第16話 水の

拝啓、ホルトス村 村長へ。

 道ばたの一軒家を出たのが20時くらいだったと記憶しています。

 そこから山の神の力と村長の愛馬を借りて、エストスを目指し大陸までの一本道を爆走しておりました。


 大事なことなので二度言うと、爆走しておりました。

 ……村長のお馬が。


 なんといってもホッパーが歩いて2日以上かける道のりを、馬なら4時間で行けるという理屈が分からず終いでしたが、こんなアタシでもやはり学校というものがあると便利だというか、――いや学校があったとしてもきちんと一般的に必要になる計算くらいは教わっていた方が良いのだと思い知りました。きっと計算高い女になれれば、ホッパーの歩く速度と馬の全速力を比較することくらいはできたでしょう。馬の脚に宿った山の神の倍速を計ることはできずとも。


 村長はエストスまで行かれたことはあるでしょうか?

 奇しくも私が道ばたの一軒家に住み着いて以降はないのでしょう。

 短くお伝えすると、山道がすごいです。

 大事なことなので二度言います、山道がすごいです。


 先に述べた計算高い女になりたかった話と、山道がひどい話を足して何を言いたいかというと、

 すごい山道を、アタシは顔が引き剥がれるような風圧を浴びながら走ったということです。

 少しずつ休憩は入れつつも、3時間半は走りました。

 3時間半です。大事なことなので以下略。


 そして諸々の限界を迎えたアタシたちは、馬から下りざるを得ませんでした。馬も休まざるを得ませんでした。どこからともなく水の音がして、一本道を反れてその方に向かうと、有り難いことに山小屋を見つけることができたので、この手紙はその小屋の机でしたためております。




「なぁんで手紙なんかわざわざ書いてんだよう? どうせ明後日にでも家に戻るってのに」

 ガラスペンを置いて紙のインクを乾かしているモイラの背後から、ゴールデンが顔を出した。外套のフードの中がすっかり気に入ったのか、このチンチラは移動中はおろか山小屋に着いてもフードから出ようとしなかった。

「こうやって山を移動するときは、自分の行動を書いておいた方が良いって、なんかの本で見たことあるのよ」

 モイラは小石で紙を抑えてから、ガラスペンを握り小屋の外に出た。すぐそばを流れる小川のせせらぎに引き寄せられるようにしゃがみ込み、ペン先を浸けて洗う。ペン先の隙間に付いたままのインクを丁寧に拭いながら、月の光を借りて念入りに確認していると、天に掲げているガラスペンの煌めきに惹き付けられた。

「なんか、きれいだなぁ……」

 塔の書斎に置いてあった前主のお下がりのペンではあるが、元々貴族であった前主の持ち物だけに、凝ったデザインをしている。空に掲げるとガラスの中で星空が湾曲し、ペン自体が空の一部のようにも見えた。

「流れ星みたいですねぇ」

 モイラが振り返ると、いつもの長身に戻ったベリルが茂みから顔を出した。落ち葉の精霊というのは灯りが無くても問題がないらしく、「食料調達」をかって出た彼は、言葉通り木の実を抱えて戻ったところであった。

「ベリルもそう思う? このガラスペンを見つけた時にね、アタシも少し思ったんだ」

 星空にかざしていたガラスペンを下ろし、手元で見下ろすと、足下のランプの明かりが煌めいて違う色を見せてくれる。モイラがガラスペンに見とれていると、ベリルが近づいて隣にしゃがみこんだ。

「綺麗ですねぇ……星空を取り込んだり、橙の灯に溶け込んだり、色んな顔を見せてくれますね」

「そうよ。それにインクを付ければたくさんの文字だって生むのよ。アタシの宝物なの」

 横でふふりと笑われて、モイラは不思議そうに首を傾げた。笑った張本人のベリルは「宝物がたくさんですね」と付言する。

「この前、塔の中を覗かせて頂いたんですけどね? 壁掛けのところにたくさんのガラスペンが飾ってありましたでしょう? あれもすべて宝物なのかと思いまして」

「違うわ、壁掛けからお気に入りを選んで宝物にしたのが、これなの!」


 塔の書斎は壁一面の本棚と、中央の柱に巻き付いた螺旋階段、螺旋階段の下に作業用の机や棚が置かれている。どこもかしこも本ばかりの塔だが、作業机の棚をずらすと壁と棚の間にガラスペンのショーケースが隠されていた。

「あのショーケース綺麗よねぇ……外に出して、こうやって星の下で眺めたら、流星群みたいに綺麗だろうな」

 モイラは再び顔を上げて空を見上げた。澄んだ空気にちりばめられた星屑、そして天の川。月も綺麗な弧を描いて浮かんでいる。小屋の近くで村長から借りた愛馬が鼻を鳴らす声や、虫の囀りが聞こえた。

