もう会えないとしても、また会える

日本人離れした金髪緑眼をもつ森影リキト。縫製に興味があって、被服デザイン科に通う高校生だ。その特徴的な容姿から、コミケでインタビューを受けた彼は「ニードル王子」などと持て囃されてしまう。彼は異世界に興味がない。「俺は剣より針を持ちたいんで」……そんなことを言う彼に限って、異世界に飛ばされてしまうのが凛々文学だ 。

きっかけとなったのは、祖父の失踪だった。月食の日、祖父は置き手紙を残して消えた。置き手紙には次のようにある。

お前の両親は生きている。わしは二人を探しに行く。お前を守りたい。本当にすまないと思っている。もし、もう会えないとしても、また会える日が必ずやってくるはずだ。

祖父の心配をよそに、リキトとその幼馴染みの実久は、祖父が消えていったという謎のキラキラプラネタリウムの球体へと飛び込んだ。すると、眼前に開けたのはどことも知れない異世界だったのだ……。

この異世界。せっかくの異世界なのに魔法が使えない。にもかかわらず、どういうわけか一部で日本語は伝わるらしい。武力のないリキトと実久は、異世界の流儀に翻弄されるしかない。彼らの武器は、リキトの縫製力、そして実久の自由奔放な人間力だ。ここまで触れそびれたが、実久というのは妙におかしなキャラクターで、いつなんどきも明るく、どんな逆境でも陽気にリキトを励ましてくれる。こう聞くと女神だが、目立ちたくないリキトを縦横無尽に振り回す辺りは魔王だ。奇天烈な異世界をものともしない実久の性格は、いっちゃん怖いものとして読者の印象に刻まれるだろう。

厳しい異世界に、縫製と人間性だけでどう立ち向かうのか?
ピンときた人もいるかもしれないので、敢えて凛々さんの言葉を引用して、核心に触れておこう。
そう、
彼らは、
コスプレで世界を救う!!

そんなことがどうやって可能なのかは、本編をご覧いただきたい。入念に仕組まれたプロットのおかげで、納得を得られるのは間違いない。そして、興奮と感動も。

精霊とんぼというのは、精霊祭りの頃にあらわれる蜻蛉の俗称。先祖の霊を背負ってお盆の頃にやってくる。そんなふうに信じられることもあるという。その生態はまだまだ明らかになっていないとのこと。

その精霊とんぼのモチーフとともに、「もう会えないとしても、また会える」という謎めいだ言葉がどのような意味を持つのか。ここに興味を抱いた読者は、この物語を読み終えたとき、その背後に圧巻の大仕掛けが潜んでいたことに気づくだろう。この物語の主人公は、必ずしもリキトではない。

ほつれた縁を縫い合わせ、歴史の織物を紡いでいく。リキトの特技は一見するとファンタジー世界では意味を持たないが、世界と人との間を繋ぐのに、これ以上のものはない。彼の真摯な感情こそが、運命を運命たらしめる。人と世界、精霊とんぼのように巡り巡る運命の輪。それは変えられないかもしれないが、変えられないものを敢えて運命と名づけ、大切に抱え込むのは人間だ。大切なのは、そこに人の想いが賭けられているからで、この作品においては、リキトの、実久の、そして××の想いなのである。

あなたの想いも賭けられているかもしれない。この作品があなたにとっても異世界だとしたら、精霊とんぼの飛び立つ頃に、あなたのもとへも帰ってくる。それが大切な誰かの想いであるであることを大切にし、その大切さを返したい。〈また会える〉という運命の尊さを、実感させてくれる作品だ。

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