第27話 グレンデル戦3

 左手に持った盾と、右手で咄嗟に脱いだ兜を顔の前に掲げて思いっきり目をつむってもまだ、雷光は視界を焼き尽くす。頭の中では轟音が駆けたと思えば、一気に限界を突破してしまい、キーンとした耳鳴りすらも聞こえない全くの無音になった。


 かわりにあるのは頭痛と平衡感覚を失ったことでおきるめまいと気持ち悪さだ。そのせいで、指先一つ動かすのすら難しい。


 さっきよりも強い魔法が使われたのか、それとも兜を脱いだ俺の判断が間違っていたのか。身動き一つとれないわずかな時間の中で、考えられたのはそんなことだけ。


 わずかな時間で魔法の影響が切れたおかげで、すぐにマヒした視覚と聴覚は復活してくれた。


「おっ、と……」


 それでも、動き出そうとするとまだふらつく。腕を下げるだけで倒れそうになるなんて初めての経験だ。


「これは、また……」


 揺れる身体を何とか踏ん張らせてみた視線の先。そこにあったのは黒焦げの小山だ。プスプスと煙と音を立てながら燻ぶるソレは恐らくボレアダイルとグレンデルなのだろう。もはや原型が無い。が、どうしてあんなにもうず高くなっているのだろう?


 熱で溶けて一体化したのか、それとも焼き崩れて一つの塊に見えるのか、そのどちらなのかはわからないが、これはもう……。


「やったか?」


 あ、ダメそうなセリフ。


 声のした方を振り向いたら、ヴィゴが左手の中指に指輪を嵌めながら黒山の方を眺めている。


「ヴィゴ!!」


「ん? なんだ? そんな眉根に力を入れて……」


「フラグ! フラグ!!」


「フラグ? 旗の事か? それがどうした?」


 あ、またやらかした。この世界の人間にフラグだなんて言っても通じるわけないのに、何を言っているんだ俺は。


「あの、あれだ! 物語のお約束と言うか、そういう流れと言うか、とにかく!! まだ何か起こりそうな」


 ボゴッ!!!


「予感と言うか、なんというか……」


「なるほど、的中させたわけか」


 黒山がその内側から動き始めるのを見て、スッとヴィゴが弓を構えなおす。


 俺も軽く足踏みして全身くまなく身体を動かして不調が無いのを確認してから構えなおした。


「ゴァオオオオオォォォ!!!」


 焦げて焼き付いた死体を無理矢理内側からこじ開けて、グレンデルがその中から現れた。


 表面が灼けたのかひび割れ、黒ずみ、それでも、目は煌々と光っている。


「ッチ、召喚したボレアダイルを盾代わりにしてダメージを最小化したか」


 ヴィゴの言葉通り、ボレアダイルは咄嗟に眷属であるボレアダイルを自分の影から呼び出して重ねることで何とか雷撃を防いだのだろう。さっきみたいな小山が出来ていたは、盾になったボレアダイルが積み重なったせいだった、ということか。


