第36話 イラリオ・デ・コーネット
「しかし、本当にぼくまでこのお部屋にいても良いんでしょうか……」
「いいんじゃないか? 館の主がそう言っているんだから」
プラスタの領主館。その客間の一つに俺とライラの二人はいる。
街に着いてすぐに館へとやって来たのだが、さすがに関所への襲撃があったわけだからまずはその報告が第一。
というわけでルアナ様お一人で、この街の領主である父親の下へと報告しに行った。
で、残された俺とライラはこの客間に通されて話が終わるのを待っているわけなんだが……
「でも、ぼくみたいな付き人が一緒に待たせてもらうなんて恐れ多くて」
「それを言うなら、俺だって無位無官の自称騎士だぞ? それも身元不明の。辺境伯閣下からの親書がなくちゃ、ハッキリ言ってライラ以下の立場だ」
「そうかもしれませんけど……でもこう何て言うか、こう……落ち着かない……」
はあ、と大きくライラがため息を吐いた。
「ま、気にしても仕方ない。貴族社会にはたしかに暗黙の
「うっ……」
「と、いうことだから。連絡があるまではゆっくりと待たせてもらおう」
「は、はい……」
ようやく納得がいったのか。ライラは今まで手に取らなかったテーブルの上のカップを持ち上げて、一口。
「あ、美味しい……」
「な、ちょっと甘くて飲みやすいお茶だよな」
緊張した面持ちもお茶の美味しさで少しだけほぐれて纏う雰囲気もだいぶと軽くなった。
「今まで飲んだことの無い味と香りです。この国で作られているものなんでしょうか」
「ん~~どうだろう? ここって大陸の北の方だよな? 茶ならもうちょっと温かいところの作物じゃないか?」
「あ! そう言えばそうですね! ってことは、ここから南でガルフォディア王国以外の国からの輸入品ってところですか……」
むむむむ……とライラが何やら考え込み始めてしまった。行商人としての血が騒いでいるんだろうか?
「王国以外からとなると、どこだ?」
俺から投げかけた言葉に、ライラはすぐさま。
「陸路なら王国の東、アナトレー大森林にその南のアプロスですかねー」
「アナトレー大森林か……」
たしか、ボレアダイルを相手に共闘したヴィゴの故郷のある森だ。
「ええ、大森林はこの世界でも珍しい森林が国土の境界線だという国です。その特色を生かして、果樹やお茶の栽培で有名なんですよ」
国境線が森林って……大丈夫なんだろうか? 焼き払われでもしたら一気に国土が狭くなるような……いや、どうせ何かカラクリ、とうかファンタジー的なナニカがあるんだろうけど、ちょっと心配になる。
「そっか、ここでやることが終わったら行ってみるのもいいかもな」
「あ! それなら、そのまま南のアプロスにも寄りましょう! なんでも、ハープシェルって港町に“まよねいず”なる美味しいものがあるそうで!!」
「あ~、そういやヴィゴもそんなことを言ってたな」
マヨネーズ。俺が開発に失敗したマヨネーズがまさか普通に世に出ているなんて……また食べれるのは嬉しいけど、ちょっと複雑な気分。
「この街に来たばかりなのにもう次に行くところの話をするとか、少しばかり急すぎではないですか?」
ガチャリと扉をあけながらそう言い放ったのはルアナ様だ。
「ああいや、何も今日明日にでもここを出ていくとか、そう言う話ではないですよ? なぁ?」
思わぬ登場に驚いてライラに確認をとったところ。
「え!? えええ、そうですね! 黒騎士様も『やることがある』だなんておっしゃってましたし! ええ!!」
ライラがスッとこちらに顔を寄せて。
(い、いきなりぼくに振らないでくださいよ!!)
