第12話 坂道

「あれは間違いなくエストスの方角です……」

 塔の最上階から青白む空を見たホルトス村の村長は息を呑む。前家主ベルホルトの執事にして長寿であるエルフの老人にしても、遭遇したことがない事態であった。

「いつまでたっても幽霊船が来ないと思ってきてみれば、遥か彼方で座礁しておるとは……」

「やっぱり、あそこに幽霊船がいるんですか?」

 出窓に肩を並べてみても、エルフと人間の視力の差は埋められない。モイラが必死に村長の袖を引っ張ると、村長は重々しく頷いて「そのようです」と答えてくれた。

「エストスは魔族が王政を奪ったばかりです。昨年は問題なく通過してきたので油断をしておりましたが、今年になって何かあったのかもしれません……」

「幽霊船がエストスで座礁したら、どうなるんですか!?」

 食い下がるモイラが答えをせがむ。モイラがこの家に住むまで”半島の門”とこの家を管理していた村長だけが頼みの綱だった。しかし村長は眉間に皺を寄せるばかりで、煮え切らない。

「…………災厄をため込んだ船ですからね、考えたくもない。とにかく、今は待つしか……」

「そんなこと言われて待ってられないです! 今、あの国にはホッパーがいるんですよ!」

「なんと?」

 ホッパー、の言葉が出てようやく村長にはモイラが焦っている理由が理解できた。村長はより大きなため息を漏らしながら、踵を返して階段を下り始める。

「大陸側に足を向けているのは知っていましたが、エストスまで足を伸ばしていたとは……まったく末恐ろしい子供だ……」

「村長、そんなことはいいから馬を貸して下さい! アタシがエストスに行きます!」

「何を言っているんです」

 塔の階段を降りきって裏庭の草を踏みながら、村長は足早に家門から出て行く。モイラは食い下がらんばかりに後を追うと、家門の前には村長の愛馬が待機していた。

「モイラちゃん、あの国がいったいどうなっているかわかりません。君はここで待っていて下さい」

「そんなの無理です! ホッパーをひとりぼっちにしておけないし、村長を一人で行かせるのだって心配です!」

「私は君を連れて行く方が心配です」

 ああいえばこういう。互いに譲れず焦れったいやりとりが続いてしまう。モイラはもちろん村長が心配していることは理解していたが、だからといって黙って待っていることなどできない。

「第一、エストスまでは馬を走らせても丸一日はかかります。私の愛馬だって一日中走るほどの体力はないのですから」

 エストスまでの道のりは果てしなく遠い。馬を休ませながら向かうにせよ、乗馬する人数が増えれば疲労は増えるし速度は落ちる。せめて二人は跨げないとなれば、村長かモイラかどちらかしかエストスには向かえない。

 けれどモイラは、そんなことで引き下がったりはしなかった。

「じゃぁアタシが行きます! 馬を貸して下さい! 野宿だって大丈夫です!」

「山の夜を侮ってはいけません」

 村長の目が吊り上がる。モイラも負けじと手を握って応戦する。そんなとき、家門の傍の暗がりから細長い影が現れた。

「山の神のお力をお借りしてはどうでしょう? 馬の脚に力を授けてもらえば、幾分到着が早まります」

 すらりと長いベリルの姿は村長にとって異様に見えたに違いない。モイラには村長が息を呑むのが分かった。

「……貴方は?」

「モイラ様の畑の世話をする者です。祈りあるところに豊饒をもたらすのが私の役目、山の神とも懇意にさせて頂いております。幽霊船が座礁してはあの方も困りますから、お力を貸してくださいますよ」

 月明かりが照らすベリルの表情に、先ほどまでのかそけき闇はない。足下でゴールデンが額の汗を拭いているところを見ると、ベリルの正気を取り戻させる為にひと肌脱いだようだった。

「豊饒の精霊様ですか……!」

 一方驚きを隠せない村長の様子を窺いつつ、思わぬ好機を得たモイラは内心ガッツポーズをしていた。

「そうだ、ベリルも一緒に来てちょうだい! エストスに住んでいたんだもの、あの国のことはよく知っているでしょ?」

「はい、私は馬のたてがみに紛れるほどに小さくなれますから」

 ベリルが小さくなれるとは露とも思わなかったが、馬の重量問題をうっかり忘れていたモイラを救う奇跡的な展開である。

 ベリル、ナイス! 

