第四話 就職、そして卒業

 宏之の世話や就職活動をしている内にあっという間に卒業間近になってきちゃった。

 彼はあれから私が通い続けてきた結果、まあまあ良くなってきたわ。

 だって、末期の頃の宏之ったらもうなんというのか、彼のその姿を目にするだけで、私の胸が石臼で挽き潰される様な感じを受けてしまうほど、酷かった。

 やつれた彼の身体、そんな体を彼は両膝を両腕で抱え、部屋の隅っこで、丸くなっていた宏之、廃人の様なくすんだ双眸、絶え間なく続く涙の軌跡、顔は無表情、声を上げて泣くことはなかった。

 部屋の隅から動かない宏之、その場所で排泄物を垂れ流す、日々がどれだけ続いたことか?

 その度に私は嫌がりもしないで、それらの汚物を処理し、周りをきれいに掃除し、彼の汚れた物を綺麗な物に着せ替えていたわ。

 どれだけ、そんな日が続いたか、なんて正確に記録していたわけじゃないから、覚えてなんか居ない・・・、でも、それでも、幾許かの時が過ぎ、私の介護があったからこそ、良い方に向かったのか、なんて自惚れたくないわ。でも、前進している事だけは確かだった。

 だけど、今の宏之、それは人と言うモノではなく私が何か言葉にすれば命令だけを聞くロボットの様な感じだった。

 私の近状はと、尋ねられると就職の方はいまだもって内定なんてありゃしないわ。


~ 2002年2月22日、金曜日 ~

 私は同じ就職活動をしている瀬能綾と鳳公園で待ち合わせ、そして色々と話しているところ。

「ネェ、綾、どこか内定決まった」

「もうぉ全然駄目ですの。香澄様の方こそどうなのですのぉ~~~?」

「アンタがダメだったらアタシなんてどうしようもないわよ、まったく。でも、どうして綾、アンタ頭良いのに進学しなかったの?」

 綾は内の学校で詩織の次に出来る秀才の女子のはずなのに態々この不況の中、高校就職だなんて考えられないわ。

 ニャハッ、それを言ったら私はもっと酷いモノね。あぁあ、はあぁぁあ~

「進学しても何かしたいことなければ意味のない事じゃなくてですの?それに綾はお兄様がおりますけど私も弟と妹の面倒を見なくてはなりませんの」

「アッ、ごめん、よけいなこと聞いちゃった?」

「お気になさらなくて結構ですの」

「綾、なんか大変そうだね」

「香澄様、程でなくてですの。貴女様こそ、殿方のお相手をしつつ大変なのじゃなくて?柏木様はお元気になられて、ですの?」

「まだまだって感じかな?アタシの愛情が全然届いていないみたい。でも、今はどんなに辛くても頑張ってみるしかないわね」

 綾はとても口の堅い子だし、同じ就職活動している仲間として宏之との関係を話してあった。

 宏之がこんな時期にどうして急に学校へ来なくなってしまったとか、綾も友達だった春香が入院してしまってどんな状況にあるかとかね。

 彼女はそれを聞いた時に私を応援してくれ、何かあれば協力してくれるとも言ってくれた。だけど、自分で何とかしなくちゃって私自身に誓ったから彼女に助けてもらうことを丁寧にお断りしたわ。

