第5話 余波
「亀の化け物、ですか?」
「うん、どうやらフェルケイロンと呼ばれる魔獣だそうなんだが、王都から西へ向かう街道沿い、ちょうど休憩場所の近くを流れる小川をこの魔物が占拠しているみたいでね、それを倒してきてほしい」
どうやら俺に用事があるというのはあの場から助け出すためのウソではなく本当の事だったようで、家人に俺を呼びに行かせようとしていたところ、偶然あの場を通りがかったそうだ。
「しかしなんでまた私なんぞが……その小川を管理している領主様が軍を動かすなり、冒険者ギルドを使うなりすればよろしいのに……」
「ふむ……いやことはそう簡単にはいかんのだよ」
そういうと辺境伯閣下は肘をつき、右手で顎を触りながらこちらを観察するように眺めながらゆっくりと。
「まあ、まずは冒険者ギルドだが……機ではないと見て、すぐに動くようなことはないだろう」
「それは一体?」
「うむ、なに、この王都ではこのくらいの時間になるとめっきりと春の陽気を感じられるようになるが、小川の上流、北の地にはまだ雪が多く残っているらしい」
その言葉に俺はハッとした。
「つまり冒険者ギルドは雪解けを待ち、川の氾濫が目前に迫るまで事態を静観する、ということでしょうか」
こちらの言葉に閣下はニッと口角を上げた。
「その通り。事態が大きくなりかけた頃合いを見計らい、依頼料を吊り上げて近隣の領主に
まずは正解とでも言うように閣下は少しだけこちらを観察する目を細めた。
「それを知りながら、何故領主は軍を動かさないのですか?」
領主とはそのために民から税を集め、軍を率いているはずだ。少なくとも父はそうしていたし、兄だって自ら先頭に立って領内の魔物を討伐していた。
「そうはいかんよ、なにせ川というのは領の境界を引くには丁度良いランドマークだ。現に、この小川はこの王都を擁するロッダ州とラポルダー準男爵領、さらにはアルトドルファー男爵領、サルパイ伯爵領と管理権が重複していてね。協議なしでどこかが勝手に軍を動かすなどしてしまったら一気に緊張が高まってしまう」
「では、その協議を!!」
「始めたいのだが……聖女様とその護衛が我が国の元騎士と揉めた問題のせいで現在、王宮はその後始末に奔走しているし、各貴族も自分の派閥の再編成や今後の見通しなどを考え直さなければならなくなっていて、魔獣一匹の対処どころではないのだ」
大仰に肩を竦めて天を仰ぐ閣下。
あ~~~、はいすいません。これって俺のせいだったんですね。
「誰も彼も忙しく協議の日程は合わせられない……。どの貴族も勝手に軍を動かせず、勝手に冒険者ギルドに依頼しいくわけにもいかない。冒険者ギルドはそんな状況を察知して依頼料値上げのために知らんふりをしている……。王立学園での騒動がなっければとっくに解決していたはずの問題だったのに‥‥‥」
グサッ!グサグサッ!!と俺の良心にナイフが突き立てられるようにダメージがくる。
ちらり、とこちらを見た閣下は真剣に困ったような表情を作って、ここにはいない誰かに問いかけるように呟いた。
「おお、誰か、この状況を打開すべく、あの忌まわしい魔獣を討伐してくれまいか!?」
閣下はこちらにまるで気づかぬように窓の向こう側へと視線をやったままだ。
「……わ、私が、解決してきます」
そう言わざるをえなかった。だってしょうがないだろう。俺にだって言いたいことはあるし、あの時はバカ共を叩きのめした正当な理由だってちゃんとあった。それにきちんと罰も受けた。
しかしだ、だからと言って、その余波で何が起きても知ったことじゃない!! と開き直れるほど俺の神経と精神は図太くないのだ。
自分一人の責任じゃないのは分かっていても、本当は偉い人がそれでもなんとかして解決しろよ!! とか心の中で叫んでしまっても、それでも色々と考えて、出来ることはしたいと思ってしまうのだ。
「そうかそうか!! さすがは黒騎士殿!!」
大袈裟なまでに喜んで見せる閣下は両手でこちらの手を取って上下にぶんぶんと振ってくる。本来ならば貴族としてあるまじき行為なのだが、それでもこうして謝意を表してくれている、と思っておこう。
どうにもこの閣下、俺のことを遊び半分に揶揄っていたり、悪ふざけに巻き込んでいたり、思うように手のひらの上で転がされていたりとしているような気がしないでもない。
