終 章 愛すればこそ叶う想い
第十九話 悩み待ち続ける日々
~ 2004年10月19日、火曜日 ~
綾と一緒に修学旅行ガイドの追い込み編集をしていた。
現在午後10時23分。
氷室上司には残業9時までって言われたけど今日だけはそう言うわけには行かない。締め切りは明日だもん。
私と綾は泣いて頼んで氷室上司を説得したわ。そして今、彼もその仕事を手伝ってくれているの。
『トゥルルルッ~~~♪』
静かなオフィスの中に電話の電子音が鳴り響く。
それを聞いた氷室上司が一回のコールで受話器を手に取っていた。
早い・・・、流石だわ。
「ハイ、ただいまお待ちください。隼瀬君!キミに電話です」
「エッ、私にですか?誰だろっ?もしもし、お電話代わりました、隼瀬香澄です」
「翔子です。こんばんは香澄ちゃん、お仕事頑張っているようですね」
「翔子おネぇなの?こんばんはぁ、でもどうしてここに電話してきたんですか」
「貴女の自宅、それと携帯電話に掛けても繋がらなかったからです」
翔子お姉さんにそう言われたからスーツのポケットから携帯を取り出して確認してみる・・・、ニャハッ、バッテリーが切れているわ。
ずっと忙しかったから充電するのを忘れていた。
「翔子おネぇ、ごめんなさい携帯の電池切れてたみたいです」
「そうでしたか、まめに充電しないと駄目ですよ」
「ハハッ、以後気を付けます。それで何の用事で掛けてきたんですか?」
「貴斗ちゃんの事ですけど・・・、貴斗ちゃん、香澄ちゃんに凄くお会いしたがっています。お仕事が忙しいの重々承知ですけど少しのお時間でも良いですから弟のお見舞いに来てはくれないでしょうか?」
「オッケェ~~~ッって、翔子おネぇ、そんな他人行儀な言い回しで言わないでよ。時間が取れたら行ってみるわ」
「香澄ちゃん、有難う御座います。それと余り無理をなさらないでくださいね」
「はい、はい、なんとかそうしてみるわ、まだ仕事、終わってないから電話切るね、それじゃバイバイ、翔子おネぇ」
「それでは失礼致します」
そう言えば私、仕事が忙しいのに託けて貴斗が目を覚ましてから一度もちゃんとしたお見舞いに行ってなかった。
それは彼に会うのが怖かったから。
自分の幼馴染みである彼にあんな酷い仕打ちをしてしまったのにどんな顔して会えばいいって言うのよ・・・。
でも、彼が私に会いたいって言うんだから会わない訳にはいかない。
* * *
総ての編集を終えたのは時計の針が日付を変えて三時間くらい過ぎてからだった。
氷室上司も綾も私も次の日を会社の中で向かえていた。
「ふぅ~~~~~~、ついに完遂いたしましたのぉ」
「あぁ~~~、おわった、終わった。何とか仕上がったわね」
「お二人ともご苦労様でした、修学旅行シーズン始まる前に終わって私も助かりましたよ。今日と明日はゆっくりと自宅で休んでくださいね」
「有難う御座いますですのぉ」
口真似をした私の言葉が綾のそれと重なった。
「クスクスクスッ、ニャハッハハッハッハ」
それが可笑しくて二人して笑っちゃったわ。
それを見た氷室上司も軽く笑っていたわ。
終電も私の家に向かうバスもこの時間は走ってなかった。
タクシーに乗るのも面倒かったわ。
それを気に掛けてくれた綾が彼女の家に泊まって言ってくださいといってくれたからその言葉に甘える事にしたの。
綾とお昼ごろまで一緒に『グゥ~~~スカッ』って感じに爆睡していたわ。
二人で一緒にお昼を摂った時に私がこれから貴斗の見舞いに行くってのを教えたら綾も付いて来るって言いだした。
別に断る理由もなかったので連れて行く事にしたわ・・・。って言うより彼女の申し出は有難かった。
やっぱり、正直言って一人で貴斗に会うの出来そうもなかったから。
* * *
綾と一緒に彼のいる病院に到着。そして、彼の病室へと向かう。
先月一度そこへ足を運んでいたから場所に迷う事はなかったわ。
今二人してその前に立っていた。
【621号室 藤原貴斗】
「ここで良い見たいね」
「そのようで御座いますの」
