第4話 紙飛行機

「入国の手続きはこちらですよ。商売内容はきちんと書いて下さいね、こっちも管理しているんですから」

 1年前から定期的に足を運んでいるのだから、毎回の手続きを省いてくれないのだろうか――ホッパーは大国エストスの検問所の窓口に立ち、もう何回もやりとりしている検問官の顔を見下ろしていた。


「店を出しに来ました。ホルトス村から栗を」

 ホッパーは馴染みの検問官にそう告げると、早いところ入国書を寄越して欲しいと手を差し出した。パスポートでも回数券でもいいから、すんなり入国できる制度を設けて欲しいと常々思っているが、半島と大陸の繋ぎ目に位置するこの国――エストスは、一年前に王政が鞍替えして以来、規制が厳しくなるばかりだった。

「栗売りねぇ……」

 検問官はガリガリと記帳していた手を止め、顔を上げた。真っ赤な鼻をした屈強なこの男は、ホッパーを見るや肩すかしをくらったような顔で「なんだお前か」と漏らした。

「お前なぁ、もう栗売りじゃぁ通らんぞ。今じゃ立派な”本売り”だろうが」

 検問官はぶっきらぼうにペン先を揺らしながらホッパーの荷を指した。籠には栗しか売る物がないホルトス村の特産物を入れているが――モイラから仕入れた本の束を縄でぐるぐると固定しており、本の方が目立っている。

「今はまだいいが、本を売るのもほどほどにしておけよ? 町の本屋はそこそこ官僚に目を付けられてるんだからな」

「町の本屋みたいに高い本なんて売ってない」

「高い本なんて売られてたまるか! お前はとっつき安さが売りだろうが」

 検問官は「全く!」と悪態をつきながら記帳を再開した。ホッパーは目を丸めて聞いていたが、検問官の言葉になるほど膝を打った。


 町の本屋は高い。きちんと出版社から仕入れている上に、専門書や知識書が大半で、買いに来る客も貴族や富裕層ばかりである。それにくらべてホッパーが売る本はモイラが読んだもの――つまり、小難しいものは滅多にないのである。恋愛小説や冒険譚、他の国の偉人伝もちらほらあるが、誰が手にしても楽しめる垣根の低さと値段の安さが売りであった。

 しかも青空の下で風呂敷を広げた移動販売なので、立ち読みだってできるのだ。これは明確な差別化である。


「ここ一年、妙に本が売れる理由が分かった気がする」

 ホッパーが感心していると、検問官は「今更かよ!」と盛大に突っ込んだ。突っ込んだついでに判子を持ち替え、びたんと書類に押しつけて入国書を仕上げた。

「いいか? 何か厄介ごとに巻き込まれたら俺を呼べよ。”あの本”があれば上手いこと見逃してやるからな」

 検問官は不敵に笑いながら入国書を差し出した。ホッパーは入国書を受け取るとそそくさと門を潜り、ようやくエストスの空気を吸うことができた。

 ホッパーは久しぶりのエストスの町並みを歩きながら、あの検問官が所望している”あの本”とはどれのことだったか――思い出せずに首を捻っていた。

 こういうときに”文字が読めない”と困るのだ。





「ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げて帰って行く客を見送り、気付けばもう陽が傾いている。商品もかなり捌けてしまい、売上も上々、懐が暖かい。今夜の宿は少し高くてもいいかと思考を巡らせ始めたとき、すーっと目の前を何かが横切っていった。

「こらぁ! そりゃぁ大事な診断書だろうが!!」

 あまりに優雅に滑空したそれはよく見ると紙飛行機で、紙飛行機の正体は診断書だったらしく、慌てた男が凄まじい形相で追いかけていった。

 一体なんでそんなことに? ――と首を傾げながら男がやってきた方角を見ると、子供が無邪気に笑っていた。

「とんでもない悪戯をしたものですね」

 今まさにホッパーが胸中で吐露した言葉が降ってきて、ホッパーは思わず顔を上げると、店の前に一人の女が立っていた。

「まったく――子供はやんちゃで困ります」

 女は紫色のベールを頭から被っており、夕暮れに染まる影のようであった。ベールの隙間から覗く口元だけが、彼女の表情を映している。

「……診断書なんて、どこで手に入れるんだろう」

 女があまりに近くにいたので、ホッパーは子供に視線を戻しつつ尋ねた。紙飛行機を放った子供はきゃっきゃと楽しそうに笑いながら広場の端にある白いテントへと入っていく。

「あの白いテントは孤児院と医者が共同で出している無償の診療所です。革命の残滓を拭うためと言いますか、……身寄りのないものを診るために設置しています。あの子の家族が無償で治療を受けているのではないかしら」

 子供自身はすこぶる元気なので、親の方が厄介になっている可能性は確かにある。暇を持て余して悪戯三昧をされてはかなわないが、子供が元気でいることは良いことだと思うので、ホッパーはどこかホッとした。

「……あ」

 ホッとしたのも束の間、ホッパーはこの女がなぜ店の前に立っているのか気づき、至極今更だが「いらっしゃい」と告げた。女はベールから覗く口元を笑わせ、膝を折って店先の物色を始めた。

「……本を、また頂きたいんです。異国の文字で書かれた本を」

 女は白い手袋をはめた手を伸ばし、売れ残っている本の表紙を撫でていく。異国の文字、とだけ言われてもホッパーにはどれのことか皆目見当が付かなかった。とりあえずこの辺りの標準語ではない文字が並ぶ本の在処を思い出しながら、頭の片隅では”また”という言葉を貰ったことに戸惑っていた。

 こんな女、前にも相手をしただろうか?