「ねぇ~~~綾、あんたは誰か好きな人とかいないの?」

「アッ、綾に?ワタクシにですの?・・・・、ポッ」

「ハッハァ~~~ン、誰かいるな?教えろっ!こんにゃろ」

 彼女の裏から抱き付きある所ない所をサワサワした。

 綾は嫌がる素振りで艶めかしい声をあげながら私のそれに抵抗してくる。

「あっあぁ~~~ン、何をなさるんですの?香澄さまぁ~、お話し致しますからお止めになってくださいな」

「オホホホッ、綾、白状する気になったのね」

「・・・、・・・・・・、・・・・・・・・・・・・、藤原貴斗様ですの」

「たかとぉーーーっ?しかも〝様〟まで付けちゃって。よりによって貴斗とは。アハハハッ、笑っちゃうわね」

「どうして、その様にお笑いになるのですの?」

「何でまたぁ、アイツなの?」

「香澄様は貴斗様と幼馴染みでお仲がよろしゅう御座いましたね」

「綾にアタシとソイツが幼馴染みだって話した事あったっけ?」

 その疑問を無視して綾は言葉を続けていた。

「貴女様にはわからないのですの?冷たそうな瞳の奥にウツロイ隠すように揺らめくあの方の心の優しさが・・・ポッ。それに・・・、貴斗様の稀に見せる哀愁に満ちた瞳、どうしてかあの方を護って差し上げてしまいたくなりますの」

「・・・・・・・・・・」

〈綾の目が逝っている。でも、アンタ凄いよ。貴斗が優しい奴だって見抜けたのが〉

「でも、綾アンタ分が悪かったわね。さすがのアンタも詩織とでは勝ち目ないわ」

「エッ?どうして、そこで詩織様のお名前をお出しになるのですか?」

 確か綾は私を含めて詩織の事も様付けで呼んでいたんだったわね。

「ハッ?綾、アンタ若しかして知らなかったの?貴斗と詩織は恋仲よ。非公式だけど」

〈アンだけ学校でベタベタされちゃぁ非公式だからって判らない方がおかしいと思うけど〉

「およよよよよぉ、そうでしたの。ですから、詩織様と話す時のあの方は普段以上にお優しいく私には見えたのですね。あぁ~~~っ、次に巡り逢えた時は必ず私の愛があの方の元へと届いて下さいな」

「ハァ~~~、綾の奴、向こうの世界に完全に逝っちゃった」

 綾がその言葉を口にしたとき彼女の瞳は私の知らない世界の方へと完全に逝ってしまい、しばらく眼前で恍惚としていた。

 それから、彼女がこちらの世界に戻ってきてからは就職活動の話なんってそっちのけで学校の話題で盛り上がってしまった。

 綾は不思議なほど貴斗の事をわかっていた。

 それとクラスの女の子で私以外に彼に話を掛けるごく少ない子でもあった。だから、私、詩織、それと貴斗の三人が幼馴染みである事、それと彼が記憶喪失である事を教えてあげた。

「やはり、貴斗様が記憶喪失なのは事実だったのですね。なんとなく、ですけれどそんな風に思っていましたの。ウフフフフフッ、香澄様、有難う御座いますの。御かげで良い事を聞かせて頂きましたですの。まだまだ、ワタクシにもあの方に寄り添う好機がおありのようですの」

「綾、何その嬉しそうな目は?貴斗に手を出しちゃ駄目だからね」

「オホホホホッ、香澄様、そのように心配なさらなくても心得ておりますの」

「どうだか?それより暗くなってきたから今日はこれでお別れしましょ」

「それではまた後日と言う事で失礼させて頂きますの」

「それじゃ、綾バイバイ」

 手を振ってから彼女とわかれた。

 思えば、私の親しい女の子友達って変わった子が多いような気がするのはなぜかな?

 幼馴染の詩織は人前では令嬢の様に振舞っているけど貴斗の前では純情なまっしぐらな乙女。まるで二重人格のようにも思えるわ。

 春香と言えば天然ボケ・プリンセス。

 だけどたまに物事の本質をズバット言い当てたり、みんなが言いにくい事を真顔で言っていたりと見ていて飽きないわね。

 何所となく掴み所がない古風なしゃべりで大和撫子、それに付け加えてあの妖しく優艶さを持つ綾。

 下手すると詩織以上の容姿なのに今まで一度も告白された事がないと言うから不思議。

 それと貴斗と一緒で綾って何か隠し事が多そうだわ。

 最後に里奈、彼女どんな方向から見てもどう見間違えても性別は女なのに思考回路と趣味がまるっきり正反対でよくその所為で男どもに馬鹿にされている事もあるし意気投合している所もある。