壁に取り付けてあるネーム・プレートを確認してそう口にしていた。
綾がそれを確認すると直ぐにノックしようとしたけど、それを制止させた。
それは気持ちを落ち着けるためる時間が欲しかったから。
私が扉を、『トンッ、トンッ』と叩いて中にいる人の反応を待つ。
「ハイ、誰でしょうか?」
約三週間ぶりに貴斗の声を聞いた。
それを耳にしてどうしてか胸の中が熱くなってくる。
色々な感情が入り混じって今にも泣きそうだった。
ホント私って涙もろいわね。でも、それを強引に押し留め彼に返事をする。
「ハァ~~~イッ、香澄よぉーーーっ遅くなっちゃったけど見舞いに来てやったわよ。貴斗アンタ、覚えてるか、どうか知んないけどおまけも連れてきたわ」
「香澄さまぁ、オマケなんて酷いですのぉ~~~・・・、綾です、貴斗様お加減いかがですの?」
「カスミ・・・、それと瀬能さん・・・、その・・・あっ、アヤなのか?」
貴斗が目を覚まして正面切って話すのはこれが初めてだけど・・・、彼の口ぶりは変だった。
詩織の話では高校で私達が再会した後の事を忘れちゃったって言っていた。
なのに今の綾の事なんか覚えている筈ないのに・・・、しかも〝綾〟って名で呼んでいた。
「二人ともどうしたんだ、そんな驚いた表情を俺に見せたりして」
貴斗にそう言われて、心の中の愕きから現実に戻された・・・。
彼の姿を確認してみた。
変な機械が貴斗の周りにあった頃は彼、いたる所に包帯が巻かれていたのに今はその殆どが取り払われていた。
「貴斗・・・、本当に無事だったんだね。アタシ・・・、あたし・・・、ウッグッ、貴斗に、ヒックッ、酷い事してごめんなさい、ごめんなさい。グスゥン」
「アッ、わっ、香澄、泣くなっ、耐えろ、お前が俺に何をしたかしらないけど、俺は怒っちゃいなし、お前を責めたりしない。だから、俺の前で涙を見せないでくれ」
貴斗のその言葉で涙を堪える事が出来た。
彼の言いまわし、笑ってはくれないけど幼馴染みだったあの頃と一緒だった。
私や詩織がどんなに迷惑を掛けても彼は笑って許してくれたあの頃と。
詩織や私の涙を見るのを嫌がるあの頃と・・・
うっ、なんだか余計に泣きそうになっちゃう。だけど、そんな気分を吹き飛ばしてくれたのは綾だった。
「貴斗様・・・、貴斗様ぁーーーっ、綾の事を・・・、綾の事を、お思い出してくださって、覚えてくださっていたのですね。うれしゅう御座いますのぉ~」
彼女はそんな風な言葉を出すと貴斗に駆け寄り抱きついていた。
そんな綾の行動に狼狽する貴斗だった。
「アッ、綾、うっ、嬉しいけど止めてくれ!お前、もう二十歳過ぎてんだろ?子供の頃のようなその俺に抱きつくクセ止めろよ。しっ、詩織に見られたら困る」
「貴斗さまぁ~~~、これくらいはお許しくださいな」
『ズバッ☆』と私のチョップが閃光の様に綾の頭天辺にヒット。
「香澄さまぁ~~~、痛いですのぉ~~~、シクシクシク」
「駄目に決まってるでしょ、綾、貴斗はね・・・」
私は〝詩織の恋人なんだから〟と言葉にしようと思ったけどそこで止めてしまった。
だって今その関係が崩れてしまったって詩織本人から聞かされていたからそれを言葉に出すのはタブーだと思ったの。
「綾、香澄と二人だけで話がしたいんだ、席を外してくれ」
彼が綾にそう言うと彼女は何も言葉にせず頭を下げて病室を出て言った。そして私と彼だけがここに残る。
「あたしにだけ話があるって何?」
「詩織には言っていない事だが香澄・・・、驚かないで聞いてくれ。記憶がほとんど戻りかけている。だが・・・」
「イッ!!??」
驚くなって言われたけどそれを聞いて冷静でいられるほど私は大人じゃなかった。
「・・・驚くなって言った方が無理だったな・・・、話し続ける。お前に聞く・・・、宏之の事、本当に好きなんだな?」
「うん、それがどうしたの?」
「慎治が以前言っていた言葉があった。俺と宏之は何所となく似ているって・・・、それは当然かもしれないがな」
一体何が当然なんだろうか?
