最終話 希望
タキが孫誕生を報告すると、ふたりの新米じいじは、そろってすっ飛んで来て、赤ん坊にめろめろになった。結果、彼らはノアの家に越してくることに。
8月にはカスガとスギの同性婚カップルが再度、避暑にやってきて、赤ん坊に目を輝かせた。あきらめていた子供を持つ夢が再燃し、ノアやヤオとも相談、人工子宮利用を申請することになった。認可されたときのふたりの喜びようは尋常ではなかった。
カスガが精子を提供し、スギの妹の卵子に受精させる。妹が存命なら考えられない選択だが、女性が消えてしまった今、血縁にはこだわらないスギも、心が動いたのだ。
2206年、秋。日差しが穏やかな午後だ。
ポーチの椅子でタキが、小さなセーターを編んでいる。背中まである髪をゆるやかに束ねた横顔は中性的としか言いようがない。隣ではカスガが、タキに教わりながら編み物に挑戦中だ。のんびりした羊の鳴き声。タキが望んで飼い始め、羊毛から毛糸にして、いまセーターを作成中だ。そばにはリビがねそべり、べったりくっついている黒猫は、カスガとスギの愛猫。タキの父親たちも三毛を連れてきた。
畑ではスギとノアが、農業アンドロイドのハンを交えて何やら話し込んでいる。
そして、タキとチハヤの父親が楽しそうに相手をするのは、ふたりの幼児だ。タキの子のハヤセは3歳、カスガとスキの子が、2歳になったばかりのミライ。幼いこともあるが、どちらも性別不明のかわいらしさがあった。
はしゃぐ子供たちを、祖父ふたりが眼を細めtて見守る。
ハヤセはチハヤ似、とチハヤの父は言い、いや小さい頃のタキに瓜二つだと、どちらもご満悦なのだ。ミライのことも、ハヤセのきょうだいのようだと可愛がっている。
「ママ」
「タキママ」
ハヤセとミライがポーチに走ってきて、タキにまとわりつく。ハヤセにとってはタキは母であり父でもある。ミライの両親はカスガとスギだが、タキのふわっと優しい雰囲気が安心感を与えるのか、ミライからも慕われている。
ハヤセとミライが着ているスモックは、タキのお手製だ。女性だった頃の服をリフォームし、魚のアップリケを付けた。タキ自身はソフトな生地のパンツ姿。
タキは、ハヤセとミライのママなんだよ、と教えたのはノアである。女性の意識を男性の体に移したタキを、ノアは女性として扱いたかったのだ。カスガとスギは、子供たちにはカスガパパ、スギパパと呼ばせていた。
穏やかな日々に、タキは満足している。
男の肉体に違和感がないといえばウソになるが、今は亡きチハヤがこの体をくれたからこそ、こうして生きている。
ありがとう、チハヤ。
あなたから受け継いだこの体を愛して生きていくよ。
女の意識に男の肉体。心乱れる時は過ぎた。
私は、私だ。
それが今のタキの思い。
男になってでも生きろと言った母にも感謝している。実らなかったが恋も知ったし、子供ももてたのだから。
ノアへの思いは微妙に変化した。愛していることに変わりはないが、少しずつ友情に変化している気がする。恋焦がれる存在というより、小さな箱舟のようなこの家の舵取り役として、何かと頼れる存在。
「ひこうき!」
ハヤセが空を指さした。
ヘリジェットがぐんぐん近づいてきて、庭に下り立つ。あぶないよ、と、祖父たちに抑えられたふたりは、扉が開くと、わっとそちらに駆けていった。
ヤオが、照れくさそうに降りてくる。後には、赤ん坊を抱いた育児アンドロイド。
「かわいい」
ハヤセもミライも、キラキラした目で赤ん坊を見つめる。
「連れてきたか」
ノアが声をかけると、ヤオは、
「3か月過ぎたからな。やっと首がすわった」
ノアはその子の顔を覗き込んだ。ヤオに似ているかどうかは判断できない。
「アキナちゃん、よろしくね。ノアです」
小さな手に、指をふれさせる。
ヤオが子供に、ノアの亡き姉、かつての婚約者と同じの名をつけた、と聞いて驚いた。
アンドロイドは男性形だが、顔立ちはヤオの亡き恋人、レイにそっくりだ。特注したのだろうか。
名前までレイにするとは、しょうがないな、と思ったが、そうしたい気持ちは想像できる。
「どうだ、パパになった感想は」
「いやー、壊れ物みたいで抱くのが怖いよ。レイにお任せだ」
50歳の新米パパは神妙な顔つきになる。
「それよりさ。おまえはいいのか、本当に子供がいなくても」
またも同じ問いかけをするヤオ。
「いいんだ」
「うーん。信用できる人間の下で育つ子は、ひとりでも多い方がいいんだが」
人工子宮から生まれる子供は、すべてが両性具有。その件は伏せられることになった。子供を育てるのは秘密を守れる者に限られる。ノアなら審査にパスできる、とヤオは力説するが、相変わらずノアは、亡くなった妻子のほかに家族は要らないと応えるだけ。
自分の子供の父親になってほしい。
タキの願いを聞き入れてやれず、申し訳ないと思っている。行き場のない恋情を、その男の精子提供を受ける。そんなやり方で成就させたかったタキ。だが、やはり自分はこのまま
とはいえ、タキは生涯の友だ。ハヤセともども、命続く限り見守り、力になろうという決意はゆるがない。
「米も野菜も果物も。今年も、いい出来ですね」
ハンが満足そうに言う。ノアは頷き、
「うん。日照時間は十分だし」
「お天道様は偉大だ」
そう言ってスギは、そばのリンゴの木から一つもぎ取り、かぶりついた。果汁があふれて指を伝う。
「地球は、太陽から絶妙な距離にあるからね」
ノアは空を見上げた。
もし地球が太陽にもっと近かったら、水は沸騰し蒸発。遠すぎれば冷たい氷の星となり、やはり命は育たない。
「僕らは、運が良かったのかなあ」
スギがつぶやく。僕らとは、人類だけを指すのだろうか。それともすべての生命を?
あと100年もすれば、男性も死に絶える。46億年の地球の歴史から見れば、男性と女性は、同時に滅んだも同然だ。
新しい子供たちに生殖能力があり、うまく人口増につながるといいのだが。
どうかそうなりますように、と祈りながらも、ノアには妙な確信がある、この世界を陰で支配するアマテラスは、新しい子供たちを庇護してくれる。
きっとそうに違いない、という小さな希望をノアは抱いているのだ。
緑に囲まれたノア艇は、サンクチュアリであり、ある意味エデンの園なのかもしれない。
カスガが、ハヤセとミライを愛し気に見つめる。
「天使みたいだなあ」
「天使はダメ」
隣でタキが苦笑する。
「なんで」
「天使は無性なんです」
生殖はできないのだ、とまでは言わなかった。
あの子たちや、次々生まれてくる新しい子供たちに人類の未来がかかっている。小さな存在に向けられた大きな希望。
新しい人たちを守っていかなければ。
子供たちの歓声を嬉しく聞きながら、ノアは決意する。
両性具有の彼らが、排除される危険性は大きい。異端として存在を認めない向きもあろう。今は隔離して安全に育てていく必要があるのだ。
希望は、人類最後の病気だ、と誰かが言っていた。
ノアは、唐突にそんなことを思い出した。
病気、そうかもしれない。しかしそれでも、希望を捨てることはできない。
太陽は地球の上に輝き続ける。
おそらく、あと50憶年ほどは。
(了)
アマテラス~女性消滅社会 チェシャ猫亭 @bianco3
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