「……異国の文字だと、これとこれがあるけど」

 物色を続ける女の手元を遮るように積み上げた本を持ち上げ、最下部に積まれている2冊を見せてやった。

 ミミズが這ったような文字で書かれた本の表紙は絵もなくシンプルで、それだけでは一体何の本か予想もできない。モイラが以前翻訳を試みていたが、『ちょっと無理』と投げ出したものでもあった。

「ああ、そう、これ……。ありがとう、おいくらかしら」

 女は口元を綻ばせて本を取り上げ、大事そうに胸に抱いた。ホッパーはしばし値打ちに困ったが、原価より少し上乗せて売ることにした。

「そんなにお安いのでは、この本の価値が低いみたいじゃないですか。もう少し色をつけますね……これがないと、私の人生が立ち行かないのですから……」

 女はブツブツと文句を漏らしつつ、ホッパーの言い値から2倍を差し出した。値段が安いと怒られることなどこれまで無かったので、ホッパーは鳩が豆鉄砲をくらったような顔で金を受け取った。

「その本、そんなにすごいの」

 売人側が商品の仔細を知らぬとは情けないとは思うものの、聞かずにはいられない。女は怪訝そうな表情をして――いるように口元を歪めたが、「文字を習ってないから本には疎い」とホッパーが明かすと、女はハッと気付いたように口元を隠した。

「そうですよね、この国だってこれだけ不安定なのだから、外の国だって事情はありますよね」

 女なりに慮ってくれたようで、ホッパーは胸をなで下ろした。女は改めて購入したばかりの異国の本を眺めると、掛け替えのないものに出会ったかのように胸に抱いた。

「……この本があれば、大切なものを手に入れることができます」

「たいせつなもの」

「そう、私にとって何にも代えがたいもの」

 ベールの奥で女がどんな顔をしているのかは解らないが、そっと本を抱きしめる姿は恋人を偲ぶようにも見え、ホッパーにはそれで十分だった。

「手に入るといいね」

 飾り気のない言葉だが、ホッパーは心の底からそう思った。モイラのように本を読んで楽しむことはないけれど、本の中には知らないことがたくさんあるのだろう。それはきっとホッパーが日々商売を通して知ることができる世界のように、誰かにとってはなくてはならないものだったりする。

 ホッパーの言葉に吊られたように、女の口元も綻んでいた。

 しかし穏やかな時間を割くように、再び紙飛行機が二人の間を滑空した。

「どんだけ飛ぶんだよこの診断書は!」

 ドスドスと足音を響かせて戻ってきた男は、秋口とは思えぬほどに汗だくだった。

「うふふ、きっと魔法がかかっているのね、あれ」

 女には紙飛行機のからくりが解るようで、口元に手を添えて笑っている。ホッパーには魔法の類いなど感知する術はないので、茜色に染まる街頭を滑る紙飛行機にただ風情を感じていた。

「……あ、そうだ」

 ふと思い立ち、ホッパーは籠から一枚の葉を取り出した。まるで鯨の尾のような形をした赤い葉である。

「少し早いけど、これあげる」

「まぁ、なにかしら……? 赤い葉?」

 女は差し出された赤い葉を受け取り、しげしげと見つめた。

「ハッピー・ウィンター・クリストファーだよ。エストスにもあるでしょ」



栗鼠がクルミを落としたら、その家には冬が来る。クリストファーが、冬を連れてやってくる。冬を置き、代わりに厄災を引き上げて、春の都に連れて行く。

 


 大陸全体で行われる冬の行事の一つ、『ハッピー・ウィンター・クリストファー』は冬の訪れから年明けまで続く長い長い祭りである。大陸を滑空して災厄を連れ去る”クリストファーの赤い鯨”は、エストスでも知られているはずだ。


「それ、鯨のリーフっていうの。半島だとクリストファーの赤い鯨に似てるこの樹をどこの家も持っていて、冬がくると挨拶がてら渡し合う」

 それは赤い鯨にあやかって、冬の訪れを歓び、来年の幸福を願う祭である。これから大事な局面を迎えようとしている彼女への、ホッパーからのエールであった。


「クリストファー……赤い鯨……」

 女は鯨のリーフをじっと見つめながら、ポツポツと何か漏らしている。違う習慣を目の当たりにするとそんなに驚くのだろうか? ホッパーは黙り込んでしまった女の様子を覗うばかりだった。

「これは、私の幸福を願ってくだすったということですね?」

 判然としない口調が一転したので、ホッパーはきょとんとした。自分の説明が足りなかったことを悔やみつつ「そのつもりだけど」と言葉を返した。すると女は嬉しそうに口元に弧を描いた。

「ありがとうございます。とても縁起が良いことですね、大切にします」

 女は鯨のリーフを本に挟み、立ち上がった。気付けば大分陽が陰り、他の露天商は店を畳み始めている。そろそろ客も店も切り上げる時間だ。

「……それでは、また」

 女はぺこりと頭を下げた後、街の喧噪に紛れていった。

 

”また”


 彼女は以前も立ち寄ってくれたのだろうか?

 異国の文字が書かれた本を並べたのは一体いつの事だったろう?


 検問官といい、ベールの女といい、客の方がよほど店を覚えているらしい。ホッパーは店じまいもそっちのけで腕を組み、これはいかんと心に決めた。



露天商の心得1、客の顔はきちんと覚えること。

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