それを聞こうとしたけど彼の言葉は続いていた。
「だからそれは・・・、俺の変わりとしてじゃなく本心で宏之を想っているのか」
「エッ!?今、何って言ったの?」
貴斗のその言葉、記憶回復の事以上に驚いたわ。まるで彼が昔の私の気持ちを知っていた風な言い方に。
「幼馴染みだろ?俺が同じ事、二度は言わないって知っているだろ、詩織以上に。・・・ちゃんと聞かなかった香澄が悪い」
「貴斗・・・、アタシのあの頃の想い、知ってたんだ」
「俺ってそう言うのに疎いからはっきり言って知らなかった・・・、向こうに行って龍一兄さんに初めてお前と詩織の想いを聞かされた」
「そうだったんだ・・・、でもどうして、そんな事、言うの?」
「もう一回確認させてくれ。本当に宏之の事、誰にも取られたくないんだな」
「アタシの想い変える積もりないわ」
「分かった。宏之とお前の関係、俺が何とかしてやる。その代わり詩織には泣いてもらうぞ」
「何でそうなんのよ!」
その彼の最後の言葉に驚いて、つい大きな声で聞き返していた。
すると少しだけ間が開いたけど、再び貴斗の口は動き始めた。
それは貴斗と春香の関係。
暫く、私がここに来なかった間に複雑極まりない詩織、春香、貴斗のラヴ・トライアングルが出来上がっていたみたい。
「そう言うわけだ。春香の元から宏之が去れば必然的に彼女は俺を求める。だから、俺はそれに答える・・・、唯それだけのこと」
「どうして、何でそんなに平然とした態度で言えるのよ。可笑しいわよ・・・そんなの駄目ぇーーーっ、しおりンを泣かせたら絶対許さないから、だからしおりンの気持ち答えて上げてよぉーーーっ、貴斗アンタしおりンのこと好きじゃないの?愛してないの?貴斗がいなかった間どれだけ、しおりンが女磨いたと思ってんのよ!」
「それは詩織の言葉遣い、態度・・・、それに料理を見れば判る。昔のあいつ、正直悪いけど世辞なんて言えないほど駄目だったからな・・・。詩織の努力には敬意を評する・・・。だけど」
「何で、そんな淡々といえんのよっ!可笑しいわよっ・・・。でも、でも、そう思うんだったら・・・、だったらしおりンの気持ちに応えて上げてよ!」
「それじゃ香澄お前が諦めるのか・・・、宏之の事」
「それも駄目!」
「・・・そうか・・・、平行線だな。ならこの話はこれで終わりだ」
「貴斗、話をうやむやにしないで、あんたの気持ちハッキリ聞かせなさいよ。またなんかたくらんでいるでしょ!」
「もう話すことはない・・・、帰ってくれ」
「見舞いに来て欲しいって言ったのアンタのほうじゃない。タカ坊のバカッ・・・、」
急に色々言われたし、聞かされちゃったから頭の中が混乱して、涙を流し彼を罵ってしまっていたわ。
なんで、こうなっちゃったの?
