第19話 王都にて

 王都北端の広大な敷地。そこは王立学園が管理する土地だ。敷地の南側には豪奢にして建築技術の粋が集められた校舎が立ち並び、東側には武術や軍事指揮の練習の為に切り開かれた演習場、西側には学術や魔術の研鑽の為に誂えられた実験棟が用意された国内最高峰の設備を誇る学び舎にして、一つの檻であった。


 この学校は試験を通過すればどんな身分だろうと―犯罪者でない限り、たとえ奴隷だろうと―入学が許される場所ではあるが、貴族の子弟は嫡子だろうが庶子だろうが養子であっても、必ず入学しなければならない場所でもある。


 これは王家であっても逆らうことが出来ない。


 建前上、王族・貴族がともに教育を受けることで王国内での文化や認識を統一し、さらには技術や情報を各地方に届け、そして優秀な一般生徒―試験を通過して入学した生徒―を直接次代を担う貴族の子弟が官吏としてスカウト出来るというメリットばかりが強調されている。


 だが、本音のところは体の良い人質だ。王家は常に教育という名分で貴族の子弟を王都に軟禁することが出来、教育という名分で王家の考え方を教え込むことが出来る。


 貴族としてはそれに異を唱えたいところだが、人脈が作れること、最新の情報や遠くの情報を仕入れることが出来ること、上手くすれば次代の王と親密になれること、この三つのメリットを考えると、迂闊に王立学園の制度に口を出すことも出来ず、建国以来ずっと続けられてきた。


 その王立学園の正門からカツカツと忙しないヒールの音を響かせながら一人のご令嬢が飛び出していった。後ろに武装した女性騎士を数人が追いかけていく。


 令嬢の名はベルタ・ファルツ。南方の雄ファルツ公爵家の長女であり、今、学園内で良い意味でも悪い意味でも話題の人物だ。


 良い意味では、美人で聡明にして性格まで良いと男女問わず人気があり、多くの人から慕われているということ。


 悪い意味では、突然にして婚約者がいないことになったこと、だ。


 王立学園前の正門前で起きた“最年少騎士の裏切り事件”、聖女とその護衛を王国の騎士が罵倒・挑発し、これを散々に打倒したとされる事件。もっとも王立学園の生徒はその実態をよく知っているわけだが。この事件において、ベルタは悲劇のヒロインになってしまった。


 何せ、婚約者の王子を奪われ、あまつさえその王子に弾劾するとまで言われたのだ。彼女の心境を憂慮する言葉は大波の様に押し寄せてきた。


 だが、彼女としたらそんな言葉の山はただ、「ご配慮いただきありがとうございます」と返しておけば済む話だ。本人としては別にそこまで気にしていない。


 ベルタはこれまでの一年間、自分が盤面を握っていると思っていた。


 王子たちが聖女に骨抜きにされていようが、いつまでも五人仲良くいられるわけがない。王子たちの誰かが聖女を独り占めしようと動き、亀裂が入ったところで崩していけばいいとそう考えていたのだ。


 それが、ふたを開けてみたらあの事件だ。王子たちも聖女たちも、そしてあの騎士でさえ、誰一人としてベルタを主要な人物として見ていなかった。あの場にいた人物にとってベルタは盤面を握るプレイヤーではなく、排除する駒、内乱のカギになる駒でしかなかった。


(冗談じゃないですわ)


 事件の後で何を言われようとも彼女の心中にはその言葉しか浮かばなかった。どんなに綺麗な言葉で飾り立てようと、あの事件で自分はただの要素でしかなかった。ただの障害、ただのスイッチでしかなかったのだ。


 ベルタはそのことに怒り、悲しみ、そして後悔した。どうしてそんな扱いになったかについて自分自身で理解しているからだ。


(だって、何もしませんでしたもの)


 見ているだけ、待つだけでまったく動かなかった。だから、自分は結局、最後まで盤面を動かす立場になれなかった。


 その事実が今の彼女を突き動かしている。


「まずはあの騎士サー・ディルク、いえ元騎士のディルクさんと話をしなくては……」


 そう呟きながら、彼女は家の者が用意した馬車に乗り込んだ。



♦♦♦



 ヴォルフラムが執務室で報告書を読んでいるところで、机の端に置いていた魔導通信機が三回、赤色に短く点滅した。


「ふむ、フォルタビウスの卵を確保できた、か」


 つい数日前、ゴアヴェラ商会のオムが緊急の用事があると飛び込んできたのが、この卵の件だ。


 自分が目をかけている“黒騎士”が、南方にある小人アルスクの庄で魔物を討伐しに行く。この話をゴアヴェラに横流し、上手いこと商売の話につなげられればと思っていたのだが、まさかこんな結果になるとは思ってもみなかった。


