第12話 貴族には向かない

 その夜、俺は再度辺境伯閣下の屋敷へと呼び出された。


 理由はよくわからない。


 「明日からしばらくの間、アルスクの庄まで行って魔物討伐してきます」という内容をもっとこう上手いこと尊敬語と丁寧語を織り交ぜて飾り、長ったらしくした書簡を手早く作成し閣下にお送りしたところ、宿まで迎えがやって来たのだ。


 屋敷に到着したところで、閣下は急な来客に対応している、と言われてしまい、俺は応接室で待たされている。


 閣下ほどのお偉い人物になるとさらには自領からの報告や他所の領主との外交、役所との折衝などやることは山の様にあって、さらには閣下を訪ねて人が波の様に押し寄せると聞く。


 だからこそ俺はお忙しい閣下に手間をかけないようにと気を遣って書簡を認めたわけなのだが、それが気に入らなかったのか、あるいは何か用事があって呼び出されたのか。


 まさか、明日から別の依頼をこなせとかそんな用件だったらどうしよう。上手いこと断りを入れつつフォローをする、もしくは大急ぎで依頼をこなしてからアルスクの庄に向かうか? しかし、今まさに生活の面倒まで見てもらっている閣下に対してそれは不義理なんじゃないか、とそんなことを思っているところで、不意に廊下から気配がした。


 軽い足音と衣擦れの音。そしてそれに続く、やけに揃った複数のしっかりとした足音。


 カツカツと軽妙なリズムを刻む足音はヒールが付いた靴を履いたものだし、さわさわとせせらぎのような音はおそらくは飾りの多いドレスを着た証拠。成人した女性はどちらかと言うとドレスよりも宝飾品で飾り立てることが多いというから、おそらく、先頭を歩いているのはどこぞの貴族の令嬢だろう。


 ならば、後に続いているのはその護衛と言ったところ。いかにも軍勢らしく足並みを揃えて己が存在を誇示するように足を踏みしめるのは威容を保つためか、それとも重たい装備をつけているかのいずれか。


 一団は俺のいる応接室の前を通りすぎて、そのまま出口へと向かって歩いていった。


 あの一団が閣下の急な客人だったのだろうか?


 すると、コンコンと控えめなノックの音が響いた。どうぞと声をかけると、メイドさんが優雅にお辞儀をしながら入ってくる。


「大変長らくお待たせしております。黒騎士様、間もなく我が主が参りますので今しばらく」


 そう言って、てきぱきとテーブルの向こう側、閣下が座るだろう上座にティーセットを準備し、俺のカップも取り換えられて新しいセットが配される。


 そして、スッとメイドさんがテーブル脇に引いたその時に、ガチャリと扉を開けて閣下がコチラに入ってきた。


 俺は立ち上がって礼をすると、閣下が上座に腰かける。そしてどうぞと促されてから俺はもう一度椅子に座った。メイドさんが閣下のカップに紅茶をサーブすると、閣下が人払いするように手を振る。