全部私の所為なの?もう全部が上手く行く事はないの?
そう思ったら余計に涙がこぼれそうになってきてしまった。
そんな顔を貴斗には見せたくなかった。だから、本当に泣き出す前に病室を飛び出してしまっていた。
病室の前に立っていた綾をそこに残し病院を去ってしまっていたわ。
~ 2004年11月3日、水曜日 ~
貴斗の見舞いに行ってから今日まで、詩織、貴斗、そして、宏之の事で悩んで、どれだけ泣いたんだろうか・・・、
毎日、仕事が終わってから宏之には会いに行かず独りお酒を飲んでいた。
宏之の方から言葉を掛けてくれるまでは自分から会いに行かないって・・・、そうしていたわ。
貴斗は聞かせてくれた。もし、私が宏之を諦めれば詩織に気持ちに答えるような事を・・・、詩織とカレが元の仲に戻って欲しい。でも、私だって宏之の事諦められないの。
そんなこと簡単に天秤にかけられるほど器用な人間じゃなかった。
詩織のために宏之を諦めようか・・・、それとも宏之に対する想いを貫こうか、そんな葛藤の日々がずっと続いていたわ。
で、今日は詩織のために宏之を諦めようかな、って思い始めた日だった。
そして・・・、午後9時48分三戸駅レクセル前。
今日も一人の男を呼び出し、かなり酔っていた状態になり、その人の前で涙を流していた。
最近、悩み事の所為なのかどんなに飲んでも眠ってしまう事がなかったわ。
「あハァ、ひんひぃふぅん、ふはへひふへはもへぇ」
呼び出していたのは男友達の中で最も親身になってくれる慎治だった。彼となら・・・。
「おイッ、大丈夫か隼瀬!?」
「はぁ~~~にいへへんよの!わはには、はいじじょ~~ふよっ・・・、ウクッ、ヒクッ!」
その言葉を出してから、命一杯、慎治の胸の中で泣いてしまっていた。
「どうだぁ、気分よくなったかぁ?隼瀬?」
「抱いて、慎治、私を抱いて!」
「なに言ってんだよ、ほら抱いているじゃないか」
「御願いよ、宏之を宏之の事を忘れさせてっ!」
「あせるな!そう自棄になるな!あいつが完全に涼崎に振り向いた訳じゃないダロッ!」
慎治の言っている事は頭ン中では理解できているの。でも・・・、辛いのよ、私。そんな宏之を待ち続けるのが・・・。
簡単に解決できたらこんな辛い思いしないのに・・・。
宏之が優柔不断じゃなかったら、もっと彼が春香か、私か、すっぱり決めてくれたら、宏之がどっちを選んだとしても今以上の辛い思いはしないのに・・・。
「イヤッ、いや、もう嫌なの、だから御願い慎治、あたしを抱いてぇっ!彼を忘れさせてよぉ!御願いよっ!シンジィーーーっ!」
だから・・・、もし・・・・・・、他の男に抱かれたら、宏之のこと諦められるんじゃないか、忘れられるんじゃないか、辛い思いをしなくてすむんじゃないのか、って思い、この人、慎治に懇願する様な瞳で訴えていた。
抱いてくれる男は別に慎治じゃなくてもよかった。
同僚でも軟派された相手でも。でも、抱いてくれるのなら、私の事を理解してくれる人が良かった。だから、彼を選んだのかもしれない。
酔っていてよく分からなかったけど、そんな私を見る彼は困惑した表情を作らないで何かを冷静に考えているようだった。
「いいんだな」
慎治は優しい表情を向けてくれなかった。
厳しい顔つきをしていた・・・。だけど、そう口にしてくれた。
これ以上私の心が迷わない様に、酒の勢いに任せて頷いて見せたわ。
「分かった、移動しよう」
慎治はそう言ってくれると私に肩を貸してくれたわ。
そのまま、ホテル街に移動したの。どこかのホテルに入ると、シャワーを浴びてくると一言慎治に伝え、そちらへと向かった。