「なんか、家の外で過ごすのって、変な感じね」

「はて、変とはなんでしょう?」

「山の中に住んでいるのは一緒なのに、なんか空気が違うっていうか……そわそわする感じ?」

 モイラが気持ちをうまく言葉にできずにいると、ベリルは首を捻りながら「わくわくする、の間違いでは?」と指を立てて助言した。

「ホッパーさんを助ける使命を横に置いておけば、久しぶりの外出になるわけですから、ちょっと違う日常にわくわくしているのかも」

「えー……? そんな浮かれてないわよ! アタシは一刻も早くホッパーを助けに行くんだから! 幽霊船だって連れてこないといけないし!」

 モイラは勢い任せに立ち上がり、その途端に太ももに走る激痛に震え上がった。今からすぐにでもエストスに向かいたいという気持ちに、体は付いていかない。

「うひい……っ むりむり、今日はとにかく寝よう! あの調子で30分も走ればエストスには着くんだし、朝になってから到着してもきっと大丈夫の、はず!」

「そうですね、とりあえず体を休めましょう」

 爆走した馬にしがみついているだけの筈が、乗馬とはなんと体力を使うことだろう。モイラはぷるぷると震えて年寄りのように脚を引きずりながら、ベリルに手を借りて山小屋までの短い距離を進んだ。



 山小屋には暖炉などはないが、夜風が遮られるだけで暖かく感じる。モイラはとにかく体を休めることを優先し、持参した毛布に身をくるんで転がった。するとモイラのフードに入っていられなくなったゴールデンが山小屋の床を踏む。

 ゴールデンはひょこひょこと灯りのある方へ近づいていくと、ベリルが机に置いた聖グリフォンの置物に祈りを捧げていた。

「よう、この山小屋ってのは、誰のモンなんだろうな?」

 ゴールデンが疑問を口にすると、祈りの手を下ろしたベリルが神妙な面持ちを浮かべた。

 山に住む者は比較的、水場に近いところに住むという。初めは狩り小屋だと思ったが、それにしては物騒な器具が少ないし、生活感があって小綺麗である。まるでまだ誰かが住んでいるかのようだ。

「まったく不用心だよなあ! 山ン中に住んでる奴ってなぁ、滅多に他人に会わねぇから鍵をかけるっていう習慣がねぇんだぜ!」

 短い腕を胸元で交差して、――おそらく腕を組んでいるつもり――ゴールデンはぷんすこと頬を膨らませた。仮にも錠前の精霊であるチンチラにとっては許しがたいようだ。

「そうですねぇ……ですが今回ばかりはおかげさまで野宿を免れていますから、施錠しない習慣を有り難く思ってはどうでしょう?」

 ベリルは提案とばかりに指を立ててゴールデンの顔色を覗った。ゴールデンは大きな耳をぴくぴくと揺らしながら、「今日だけだかんな!」と偉そうに言い放った。このチンチラ、心づもりだけは施錠の神様なのかもしれない。ベリルはそんな小さな毛玉を微笑ましく見守った。

「……しかしまぁ、少し気になることも無いわけではないのですが」

 チンチラの微笑ましさもすぐに効力を失って、ベリルは再び眉をひそめた。懸念すべきことが頭にあるようだが、奥歯にものが挟まったような態度をするばかりで口にしようとしない。しかしそんなじれったい時間を、ゴールデンが許すわけがなかった。

「てやんでえええええええい!!」

 ぐっと力んで飛び跳ねて、器用に回って尻でどつく。お決まりの毛玉お尻アタックが、物の見事にベリルの顔を直撃した。

「はぶん!?」

 驚いたままベリルの長身が揺らぐ。まるで枯れ木が揺れるようなフォルムを余所に、チンチラは翻り着地した。

「言いたいことがあるなら言いやがれってんでい!! 幽霊船動かすためには何でも情報が必要だろうがよう!!」

 びし! と小粒のような指をつきつけて怒鳴りつけるチンチラの気迫に押され、ベリルは項垂れた。鼻先を撫でながら「たしかに……」と観念したように呟く。

「夜が明けたら、お話します。モイラ様にも聞いて頂いた方が良いでしょうし」

「おう! とにかく俺様が見張っててやるから、お前も寝ちまいな!」

 なんたって、馬に揺られてる間、フードの中で爆睡したからな! 

 モイラが聞いたら発狂しそうな台詞を堂々と吐き、ゴールデンは机に登ってグリフォン像の傍に座った。やれやれと肩をすくめつつ、言葉に甘えてベリルも眠ることにした。


 ベリルがうとうと夢の入り口を彷徨い始めたころ、「ガチャン」と重厚な金属音がした。

 ああそうか、錠前の精霊とは、他人の家でも施錠できるのか。

 そんなことを考えながら、ベリルの意識は離れていった。

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