 彼と出会って1年、モイラは初めて心の底から彼を褒めた気がする。

「村長、ベリルも一緒に来てくれるし、アタシに行かせて下さい。アタシはもう半島の門番だから、幽霊船を連れてくるのはアタシの役目ですよね?」

 モイラは改めて村長に畳みかける。村長は精霊という大きな存在を前にぐっと言葉を飲み込み、仕方がなさそうに頷いた。

「精霊様のご加護を疑う訳にはいきません。それに、この役目を解った上で君をこの家に住まわせたのは私です……。今回は馬を貸しましょう」

 肩を落とした村長の姿とは裏腹に、モイラは諸手を挙げて喜んだ。

「ありがとう村長さん!」

 そうと決まれば早速出かける準備をしなければ。

 各々が支度に取りかかる中、ゴールデンが「俺も行くぜい!!」と足下で飛び跳ねていた。

 

 

「え? その置物を持って行くの?」

 外套のボタンを留めながら、モイラは目を疑った。荷物を引っさげた馬の背中にもう一つ荷物を増やそうとするベリルを呼び止めて見れば、その荷の中身は郵便受けに放置していた聖グリフォンの置物であった。

「モイラ様、私は祈りと共にある精霊族です。今は聖グリフォン様のお力がないと生きていけません。聖グリフォン様にはご承諾をいただき、ご同行いただくこととなりました」

「それは構わないけど、じゃぁこの家は誰が守ってくれるのよ?」

「へ?」

「ん?」


 ひょんなことから問題が生じている。

 聖グリフォンの力がないと生きていられないベリル

 聖グリフォンの力によって守られている道ばたの一軒家

 聖グリフォンの力がなくなった道ばたの一軒家は、”悪いもの”が寄りつく可能性がある。これはもう何度も聞いた話である。なんといってもモイラのスローライフが安心安全に過ごせる為の命綱なのだから。


「――――え? それ、持って行かれたら、仮に幽霊船が座礁したまま動かなくなっちゃった場合、アタシの安寧の地はなくなるんじゃない?」

「モイラ様、これから幽霊船を動かしに行くのです」

 ベリルは珍しくきっぱりと言い切って――言い切っただけで、何も質問に答えてはいなかった。

 その理路整然とした姿に精霊の神聖さが微妙に滲んでいる気がして、モイラはしばらく黙り込んだまま考え――うっかり流されそうになったが、やっぱり違うと思いとどまり首を横に振った。

「アタシの心配事に答えてないじゃない!! この家の留守を誰が守るのよ!」

 モイラがくわりと目をつり上げると、ベリルは至極当然のように慈しみをもった顔で頷いた。【人間よ、些細なことを提起してはいけない】とでも言うようなオーラを纏ってしんみりと見つめてくるが、いい加減いらついたモイラのビンタによって幕は閉じた。

「どうしよう!? エストスから帰ってきてこの家がゴーストだらけだったら、アタシのスローライフが一巻の終わりだわ!」

 ホッパーを助けられても一大事が続くことになる。モイラは青ざめて頭を抱えた。

「モイラちゃん、私がここの留守を預かりますよ。あとは鏡の付喪神に力を借りたら宜しい」

「え? カナカレデスの?」

 隣で苦笑していた村長に肩を叩かれて、モイラは眉を困らせた。すっぱり存在を忘れていたが、そういえばあの鏡も悪いものから家を守っていると言っていた。

「まずは敷地の4隅に鏡を置いてください。すべて外に向けて置くことで、悪いものを弾くことができますし、置物の”聖の残滓”を鏡の間で滑らせれば結界を張ることができます。昔から、力が足りないものは鏡の反射を使うんです」