シャワーを浴びながら、浴室にあった大きな鏡に向かって私は呟いていた。
「香澄、これで本当・・・・・・、本当にいいのね?」
「大切な幼馴染み、詩織のためを思って・・・・・・」
「貴斗を事故に遭わしちゃったのアタシのせいだから、彼の事を思って・・・・・・」
「春香が事故にあって三年間も眠っちゃっていたのはアタシの所為だから・・・、宏之を・・・・・・、返すのよね・・・・・・・・・・・・、それが二人のための罪の・・・・・・、償い」
「だから宏之を・・・、本当に諦め・・・・・・・・・・・・・・・」
いっぱい泣いたのに私は再び涙しながら鏡の前に両手を付いて、頭を突いて、そう言い聞かせていた。
豪雨のように降り注ぐ、シャワーのお湯の中で目じりから流れるそれを隠しながら・・・。
* * *
すべてを拭い去り、バスタオル一枚巻いた状態で慎治の前に立っていた。
私の姿を見た慎治は眼で何かを訴えている様だった。だから、それに答える様に私から彼にキスをしていたわ。
そんな私を強く抱き締め、慎治はその続きをしてくれる。
それからは流れに乗るままに慎治、彼の感情の赴くまま、何度も抱かれていた・・・。
これで本当に良かったのよね、私は。
~ 2004年11月7日、日曜日 ~
ハッキリといって私の考えは甘かった。
慎治に抱かれればすべてに区切りがつけられると思ったのに・・・、でも、そんなこと出来なかったわ。
やっぱり、今でも宏之のこと忘れられないの、忘れられなかったの・・・。だって、三年間もずっと一緒にいたのよ。
春香よりもずっと長く一緒にいたのよ・・・、彼女より多く宏之のこと知っている・・・。
忘れられるはずないのよ・・・、いまさら。忘れられるはずないじゃないっ。だって、私は宏之のこと心の底から愛しているんだから、それは・・・、貴斗の代わりとしてじゃなく・・・・・・、本気でっ。
今日もそれを宏之本人じゃなく、べろんべろんっに酔った姿で慎治にその気持ちを訴えていた。
彼は心配そうな表情で一杯優しい言葉を掛けてくれていた。
繁華街のどこかの路上でどのくらい慎治と一緒にいたのか分からないけど、どうしてか、宏之がここに現れたわ。しかも、彼も随分と酔っている姿だった。
「何で、あんたがここにいんのよ、バカ宏之ぃ~~~!シンちゃんはとぉ~~~ても優しいのよ。何回も何回も私を強く抱いてくれたのよ、あんたと違ってねぇ~~」
そんな事を言ってもどうせ宏之は嫉妬してくれないだろうと思って、慎治の体に絡みつくような姿勢で口を動かしていたわ。だけど、私の言葉で慎治と宏之は言い争いになり、取っ組み合い寸前になろうとしてしまった。
そうなりそうな瞬間にまた思いもかけない人物がここに姿を見せたわ。
外界に出ることが出来ない人が・・・、その人が慎治と宏之の仲裁に入ってきたの、身を挺して。
本当はそんなことできる身体じゃないはずなのに・・・。
そんなその人を見て私は叱るように口を動かしていた。
「アンタ、何やってんのよ貴斗、アンタに何かあったらしおりン凄く心配すんのよ」
「心配ない、香澄・・・、」
貴斗は私の名を口にしたあと何かを言っていたけど、声が小さすぎて聞き取れなかった。
また場に流されるまま、宏之と貴斗をその場に置き去りにしてしまう。
慎治に強引に連れて行かれるような形で・・・。
それから、慎治に向かわされた場所は貴斗のマンションだった。
そこに着くと何故か心配そうな表情をした詩織がいたわ。そまま、彼女に中に通され水まで出された。
「サンキュー、藤宮」
「しおりぃ~~~ンっ、さんくぅちゅぅ~~~っ!」
そんな変な口調で幼馴染みに感謝した。