 メイドさんが部屋を出て二人っきりになったところで、閣下が紅茶に手をつけた。


「すまないね、まさかこんな時間に事前の連絡もなく他所のご令嬢が来るとは思わず、家内の手を借りてまで会談することなってね。随分と待たせてしまっただろう?」


 猫の様に目を細めた閣下に、俺は首を横に振る。


「いえ、こちらこそ夕刻に唐突なご連絡をしてしまい、まことに申し訳なく」


 まったく思っていなくても話の切り口として俺は速攻でこちらの要件を丁寧に叩きつけた。他の用事を押し付けられたくないからだ。


「そう! あの手紙! 近頃王都を騒がせている街道の魔物ども、それがアルスクの庄で起きているという話なんだが……まことの話かな?」


 閣下が手を組んでこちらを見つめてくるのを見て、俺は膝の上でグッと拳を握った。


「確証はありませぬが、間違いはないと思っています」


 言い切って、閣下の目をまっすぐに見つめる。


「そう、か。君がそう言うなら可能性は高いんだろう」


 閣下は何かを考えるように目をつむり、俺はその後に続くだろう言葉を待った。


「あいわかった。それで君は何を望む」


 その問いかけに妙な感じがしたが、俺はとにかく頭を下げた。


「数日の間、王都を離れる許可を頂きたい」


「これはおかしなことを聞くものだ。わたしにそんな許可をだす権限なんかないよ。君が思うように行くがいい」 


「あ、ありがとうございます!! 魔物を討伐すればすぐに王都に戻ってきますので」


 顔を上げて礼を言うと、そこには不思議そうに眼を見開いている閣下の顔があった。


 思わず、俺も首を傾げると、閣下が咳ばらいを一つして姿勢を正した。俺もそれに合わせてビシッと背筋を伸ばす。


「もしかすると、君は本当に王都を数日留守にすると、ただそれだけの理由で私に連絡してきたのかな?」


「はい。私はオディゴの件で閣下に恩がありますので。それを返しても居ないのにかかわらず、勝手に王都を離れるのもどうかと思いまして」


「そう、か…… うん、さっきも行った通り、君の好きにすると良い。あと、そうだな。とりあえずは一週間分の食糧を明日、君の宿に届けておく。旅の途中に食べてくれ」


「なにからなにまで、ありがとうございます」


 俺が大きく頭を下げると、閣下がスッと立ち上がる。


「今日は急に呼び立てて済まなかった。ちょっと手紙の内容だけだと本当に魔物の活発化と関係があるのか、その真偽が分からなくてね。悪いことをした」


「いえ、とんでもありません。むしろ、こちらこそご厚情に与ってばかりで」


 俺も立ち上がって大きく頭を下げると。


「なに、いずれは返してもらうつもりだ。気にしなくても良いよ」


 閣下はそう言って笑い、俺の肩を軽く叩いてから、部屋の外に出ていった。今日の会談はこれで終わりということなのだろう。



♦♦♦


 

 ガチャリと開いた扉の向こうからため息の音とともに男が室内に入ってきた。男は後ろ手に扉を閉めると、執務机上の灯りを頼りに革張りの椅子へと深く腰掛けた。


 綺麗に整えられた頭髪を手櫛でぐしゃぐしゃと乱雑に振り乱してしまうと、もう一度、ため息を吐いた。


「あの子は本当に、貴族には向かない子だなぁ」


 男の名はヴォルフラム・フォン・シェーンハイム。辺境伯を戴いた貴族の一人であり、多くの郎党を従えた大貴族、なおかつ数多の貴族を束ねる派閥の頭領でもある。


 その郎党の子だったのが、ディルクだ。彼は、王都で起きた内乱の火種を消そうと努力し、しかしそれが別の、対外戦争につながる導火線に燃え移り、火を消すためにと切り捨てられてしまった。


 彼の家族はそれに納得がいかず、ずいぶんとヴォルフラムのところに頼み込んできたのだが、いかに大貴族と言えど王国そのものを敵に回すことは出来ず、家族を説得することしか出来なかった。


 だが、納得出来なかったのはヴォルフラムも同じだ。


 何故、彼だけが報いを受けた。報いを受けるならば、聖女や元王子たちをほったらかしにしていた王自身や他の貴族、学園の教師どもだって罰せられなければならないはずだ。


 なのに、若者だけがトカゲの尻尾きりの様に放逐されるなどヴォルフラムには到底許されることでは無かった。


 だからこそヴォルフラムは王に願い出て、彼とその家族の最期の別れの時間を演出し、そして、彼が胸を張って家族の下に戻れるようアレコレと知恵を回した。


 今もそうだ。自分たちが得をして、他のヤツらに恩を売りつけて、これからすることに文句出ない状況を作りあげてやろうと画策をしていた。


 そんな折に彼の方から手紙が届いた。


 内容としては、『困窮したアルスクの庄が魔物による被害を受けている。これがもしかすると王都での魔物活性化に繋がっているのではないか』という正にお誂え向きの話ではないか。


 だからこそ、ヴォルフラムは彼が何らかの支援を求めているのだと判断した。手紙には書かれていないが、直接会って、上手いこと根回しをするように求められているものだとそう考えていたのだ。


 だが、違った。


 彼はそこに何の意図もなければ思惑もなく、ただ単にヴォルフラムに義理立てをして知らせただけだったのだ。


「まったく、面白い話じゃないか」


 貴族にとって権謀術数は飯の種。出来なければすべてを奪われ、失っていく。そんな中で過ごしたはずだというのに。身分を、家族を奪われたというのに。彼はお構いなしに、変わることなく、誠実で、お人好しなままでいる。


 それが、ヴォルフラムにはたまらなく愉快な話だった。


「まぁだからと言って、私が何もしないわけではないんだけどね」


 ピンと背筋を伸ばしたヴォルフラムはペンをとると、幾つかの手紙を書いてから部下を呼んでこれを託した。


 そうして一人に戻った部屋の中で、ヴォルフラムは机に地図を広げ、貴族の名鑑を開きながら、此度の動きをどう花開かせようかと考えて、口の端に笑みを浮かべた。

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