第18話 旬の

「お前で最後だ、とっとと入れ!」

 列の最後尾を歩いていたホッパーは突如背中を蹴り飛ばされ、拘留所の広い牢屋に倒れ込んだ。

「おいおい、子供相手にまでなんてことを……」

 すかさずホッパーに駆け寄った他の者達が抗議の声を上げるが、屈強な警備兵の横柄さは少しも揺るがず、「五月蠅い!」と怒鳴り散らされる。

「全員ここで大人しくしていろ! 入国検問官が順番に呼びにくるから、それまで待機だ!」

「なんだって!? 検問は済んでるだろ!」

 口々に上がる抗議に返ってきたのは、鉄格子を思い切り閉じる重厚な金属音だった。


 宿屋の食堂にいたホッパーや、他の入国者は、有無を言わさず引っ立てられた。屈強な警備兵だけであれば不審がったが、入国時に手続きをした検問官が同行していた為、その場の者達は『いったん従おう』という流れになってしまった。まさか連れて行かれるのが街外れの拘留所だとは知らずに。

「大丈夫かい?」

「はい……」

 差し伸べられた手を取り、ホッパーは冷たい床に投げ出された身体を持ち上げた。ミトンのカーディガンを着ていて心底良かったのは、生地に厚みがあることだ。

 ホッパーは埃を払いながら辺りを見渡す。鉄格子の中は広く、何人もの商人たちが肩を寄せ合っていた。中には旅行者のような女子供も含まれていて、片っ端から異国の者を捕まえているのが理解できる。

「酷いことをするもんだ……。疑うくらいなら入国なんぞさせなければいいものを」

 ホッパーに手を差し伸べてくれた男をよく見ると、いつも隣で店を出している乾物屋の商人であった。恰幅のいい壮年の男は、長いため息をつき、鉄格子に背中を預けた。


『今代のへリクソン王は、意地悪な王様なんですよ。自分に都合が悪い人たちを”悪魔”だと錯覚してしまう』



 宿屋の主人の言葉がホッパーの脳裏を過ぎる。

 よくよく思い出して見れば、昨年も同じような言葉を聞いたことがある。エストスの王、へリクソンの悪名な何処までも轟いているということだろう。

「不安定な国だと分かった上で入国しちゃぁいるが、ここ数ヶ月は平和だったんだがなぁ! 結局根本は変わってねぇってことか!?」

「そらぁこの異常事態だから、怪しい奴はとにかく捕まえるんだろうさ。仕方ねぇよ」

 癇癪を爆発させる旅行者を、他の商人が宥める。ああ頭のいたいことだ……とどこもかしこも現状を理解しきれずに頭を抱えていた。

「……王様も、原因をつきとめようと必死なんですかね」

 意地悪な王様を庇うつもりはないが、何度も爆音が鳴ったり風が吹いたり暗くなったり、国の一大事を解決するためであれば善良な王でさえ手段は選ばないはずだ。会ったことも無いが、へリクソン王とて、原因をつきとめる為に血眼になっているに違いない。

 しかしホッパーの言葉を汲み取った乾物屋の商人は、苦笑しながら首を横に振った。

「こんな異常気象の原因を探るのに、入国者なんぞ気にするかね? 俺だったら天変地異が起きたのかと思うよ」

 昨年の大災害のようにね――。

 乾物屋の言葉はひどく当を得る。ホッパーは目を見開き、口元を覆いながら「確かに」と頷いた。

「王や官僚は魔族だから、俺たち人間には分からない事情を知っているのかもしれん。ちょうどクリストファーの赤い鯨が飛んでくる時期だし……魔族は昔から赤い鯨を毛嫌いしてるからな」

