第11話 1日1億年
タキは血相を変えて戻ってきた。一部始終を聞き、ヤオに報告しなくては、とノアは思った。
「アマテラスが、降りてきたのか」
ヤオは目を丸くして驚く。
「そういうことだ、ハンを通じて」
話しに来たのは、タキが自分の存在を知っている、ただひとりの女だから、とアマテラスは言った。
「タキが女だったとはね」
さすがにヤオも複雑な顔をしている。
その件も、ヤオに明かしていいとタキの許可をとってある。タキは、ノアの傍で、黙ってやり取りを聞いていた。
「結局、何もわからない。何故、女性が消えたのかも。自分にそんな力はないと、アマテラス本人が言うんだから、そうなんだろう」
「神も機械も人間が創ったもの、確かにそうだ。人智を超えた何かが原因か」
ノアはまた思い出す、「地球の意志」とヤオが言ったことを。
「その後、人工子宮の件は進んでいるのか」
ノアは話題を変えた。
先行の10例では男児だけが生まれた。
「うん。みんな順調に育ってる」
ヤオは続けて、
「毎月,100とか200とか、だんだん数を増やしていくようだ。他の国にも広めていって」
「そうか」
新しい命は、徐々に増えていくだろう。しかし、男児だけでは未来はない。
「女が生まれてくるといいんだが」
マヒルの弟が、クマノミの研究をしていたことをノアは思い出した。
「クマノミみたいに、ならないかな」
「クマノミ?」
怪訝そうなヤオに、ノアは説明した。
「性転換する魚なんだよ」
クマノミは、すべての個体がオスとして生まれる。最も大きい個体がメスになり、次に大きい個体と生殖をする。メスが死ぬと、つがいだったオスがメスになり、また次に大きいオスと。
何故、すべてがオスとして生まれ、何故、性転換するのか。結局、今に至るまで何も解明されていない。
合理的ではある。メスが死んでも繁殖に支障はない。次に大きいオスがメスに変化するのだから。
「奇妙な話だな」
ヤオは不思議そうに言った。
「逆にハチは、メスだらけ。女王バチのみが卵を産み続け、他のメスは働きバチだ。オスバチは生殖のためだけに存在する」
クマノミは、ほぼオスだけで群れが成立する。ハチは逆に、ほとんどメスだけで。
人類もそんなシステムで存続できれば、と、ふとノアは思い、ばかばかしい、と苦笑した。
「赤ちゃん、たくさん生まれるんですね」
ヤオとの会話が終わると、タキが話しかけてきた。
「うん。卵子バンクがない国も多いから。どう分配するか、問題になるだろう」
「そうですね」
その上、今後も男しか生まれないとなれば、課題は、山ほどあるのだ。
「タキは、胎児の成長というか変化を知ってる?」
「ええっと。いろんな生物の状態を経てくるってやつですか」
「そうなんた。受精後一か月たっても、まだ魚。エラみたいなものもあるらしい。それから両生類、爬虫類のような形になり、人間の顔立ちになるのは40日目」
地球が40億年かけて行った生物の進化を、胎児は、発生からわずか40日で駆け抜けてしまう。
「胎児の1日は、地球の1億年分に相当することになるんだよね」
「すごい」
タキは、ためいきを漏らした。
「生命は海で生まれた、とは聞いてましたが。そんなに長い旅をして、私たちは生まれてきたんですね。気が遠くなりそう」
素直に感嘆するタキに、ノアは微笑んだ。
「ユキを授かったとき。うれしくて、いろいろ調べた。40憶年jを駆け抜けて、私の娘に生まれてきくれてありがとうって」
そのユキが、3か月で他界したことは思い出したくないが。生まれてきてくれたことへの感謝は、今も尽きない。
「リビ、おいで」
タキはリビを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。
ノアに、なんと声をかけていいかわからなかった。
12月下旬。
ふたりの父親と年末年始を過ごすために、タキは移動機でノア邸を離れた。
上空から見渡す周辺は、すっかり冬の装いだ。遠くの山々は紅葉も終わり、冬枯れた木々が目立つ。リスなどは既に冬眠に入っているだろう。
初めてここを訪れた7月。世界は緑に包まれていた。恋心を抱いた男性に直接会う緊張と期待とで胸がいっぱいだった。
ノアと親しくなり、同居の願いも叶ったが、自分は女性としてノアを愛していて、思いは募るばかりだ。もちろん男の肉体を得た今、告白するつもりは毛頭ないが。
女性であったことを、告げるべきではなかったのか。だが、かつて自分は心身ともに女性だった、今も意識は女性のままだとノアに知っていてほしい。その願いを止めることができなかった。
「苦しい」
タキは思わず、つぶやいた。
苦しい、つらい。それは確かだが、ではノアと会わなかった方が、好きにならなかった方が幸せか。
そうではない。
先ほどから視界がぼやけている。自動操縦だから支障はないが、いつまでもそうしてはいられない。手の甲で、タキは目の下をぬぐった。
2202年の幕開け。
新年3日に、タキは帰ってきた。
タキとチハヤの父親と、3人で愉しく年越しをしたらしい。
「お父さんたちは、元気だったの」
「ええ。とっても」
タキは微笑んだ。
「同居しようか、なんて言ってます。もともと仲がいいんですよ。どっちも一人暮らしだから、その方が安心です」
「ここへもぜひ、訪ねてきてほしいな」
ノアが言うと、タキはぱっと明るい顔になり、
「いいんですか!」
「タキのお父さんたちだもの、当然だよ」
「ありがとうございます」
タキは額の前髪をヘアピンで留めていた。額にかかってうるさいのだろうか。
「髪、伸びたね」
ノアが声をかけると、タキは、
「ええ。また伸ばそうと思って」
昔は長かったんですよ、と小声で付け加えた。
「ヤオが、近々、また来るらしい。まただし巻き卵と、シジミの味噌汁を頼むってさ」
「はい。今度は手作り味噌で」
タキは微笑んだ。
2201年。23世紀の最初の年は最悪だった。女性消滅、という受け入れがたい事実を突きつけられた。
2202年には、何が待ち受けているのだろうか。
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