 それに女友達だって少ないって事はない不思議な子だわ。

 こんなくだらない事考えていてもしょうがないのに今日も就職活動で何の結果も得られなかった。

 宏之は宏之でいつもどおり駄目、駄目君だったわ。それでも最近はまともに食事してくれるから餓死する、って事はないと思う。

 宏之に餓死なんってされちゃ私の夢見も悪いし、春香だって目覚めた時、そんな風にして彼が逝ったって聞いたらショックで本当の眠りに就いてしまうかも知れないもんね。だから、それだけは本当に願い下げだわ。

「アぁーーーっ、どうしたらいいのぉ~~~っ!」

 そう叫びながら部屋の壁に掛けてあるカレンダーを確認していた。

 2002年2月27日、水曜日。ついでに時計も確認したら午後4時を少しだけ過ぎていたわ。

 卒業式まで後二日とない。いまだに私は就職の当てがなかった。

 昨日、綾にあったけど彼女も『オヨヨヨヨォ』と言う奇妙な嗚咽と共に就職先が決まっていない事を教えてくれた。

「誰かぁ~~~、何とかしてぇーーーっ」と思わずまた叫んでしまった。

 家で経営している呉服店や和菓子店の何処かへっても考えてみたんだけど、それは真登香ママが許してくれなかった。

 広く世間を知らない裡はお店を継がせる訳にはいかないという、ママの主張。

 狭い世間感覚ではお店の切り盛りなんて出来ない、って事らしい。

『ジリリンッ、ジリリンッ、ジリリンッ!』

『トゥルルゥッ、トゥルルゥッ♪』

『ティロリロッ、ティロリロッ×3』

 その叫びを止めるように同時にいたる所から電話の呼び出し音が鳴りはじめた。

 一番うるさい廊下にある黒電話の受話器をとった。

「ハイ、隼瀬です」

「あらっ、その声は香澄ちゃんね」

「その声は翔子おネぇ!どうしたんですか?」

「貴女に直接あってお話したい事があるのですけど香澄ちゃんに時間はおありですか?」

「本当は忙しいはずなんですけど、どうしてか今非常に暇してるわ」

「そうですか、それでは私の家まで来ていただけないでしょうか?」

「ハイッ、直ぐに行くから待っててね。翔子おネぇ」

「ハイ、それではお待ちしておりますので」

 彼女はそう言うと丁寧に受話器を下ろした・・・、と思う。

 その電話があってから直ぐに着替えて彼女の家に向かった。

 彼女の家は目の前だから本当は急ぐことないんだけどね。

 その場所に辿り着くと玄関の呼び鈴を鳴らし彼女が出てくるのを待った。そして、それ程経たない内に彼女は私の前に現れる。

「こんにちは香澄ちゃん、それといらっしゃい。さあ、中へどうぞお入りください」

「翔子おネぇ、コンチハ」

 私がそう呼ぶこの女性、藤原翔子は私が通う聖陵高校の新米教師で、私や詩織とは昔からずっと一緒の年上のお姉さん。

 私は一人っ子だったから親しみを込めて翔子姉さんを〝翔子おネぇ〟って呼ばせてもらっているわ。

 それに驚くなかれ!彼女と貴斗は血の繋がった実の姉弟。

 他のストーリーを読んでいればこれ以上の説明なんて必要ないわよね。ってな訳で説明はっしょっちゃうわね。

「香澄ちゃん、こちらにお座りになってお待ちください。ただいま粗茶をお持ちいたしますので」

「翔子おネぇ、そんなの気、遣わなくて良いってばぁ」

 彼女は私の言う事などお構いなしで客間から出て行ってしまった。

 障子戸が開いているので藤原家の庭、日本庭園が一望できた。

 黄昏時の時刻と相まってとても綺麗な眺めだったわ。

 自慢じゃないけど私の住んでいる家、古いけど結構な広さがあるんだ。でも、ここはそんなの比じゃないわよ。

 優に私や詩織の家が納まってもまだ余裕で余るくらいの広大さ・・・。でも、それだけ広い家、日本家屋もしくは武家屋敷?なのに今ここに住んでいるのは翔子お姉さんとそのお祖父ちゃんの藤原洸大氏だけ。

 私が中学生の頃までは貴斗の親戚や多くの従者などがこの屋敷の中で働いて、そんな事はなかったのに・・・、なんだか淋しく、可哀想に思えてきちゃう。

 いつになったら貴斗はここに戻ってくるんだろか?