 乾物屋は「全く面倒くさい」と呟きながら大きなため息をつき、視線を持ち上げた。その視線の先には小窓があり、仄かに明るい光が差し込んでいる。


 そういえば食堂の客たちも、口々に暗がりに浮かぶ影を見たと言っていた。

『曰く船』『尾のような』……。尾、と言われると、赤い鯨を連想してしまうのは、それが旬だからだろうか。

「……みんな、街の上に黒いものが見えるみたいです。おれには黒い積乱雲みたいな、もやっとしたものがかろうじてある気がするだけなんですけど」

「俺だって似たようなモンさ。全く知らん」

 肩をすくめる乾物屋の苦笑を見て、ホッパーはどこか安堵した。自分だけが見えないわけではないし、見えなくても可笑しいことではないようだ。

 その時、鉄格子の外から足音が響いた。

「お待たせしました。これからお一人ずつ聴取を行います。名前を呼ばれた方は速やかに出てきて下さい」

 姿を見せたのは検問官であった。粗暴な警備兵よりは幾分ましだなと思い、ホッパーは胸をなで下ろした。

「詰問の時間がやってきたとさ」

 ほっとした途端に水を差したのは、乾物屋であった。そう言われてしまうと、拭い去った不安がぶり返し、ホッパーは眉を寄せた。

 聴取と詰問では偉い違いだ。

 そもそも、聴取された者はここに帰ってくるのだろうか? もし戻ってくるなら、どんな具合か聞いてから対策を立てられるかもしれない。

「アンデルセン・ホッパーさん、こちらにどうぞ」

 淡い希望が打ち砕かれて、ホッパーは勢いよく顔を上げた。横目に入る乾物屋が「可哀想に」と言いたげに首を横に振っている。


……なんだかついていない。わけがわからない……。


 とは思いつつも、ここで知らんぷりをしても結局面倒が増して返ってくるだけである。ホッパーは観念した様子で踏みだし、検問官の前に名乗り出た。




「そこにお座り下さい」

 連れてこられた小部屋の中には、検問官2名と警備兵1名が待機していた。小さな机の前に置かれた壊れかけの古い椅子に腰掛けるよう命じられ、ホッパーはしぶしぶ腰を下ろした。

「ホッパーくん、エストスには何をしに?」

「……栗を売りに」

 質問するのは目の前に腰を下ろした検問官である。骨張った顔に眼鏡をひっかけた生真面目そうなその男は、入国時に手続きをした書類を穴が空くほど眺めている。

「君は半島から来ているね? どうしてわざわざエストスに?」

「……どうして?」

「半島の商人はほとんどリビアに行くと聞いている。あっちの方が景気が良いだろう? 何より近い」

「はぁ……」

「なんでわざわざエストスに? 何か特別な理由があるかな?」

「……エストスで売ろうとおもっただけです……」

 検問官の目が細くなり、ホッパーの眉はハの字に下がる。後ろで聞いている検問官や警備兵は、露骨に難色を示していた。

 いったいこれは何を話す時間なのだろう?

 なぜ1年も前から出入りしている国の検問官に、今更入国の動機を話す必要があるのだろうか?

 ごほん、とやつれ顔の検問官は咳払いをした。

「君が栗売りだという証拠はどこにある?」

「え?」

「栗をどこに持っているんだね?」

「……もう売れました」

「つまり証拠がないということだね?」

「はぁ」

「栗売りだと証明できないのだから、君が潔白だとは言えないね」

「え?」

「ん?」

 ホッパーは頭の上に何個目かの?マークが浮かんだ。

 なぜ今、栗売りかどうか証拠を求められているのだろうか? ホッパーは首を傾げた。

「おれが入国するとき、栗商品を持っていることは確認していますよね」

 すっかり忘れていたが、あの屈強な赤い鼻の検問官は”栗売りじゃ通らないぞ、本売り”と警告をしてきた。あのときのやりとりを思い出せば、赤い鼻の検問官は本売りでは都合が悪いからわざわざ栗売りと書いて手続きをしたはずである。

「どうしてもう一回聞くんですか? これは何の聴取なんですか」

「そんなことはどうでもいいんじゃねぇか?」

 目を釣り上げている検問官が口を開く前に、割って入ったのは警備兵であった。心底面倒そうに舌打ちをし、苛々した様子で机を叩く。

「半島から入ってきたやつなんか、信用しない方がいい。昔から半島の奴らはろくなものを運んでこないっていうだろ!? 騒ぎが収まるまではとにかく隔離しておきゃぁいい」

 耳を疑う台詞だった。この警備兵は元々、半島の人間を好ましく思っていないだけで、話も聞かずにホッパーを捕らえようとしている。ホッパーはいよいよ身の危険を感じ、じんわりと背中に汗を掻いた。

「いいがかりがすぎる」

「ああ!?」

 うっかり心の声が漏れてしまった。ホッパーは「しまった」と言う間もなく警備兵に胸ぐらを捕まれ、椅子から引き上げられてしまった。

 あ、やばい、殴られる……

 警備兵の右手が握り込まれる。甲冑の小手で殴られるなんて絶対に御免だが、ホッパーは驚くばかりでどう避けたら良いかもわからない。今まさに振り抜かれんとする拳に備え、ぐっと瞼を瞑り覚悟を決めるしかできなかった。


「あ~~~~~!! ちょっと待った――!!」

 唐突にバン! と扉が開け放たれる音がして、驚いた警備兵の拳が止まった。ホッパーは殴られたわけでもないのにびくりと肩を揺らし、一拍置いてから恐る恐る振り返る。するとそこにはホッパーの入国手続きをした検問官が、息を荒げて立っていた。

「いやぁ、検問官長、すんません! こいつは俺が入国の手続きをしまして! いやぁもう1年ですよ、1年前の、こいつがこんな小さい時から俺が手続きしてやってるんです!」

 走ってきた所為か、赤い鼻がどころか耳や頬まで赤くした屈強な検問官は、額の汗をぐいと拭いながらホッパーに詰め寄り、その首根っこを引っつかんだ。

「ぎゃ、」

 検問官がホッパーの首根っこを引っ張ったことで、警備兵に捕まれた胸ぐらが放される。結果として検問官に背中を預ける格好となり、そのまままるで級友かのように肩を組まれた。