「やれやれ、今度は我が領に運び込む手立てを考えんとな」


 ヴォルフラムは報告書を読む手を止めてベルを鳴らす。すると、傍にある部屋で控えていた従者が執務室へ入ってくる。


「ゴアヴェラ商会が卵の確保に成功した。軍の担当者を商会に向けて輸送計画を作成するように」


 一礼するとすぐに執務室を出ていく。


「さてさて、これでオディゴの料金分は働いてもらってはいるんだが……」


 ヴォルフラムがちらりと報告書に目を落とした。


「だが、あと一働きしてもらう分には構わんか」


 そうすると、報酬を考えないといけないな。とヴォルフラムは楽しそうに考えを練り始めた。



♦♦♦


 冒険者ギルド、これは人間社会が一つにまとまっていたころの名残だ。かつて世界すべてが一つの国だった時代。世界国家とでもいうべきそれが自警団や民兵、猟師を組織化し、速やかに国内に発生した魔物を退治出来るように整備したのが始まりらしい。その当時の軍は魔王配下の魔物軍との戦いで手いっぱいで国内の魔物に手を回す余裕が無かった、と言う話だ。


 その魔王が倒れ、世界国家が分裂し、それでも冒険者ギルドは当時の組織網を保てている。それは武力をもっていること、魔物を狩るのに必要だということ、そして上手く権力者と駆け引きが出来たことなどの要因がある。


 だからこそ、冒険者ギルドは今も国家や貴族が絡む依頼では駆け引きを駆使して自分たちが儲けてなおかつ相手に恩を押し付けられるように差配するのだが。


「それで、邪魔してくれたっていう黒騎士ってやつの正体は?」


 フェルケイロン討伐において王都の冒険者ギルドの企みは失敗した。そのせいで、王都冒険者ギルドの長は冒険者ギルドの本部からの魔導通信でお叱りを受けている真っ最中だ。


「いえ、それが……シェーンハイム辺境伯の知己だということしか判明しておらず……」


 これまでの足取りが全く追えない、突如王都に現れた遍歴の騎士。その見た目、そして辺境伯が呼んだ黒騎士という通り名以外すべてが不明。その調査結果を聞いた時、王都ギルド長は愕然とした。


「冒険者ギルドの調査網をもってもそれしかわからなかったってか!?」


 ギルド本部長の声が険しくなり、王都ギルド長の背が冷たくなる。


「は、はい」


 震える声でそう答える。


「なら話は早い。なんとしてでも冒険者ギルドに勧誘しろ! いいな!!」


 返事を聞かずに通信は切れた。


 王都ギルド長はそのまま執務室に戻ってあれこれと差配して、まずは黒騎士と接触することを目指し始めた。



♦♦♦



 王の仕事の半分は面会である。国内の貴族から外国の使節、大商人を始め様々な人物が王への謁見を求め、審査を通った者だけが王に直接声を届けられることになる。が、何事にも例外というものは存在している。


「それでは行ってまいります」


「ああ、気を付けて行けよ」


 謁見の間で優雅に礼をする一団に頷き、王は彼女たちを見送った。


 表向きはレムレウス聖教国への代表使節団。ということになっている。王立学園での一件で関係が悪化した両国の友好関係を再構築するためにお互いが使節団を派遣することになったのだ。


 が実態はというと、第二王妃であるナタリア・フォン・ガルフォディアが団長であり、その補佐にヴァスマイヤー候家、イェッセル候家、レプシウス伯家、ブラッカー伯家の者が名を連ねていることから分かるように追放された五人へ家族が面会に行くのだ。


 もちろん、外交使節としても本気。ナタリア第二王妃は教養が深く大司教と神学論争しても引けを取らないほどの知識を持ち、各家からも外交に特化した人材をを補佐で連れてきている。さらに王妃が直接外交に行くのだからこれ以上ない本気の姿勢を見せている。


 その陰で、聖騎士団に入団し聖女の近衛を務める五人の若者に会うのだ。聖教国がこれを外交利用してきたらそれは知らぬ存ぜぬを突きとおすための準備もしている。


 そんな中で王の中には一つの懸念があった。


「黒騎士、か」


 十中八九、この黒騎士はサー・ディルク、いや元ディルク・レーヴェなのだと王は目星をつけていた。


 なにせタイミングが良すぎる。ディルクが騎士号をはく奪になってすぐに表れた、腕利きでシェーンハイム辺境伯の知人の遍歴騎士だなんてもう、疑ってくれと言わんばかりではないか。


 王としては、ディルクがシェーンハイム辺境伯家かその配下に雇われて、そこで今回の使節団のように影ながら家族の面会をするという形に持っていくものだと思っていたのだが、なにを考えているのかそうはならなかったのだろう。


 もっとも、多くの貴族はこの“ディルク=黒騎士説”を唱えてはおらず、黒騎士が先代シェーンハイムの隠し子ではないかという説が主流である。


 王としては、深読みと邪推がすぎるのが貴族の悪癖だな、としか言いようがない。


 黒騎士がそこまで有名になったのは先ごろのフェルケイロン討伐もだが、続けて南にあるアルスクの庄でのフォルタビウス討伐を成したことでもその名を上げている。


 なにせ大きな魔物の卵がどこぞの商会からシェーンハイム辺境伯の王都屋敷に運び込まれ、道中にて宣伝されたというのだから、さぞ話題になるだろう。


 おかげさまでというか、そのせいでというべきか、ここ最近では付近の領地を治める領主の怠慢ではないかと貴族間でのさや当ても起きているようで、実に厄介である。


「だからこそ、それを利用してやるのも一つの手と言うところか」


 さてどうしてやろうか、と王は不敵に笑った。

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