 出来るなら早く戻ってきてここに暮らす二人を安心させてあげて欲しいわ。

「香澄ちゃん、お待たせいたしました。こちらが粗茶、それとこちらは私がお作りしました和菓子になります。どうか、貴女のご感想をお聞かせください」

「有難う」

 お茶を静かに啜りながら出された和菓子を丁寧に竹楊枝で切り口に運ぶ。

「さすが翔子おネぇの作ったものだわ、美味しい何って言葉じゃ物足りないわね。うちのお店に出しても、全然恥ずかしい味じゃないわ」

「香澄ちゃんの口にお合い致しましてよかったです。それとお褒め頂き嬉しく思いますわ」

「翔子おネぇところで用事って何?」

「それは・・・・・・・」

 彼女の口から私に話し始めたのは就職の事だった。

 翔子お姉さんは私がまだ何所からも内定を貰っていないことを知っていた様子。

 それで一箇所だけ勤め先を斡旋してくれるって言った・・・。だけれども。

「嬉しいですけどそれは受け入れられないわ」

「どうしてもですか?」

「ごめんなさい翔子おネぇ、何の努力もなしにそんな簡単に就職出来ちゃったら他の頑張っている人たちに悪いから」

「ふぅ~~~、香澄ちゃんは今も昔も変わらず意地っ張りですわね。もう、少し肩肘張らずに私に甘えて欲しいものですわ」

「それでもやっぱり・・・・・・、」

「判りました、私も本当の事を申させてもらいます。香澄ちゃんにお仕事を紹介するのは私の気持ちも無論含まれておりますがそれだけではないのですよ」

「それって何の事?」

 そう尋ねると翔子お姉さんは目を瞑り静かで張りのある声で訳を聞かせてくれた。

 それは彼女の弟である貴斗が春香の事故に関係し、宏之が精神疲労になって私が彼の世話をしていて、その結果、泳ぐ事を辞め、私が就職の道を選んでしまった事を翔子お姉さんは知っていた。

 その情報が何所から彼女の耳に入って来たのか問いただしてみたけど堅く口を閉ざし教えてはくれなかった。

「・・・、と言う訳です。分かって頂けましたでしょうか?貴斗ちゃんの事を思って頂けるのであればどうか私のお願いをお聞き届けてください。それにこの事は私だけではなく洸大お爺様もお望みになっている事です。貴女のお父様、剣様やお母様の真登香様は貴女に自由をあたえています代わりに、香澄ちゃん、貴女がすべきことは、あなた自身でしなさい、と言う事でこのような不況時においても就職するためのお手を貸してくださることはないのでしょう?」

「はあぁ、剣パパも真登香ママも、まったくそのとおりなんだけど・・・、翔子おネぇ、ずるいよ。そんな言い方されたら私、断れないじゃない。でも・・・、ここで断ったらせっかくの翔子おネぇと洸ちゃんの行為が無駄になっちゃうもんね。ありがたく就職させていただくわ」