小声で叫ぶという器用な真似で抗議してみせた。
「あ、いや、別に咎めてるとかではなくてですね?」
こちらの焦り様に驚いたのか、ルアナ様がちょっとだけバツの悪そうな顔でそういうと咳ばらいを一つ。
「ん、んっ! お待たせいたしました黒騎士殿。プラスタ領主たるイラリオ・デ・コーネットがお会いになるのを楽しみにしています、どうぞこちらへ」
扉の外へ出るように促された俺はライラを引き連れて、ルアナ様の案内に任せた。
真っ赤な絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていくと、すぐに大きな両開きの扉が見えてきた。
前に控えていた兵士が扉を開くと、部屋の奥には男が座っていた。
白髪まじりの髪をオールバックに撫でつけて、鋭い眼光を飛ばしてきている人物。
「貴様が黒騎士、か」
低く響く声でそう問いかけてきた言葉に、俺は一つ頷いた。
「お初にお目にかかります。公爵様。故あって名は明かせませぬが、今は多くの方よりそう呼ばれております」
俺の挨拶を聞いた侯爵はフンっと鼻を鳴らすと、手を挙げて。
「ルアナ以外はここから離れておけ」
人払いを命じた。
「しかし、イラリオ様!!」
部屋の前にいた兵士が声を挙げると、侯爵はさらに目を細めた。
「儂の命令が聞けんか?」
静かな、しかし有無を言わさぬ圧力を込めたその言葉に、兵士はそれ以上何も言わず、静かに部屋を出た。
かつこつ、と扉の向こうで離れていく足音が響いていく。
「ディルク・レーヴェ」
「な!?」
唐突に自分の名を呼ばれて、俺は咄嗟に身構えた。
「そう構えるな。ヴォルフから聞いとるだけだ」
「ああ……失礼しました」
「いや、こちらも事情を説明してから名を呼べばよかった」
ドカッと椅子に腰を下ろした侯爵が手でこちらに座るように促してきた。俺はそれを受けて席に着いた。
「そちらのライラ嬢、だったか? 君も座りたまえ。レディを立たせたまま、というのはどうにも気が進まん」
ライラの方を見やると、しばし悩んだように視線を彷徨わせていた。それでも俺と視線がかち合うと覚悟を決めたのか、ゆっくりと席に座った。
「さて、ヴォルフから事前に送られてきた手紙で貴様の話は聞いているぞ、ディルク・レーヴェ」
もう一度、俺の名前が呼ばれる。
「今は、まだその名を名乗ることは出来ません」
「気にすることはないだろう? 貴様がこの国で騎士となればそれで済む。親から与えられた名も、家名であっても、好きに名乗れば良かろう」
低く厚みのある声で侯爵はそう言った。こちらの答えを強制するようなずっしりとした重圧を掛けてくる声だ。
「私は騎士になりたいわけではありません。ただ、家族の待つ故郷へと戻りたいのです」
それをはねのける様に、それでいて失礼にならないようにやんわりと断った。
「ふん、酔狂な奴め」
侯爵は不快そうに鼻を鳴らしながら薄く笑った。
「まあいい。ヴォルフから封書を預かっておろう? 出せ」
言われて、俺は封書をふところから取り出した。すると、侯爵がくいっと顎をルアナ様の方へ向けるのが見えた。ルアナ様がため息をついてからこちらの横に来たのでそのまま封書を手渡す。
面倒くさそうにルアナ様がそれを侯爵に手渡すと、侯爵はそれを無造作に開封して中身をチラッと一瞥して。
「黒騎士」
俺を呼んだ。
「貴様、関所で賊を退けたそうだな」
「関所の皆様と共に」
「ふん、自分の手柄ではないとでもぬかす気か?」
頬杖を突きながら侯爵が鼻を鳴らした。
「まあいい。それならば丁度いい、貴様に頼みたい仕事がある。受けてくれるか?」
「……内容次第になりますが」
侯爵の口元に笑みが浮かんだ。
「内容は受けると決まってからでないと話すことは出来ん。外に漏れたとなれば厄介ゆえな……」
辺境伯閣下に似た意地に悪い笑みだ。血は繋がっていなくても似た者同士なんじゃないだろうか。
「では、私に何をさせるつもりなのかを教えていただきたい」
「ほう……」
侯爵は呟いて、笑った。
あ、これは厄介事だ。とすぐに気が付いたが、もう遅い。
向こうはもう、こちらがよほどのことじゃない限り断らないのに気が付いている。
「なに」
侯爵が一言区切って、溜めた。
「貴様が関所でやったことと同じことだよ」
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