06 跫

「――そろそろ、入ったらどうや」


 突然、利休さまはそうおっしゃいました。

 私には、何が何だか分かりません。

 もしや、利休さまは先約があって、その先役の誰かがいらっしゃり、その誰かを茶室で待っていたのかと、腰を浮かせました。


ちゃちゃう、ちゃいまっせ。関白を恐れて、誰もよう来ませんわ、こんなとこ。せやから……分かるやろ? 関白の、最後のご厚情や。ありがたく受けまひょ」


 それが宗拾そうじゅうの為でっせ、と私に言って、利休さまは茶室の戸の方へ向かわれました。


「このあしおとは――あしおとあしおとは、でっしゃろ? って、入らんのかいな?」


 利休さまは首を振り振り、戻ってらっしゃいました。


「何や、折角しょうじ入れようとしたのォに、よう入らんと」


 ぼやく利休さまに、私は、誰だったんですか、と聞きました。

 利休さまは、ああ、とうなずくと答えました。


「わての首斬り役や」


「首斬り!?」


「何や、宗拾かて、薄々ゥ気づいとったんやろ? 切腹を伝える使いってなぁ、相手が腹を召す時ィ、首ィ斬るもんや。お武家はんの仕来しきたりや」


 介錯かいしゃく言うんやで、と利休さまは、ぐひひ、と笑われました。

 

「……そやけどなぁ、さしもの関白かて、宗拾にそれやらすのは酷や思たんやろ。宗拾は、わての弟子たちを、あの茶ァぐるいたちをおとりィや」


「お、囮?」


「せや、囮や。関白の御伽衆の宗拾やったら、わての弟子たちが恨んでも、そら関白を敵に回すことになる。の使いやろ。せやけど、実際に腹斬るゥなったら、そらスパッと斬れるお方を陰で迎えに寄越して、わてが腹ァ召す時、苦しまんようはからってくれたんや」


 いやいや、確実に仕留しとめるためやもしれんわ、と、やはり利休さまは哄笑されました。

 己の亡き後に、今度こそ関白さまの意を汲む、それこそ機嫌が読める茶頭さどうを据えるつもりだから、そこは確実に行きたいのだ、と言って。

 ひとしきり笑われると、利休さまは真顔に戻りました。


「……しゃあけど、まさか、あの、にわかにきょうを読むんが出来でけん、あのお方ァ寄越すとは、関白も、惻隠そくいんの情っちゅうもんがお有りなさる……ありがたいこっちゃ」


 南無南無と利休さまは手をこすり合わせました。

 それから、障子の隙間から覗く雪を見て、おもての首斬り役に言いました。


「いくら村育ちの不作法者やから言うて遠慮しィて、こないな寒い中ァ待っとったら、冷えるでぇ。どうしてもっちゅうんなら、たなの方で待っとき」


 そうすると首斬り役の方、が茶室の前から去っていく気配がしました。

 確かに利休さまのおっしゃるとおり、あしおとがしませんでした。

 しかし。


「よう聞くと、分かる。きょうを読むんが出来でける……あしおとでっしゃろ?」




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