「よかったですこれで悩みの種が一つ消えて、少し安心しました」

「ねぇ、ところで私の働く職場ってどんな所?」

「主に各県の旅行記事などを扱う出版社です」

「何でまたそんな所を?」

「だって香澄ちゃん、文章、書くのがお得意でしょ?ほらよく学校の先生に褒められていたじゃない」

「アッハッハッ何、翔子おネぇ、一体いつのこと言ってんのよ?それってアタシが小学生だったときの事じゃない」

「あらそうだったかしら?私が貴女の成績を確認した分ですがそちらの手腕は衰えていないと思いますけど」

「アリガト翔子おネぇ、翔子おネぇの顔に泥を塗りたくないから頑張ってそこで働くわ」

「頑張ってくださいね。でも、辛くなったらいつでも申してください」

「もぉ~~~、翔子おネぇッたら意気を削ぐ様な事言わないで」

「ウフフフッ、ごめんあそばせ」

「それじゃぁアタシ、帰るわ・・・。アッ、それと早くここに貴斗、帰ってくるといいね。やっぱ翔子おネぇと洸ちゃん二人だけではここ寂しいでしょ?」

「ハイ、はっきり申しまして淋しいです。早く貴斗ちゃんには帰ってきてもらいたいです」

「ハハッ、やっぱね。だったら強引にでも引っ張り込んだら?」

「貴斗ちゃんの記憶がこれからも先、戻らなければ・・・、最終的にそうなるやも知れませんね、ウフフッ」

 最後にもう一度、翔子お姉さんに感謝の挨拶をして判れた。綾には悪いけど、なんだか最後にあっけなく就職先が決まってしまった。

 翔子お姉さんと話している時ホントにこれでいいのかなって思っちゃったけど、よかった事には変わりない。

 だから、彼女とその祖父、洸大様に心の中で〈お心遣い謹んでお請け致します〉ってな感じで再び感謝の言葉を二人に送っていた。

 就職先も棚からボタ餅みたいな感じであっさりと決まってしまった。

 その事は電話で綾に報告しておいた。彼女は羨むことなく、祝福してくれた。綾って寛容だって熟々そう思った。

 詩織にも貴斗が関係している部分を端折ってそれを報告したら彼女も自分の事のように私を喜んでくれた。

 貴斗があの事件に関係している事を他のヤツに絶対に話しちゃ駄目だ、と慎治から約束させられている。でも、それは当然よね。だって貴斗から口外するなって言われた事を私に教えているんだから。でも、どうして、その事を翔子お姉さんが知っているのか不思議だった。

