、たなで待っとるあのお方にも、名ァあげたろ。曽呂利、悪いけど、これ、渡しといてェな」


 利休さまは新たな紙に、さらさらとまた、を記されました。

 その時、ぶつくさと、村の出だといちいち気にしくさって、関白かて村の出やねん、と呟いておられたのを、よく覚えています。


 ……長くなりましたな。

 実は、鞘は出来ております。

 こちらに。

 ……ええ、それはもう、御佩刀にと合う鞘でございます。











 曽呂利新左衛門どののてる茶は、そしてそのはなしは、とてもみ入るものだった。


「……しかし、どうして今さら、拙者にその噺をされたので?」


 曽呂利どのはくすくすと笑われて、それから言った。


「そりゃあもう、今、貴方はその名を名乗られているのでしょう、今さら」


「……これはしたり」


何故なにゆえぐに名乗らなかったので?」


「そういうことをせんでも、拙者はやっていける、信州の片田舎の村の出ということを、そこまで卑下しないでやれる、というのを示したかったのでござる」


 つまりは意地でござる、と拙者は付け加えた。

 紆余曲折あって、人質として大坂へ移った時、田夫野人とからかわれていたところを、「何やねん、秀吉かて田舎者やで」と一喝して救ってくれたのが利休さまだった。

 礼を言うと、利休さまは「何、きょうが面白いねん、興味ィを持っただけや」と返した。

 しかしその後、何くれとなく世話を焼いてくれた。


 そうこうするうちに。


 利休さまは切腹と相成った。


 関白さまが利休さまに切腹を申し付ける際に、首斬り役を買って出たのも、せめて最期は拙者がと思うたからだ。

 けれども関白さまは「信繁、おみゃあの気持ちは分かった。しかし、おみゃあが利休の弟子たちから恨みィ買うのは本意ではない」とご配慮していただいた。


「……そういう経緯いきさつがあったのですか」


「ええ」


「するとなおさら、何故、、それを名乗りなさるので」


「意地を張るのも、もういいだろうと思いまして」


 もう……利休さまの弟子が、豊臣家が、という時代は終わった。

 それに、もう村の出だの田舎者だの何だの言われても、気にならない。

 拙者は茶をそこまで出来はしないが。

 今なら。


「今こそ……利休さまのように、生きて……そして死んでいく……そういうことが出来るかと思うて」


然様さよか」


「…………」


「驚かれましたァか。この曽呂利もまた、堺の産や。これぐらいは泉州言葉を。せやから、敢えてこの言葉ァで申し上げまひょ」


 曽呂利どのはと微笑んだ。


「ご武運を、。生くるも、死ぬも、の思うとおりにやりなされ。利休さまの好きやったきょう、響かせたれや」


「……かたじけない」


 拙者もまた、利休さまのきょうが、好きでござった。











 ――こうして、真田幸村さまは大坂の陣にかれました。


 その生き様は、利休さまと同様に、私にとって、とてもとてもみ入るものでした。

 ゆえに、語ることにいたしました。話すことにいたしました。

 今日、こうしてこのはなしをすることは、そんな、私のきょうを読むようなものでございます。

 あなたにも聞こえましたでしょうか、否、読めましたでしょうか。

 、を。


 ――おあとがよろしいようで。











 曽呂利新左衛門。

 鞘師であったが、その当意即妙な頓智により、豊臣秀吉に御伽衆として召し抱えられる。やがて市井に戻り、その後、落語を始め――噺家の祖として伝えられる。


 真田信繁。

 「真田日本一のつわもの」として後世に名を残す名将。その名は何故か、本名の信繁ではなく――として巷間に流布する。

 それは、当代一流の噺家が伝え話したからかもしれない。






【 「きょうを読む人」 了 】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きょうを読む人 四谷軒 @gyro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