第19話 クリーニング屋
「ふんぬ~~~ふぬふぬううう~~~」
一夜の宿を借りた山小屋の前、ゴールデンは奇妙なダンスを踊っていた。
短い両手で糸を巻くようにくるくる、身体に何かを巻き付けるようにつま先をよじってくるくる、目が回るのか時折千鳥足をするせいで尻尾がゆらゆら。まるで酔拳のようなその踊りはしばらく続き、やがて何かを放り投げるように万歳をした。
「喝――――!!」
ゴールデンがふんじばった雄叫びをあげると、モイラの耳にはガチャンと重厚な金属音が届いた。
「うわ、びっくりした……」
「やはり、ゴールデン様が鍵をかけていらしたのですね」
驚いた拍子に両耳を撫でているモイラの横で、枯れ木のように長躯なベリルが手のひらをポンと打った。どういうことかモイラが尋ねると、ベリルは昨晩の入眠前にも同じ音を聞いたのだと教えてくれた。
「へへん! 俺様の手に掛かればこんなもんよう! 俺様は鎖つき・錠前つき・鍵つき、一匹いれば3つついてくるお得な精霊様なんだぜ! たいていの大きさなら施錠できるんでい!」
一仕事終えて息を切らしながら、ゴールデンは鼻高々に胸を反らせた。えっへん褒めろとばかりに得意げな顔をしていたが、じわじわと頭の重さに堪えかねて、ひっくり返ってしまった。
「も~、すぐ調子に乗るんだから」
モイラはぷっと吹き出すのを手で隠しながら、ゴールデンを拾い上げ、外套のフードに押し込んでやった。
「せっかく頑張ったのにイてぇよう……」
フードの中からゴールデンのか細い声が聞こえる。これは笑ってはいけないと思いつつもモイラは堪えきれず肩をふるわせていた。ふと気付くと同じように笑いを堪えていたベリルを見つけ、ゴールデンが気付く前に「早く出発しよう」と促した。
「急がば回れをするんでしょう? いったいどうしたっていうのよ?」
エストスまでは愛馬を走らせ30分足らずというところまで来ている。時刻が朝方ということもあり余裕があるので、1つ用事を済ませようと提案をしたのはベリルだった。
「ええ、その通りです。エストスに着いたところで幽霊船を連れてくる手段を考えなければなりません。どうして幽霊船がエストスに留まっているのか、知る手がかりを探したいのです」
そう言いながら踏み出すベリルは、ついてこいとモイラを手招いた。朝陽が登り切らない刻では、進む先はほの暗い。モイラは馬の手綱を引きながらおそるおそるベリルに付いていった。
「手がかりが、なにかありそうなの? こんな山奥に?」
早く現地にたどり着いた方がよほど手がかりが見つかるのではないか? そう尋ねると、外套のフードから顔を出したゴールデンが、モイラの肩に乗りだした。
「なぁモイラよう、あの山小屋、可笑しいと思わねぇか? 狩り小屋でもねぇ、独り暮らしにしちゃぁ生活感がねぇ。まるで物置小屋みてぇだったろ?」
「そういえば、水回りも質素だったわね? お皿の1つもないし……」
「鏡の1つも置いてなかったしねぇ」
口々に感想を述べる最中、モイラの首に書けたロットの首飾りからカナカレデスも口を挟んだ。ついでにふああと欠伸も聞こえてくる。
「私には、片付け終えた後のように見えました」
先頭を歩くベリルは1つ仮説を立てるように、人差し指をゆらす。やがて茂みの中へと入りながら、少し空けた空間を見つけると、ベリルはそこで足を止めた。
「昨日、木の実を探しに森に入ったところで、見つけました」
これを、とベリルが指さす先に視線を向けて、モイラたちは驚きを隠せなかった。
そこには土を掘った後、紙や木材や、なにか饐えたような、悪臭が立ちこめている。火で燃やした後のようだが、まるで生ものが放置されているかのようで、鼻を押さえずにはいられなかった。
「な、なにこれ?! 臭い……」
「さすがはモイラ様ですね。この臭みがわかりますか?」
ベリルは燃えかすのような残骸の山をつま先で小突き、わずかな朝焼けの明るさの中にその原因を引き出した。
「――あ、これ……!」
ガサガサと崩れ落ちる残骸の下、秋の匂いが立ちこめる土には、何か模様のようなものが描かれていた。
「おいベリル、こいつは魔女が用いる呪術じゃねぇか?」
「ええ、この燃えかすは全て呪術に用いられたものだと思います」
ゴールデンがひええと戦きながらモイラの頬に縋り付いてくる。もふもふの毛皮の暖かさに温んでいる余裕はなく、モイラは鼻を外套で覆いながらベリルを見上げた。