 まぁ、そこら辺は余り深く追求しない方が身の為かもね。


~ 2002年3月1日、金曜日 ~

 そして、遂に聖陵高校の卒業式を迎えていた。

 学校に幼馴染みの詩織と一緒に到着して、一番に話し掛けてきたのは綾だった。

「香澄様、詩織様、おはよう御座いますですの」

「綾じゃない、オッハァー」

「おはよう御座います、綾さん。ねぇ、綾さんその〝様〟って言います呼び方、どうにかならないのでしょうか?」

「だめなのですの?詩織様ぁ」

「・・・・・・」

「アハッ、しおりン諦めなさい、綾がそう呼びたいんだからそう呼ばせてあげたら」

「ハァ~~~、分かりました。綾さんのお好きな様にしてください」

「クフフフフッ、有難う御座いますの。あぁあ~~~、それとですの、ワタクシも就職内定が決まりましたの」

「やったねぇ綾、オメデト」

「綾さん、おめでとう御座います」

「ところでそれってどんな会社?」

「うふっ、それは秘め事ですの。そのうち嫌にでもお分かりになると思いますの」

「あぁ~~~なにぃ教えてくれないって訳ね」

「ハイな、お教えできませんの。お許しくださいな」

「香澄、綾さんがそのうち分かるっておっしゃっているのですからそれまで待ちましょう」

「はいはい、そうしますよ、っだぁ」

「香澄様、いじけないで下さいな・・・、アッ、そうでしたねぇ、今日は詩織様、答辞をおおせつかっていましたの。頑張ってくださいな」

「綾さん、有難うございます頑張りますね」

 詩織と昇降口で別れ、綾と一緒に自分たちの教室へと向かった。

宏之には〝卒業式に来るように〟って伝えてあったけど予想通り彼は現れなかった。

 卒業式が第一体育館で始まる。

 この学校の慣わしで式が終わると卒業生も出席している在校生もその場で解散となる。

 その式は緊迫した空気の中、厳かに始まり厳かに終わる筈だった。だがぁ~~~しかし・・・。

 詩織が在校生からの送辞に対して答辞を贈っていた。

 緊張して言葉に詰まることなく彼女はすらすらと書簡に書かれている事を言葉にしていた。

 余りにも完璧過ぎてちょっと残念だと思ったのはそこまでだったわ。

 式が終わり体育館にいる卒業生が散り散りになろうとした時それは起こった。

「タカトくぅ~~~~~~ん」

 幼馴染みの詩織は両方の瞳に大粒の涙を溜め、私のもう一人の幼馴染の名前を叫びながら彼の人の所に駆け寄って彼の人の胸にしがみついた。

「??????」

「わたし、わたし・・・わたくし、詩織はこの三年間で貴方ともう一度ここで逢えたのが一番の思い出、一番嬉しかった。貴方が誰よりも大好きです」

 詩織はそれを言い終えるともう周りの事を気にせず、

『えェ~~~ン、フェ~~~ン』って笑えるくらい可愛らしい声で嗚咽していたわ。

 どう見たって大勢の生徒の前での大告白。

 多分、彼女の事だから大勢の前でそう公言しておけば、他の女の子が貴斗に手を出してこないという算段でやった事だと思うんだけど・・・、その手段が大胆すぎるわ。

 詩織の独占欲は極み物ね。

 それから・・・、詩織のそれを見た周りの生徒も感化されたのか急にこの場は大告白イベント会場と化してしまった。

 先生達がそれを止めようとしたが洸大理事長は大笑いをしながら言葉を上げていた。

「ワァーーーハッハッハハハ、青春じゃのぉ~~~、卒業生達のいい思い出になるぞ、じゃ。教師諸君、これを止めるのはまかりならんぞ」

 その一声で先生達は苦虫をかむような表情で私達を見守る事となった。


「アァ~~~ハッハッハハアァ~~笑いがとまんねぇ。貴斗!お前は涙している女を優しく抱き止めるのも出来ないのか?修行が足らんっ!ぬぅわぁはっはっはっはっはぁ」

 うろたえている貴斗を見た慎治は大笑いしながら彼の背中をバシ、バシ叩いていた。

「クスッ、アーーーハハッハハハッハ、しおりン、最後は見せ付けてくれちゃってやれやれだわ」

 私も苦笑の後、笑い涙を浮かべながら大笑いしていた。

「すっごぉ~~~い、藤宮さん大胆不敵!よぉ~っし私も新城君に告白してこよぉ~~~ッと」

 詩織のバカに感化されたその一人、里奈はその好きな人の名前を嬉しそうに言いながらどっかに行ってしまった。

「オヨヨヨヨヨ、シクシクシク、悲しいですの、貴斗様と詩織様は本当に恋仲でしたのね・・・、シクシク、でもワタクシはまだ諦めはしませんのよ。悲恋の恋で終わらせる訳にはいきませんの」

