道ばたのモイラ~赤い鯨と魔女の鍵~

領家るる

第1話 鍵

「絶対開かない鍵が欲しいのです。拵えていただけませんか」

 鍵屋の店主は、今にも工房の看板を裏返そうという手を止めて振り返った。

 灯籠のような橙の太陽が城郭の向こうに沈むと、秋の宵闇はすぐにやってくる。紫色のグラデーションが浸食を始めた夜と夕の狭間を纏うように、紫のベールを頭に被った一人の女が家門の横に立っていた。

「お客さん、申し訳ないが今日はもう終いだよ。明日またきてくれんかね?」

 店主は長い顎髭を揺らしながら丁寧に断った。住居件工房である家屋からは食欲をそそる香りが立ちこめているし、何よりも安請け合いできない依頼だと直感したからだ。


”絶対開かない鍵”など作れないことを、鍵屋は一番よく解っている。


「明日こちらに伺えば、絶対に開かない鍵を拵えていただけますか?」

 女は食い下がった。若干語尾が跳ね上がる調子から、期待を持ち始めているのが解り、店主は眉をひそめた。


 長年の勘というやつが、『やっぱり面倒臭い客だった』と告げている。

 貧乏人から国の役人まで共通しているのは、”絶対に知られたくない秘密を開かない鍵で守ろうとする”ことである。

 鍵を拵えただけなのに厄介ごとに巻き込まれたことは一度や二度では済まない。そしてこの女も”絶対”に拘っているあたり、関わるとろくな事にならないと店主は按じていた。

 そもそもこの女、どこか異様であった。

 紫色のベールを被り一見して貴婦人のように見えるが、垣間見えるベールの内側は貧相である。まるで給仕のような服を着ており、そのちぐはぐさが女を何者にも形容しがたくさせていた。


「奥さん、申し訳ございませんが、私には絶対に開かない鍵なんてお作りできません。そりゃぁ鍵屋ですから、”絶対に開かない鍵”に挑戦をした時期もあります。まだ若い頃の話ですよ、鍵屋のプライドが其処にあると思っていました。けれどね、そんなものは人間の手で作れやしないと解りましたから」

 店主は顎髭を数度撫でながら、今度こそ丁寧に断った。そしてようやく工房の看板を裏返して『閉店』を示した。

「とても残念なことです」

 まさに意気消沈した女の声が漏れ聞こえる。そっと俯き、口元しか見えていなかったベールの奥が完全に影に落ちてしまった。女は祈るようにきゅと両手を絡め、おもむろに胸の前に留めると、「人間の手では作れない」と店主の言葉尻をなぞった。

「納得いたしました。考えてみれば当然のことです。人間の手では作れないからこそ、絶対といえますものね」

 うん、うんとベールが頷いて揺れる。店主は眉をひそめてその様子を窺っていた。


 この女は一体何を考えているのだろうか?


 得たいがしれなくなるほど、薄気味悪さを覚え始める。薄気味悪くなると、途端に疑心暗鬼になるもので、店主はとっととこの場を切り上げたくなった。

「もうお帰りください奥さん。王様が変わられてから、この国も物騒になりました。夜は早く帰った方が宜しい。エストスでは常識ですよ」

「そうですね、閉店間際にお邪魔致しました」

 店主が勧めると女は存外あっさりと帰ることにした。女は常識的な挨拶を添えて頭を下げ、店主も答えるようにぺこりとお辞儀をした。そして女はベールをはためかせて街路の奥へと消えていった。

「絶対開かない鍵がありゃぁ、ああいう胡乱な連中が開けられない鍵を付けたいものだ」

 はぁとため息を漏らし、店主はもう一度街路の奥を視認してから、家門の鍵を閉めた。


 王様が変わって一年、エストスという国はまだ混迷している。聖魔が混在するリビアのような調停と平和にはほど遠い。

「今年の年末には落ち着いてくれるといいがね」

 店主は庭に植えている『鯨のリーフ』にちらりと目をやった。

 災厄を連れ去るという赤い鯨は、今年もやってくるのだろうか。





「モイラてめええええええ!! まぁた塔の鍵を開けっぱなしで寝やがっただろい!! なんっべん言わせれば気が済むんでぇい!!」


 心地よい秋晴れの日、ちょうど昼飯の支度を終えた道ばたの一軒家に、大地を揺らすような怒声が響いた。

「鍵を開けっぱなしにしやがったらよう!! 泥棒でも入ったらどうするんでい!!」

 怒声の主は頭から噴煙を噴射するような剣幕で家主がいる庭先へと回り込み、ホップステップと茂みを踏んで勢いよくジャンプ――、蹴鞠のようなもふもふの尻で家主の頭をどつかんとした。

「ふん!」

 しかし乙女らしからぬ力んだ気合いと共にがっちりと尻は白羽取りされてしまった。期待した打撃は加えられず、怒声の主――チンチラの姿をした精霊・ゴールデンは、「きゃふん!」と齧歯類あるまじき情けない声を漏らした。今まさに尻で制裁を与えようとした家主は、にんまり笑ってゴールデンの顔を覗き込んだ。