しかし、根っからの悪人と言うわけでもないし、こちらを利用しているだけにも思えない。
なんというか、趣味と実益を兼ねたうえで純粋にコチラを助けてくれているのだと思う。いや、思いたい。
「西門までだ」
閣下は御者にそう命ずると懐から持ち運びが出来る簡易の通信魔道具を取り出して魔力を込めて赤く光らせた。
今度は閣下の手にある魔道具が青と赤の軽い明滅を繰り返していることから向こうから何らかの返答があったのだろう。
この簡易通信魔道具は色と光の明滅を相手と送りあい、あらかじめ決められた符号を用いて向こうと通信を行う魔道具だ。ちょうどあれだ。元いた世界のモールス信号の光版みたいなものだ。
ちなみに、設置型の大きな通信魔道具は文章をチャットのようにリアルタイムで送受信出来たり、電話の様に会話も出来たりするらしい。
やがて西門まで到達したか、と思うと検問だなんだを受けることなくあっという間に門を通過できてしまった。
門を出たところで馬車はゆっくりと止まり、閣下が馬車の扉の鍵を外すと外から丁寧に音を立てぬように開かれていく。
扉の前にいたのは、立派な青毛(馬の毛色の一種で全身の被毛が真っ黒な毛色のこと)の軍馬だ。大きくて立派な体格をしていて何より毛艶が大変にいい。陽の光を薄く反射してキラキラと輝くさまはまさしく一つの芸術だった。
そんな馬が鞍を乗せ、ハミを噛んで何かを待つようにジッとこちらを見てきていた。
「黒騎士殿」
そんなふうに後ろから閣下に声をかけられても、知らぬうちに馬車から飛び降りていた俺は目の前の
「閣下、この馬は?」
ふうと、後ろから呆れたような閣下のため息が聞こえたけれど、まあいいだろう。多少無礼かもしれないが、このまま知らないふりをしておこう。
「なに、黒騎士殿の心意気に胸を打たれてな、貴殿がいち早く魔物を討伐する一助になればと私が所有するこの馬を……」
閣下は俺に期待させるように間を持たせ。
「お貸しする」
ですよねー。と軽く肩を落としてがっくりするも、まあしょうがないだろう。これほどの名馬だ。下手をすると家一軒よりも高い金額で取引されることだってある。そうホイホイ貰えると期待するほうが悪い。
そんな俺の目の前に馬は寄ってきて、まるで「乗れ」と言っているかのようにその首筋をこちらに擦り付けてきた。
チラッと後ろを振り返ると、察したように頷く閣下。
俺はそれを了承と取って
空がグンっと近くなり、どこまでも遠くを見通せるような不思議な感覚が俺を襲う。
「閣下、この馬の名は?」
まことに失礼ながら馬上から閣下に問いかけると、そんなことは全く気にせず微笑まし気な表情で答えてくれた。
「オディゴという、怪我をさせずにつれて帰ってくれ」
そう言って閣下は笑い、ひょいっと先ほど持っていた通信魔道具を投げよこしてくれた。
「それも貸しておこう、あとは魔力を込めるだけでコチラに魔物を倒したことが伝わるようにしてある」
俺はひとつ頷いて。
「では吉報をお待ちくだされ」
そう言って、馬を巡らせて街道を西に向く。
「行くぞ!! オディゴ!!」
軽く手綱を振っただけでオディゴは一気に加速して、西へ西へと信じられないスピードで駆けて行く。
♦♦♦
「やれやれ、もうあんな所まで行ってしまったか」
あっという間に加速した漆黒の馬と黒騎士は、まるで影の様に小さな姿だけを西方辺境伯、ヴォルフラム・フォン・シェーンハイムの目に映した。
「しかし、ずいぶんとオディゴを気に入ってくれたようで……これは馬と引き換えにもう一つ、二つは厄介ごとを片付けてもらえる、かな?」
そんなことを考えながらヴォルフラムはここ最近耳にしている王都周辺で起きつつあるごたごた話を思い起こしていた。
「まあ、ウチの大事な部下の子だし、何とか頑張って親元に帰れるようにしてあげないとねえ」
言いつつ、馬車に乗り込んだヴォルフラムはゆっくりと腰かけると。
「と、いうわけだから悪いけど、目立った功績になりそうで尚且つ、私の得になりそうな変事を探してきてくれたまえ、頼むよ」
どこに向けたものか分からない言葉は馬車の中だけに響き、同時、コンと小さく返答の様に音がしただけで何も変化が起きたように見えず、ヴォルフラムを乗せた馬車はきた道を戻り、ゆっくりと王都に飲み込まれていった。
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