「それだけじゃないみたいだぞ」


 ボレアダイルの口元を見れば、何かを咥えている。肉だ。血の滴る先ほどまで生きていた獲物の、肉。


「……自分の眷属を喰らって回復したのか」


 ヴィゴのイラついた声で、俺は嫌なことに気が付いた。


「ウソだろ……左手が生えてきてる」


 前世の記憶でワニの尻尾は切れても生えてくることがあるってのは知っていたけれど、腕が生えるというのは無かったはずだ。


 だがよく見てみると、新しく生えてきた腕は剣や道具を持てるほどには再生できていなかった。指は短く、関節の数も少ない。代わりに鋭い爪が生えそろっていた。


「だが、振り出しに戻ったわけではなさそうだぞ」


 ヴィゴも同じことに気が付いていたんだろう。慰めの言葉を投げかけてくれた。


「あの爪もソコソコ危なそうで嫌なんだけど」


「まぁそう……悲観的になるな!!」


 ヴィゴの弓から三本の矢が走った。それぞれ目、首、心臓を狙った三矢はそのまま吸い込まれるようにグレンデルの身体へと突き刺さ、る直前に左手の爪で全て叩き折られた。


 同時、矢が放たれるのに合わせて走り込んでいた俺がグレンデルの左手をもう一度斬り落とそうと剣を振るった。


 しかし、その一撃はグレンデルのバックステップに躱される。


 それを見越していたように、ヴィゴがグレンデルの着地直後の足を狙って矢を放っていた。


 未来予測でもしていたのか、と言いたいほどにドンピシャのタイミングで突き立とうとしていた矢はしかし、横合いから飛んできた氷の矢に阻まれた。


「新手か!!?」


 ヴィゴが氷の矢が飛んできた方へと矢を放つ。


 俺も一瞬だけそちらの方へと目をやった。しかし氷の矢はこちらに向かって矢が飛んできておらず、ヴィゴを狙っているのが確認できた。


「ヴィゴ!! そっちは頼む!!」


 だから、新手の対応はヴィゴに一任した。


「任せろ!!」


 と返事が来たのと、グレンデルが左手を俺の顔面に突き込んでくるのがほぼ同着。俺は盾で左手を受け止めようとすると、グレンデルはその表面を滑らせるようにして衝突を回避した。


 さすがに再生したばかりの左手を失うわけにはいかなかったのだろう。今までになく慎重な動きだ。


 だが、それにつけ込むのが戦いというもの。


 俺はすぐさま盾を思いっきり叩きこんでそのまま左手狙いで剣を振るった。盾の表面から引いた手を捉えた一撃は見事に左手首を捉えようとして、不意に、グレンデルの右腕に、目が、いった。

 

 俺はハッとして盾を引き戻すと同時、左足を大きく右足の後ろまで後退させて身体を半回転、無理矢理にスペースを作って盾を滑り込ませた。


 ガキン!!!


 と大きな音がして盾に衝撃が走る。グレンデルが右手に持った刃が盾を打ち付け、次いでこちらの態勢が崩れたところに、一回転からの尻尾薙ぎが振るわれる。


「その流れは!!!」


 こちらは、右足を横に開いて踏ん張ると、もう一度盾を大きく動かして防御を固める。


「さっき見たっての!!!!」


 グレンデルの尻尾を盾の表面で受け止めて、無理矢理にその動きを遅れさせる。


「せええええええい!!!!!」


 グレンデルが背を見せているその隙をついて、俺は思いっきり剣を斬り上げた。右脇腹を斬り裂くつもりのその一撃は、しかし思わぬ邪魔によって防がれた。


 尻尾だ。


 盾のせいで動きの鈍った尻尾を動かして身を護る盾代わりにしたのだ。


 それでも、剣を振る手から力を抜かなかった。身体ごと跳ね上げるようにして放った剣戟はグレンデルの身体には届かなくともしっかりと尾の鱗を割り身に喰いこんだ。


 ならばあとは振り抜くだけだ。


「オオォオオラァァアア!!!!」


 裂帛の気合と共に脚に溜めた力も一気に開放して剣を振り切った。視界には赤い血が飛び散り、力を失くした尾が宙を舞った。


 それと同じくして、尻尾が無くなったことで身体のバランスが崩れたのか、グレンデルが思いっきり前のめりに倒れ込んだ。


 その倒れ込む背中に向けて、俺は斬り上げた剣を今度は一気に振り下ろした。


 その一撃をグレンデルは身体を回転させて避けた。そのまま転がりながら距離を取ってから左手で押し上げるように立ち上がると、こちらを睨みつけてくる。


「フシュルルルウゥ」


 今までの様に唸るような声をあげるけれども尻尾から流れ出る血は、止まらない。さすがのグレンデルにも限界が来たということだろう。


 それでも、グレンデルは逃げようとしない。ただただ、怒りに目を染めてこちらを睨みつけて荒い呼吸でじりじりと距離を詰めて来る。


 こちらも構えを取りながらゆっくりと自分が優位な間合いへと足を進めつつ、警戒を強めた。手負いの獣が危険だというのは魔物にも当てはまるからだ。


 やがて、あと一歩を踏み込めばお互いの武器が届くという位置になったときに、グレンデルが動いた。

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