それから、酔いが完全に醒めているようだった慎治はどうしてか詩織を追い返そうとしていた。
何かを言葉にして詩織に伝えたかったはず何に何も出来ず、大事な幼馴染みの彼女とさよならをしてしまう。
詩織が帰ってからそれほど経たない内にこの家の主を心配した慎治があの場所に戻ろうと玄関まで飛び出していた。すると・・・、貴斗が戻ってきたみたい。
私自身の酔いも醒めある冷静に対応できると思って、玄関口で話をしている二人のところまで歩み寄ったわ。
偶然だったのか慎治は私を呼ぼうとしたところだった。
それからは貴斗が私一人とだけで話したいって言うから場所を移動させられた。
‡ マンション屋上 ‡
「・・・・・・・・・、貴斗、アタシに話って何?」
彼が何を話してくるか予想は付いてしまった。だから、表情も気分が重くなってしまっていたわ。多分、あの時病院の中で話していた続き、私が宏之を諦めるか、諦めないか・・・。
「香澄・・・・・・・、宏之と別れろ・・・・・・、頼む、別れてくれ」
「ナッ!」
貴斗の言葉に驚きはしなかったけど・・・、彼の口調と態度に驚いて、そんな声を発していたわ。
「俺の事恨んでくれてもいい。蔑んでくれてもいい。きっ・・・・・、嫌いになってくれても・・・・・・、いい・・・・・・・・・・、むっ、む・・・、無視してくれてもいい。だから、頼む香澄、宏之と別れてくれ」
彼の声はとても辛そうだった・・・、特に『嫌いになってくれても』の言葉を口にしていた時。
貴斗の思いが痛く、そして甚く私の心に沁みてくる。でも・・・。彼の言葉は続いていた。そして、衝撃的な事実を耳にしてしまう。
「俺が出来る事なら何でも香澄にしてやるから頼む俺の従弟と別れてくれ」
「貴斗っ、お願いだから土下座何ってしないで、何だか凄くアタシが惨めに思えてきちゃうじゃない・・・それより従兄弟?それってどういう事よ」
私の必死なその言葉で貴斗はその姿勢を止めて立ち上がった。
彼が言った言葉の意味を聞かせてくれたわ。
宏之の母親、この前一度だけあった人と貴斗の今は亡くなられている母親、美鈴小母様は実姉妹ということだった。
「そう・・・、道理でアンタと宏之がどことなく似ていると思った・・・、でもそんなこと関係ないわ。あたし、宏之のこと好きなの、諦められないのよ。どんなにアンタに頼まれたって」
「・・・俺がどんなに頼んでも駄目なんだな・・・・・・・」
「駄目、それだけは・・・」
「そうか、わかった。香澄の決意は固いんだな・・・」
「変えられない、いまさら変えられるわけないじゃない・・・、三年も経っているのよ」
「なら、聞かせてくれ。何故、あいつを好きになった?何故、宏之を?」
「そんなことをきいてどうすんのよ?」
私のその聞き返しに、貴斗は黙ったまま答えを返してくれる事はない。
ただ、私が貴斗に問われた事を口にするまで私を見据えているだけだった。
でもね、その私を見据える男幼馴染の瞳から、発せられていたのは威圧感じゃないの。
優しくて、温かいまなざし。宏之と同じ目をしている。
ううぅん、違うわ、あれはもう随分と経つ、昔の貴斗の目だった。
その貴斗の瞳に負けて、どうしてか、私は小さく溜息を吐いて、誰も知らない、宏之すら覚えて居ない、私が宏之を好きになった理由、好きになった切っ掛けを、春香の事でどん底に陥った彼の心を助けたいと行動を起こした理由を口にし始めていた。
詩織にすら伝えていない本当の理由を。
「ねぇ、貴斗、あんた、記憶喪失のあんたとあたしが初めて逢った時の事、覚えてる?」
その私の言い初めで、貴斗の秀眉がみるみるうちに愁眉へと変って行く。
私の言葉の続きをとめるように彼の口が割って入ってきたの。