「アタシ、魔女ってよくわからないんだけど、危ない人なの……?」
「大抵の魔女は良い方々ですよ。自然の理に通じ、精霊を愛し、冥府の国や白き國とも交易をする。人と人ならざるものの仲介に立つ者でもあります」
魔女の多くは何かしらの段階を得て、人間から魔女へと変貌を遂げていくという。整備された国であれば魔女のための学校を持っていたり、魔女を国の要人とする場合もあるという。
ベリルはそこまで付言した後、
「ですが、私がエストスにいた頃、魔女は魔を手引きする存在として扱われ、魔女裁判によって追放されています。今代の王が魔女をどう扱うかはわかりませんが……」
「エストス周辺にいる魔女は、必ずしも良い奴ってわけじゃぁないってことだな!」
ベリルの言葉を先読みして結論を導いたゴールデンは、再び「あーおっかねぇ」と漏らし、モイラの米神に擦り付いた。もふもふした感触に片目を閉じながら、モイラは頭の中で話を整理する。
「つまり、これは魔女の仕業の可能性が高くて、あの山小屋も魔女が使ってたかもしれないってことね? で、これは呪術の後だと思われる、と……」
「モイラ様、この匂いは死臭です。呪術に関するものはこの匂いがつきまといます」
「ひええ!?」
あまりに恐ろしい単語が登場して、今度はモイラが竦み上がった。思わず馬の首に縋り付き、二度と見たくないその残骸の山から視線をそらす。ベリルはモイラの怯えように苦笑を零したが、話がそれで終わるわけではない。ふと視線を空に向けた。
「ではいったい何のための呪術が使われたのか、もう少し調べにいきましょう」
ベリルの視線に吊られて、モイラとゴールデンはそろって天を仰いだ。紅葉の笠の合間に広がる曇り空から、朝焼けの残滓のような金木犀の花びらが舞い踊っていた。
残骸から離れてしまえば悪臭から逃れられると思ったが、ベリルは悪臭を辿るように先を進んでいく。獣道を見つけた後は馬を引いての山登りも幾分か楽になり、せっせと歩いた先で視界が開けると、十重二十重と広がる山々が一望できる谷の始まりに行き着いた。
「うわ――……!」
モイラは思わず歓喜の声を上げた。冬の始まりのような冷たい風に煽られながら、澄んだ空気はあまりにもクリアに山脈の姿を映している。朝陽が顔を出そうとする山の稜線の黄金色は、曇天を照らしていた。
「すごぉい! うちの塔からも景色は綺麗だけど、谷の向こうなんて初めて見たわ! ね、ゴールデン!?」
まだ人の手がついていない谷底も、このあと辿る一本道も、半島の広さをまざまざと見せつけられる。モイラは目を輝かせながら、頬に張り付くゴールデンに話を振ると、張り付いたチンチラが固まっていることに気付いた。
「え? なに? どうしたの?」
「いやモイラお前、見る方向が逆だぜ……」
逆。
逆?
すぐに朝陽に目を奪われたのがいけなかったのか、モイラはゴールデンに言われるがまま、身体の向きを変えた。するとそこに広がる光景に、驚愕した。
広大な平野を囲う城郭と、その中に敷き詰められた色とりどりの屋根を持つ街。中心に佇む王宮――エストスという国に文字通り影を落とす、巨大な船。
蔦のような青白い光にまとわり着かれて身動きを取れずにいるのは、昨年見た”クリストファーの赤い鯨”に間違いなかった。
「クリストファーの、……赤い鯨が……捕まってるの……?」
塔の上からでは淡い光でしかなかったエストスの姿が、はっきりと見える。初めて見るエストスの街はまるで幽霊船を捕まえているかのようにも見えた。
「どうやら、事故で座礁したのではないようですね……」
エストスに長く住んでいたベリルであれば、行く年も幽霊船を見送っている。エストスの街がこのような形で船を捕らえるなど信じがたい光景であった。
「自然の理で、こんなことはあり得ません! 許しがたい行為です!」
ベリルはぐっと拳を握り、強い口調で言い切った途端、凄まじい木枯らしがモイラとゴールデンを襲った。思わず馬の首に縋り付きやり過ごさなければならないほどの威力は、ベリルの怒りを表している。落ち葉の精霊であるベリルは、大きな声を出すと木枯らしを起こすのだ。
「いったい、なぜこんなことをする必要があるのです……? 魔族は幽霊船をやり過ごしていたはずでしょうに……」
目を凝らしてエストスを睨め付けるベリルが自問自答を始める間、状況を理解できないモイラはふと目の前を滑る花びらに目を奪われた。