 混乱している頭で聞いていても理解が乏しい。けれどカナカレデスが大いなる力になってくれるのは朗報である。モイラは村長の言葉を一生懸命反芻しつつ、

「と、とにかくやってみます!」

 そう意気込んでダイニングキッチンに乗り込んでいった。

「鏡を設置すれば、あとはカナカレデスが上手くやるはずですからね! 彼女を説得するんですよ」

 村長の助言を背中に受けてダイニングに飛び込んだモイラは、ふとロッキングチェアのサイドボードに放置していた本に気付いた。

 翻訳を諦めた異国の文字――先日、ホッパーに渡しそびれた一冊であった。


 すごく今更かもしれないけれど、事が終わればエストスに泊まるかもしれないし……一応持って行こうかな。


 モイラはその本を掴み脇に抱えながら、壁面に掛かる鏡に向かって事情を説明した。

案の定、カナカレデスは超級の不機嫌となり、モイラは文句の濁流を浴びたのだが、今回だけは引き受けてもらうことができた。

「エストスですっごいイケてる鏡を1つ買いなさぁい? あと、ロットがついたネックレスを下げていくこと! それが条件よ」

「ロット? あの蓋を開くと鏡がついてるやつ?」

「そーよ、アタシにもお散歩させなさいよ」

 ホッパー救出に向かう道すがらをお散歩呼ばわりされると気分はよくないが、ぶっきらぼうな物言いもカナカレデスなりに心配してくれている裏返しだと分かる。モイラはやれやれと肩をすくめ、カナカレデスの条件を受け入れた。


「おおいモイラ! 準備はできたぜい! まぁ俺様が付いていけば長旅も安心なんだからよう、大船に乗ったつもりでついてきな!」

 馬の背に取り付けた鞍の上でゴールデンが仁王立ちしている。一番役に立たなそうなチンチラが偉ぶっている姿になんとなしに毒気を抜かれながら、モイラは首から提げたロットを外套の外に出し、馬に跨がった。

「大船に乗ったつもりっていうか、大船を起こしに行くんだけどね」

「け! それだけ憎たらしい口がきけりゃぁ何が来たって問題ねぇや!」

 けっけっけと愉快そうに笑うゴールデンはそそくさとモイラの外套のフードに入り込み、ちょうど良い居場所を早々に確保する。フードの重みを感じつつ、手綱を握れば馬のたてがみから15センチほどに縮んだベリルが顔を出した。

「モイラ様、山の神のお力も取り込めております。馬の体力まかせですが、4時間も走ればエストスに到着できることでしょう」

「それ、アタシたち振り落とされないの?」

 ホッパーはエストスまで二日はかけていると聞いている。それが4時間とはいったいどれだけ速く移動するというのか。


「しっかり捕まらないと、吹き飛ばされるかもしれません」

 案の定、苦笑するベリルに、モイラも青ざめた。山の神のお力とはそんなに強力なのだろうか。ものすごく不安を煽るベリルの言葉に志気を削がれないように、モイラは首を振って邪念を払った。


「ええい、つべこべ言わない!! 今夜の仕事はホッパー救出して、幽霊船を半島に連れてくることに決定! 全員無事に帰るわよ!!」

「お――!!」

 両腕を天に突き上げて意気込むモイラに、ベリルとゴールデンが追従する。

 ロットについた鏡の中では、五月蠅そうに眉をひそめるカナカレデスがいた。

「いってらっしゃい。ホッパーを頼みます」

 村長に見送られる中、モイラは馬の腹を蹴って夜道に繰り出した。


 道ばたの家に住んで1年、初めての凱旋。

 初めて突き進む一本道は、この先に待つ困難を象徴するかのような上り坂が続いていた。


 

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