「香澄、あんなこともう忘れてしまえ。もう思い出すなっ!消してしまえ、そんな記憶」
「簡単に言ってくれちゃって・・・、出来るわけないでしょ。あんな体験そうそう忘れられるもんじゃないわよ。どんなに嫌な事だって・・・。嫌なことだけど、人間なんて良い思い出よりも、悪い思い出の事の方が記憶に残んのよ、それが衝撃的な事であればある程ね。あんただってそうでしょう?あんただって、私以上に辛い思い出を持って居るでしょう?それに比べたら私のあんな事なんて、たいした事じゃないわよ・・・」
貴斗は私のその言葉に目を閉じ押し黙って、何かを耐えるように堪えていた。
こいつの両親が死んだときの事を思い出しているんだと思う。
話でしか聞いてないけど、翔子おネぇにずっと前、どうして、貴斗が記憶喪失になったのかを尋ねた事があるの。
それが直接の原因かどうか分からないけど、それは彼の目の前で龍貴小父様と美鈴小母様が殺されたからだと言っていたわ。
貴斗は記憶を閉ざしてしまうほどにショックを受けたその光景、私がレイプされそうになった事よりも酷かったんだと思う。だから・・・。
「あたしはあんたが突然転校して来たときに、単なる空にだって思っていたわ。だって、もし、あたしや、しおりンの事を知っていたら、シカトするはずないもん。でも、その時は違っていた。本当にあんたはあたしの事も、しおりンの事も知らなかった。違うわね、覚えて居なかったのよね。記憶喪失だから・・・」
それから、私はあのレイプ事件の事を話し始める。
貴斗がその話を聞いているときの表情、下唇を噛んで、何かに耐える表情、どうして、そんな表情をするのか私に理解出来るはずもなかったから、どうしてなのか聞いてみたわ。
どうせ、答えを返してくれないだろうけどね。
「俺がもし、日本を離れなかったら、父さんの言う事なんて聞かないで、日本に残って居たら、何時も詩織や香澄のそばに居たら、そんな体験をさせなかったのに、そんな俺が許せないんだよ・・・」
「そうやってまた自分を責める。もう、過ぎた事なんだから、悔やまないで、あんたのその気持ち凄く嬉しいから・・・、でも、何より、あの時、助けてくれたのがあんただったから、記憶喪失のあんただったけど、あたし確信してたんだ、あんたの背中に負ぶさっているとき、あんたは間違いなくあたしの幼馴染だった男の子だって」
「香澄・・・、ありがとう。だが、それと宏之を好きになった事と何が関係するんだ?」
「ここからが、重要なのよ。もう口挟まないで黙って聞いていなさい」
すまなそうな顔と訝しげな表情を同居させていた貴斗に向かって指を突き付け、ちょっと強くそんな言葉を向けていた。
実は私がレイプされそうになったのは記憶喪失になっていた貴斗に助けられた高校三年の春だけじゃなかったのよ。
それから約三年前にも、私が中学三年の受験追い込み中の冬にもそんな事があったわ。
ただし、その時は詩織も襲われそうになった。
多分、一生、その事を詩織の口から、貴斗の耳に入る事はないでしょうけど。だけど、詩織のもう一つあの出来事だけは話すことが出来なかった。
それは彼女の問題であるし、私が口に出して良いことじゃないから。
未遂じゃないあの事件は・・・。
それを境に大きく変わってしまった詩織。それにそんな事を今彼に話しちゃうと・・・。
話を戻して、二度目の未遂レイプから開放された時、暗がりの中でのぞかせる貴斗の表情、それを見たとき、私はまた同じ人物に助けられたのかなと錯覚した。でも、彼の初めて返してくれた言葉で、一度目のときの人物とは違うってわかってしまったわ。
