第10話  降臨

 タキの突然の告白に、ノアは戸惑う。タキが女、とは、どういう意味なのか。

 ノアの混乱を感じ取ったのか、タキは静かに言った。

「マヒル氏と、同じケースです」

「『チェンジ』を受けたのか」

「はい」

 心に沿わない体、男なのに体は女、女なのに体は男。そのギャップに悩む青少年の意識を入れ替えて性転換るすシステムだ。

 女性が激減し、女性になれば命が危うい。そう悟った「チェンジ」希望男性の多くは実施を断念した。

「受ける気は、全くありませんでした。女性であることに違和感など抱いたことはありません」

 きっぱりとタキは言った。


 短命に終わるとしても、運命を受け入れるつもりだった。

「でも、母は違う考えでした、男の体になってでも私に生きてほしいと懇願したのです」

 そうまでして命を長らえることに意味を見出せない、とタキは抵抗したが、結局は希望者登録をした、女性の体に違和感がある、と偽りの申告書を添えて。

「どうせ女になりたい男性はいないだろうと思ったんです。でも」

「いたんだね」

「ええ。それがこの体をくれたチハヤ。16歳でした」

「チェンジ」を受けられるのは14歳からだが、チハヤの場合、両親が反対し、保護者の許可が不要になる16歳まで待たねばならなかった。

「私は25歳でしたから、こんな年上でいいの、と尋ねましたが、チハヤは、大人の女性になれるのは嬉しいと」

 これで娘は長生きできる、と母は喜んだ。

 タキとチハヤは「チェンジ」し、婚約したが、結婚には至らなかった、半年もたたずにチハヤは旅立った。

 タキだけでなくチハヤの両親、タキの両親も見守る中、チハヤは静かに命を閉じた。タキは、自分で自分を見送るような奇妙な気持ちがした。


「3年たって、やっと男の体に慣れました」

 ノアに向かって、タキは薄く微笑んだ。

 そうだったのか。そうだったのか。

 何と応えていいか、ノアには分からない。

 女性としてのタキは28歳だが、肉体は19歳の青年だ。28歳に見えなくて当然だった。

「9歳も若返ってしまいました」

 ノアの4代前の先祖マヒルは、母親と折り合いが悪く、これ以上、この母の娘ではいられない。そう思い詰めて「チェンジ」した。女の体に違和感があるとの申告は、もちろん規定違反である。

「女に生まれ 男を生きる」

 それがマヒルの自伝のタイトルだった。


 数日後の朝。

 タキは、農業アンドロイドのハンと表に出ている。

「ハン。花畑作り、手伝ってね」

「はい」

 タキは、ノアに花畑を広げたいと申し出ていた。

 かがみこんで雑草を刈りながら、隣のハンに話しかける。

「ハン。私ね。ノアが好きなんだ」

 女性だった頃、タキは恋愛経験がなかった。それが、ノアの話し相手のバイトの面接を受けるうちに、ノアに惹かれるようになった。実際に会ってみて思いは募ったが、男性の肉体になった自分が、思いを告げるわけにはいかない。

「好きっていうのはね。大事だってこと」

 ハンが頷いた。

「大事なもの、たくさんあります。種、苗、土、水、太陽」

「そうだね。私には、ノアがいちばん大事。愛してる」

「アイシテル? わかりません」

 タキは苦笑した。理解されなくてもいい、誰かに、思いを聞いてほしかっただけだ。

「そんな複雑な感情は、ハンには理解できない」

 ハンの声が一変した。低く深みのある女声。ぎょっとしてハンの顔を見る。

「あなたは?」

「私は、アマテラス」


 ハンは立ち上がり、タキを見下ろした。

「少しばかり、おまえと話したくてね。私の存在を知っている、唯一の女だから」

 姿はハンだが、今は。この国を牛耳る量子コンピュ-タの、アマテラス、なのだろうか。だとしたら訊きたいことが山ほどある。

「どうして女は死に絶えたんですか」

 単刀直入に尋ねたが、

「わからない、私のせいではないよ、そんな力はない」

 このままでは女性は消滅する。それは数年前に予測できており、全力で解明に努めたが無駄だった。アマテラスの答えは、肩透かしなものだった。

「ヤオが言った通りかもしれない。女性消滅は地球の意志」

「そんなことまで、ご存知なんですね」

「人型アンドロイドの使用者である以上、情報はすべて筒抜けだよ」

 タキは背筋がぞっとしたが、アマテラスは平然と、

「そう知った上で、アンドロイドを使うのだ。私を破壊しようとしない限り、危害を加えられることはない。何を考えようと何をしようと人間の勝手だ」


 この人は、やはり超然としている、とタキは感じた。こうして話していると、人としか思えない。

「機械神と呼ぶ者もいるが、私は神などではない。

 そもそも、神は人間が創ったものだ。信じる信じないも人によりけり。いると思えば、いる。いないと思えば、いない。仮に神が実在したとしても」

 争いは一向に収まらず、地球が平和だった時期などほんのわずかだ。試練を与えるのが神かもしれない、少なくとも救世主などではない、とアマテラスは語る。


「人類は、どうなってしまうんです? 卵子が底をついたら、子供は生まれなくなる」

 タキは知りたかった。だが、アマテラスは見当違いのことを口にした。

「太陽は、あと50憶年、燃え続ける。その後、大爆発を起こし、太陽系は消滅。もちろん地球も宇宙の塵となるわけだ。しかし、その塵が新たな星の元になる」

「だからなんだって言うんです。人類はこのままでは死に絶えてしまいます」

「生命は残る。暴君が消えた地球で、他の動植物は繁栄を謳歌する。どれほど続くかは不明だが。

 絶妙のバランスで存在する空気と水が、何らかの原因で地球上から消えると予想されている。20憶から30憶年後。その先は死の星として終末を迎えるだろう」

「20憶、30億年先の話を聞きたいわけじゃありません!」

 タキは声を荒げ、アマテラスは目を細めた。

「そんなに人類の将来が心配なのか。おまえは特別な存在だものね。

 おまえは自分だけで子供をつくれる。保存してある卵子と、今の体の精子とで。まるで両性具有だね、おまえは父であり、母でもある、稀有な存在に」


「そんなことは、どうでもいい! 人類に未来はないのですか、もう女性は生まれてこないのですか」

 母も、友人知人、恩師や近所の顔見知りまで。女性はことごとく消えていった。この先も女性は生まれてこないと思うと、人間のはしくれとして、いたたまれなくなる。

「アマテラス!」

 タキはハンを見上げたが、ハンはもとの男声で、

「どうしました、タキ」

 のんびりと話しかけてくる。

 タキは、がっくりと肩を落とし、大地に手をついた。


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