あ、……
そういえば、あの残骸の傍でもこの橙の花びら――金木犀の花びらが舞っていた。花びらが飛んできた方向に目をやると、突き出た崖の先端に一本の樹が生えていることに気付く。
「……金木犀だわ。とっくに枯れている時期のはずなのに」
秋の始まりにふわりと舞って、この時期では花を落としているはずだ。それなのに朝焼けに照らされるあの樹には、まだ橙の粒が咲いている。
モイラは胡乱な気配を感じつつも、その樹に近づいた。頬に張り付いていたゴールデンが外套のフードにひょいと飛び込んで、モイラの肩越しに金木犀を覗いている。
そのとき、谷から吹き抜ける風がモイラの前方から抜けていった。
「――――え!? くさい!?」
モイラは驚愕して鼻を覆った。二度と嗅ぎたくないと思っていた本日二度目の死臭である。
「ふえ!? なんでだよう、金木犀のいー匂いを期待しちまったじゃねぇかよおお!」
ゴールデンも慌てて鼻を押さえ、フードの底に顔を押しつけていた。風上に位置していた金木犀の匂いが直撃してしまったモイラとゴールデンは死臭の威力に堪えられず、風向きが変わるまで待つことにした。
「――死臭を放つ樹ですか?」
モイラたちの事態と鼻孔に届く死臭に怪訝な表情を浮かべたベリルは、匂いをものともせずにずんずんと大股で金木犀まで近づいていった。そして思い切り息を吸い込んだ後、「わ!!!!」と馬鹿でかい声を放ち、木枯らしを巻き起こした。
「ひー!」
今度は背中から煽られ、モイラはいっそフードを頭に被って風圧に耐える。するとフードからこぼれ落ちたゴールデンが「あああああ」と無残な声を漏らしながら転がっていった。無念だがモイラには助ける余裕がない。
「――――さて、」
一連の木枯らしが止んで、谷から吹いてくる風も向きが変わり、死臭がだいぶ和らいだ。ベリルが改めて金木犀を見上げる背後に近づき、モイラはその根元や花びらに目をやった。
「ねぇベリル、金木犀ってもう枯れている時期よね? この死臭は、金木犀が死んでいるってこと? それとも、呪術と関係があるのかしら?」
一見して普通の金木犀にしか見えないが、それがまた異様でもある。モイラはおそるおそるベリルに尋ねるが、ベリルは眉を困らせて大きなため息をついた。
「――――今はまだ、確かなことはわかりません」
呪術、金木犀、魔女、捕らえられた幽霊船。これらが関連しているのか、それすらも分からないのが現状である。モイラもベリルの胸中を察し、そうよね、と頷いた。
肩を落としつつではあるが、モイラは金木犀を上から下まで凝視した。不思議なことがたくさん起きて、どれもこれも整理するのが難しい。しかし気になることがあると放置できない性分なので、モヤモヤを残すのはモイラにとって不快であった。
「あーもう、臭い思いをしただけで、分からず終いなんて! 悔しいなぁ!」
死臭のお返しとばかりにモイラは金木犀の根を蹴っ飛ばした。すると捲れた土の軟らかさに気づき、違和感を覚えた。
「? なにかしら……」
「ぎゃああああああああああああああああああああ!」
モイラが身を乗り出して土を覗こうとした途端、背後からゴールデンの絶叫が響いた。ついでに馬の戦慄く鳴き声と、蹄が踊る音が響く。
「ゴールデンどうしたの!?」
突然のことに驚きながらモイラとベリルが振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
一見して貴族が着るような煌びやかなコートをはためかせ、帽子を被ったその男は、雲の切れ目から差し込む朝陽に照らされる。よく見れば服の節々が傷んでおり、帽子も三角帽子だと分かると、貴族より海賊のような出で立ちに思えた。
そしてその男は、摘まみ上げたゴールデンをまじまじと眺めた後、モイラとベリルに気付いて向き直った。
「お前さんたちかい? 悪戯をしたのは……」
滑らかなテノールが風に乗って、木枯らしで冷たくなった耳たぶをくすぐる。出で立ちに相反して甘い声色を備える男は、スッと瞼を細めてモイラとベリルを睨め付けた。
「速やかに赤い鯨を解放したまえ。清掃屋の邪魔をすると、”冬”と”災厄”が暴れるよ」
道ばたのモイラ~赤い鯨と魔女の鍵~ 領家るる @passionista
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