第15話 おやつ

 ようやく夜が明けたと思い窓のカーテンを開けたが、外は相変わらずほの暗かった。それでも何処より差し込む陽光から、朝まだきを感じ取ることが出来て、ホッパーは重い瞼を擦った。

「……おなかすいた」

 エストスにきて2日目の朝。今日は荷車になる動物を見繕ってから半島に帰るつもりでいる。また2日もかけて家路を歩くのだから、体調は万全にしないとならない。

 とはいえ、とっても、体が、だるい。

 こんなに寝不足で、こんなに体が重いまま、この国を出るわけにはいかない。

 ホッパーはおもむろに髪をかき上げ、いつものように手櫛で寝癖を整える。するといつもより3割増しで寝癖がひどいことに気付いた。爆発四散した鳥の巣みたいだ。

「………………」

 いったいなんだってこんな髪をしているのだろう。こんなとき、低血圧な自分が憎い。とてもではないが頭が回らない。

 昨晩、ひどく寝苦しかったのは覚えているのだが。

 カーテンが揺れて、秋とは思えない冷たい風が頬を撫でる。ホッパーは身震いして布団を引き寄せた。そういえば、そろそろクリストファーの赤い鯨がやってくる時期だ。厄災を持ち去って冬を連れてくるという鯨が、やってきたのかもしれない。

「…………なんか、冬みたいに寒い」

 この時期の野宿は非常に辛い。ミトンのカーデガンを着ていてよかったと心の底から思いながら、ホッパーは窓の外を覗いた。

 街はまだ静かだ。まるで怯えきったように静寂に包まれている。張り詰めたように感じる街の空気感は、冬の所為だろうか。

 ホッパーは首を捻りつつ、空を見上げた。どういうわけだか空は真っ暗で、あたりはほの暗い。真っ暗な天井の下にいるみたいだった。

「……まだ寝てるのかな、おれ」

 真っ暗な天井のような空、昨晩にも見た気がする。曇天の夜空を見間違えたのかと思っていたが、どうやら曇天だけでは説明がつかないほどに外は暗いようだ。よく目を凝らすと”巨大で真っ黒な積乱雲”が立ちこめているような、形容しがたい暗がりに見えた。

「……とりあえず寝よ」

 ホッパーは考えることをやめ、布団の中に舞い戻る。もうこうなったら二度寝しよう。頭が冴えたらまた考えよう。仕切り直したら何か変わっているかもしれない。

 ところが

 ゴー――――……!