「アレク検問官、それは本当ですか?」

 さきほどまで目をつり上げていたやつれ顔の検問官は、赤鼻の検問官――今更知ったがアレクという名前らしい――に、詰め寄った。アレクは勢いよく首肯し、

「本当に、本当です! 第一、こいつはこんな見た目ですが、まだ16ですよ!? ぶっきらぼうだから歳とってるように見えるだけで、子供ですから!」

「……16?」

「……商売に歳は関係ない」

 必死に取り繕うアレクの言葉が癇にさわる。ホッパーはぽつりと不満を呟いたが、アレクに足を踏まれたので黙ることにした。肩を組まれるのも歳を持ち出されるのも好ましくないが、どうやらアレクはホッパーを庇ってくれていることは理解できる。

 その後もアレク検問官はあれこれと勢いに任せてやつれ顔の検問官をやり込めようと躍起になった。その甲斐があったのか、いい加減嫌になったのか、どことなく冷めた空気が流れた。

「――まぁ、いいでしょう。とにかく、君はとっととこの国から出て行きなさい」

 やつれ顔の検問官は、眼鏡を押し上げて心底面倒臭そうに告げた。結論は厄介払いということだ。

「ええ、ええもちろんです! 俺がきっちり外につまみ出しておきます!」

 ほら、行くぞ。アレクの腕力に抵抗かなわず、ホッパーはしどろもどろなまま小部屋を出ることとなった。小部屋の扉が閉まる瞬間、警備兵の舌打ちが聞こえた気がした。




「お前は!! 本当に!! 世渡り下手か!!」

 留置所の廊下を早足で進みながら、アレク検察官はホッパーを叱り付けた。人の気配がなくなった途端に大声を出すのだから、ホッパーにしてみれば溜まったものではない。

「なんで警備兵に殴られそうになってんだよ! 俺はちゃんと栗売りって書いただろ!?」

「知らない。栗持ってないからだめだったみたい」

「栗なんか持ってるって言やぁいいだろ! 宿に戻ればあるとか、適当に拾って見せてやればいいんだ」

 この男の言うことも随分とメチャクチャであった。ホッパーはなんとも言葉を繕えず、口をひん曲げるしかない。

「まぁいいや、とりあえず聴取も終わったんだからお前は自由だ。ここからは俺の用に付き合え」

「え?」

「なんだよ、俺が何のためにお前を助けたと思ってるんだ?」

 ホッパーは今日何度目かの耳を疑う事態となり、思わず足を止めた。驚きのあまり固まっていると、振り返った大柄なアレクの身体がじりじりと近づいてくる。

「……おれはエストスからでていくんじゃないの」

 ホッパーがやつれ顔の検問官の言葉を借りて確認すると、アレクは「その通りだ」と大きく頷いた。

「だが1つ思い出してみろ? 昨日、お前を通してやった時、俺はなんて言った?」

 にんまりとあくどい笑みを浮かべるアレクは、大きな左手を突き出して、寄越せとばかりに煽り始める。その手のひらを見下ろしながら、ホッパーは必死に記憶をたぐり寄せていた。

 思い出せ、思い出せ……さっきまで存在すら忘れていたけれど、きっと思い出せるはずだ。

 記憶のエンジンに薪や油を注いで脳内フル回転である。必死に思い出した結果、ホッパーの脳裏に一筋の閃きが訪れた。


『いいか? 何か厄介ごとに巻き込まれたら俺を呼べよ。”あの本”があれば上手いこと見逃してやるからな』



 記憶の底から聞こえてくるあの日のアレクの台詞。

 ホッパーはこれでもかと言うくらい目と口をかっぴらき、落雷に打たれたような衝撃を受けた。

 思い出した。こいつは”あの本”と引き換えに厄介ごとから助けてやると言った。

 ついでに”あの本”とやらが何を指しているのか、さっぱり思い出せないことも思い出した。

「思い出しただろ?」

 アレクは眉を持ち上げてやにさがる。ホッパーの表情を見れば手に取るように分かるのだろう。得意げになって「わかったらほら、ほれほれ」と手のひらを煽ってくる。そんなことをされてはホッパーは青ざめるばかりだった。

 しまった。だめだ、正直に言わないといけない。第一、荷物は宿に置いたままで、今は身1つでここにいる。

「あの本なぁ、他にも読みたがっている方がいるんだよ。な? お前がくるのを待ってたんだぜ」

「……よみたがっているお方」

「そうだよ、なんなら会って行くか?」

 ホッパーは顔を上げて、何度も首肯した。どの本を指しているか全くわからないので、思いだすヒントになるなら何でもいいから情報がほしい。

「ようし、じゃぁ外に出る前に寄り道だ。お得意様にしておくには都合がいい方だぜ、ちょっと今は訳ありだがよ」

 上機嫌なまま足先を変えたアレクの背中に付いていき、ホッパーは拘留所の内部を進むのであった。

 

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