「もうその毛玉アタックは見切ったわよ! 同じ手を何度も喰らうと思わないでよね!」

 エストスから半島に向かう山脈沿いの一本道――その道ばたに住む少女モイラは、勝ち誇った笑みを浮かべたまま、チンチラをテーブルに下ろしてやった。青銅製のテーブルの上には、ほこほこと湯気が上がるスープとパン、そして気に入りのティーセットが置かれている。モイラの安寧に無くてはならないアイテムたちであった。

「だいたい、塔の鍵を開けといたって誰も盗りになんかこないわよ。最後に家の前を人が通ったのはいつ? アタシが起きてるうちは、ロッジさんとホッパーだけよ。それも三日前だし」

 大陸から半島に続く山脈と、山脈に沿うように敷かれた一本道。

 ”半島の門”と称されるこの山地を抜けて行き着くのは、半島の先にある大国リビアである。大陸からリビアに向かうたった一本の山道こそがこの道であり、モイラの家はその道ばたにぽつんと建っていた。この家に住んでちょうど一年、通行人は滅多に現れない。

 大陸から半島へ抜ける道すがら、小さな村は点在しているが、リビアに近ければリビアに向かうし、大陸と半島のつなぎ目に位置する大国エストスは、昨年から王政が鞍替えし、規制が厳しくなるばかりで、リビアからわざわざエストスに向かう人間も少ないようだった。

 滅多に人がこない山の中に聳える道ばたの家。

 そんなところに住み着いて一年、モイラはすっかりこの家の生活に味を占めていた。好きな時間に起きて、好きなだけ本を読むこと、暖かい日差しの中でブランチをすること、毎日同じようで少しずつ色が違う毎日は、モイラが思い描いていたスローライフそのもの――――とは、なかなかいかない。


 スローライフになりきれない原因その1、このチンチラだったりする。


「け! 全くよう、この俺様の前でよく言ってくれるぜ! お前さんよう、俺様が何のためにこの家にいるか、忘れたんじゃぁあるめぇよう!?」

 青銅製のチェアに腰を下ろして食事を始めるモイラの前に仁王立ち、ゴールデンは息巻いている。モイラがスープをかき混ぜると、立ちこめるトマトの香りに反応するのか、チンチラの鼻がヒクヒクと動いていた。

「ゴールデンは、塔の鍵の精霊なんでしょ?」

 一軒家の裏には塔があり、壁一面の本棚を持つ書斎である。

 この家の前家主は家具などをたくさん残しており、モイラは自前の本と些細な家具だけで引っ越しを済ませることができている。家具だけでなく書斎までついた棚ぼた物件である此処は、本好きのモイラにとってはまさに楽園であった。

 しかしこの塔はなにかと秘密が多い。前家主が自分の死後も尚、適正に管理されるように”番人”を用意していた。その番人こそが鍵と錠前の精霊ゴールデンであった。

「扉をあっぴろげにされちゃぁよう、俺様のいる意味がねぇだろうがい!!」

 ゴールデンは地団駄を踏みながら短い手足をばたつかせている。ゴールデンは口調こそべらんめぇだが、大きさは一般的なチンチラそのままである。モイラにとってはただ毛玉が暴れているだけにしか見えず、可愛いなぁと心の中でなごむばかりであった。

「いいじゃない別に、本の虫干しだって永遠に終わらないし、アタシは毎日あそこを出入りするし……――誰も来ないし」

「けー!! その油断がよう!! いつか変なものを招き入れちまうんだからな!! け!!」

 まるで取り付く島のないモイラの態度はゴールデンの逆鱗に触れたらしい。ゴールデンは最大級に拗ねた様子で皿に載っていたパンを後ろ足で蹴り上げ、ひょいとテーブルから逃げていった。

「ああ!」

 ぽーんと放物線を描いたパンがモイラの頭で跳ね、どうにか手元でキャッチする。モイラはホっと一安心したところで、文句の一つでも言ってやろうとしたが、小憎らしい毛玉の姿はもう無かった。

「も~、大げさなんだから」

 この一年、大きな事故もなくきてしまったから、平和ぼけしているのだろうか?

 一年前にモイラが思い描いたスローライフとは少し違うけれど、生活は豊かで毎日時間はゆったり過ぎていく。これ以上の幸せな生活を脅かす要因が、さっぱり浮かばなかった。

「ま、いいわ。良い天気だし、今日こそは一冊読み切るって決めてたしね! 雪の女王のシリーズを今月中に読破するわよ!」

 モイラは気を取り直すと、空に向かい拳を突き上げた。今年もぼちぼち年の瀬が近づいている。やりたいことも、やり始めた事もたくさん抱えているモイラにとって、毎日がとても忙しい。充実した毎日に、余計な心配をしている暇はないのだ。


楽しく暮らす秘訣その1、細かいことは気にしない!


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