 閉め忘れた窓から再びの爆音、そして衝撃波のようなひときわ大きな風圧に部屋中が軋み、捲り上がったホッパーの布団が壁に張り付いた。

「………………っ」

 耳を塞ぎながら縮こまったホッパーの体に、壁に張り付いた布団が被さる。


 思い出した。明け方もこの爆音に起こされたのだ。だからこんなに眠いんだ。


 ホッパーはのそりと体を起こした。眠気と一緒に低血圧まで吹き飛んだ。というより、寝ているとそのうち空の彼方まで吹き飛ばされそうなので、起きるしかない。

「…………湯浴み」

 そして気怠げに着替えの準備を始めた。





 湯浴みを終えて鳥の巣みたいな髪も元の通りに収まった。ホッパーは着替えを済ませて宿の一階――食堂に降りると、宿泊客も従業員も窓に張り付いて外を見上げていた。

「なぁいったい、なんなんだいこれは? 長いことここで商売しているけど、あんな五月蠅いのは初めてだよ!」

「城郭の傍に住んでいる酒屋が言うには、この黒いのは巨大な船に見えるんだってよ?」

「嘘よ、北側には尾びれみたいな影が落ちてるって話よ? 大きな魚じゃないかって」

「とにかく早くなんとかしてくれよ、革命も終えてようやく落ち着いたってのに、もうこりごりなんだよ騒ぎは!」

 皆、口を突いて出るのは疑念と不安と困惑である。その誰もがこの事態を正しく把握してはいなかった。

 ホッパーはおもむろにカウンターの一席に座った。目の前の厨房では老人が釜からパンを取り出しており、ホッパーの姿に気付くと2つほど皿に盛って出してくれた。

「こんな事態だからね、おやつみたいな朝ご飯しか出せないけど、堪忍ねお客さん」

「おやつ」

 ホッパーは焼きたてのパンを持て余しつつ、鼻孔をくすぐるライ麦の香りを楽しんだ。遅れてホッパーの前にミルクを出してくれた老人は、次に焼くパンのタネをちぎり始める。

「革命のときもそうだったんだよ。騒がしくなるとみんな四方八方逃げ回る。パンみたいに手軽に持ち運べるものがたくさんある方がいい。食事がおやつに変わるのさ」

 老人は丸めたパンのタネをトレイに載せて再び釜に放り込んだ。ホッパーは老人の背中を眺めながら、ようやくパンにかじりついた。

「お客さん、外から来られたんなら、早めにエストスからお逃げなさい。へリクソン王率いる魔族たちは、とにかく容赦がない」

「……そんなに大変なことになるんですか」

 昨年の革命はそれほどに酷いものだったのだろうか。

 そんなことを考え始めると、ホッパーの脳裏には紫のベールを纏った女と白いテントが浮かび上がる。革命の残滓を未だに匿う白いテント――聖魔調和、平和まではまだまだ遠い国なのだと、ホッパーはすでに知っていた。

 夕暮れを滑空する紙飛行機を想いだすと、ホッパーはなんとも言えず黙り込んだ。すると老人は「独り言ですけどね、」と前置きをして話し始めた。

「今代のへリクソン王は、意地悪な王様なんですよ。自分に都合が悪い人たちを”悪魔”だと錯覚してしまう。自分たちは魔族のくせに、善良な市民ですら悪魔と罵る――どういう神経をされているのか理解できませんや。もうそういう病気に罹った王様だと思ってますよ、皆ね」

「悪魔と魔族って、ちがうんですか」

「悪魔は冥府の國に住むもの、魔族は冥府の住人を始祖に持ちますが、我々と同じように体を持ち生きている種族を指します。あなた、悪魔やゴーストを見たことありますか?」

 ふと説明の途中に挟まれた質問に、ホッパーは長いこと首を捻った。そういえば生まれてこの方一度も見たことがない。そういうふわふわしたものとは無縁な気がする。

「エストスにはそういったものが見える方もいるようですがね、見えないならそれが一番よろしいのです。とにかくわたしが言いたいのは、妙なことを疑われる前に、外者はお逃げなさいということです」

 老人はそれだけ告げると、焼きたてのパンを袋に詰めて渡してくれた。そして話はそれきりだとでもいいたげに代金の勘定を始め、宿代と飯代をきっちり払わされた。

「もしかして、はやくこの宿から出て行けってこと?」

 釣り銭を貰いながらホッパーが尋ねると、老人はごほごほと咳き込みながら厨房の奥へと引っ込んでしまった。

 そうか、おやつは餞別だったのか。

 王様を意地悪だと罵っていたが、老人もそこそこ性格が悪いと思えてくる。よくもまぁこの不穏な空の下に客を放り出すものだ。ホッパーは思わず苦笑した。

 とはいえ元々朝早くから活動するつもりではいたのだ。荷車用の動物を見て回る余裕は”店側”にはなさそうだが、ならばいつも通り帰るだけである。老人の言うとおり、とっとと出て行こう。


 そう思い立って部屋に荷物を取りに行こうとしたとき、宿の扉がガラガラと鐘を鳴らした。



「控え――! 他国の者に用がある! 速やかに荷物を纏めて我らに同行せよ!!」

 ドカドカと足音を鳴らして屈強な男達が入ってくる。ホッパーは彼らを見て目を疑った。剣を下げたこの国の警備兵だけに留まらず――入国検問所の検問官も同行していた。

 老人の独り言は予言だったのだろうか。そんな悠長なことを考える余裕はなくなった。

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