第30話 ベルタ・ファルツ
「お父様」
ファルツ公爵家の王都屋敷に、ベルタの姿はあった。今回の事件を受けて急遽自宅に戻ることを許されたところで、父親に書斎へ呼び出された彼女は緊張した面持ちで声をかけた。
「おお、ベルタ……無事だったか」
ベルタの父。バスティアン・フォン・ファルツは大きな背丈を丸めながら、自分の娘の無事を確かめるように軽く頭を撫でた。
「はい、大きな怪我もなく。無事に帰ってこれました」
「うん、よかった。『他の生徒を逃がすために殿を務めた』だの『騎士団を先導して戦場に戻った』等と言ったお前の武勇伝を周りから聞かされるたびに、私の小さな心臓は縮み上がったものだぞ?」
「う゛……その、心配をおかけしました」
「ふっふ。淑女らしくない言葉が漏れてはいるが、まあ良い」
ベルタは少し、いやかなりこの父を苦手にしていた。上に兄三人をもつベルタは昔から活発で行動的で、ともすれば貴族の女らしくないと母から怒られていた。
母は直球でベルタを注意し、根気強く自ら手本を見せて裁縫やダンス、言葉使いを教えてくれていたのでベルタも非常に感謝している。だが、この父はというと笑顔でニコニコとしながら言葉の端々でそれとなく釘を刺してくるのだ。
まあ、それでも。学園に入ってからの方がもっと容赦ない口撃を喰らってからは父がそれとなく貴族としての戦い方を身をもって指導してくれていたのではないか、とベルタは思うようになった。なったのだが、幼少期からの苦手意識は中々消えてはくれなかった。
「まあ、まずはかけなさい。幾つか聞いておきたいことがある」
勧められるがままにベルタはソファに座った。丁度そのとき、入ってきた扉から使用人がやって来て、温かいお茶を差し入れてくれた。
「まずは、この急な帰宅許可についてだ。理由はわかるかい?」
ルダス湖畔で襲撃事件が起きてから三日目の急に全校生徒に王都屋敷への帰宅が許された。でもベルタにはこれが「許可された」というよりは「帰宅させられた」としか思えなかった。
それにこの父の質問を受けて、ベルタはある仮説を思いついた。
「処分される家の生徒との関係を親に話させるためと今後の対応について親と相談する、というところですか?」
「うん、六十点」
にっこりと笑いながら、バスティアンは言い切った。
「処分される家の子と自分の家の子がどういう関係にあったのか、これについてはどの親も確認したいからね。これは王から我々貴族への配慮と言える。次に、今後、どういった家と付き合いを深めていくかを親と話し合いながら決める。これも正解。親から一方的に決めつけると痛い目を見るかもしれないし、子供が勝手をすると余計なことにまきこまれるかもしれないからね。でも、これじゃ足りない」
バスティアンの言葉の途中からベルタは頭を働かせていた。父がこういうとき簡単にヒントをくれる人だとは思っていない。とにかく自分の頭で考えさせるのが好きな人なのだ。
「……今の学園の状況が知りたい」
「違うね。状況は刻々と変化する。現状を知ったところで三日後には様変わりしているはずさ」
ふるふると首を横に振った父を見て、ベルタはさらに考える。
「……子供が帰ってきたことで何か動きを見せる家が無いかを見張っている?」
「正解。人質になっている我が子が返ってくるわけだからね。特に後ろ暗いところがあって、王家から疑いを持たれているんじゃないかっておびえている連中をあぶりだすには丁度いい」
「でもそういう人たちならば普通は大人しくしているのでは?」
「貧すれば鈍する。追い詰められると結構やらかすものだよ。人間は」
そう言って穏やかに笑う父に、ベルタは少しだけ、背筋が冷えた。
「これで九十点といったところかな? 他には」
しばらくベルタは考え込んだ。
「……思いつきません」
「一番最初に、私がしたことだよ。ベルタ。『子供の無事を確認する』これが親としてまず一番にやりたいことだ」
「あ……」
「まったく、常識だと思っていたから配点低めにしていたんだけど……お父さんとしては少し寂しいなあ。親心を分かってもらえなくて」
「も、申し訳ありません……」
少しだけ俯いたベルタの頭をもう一度バスティアンの大きな手が撫でた。
「今日、これだけはわかっておいてくれ。私たちにとって子供の、ベルタの無事こそが一番大切なことなんだ、と。それだけを私たちは一番知りたかったのだ、と」
やさしくそっと撫でられる手のひらは暖かくて、ベルタの全身から緊張がほどけていった。
「で、もうひとつ聞きたいことがあってね?」
スッとバスティアンの手がベルタの頭から離れた。
「最近、何度かシェーンハイム辺境伯家にお邪魔したり、あちこちで人を探しているようだけど……説明してくれるかな?」
ポンと、肩に手を置かれて、ベルタはピンと背筋を伸ばした。
「ええっと、そのことに関しましては……すべてお話しますので、聞いてくださいますか?」
「わかった。それじゃあ、ちょっと待ってね」
すんなりと頷いたバスティアンはベルタの正面に座ると紅茶に手をつけた。「うん、もう
ベルタもそんな視線を受けながら大きく息を吸って、話を始めた。
「私が探していたのはこの国の元騎士です。ディルク・レーヴェ。私の元同級生でもありますわ」
「ああ、
「ええ、あの御方に『何故、あんな真似をしたのか』って聞きたかったんですの」
「ほぅ? それはまた、なんで?」
「だって、あんな事せずともよかったはずですもの。やり様はいくらでもあったはずですわ! 王に報告して事前に抑えるとか、王子が私を弾劾してから正当な理由を持って全員を取り押さえるとか、ちょっと考えるだけで浮かんできますもの!」
「だというのに、彼はそれをしなかった」
「その理由を知りたかったんですの。もし、もしもその理由が私なんだとしたら……」
「したら?」
「ビンタの一発でもお見舞いして差し上げましたわ!!」
バスティアンが、椅子からずり落ちそうになった。
「だってそうでしょう? そんな憐れみを受けた様な真似、私の誇りが許せませんわ!!」
バスティアンの顔が苦渋に染まり、右手がそっと胃の辺りを撫ぜた。
「で、会えたのかい?」
「会えたような、会えないような、そんなところですわ」
「ん?」
バスティアンが不思議そうに声を挙げた。
「ディルクさんには会えてませんけれど、何となく、彼があの時どうしてああしたか、それについては何となくわかりましたの」
「それは?」
「あの人!! きっと何も考えてませんでしたわ!!」
ずるっと、もう一度バスティアンが椅子から落ちかけた。
「いや、待ちなさい。それは彼に失礼だろう……」
バスティアンの胃の辺りにあった右手は押さえつけるように力が込められている。
「だって……だって、そうとしか思えないんですもの」
そう言い切ったベルタの顔があまりいも晴れ晴れとしてどこか嬉しそうに見えて、バスティアンはもうそれ以上聞くのを止めた。決して、これ以上聞いて胃にダメージを受けたくなかったわけではない。
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