第13,14話 うろこ雲と裏腹

 うろこ雲は混沌の予兆だと誰が言っただろう。とにかく祖父も曾祖父もおそらくもっと前から、口酸っぱく次世代に言い伝えたに違いない。


【うろこ雲が出たら身を隠れる準備をしなさい。やがてやってくる木枯らしが口火を切る前に】


 秋の訪れを知らせるうろこ雲。

 それは秋の実りを知らせると共に、魔族にとっては”厄災”の到来を告げるものである。


 秋にはクリストファーの赤い鯨がやってくるからだ。


 災厄を回収して冬を連れてくるあの鯨が、”幽霊船”であると知るものは少ない。自然の理の中で生きる精霊族や、白き國、冥府の國に近い種族のものしか知り得ない。

 そもそも赤い鯨だろうと幽霊船だろうと、”見えない”のだ。

 半島ではこの季節の挨拶で「鯨の声を聞いたか」と聞く風習がある。それは『クリストファーの赤い鯨が訪れた証』だと捕らえられるからで、曰く『来年の幸福が約束された』ことになるからだ。

 そして「鯨の声を聞いたことがない」者が大半である。だからこそ他愛なく聞くのだから。


「故に、こんな風に分け隔て無く一般人が、幽霊船を指さして大混乱に陥るなど、あり得ないのだ」

 大国エストスの中心にある王宮――通称”砂城”のテラスに立っても尚、街の阿鼻叫喚ぶりが耳に届く。例に漏れず真っ暗な空を見上げて蒼然とするのは、今代の国王へリクソンも同じであった。

 側頭部から延びた角と、豊富に蓄えた髭が幽霊船を捉える青い光に照らされる。へリクソンは目の前で起こっている事態が信じられず、ひたすらにこれが夢であることを願った。

「ロイ! ロイはいるか!?」

 へリクソンは最悪の事態に戦慄く拳を握り込み、背後に控える家臣ロイを呼びつけた。

「何故だ……? 何故、幽霊船がこともあろうにエストスの頭上に停滞する? 去年取り損ねた“災厄”を根こそぎ浚おうとでも言うのか?」

 昨年の夏、大災害に乗じて革命を起こし、時の国王であるウィルハルト王を失脚させた。聖属に蹂躙され続けた魔族たちは躍起になって闘い、1年かけて魔族の国を取り戻している。

 昨年の秋はまだ革命を終えたばかりで、――もちろん幽霊船には特別に気を払っていたが、裏腹に何の干渉もせずに半島へ抜けていった。それをどうして今年に限って留まる必要があるのか。

「へリクソン王、幽霊船が自らの意思で停滞しているとは思えません。あの船に絡まる青い光が、碇を降ろしているようにお見えですか? まるで捕らえられたようではないですか」

「……捕らえられた、だと……?」

 ロイの言葉にへリクソンが眉間を寄せた途端だった。

 ゴオオー、と爆音が鳴り響き、へリクソンとロイは反射的に耳を塞ぐ羽目になった。

 その重低音はまるで苛立ちを爆ぜさすようであり、ちまたで上がる国民の悲鳴をもかき消した。

「幽霊船が国民たちに見えるのも、エストスに停滞するのも、冥府の理に反しています。人為的であると考えるべきです!」

 爆音が収まり鼓膜が回復するのを待って、ロイは再びへリクソンに申し出た。へリクソンはとにかく鼓膜の痛みが堪えられない様子で、俯いたままあやふやに頷いた。

「とにかく、緊急会議だ――、家臣たちを集めなさい。なるべく兵を出して、怪しい者は先に捕らえるんだ。城郭も閉じろ」

「承知しました!」

 ばたばたと慌ただしく去って行くロイの姿を見送ることもできず、へリクソンは鼓膜の痺れが収まるのをただひたすらに待っていた。やがて痺れが収まってドクドクと痛みが残るようになってから、天を仰いで大きく息を吐いた。


 幽霊船の向こうに潜む月のなんとかそけきことだろう。

 幽霊船を捕まえる青白い桎梏の方が、よほど煌々と輝いて見える。


 へリクソンは眩しそうに瞼を細めながら、緩慢な動作で屋内に戻っていった。


「ジーク……やはり聖魔調和など、夢物語かもしれんぞ」

 へリクソンの呟きを、聞く者はいない。

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