 隣で綾は変に古風な泣き方をしながらとんでもない事を口走っていた。

 その口調からすると綾の気持ちは冗談じゃないのがわかる。あそこまで見せ付けられてまだ好きな人の事を想えるって言う綾の気持ちと私の気持ちは同じなのかもしれない。

 でも、詩織と貴斗の関係を裂いて欲しくないから忠告しておいた。

「綾、前も言ったけど貴斗にチョッカイだしちゃ駄目だからね」

「香澄様、綾の心は綾だけの物ですの。ワタクシの自由にさせてくださいな」

 それを言っている時の綾の瞳を覗いていたらこれ以上何を言っても無駄そうだったので諦める事にしたわ。

「ハァ~~~、貴斗を繋ぎとめておくには後はしおりンの魅力しだいって事かな?」

 貴斗に抱擁されている詩織に近づき、言葉をかけてあげる。

「クックック、しおりン、ウカウカしていると貴斗、他の女の子にとられちゃうかもよ?だからもっと頑張んな」

「うん、有難う、香澄」

「それと、貴斗、アンタはあんまりしおりンのこと泣かせンじゃないわよ」

「フンッ、隼瀬にそんな事を言われる筋合いない」

 宏之の所に通い始めるようになってから貴斗の私に対する態度が冷たくなってきた様な気がする。

 詩織から始まった告白イベントが終わりを迎え始めた頃、翔子お姉さんが私の所へ現れ、彼女から頼まれ事をされた。

 それは宏之に卒業証書を渡したいから連れて来て欲しいというものだった。


*   *   *


 宏之の住む分譲マンションに到着。

「ヒロユキィ~~~、いるんでしょ?あがるわよ」

 玄関から駆け上がり彼の名前を呼んだ。

「もぉ、まったくまた散らかしっぱなし、掃除するからちょっとそこどいて。あっ、それと私が掃除している間に制服に着替えていてね」

 彼が着替えをしている間、部屋を軽く掃除した。

 ずっと前に鍵が掛かっている部屋があったけど、最近になってその部屋は彼の両親のものだと知った。だから、その二人が帰ってきても直ぐに使える様に出来るだけ綺麗に掃除していたわ。

 掃除を一五分くらいで済ませ宏之に学校へ行く準備が出来ているかどうか確認した。

「準備、出来た?学校に行くわよ」

「・・・、何でだ?」

 久しぶりに宏之の口から返答を貰った。

 今まで何か言えば、私が言ったように動いてくれるけど言葉を出すことは殆んどなかったから、なんだか嬉しい。

「いいから着いてきなさいっ」

「・・・・・・」

 私の方から外に出ると彼はまるで捨てられた子犬が物欲しそうについてくる様にフラフラと着いて来た。

 なんだか愛らしいものを感じるけど早くシャッキっとして欲しいわ。

 移動中どうせ何も応えてくれないと思っていたけど今日の卒業式の後のハプニングを宏之に聞かせてあげた。

 わかりにくかったけど彼少し笑っていたような気が・・・、する。

 学校に到着すると私は独り、理事長室の前に立っていた。

 この中で宏之が翔子お姉さんや洸大様達とどんな会話をしているかすごぉ~~~く興味があったけど分厚いドアが邪魔して聞き耳を立てても中から音は漏れてこなかったわ。

 私はその場で立っているが面倒だったからリノリウムの床に平座りをして腰を下ろしていた。

 ひんやりとした床の冷たさが私の臀部から伝わってくる。ナハッ、ちょっと気持ちいいかも。

 それから二〇分くらいその場で座っていたら別室の扉が開き、そこから御剣先生が現れた。そして私の所へ歩み寄ってきた。

 先生がそばに来る前に私は立ちあがり先生に会釈をした。

「隼瀬さん、柏木君を連れて来てくれて悪かったですね」

「いえ、そんなことないです」

「大変でしょうけど柏木君の力になってあげてください。それと私は隼瀬さん、貴女の担任です・・・、もう〝でした〟ですね。何か困った事があったら出来るだけ相談に乗ってあげますから遠慮なく学校に遊びに来てください」

「御剣先生、有難う御座います」

 先生は優しい笑みで私の言葉に応え、機敏な動きで職員室の方へ戻って行った。

 彼がこの場から去った後、今度は近くにあった窓を開けその窓枠に腰掛けて足をぶらつかせながら宏之の出てくるのを待った。

 それから約一八分の時が過ぎ、ヤットの事で目の前の重そうな扉が開き宏之が表に出てきた。

「宏之、ちゃぁ~~~んと卒業証書貰えた?」

「・・・、いたのか隼瀬?」

「アタシの質問に答えろっ!」

〈宏之がアタシに言葉を返してきた?もしかするとこれから普通に会話できるのかも?〉

「もらった・・・、春香の分も一緒に」

 私は宏之に春香のところへ行くか、どうか聞く事の判断に迷った。でもそのことを、宏之に尋ねない訳には行かない。だから、正直に聴いたの。

「今から春香の所へ行くの?」

「・・・・・・、行く」

 病院に向かっている間、宏之に色々と話しかけてみたけど、私の思い違いだったみたいね。

 彼はたまに相槌してくれるだけで言葉を掛けてくれる事はなかった。

 病院にいる間も私は宏之と離れ唯、彼の出てくるのを病室の前で待っているだけだった。

 病室から出てきた宏之は涙を流していた。

 私はそんな彼の頭を胸の中に抱え込み優しく髪を撫でていたわ。

 宏之は私のその行為を嫌がらずそのまま私の胸で泣いていた。

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