中学のとき私と詩織を助けてくれた人物は高校入学以来よく知っている人物、柏木宏之、そう、宏之が私と詩織を一度目のレイプから助けてくれた人だった。
その時、宏之は左肩を負傷してしまっていた。
宏之は私たちを助けてくれたのに、何も告げないで、苦痛の表情を浮かべたまま、防具袋と竹刀を担ぐと逃げるように居なくなってしまったの、彼が、大好きだったはずの運動が出来なくなる程の怪我を負ったまま。
私達の所から消え去って行く、彼の顔がハッキリと私の記憶の内に留められたわ。だから、私や詩織は助けてくれたお礼が言いたくて記憶を頼りに、受験勉強の最中、宏之を探し回ったの。だけど、結局見つからなかった。
偶然ってあるのよね、高校に入学するとそこには彼、宏之もいたのよ。
だから、詩織と一緒にお礼を言ったんだけど、宏之はその事を全然覚えて居なかったって言うのよ。
おかしいわよね、たった数ヶ月前の事なのに、忘れちゃうなんて。
「それは宏之の記憶障害の所為だ。フッ、凄く理解に苦しむ障害だがな。アイツは雪菜って言う妹を喪ってから、都合の言い事だか、悪い事だか分からないが、事件や事故という類の事を全てあいまいに特に女の子が絡むと、記憶にとどめて居ないらしかった。だが、例外が生じた。春香の時だけは違かったな。あんな風な状況に陥るとは当人も思わなかっただろう・・・。」
「その事件が香澄、お前が宏之を好きになるきっかけになったって訳か・・・、あとは宏之と高校生活、そして、今までと長い時間一緒に居る事で・・・か。それと宏之にそんな怪我を負わせてしまったと言う負い目を感じているんだな、香澄?だが、何故、一度、春香に譲っておき・・・、ふぅ、お前の悪いくせだ。お節介にもお前の気持ちを押し留めてまで春香と宏之をくっつけなければこんなにこじれる事もなかっただろうに・・・」
貴斗の言っている事はほとんど合っていた。でも、それだけじゃないわ。
鈍感な貴斗だから、一生分からない事だってある。
慎治だけしか知らない私の別の想い。
「女の子の気持ちも知らない、馬鹿貴斗のくせにそんな事、いうんじゃないわよっ!そんなことより、アンタはどうなのよっ!しおりンのことどおすんのよっ!」
「悪かったな、分からなくて。どうせ、俺は馬鹿さ。だが、そうか・・・、だったら、宏之を信じてやれ・・・・・・・・・、出来れば俺のすることも」
「貴斗、なに言っているか、まったく、全然、判らないワッ、ちゃんとした答えを返しなさいよっ!」
そう強く言葉に出しても、彼は何も言わず黙って背を向けここから移動してしまう。
「マテぇーーーーーーっ、バカタカ坊ぉーーーっ!」
そして、私はそう叫びながら、移動する彼を追ったわ。
マンションの屋上から歩き出して、貴斗が動きを止めたのは彼の部屋に着いてからだっら。そこに着くと今度は慎治と話があるからって私は部屋の奥に追いやられてしまった。
そこは詩織と貴斗の二人が付き合い始めてから、そして、今までの思い出が詰まっている・・・、はずの部屋。
その部屋に置いてある物を見てそう思ったの。
慎治と貴斗が一体何を話すのか心配で気になってしまったけど、この部屋に入って、置いてある物を見たら、また色々な感情が膨れ上がって静かに泣いてしまっていたわ。
そのまま眠りに就いてしまっていた。
次の日、起きたのはお昼過ぎだった・・・、仕事休みでよかった。
無断欠勤したくなかったから。
慎治もここに泊まっていたみたいで二人して貴斗の車に乗せてもらい家まで送ってくれたわ。でも貴斗は一言も私に話しかけてくれなかった。
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