第9話 地球カレンダー
食品の配送が来た。無人移動機が、裏口の前に降下、コンテナを前方に押し出す。ハンが、ビンや缶などの入った前回のコンテナをセットすると、移動機が取り込み、作業は終了した。
「麹が届いたから、自家製の味噌を作りますね」
タキが笑顔で言った。
豊富な地下水、空気中から取り入れる水を何度でも循環させるから水問題はない。雨水も蓄えてあるし、いざとなったら沢の水も使える。太陽光でエネルギーは賄えるし、こんな人里離れた土地でも、過不足なくノアは暮らしてきた。
農業アンドロイドのハンは頼りになるし、猫のリビも癒しをくれる。人との交流はヤオで十分と思っていだが、タキと出会ってからは、彼がいない時間が物足りなく感じる。
そもそも、話し相手のアルバイトを募集したこと自体が気弱になっている証拠かもしれない。
しばらく滞在したい、とタキが言ったことが、ノアは嬉しかった。
「年内、間に合いそうですね」
「そうだね」
常温、冷蔵、冷凍と、食品を仕分けするタキが、ノアには頼もしい相棒に思える。
実りの秋を迎えている。
「裏山のクルミやクリも使って、いろいろ作りましょう、ハンと一緒に取ってきます」
ノアに向けられたタキの表情が曇った。
「ノア。なんだか元気がないですね」
「そうかな」
「そうですよ。ヤオは、難しい話をしていったのかな」
先日のヤオの話が、タキは気がかりらしい。
ヤオがもたらす情報は、一般市民には極秘事項だ。だが。
何故、ヤオはあんなに焦っていたのだろう。誕生をひかえた10組の結果が気になったのか。
乗りかけた船だ。タキには話してもいいだろう。いや、離さずにはいられない。付き合いは短いが、信頼できる人間だと感じる。
「これから話すことも、機密事項だから」
「はい」
本来であれば、公表しなければならないことだ。女性が地球上から一人残らず消えたことも、人工子宮で人口を増やす試みも。
しかし、アマテラスの決定事項を含め、すべては上層部や、ヤオのような特殊な立場の者しか知り得ない。
「まるで江戸時代じゃないか」
ノアは、思わずつぶやいた。
民は
施政方針の理由など民に教える必要はない、一方的に守らせればよいという、封建政治の原理だ。
ノアは、あの夜のヤオの話を打ち明けた。
深いため息を吐く、タキ。
「地球の自浄作用。厳しいですね」
「短期間に、酷なことをしてきたからなあ」
ホモサピエンスが現れて、わずか10万年。地球に決定的なダメージを与えたのは、ここ200年余りのことだ。
「タキは、地球カレンダーを知ってる?」
「聞いたことはあります」
地球誕生を1月1日の午前0時、今現在を12月31日の午後12時と仮定し、地球史46億年の出来事をカレンダーの日付で表す。
ヒトの誕生は、12月31日午後11時37分。
「そろそろカウントダウン、という頃に、人類は誕生した。新参者もいいところだ。その新入りが、年越し前の一瞬で、地球をめちゃくちゃにした」
消されても仕方ないか、とノアは言いそうになった。
「人間は、地球の異物なんでしょうか」
タキは、そう口にした。
「異物か」
地球が、我々をそんなふうに捉えても仕方ないか。
そう思いながらも、タキに伝えたいことがある。ノアは、タキの方を向き直り、
「動物が絶対にしないことを、人間はふたつ持っている」
「なんですか」
「ひとつは、赤の他人を助けること。
同じ群れの仲間を助ける動物はいるが、他の群れのメンバーを助けることはないそうだ」
「赤の他人を助けるって、なかなかできないことですよね」
「うん。人間の祖先のl候補は複数いたが、我々の祖先。ホモサピエンス以外はすべて滅んだ。助け合いが良かったのかな」
それゆえに、ここまで生き延びてたのか。
「もう一つは、移動」
10万年前。人類はアフリカを出て、世界中に散らばっていった。
増殖、繁栄。破壊。好き放題やって、幾多の動植物を絶雌に追い込んだ。
「タキは、男と女。どちらが残されたダメージが大きいと思う?」
「男性でしょう」
タキは即答した。
「確かに。男は脆いよ」
母の死後。父はひどく落胆し、半年ももたすに逝った。自分だって、妻子に先立たれたショックは計り知れない。
「男なんてか弱いもんだよ。すぐにポキッと折れてしまう」
「男は木、女は竹といいますよね」
大風が吹けば、木は折れてしまう。竹は、どんな風にもしなって耐え抜く。
「もし消滅したのが男だったら。女性は強く生き抜くんだろうね」
「そうですね。なんとかなるわよ、って言いながら」
タキが、うっすらと笑みを浮かべた。
「単為生殖の実験では、哺乳類にも可能性がありそうだといいますし」
ノアには初耳だった。
「そうなんだ」
「ええ。ちょっと調べただけですけど」
もちろん、単為生殖が可能なのは雌だけだ。
残されたのが女性なら、精子なしで生殖できたたかもしれない。男性だけの社会になってしまった今、人工子宮に頼るしかなくなった。それも卵子が尽きるまでの話だ。
再び、ノアの心は重く塞がれる。
数日後。ヤオが連絡してきた。
「全部、男だった」
人工子宮の実験結果である。10ケースとも、生まれたのは男児だったという。
「双子が2組。今後は、双子を増やしていくべきかな」
「どうなんだ、双子だらけの世界というのは」
このやり取りを、タキは聞いていた。
「女の子は、産まれなかったんですね」
「うん。早死にされるよりは、いいよ」
ノアは、失った娘の笑顔を、また思い出す。記憶の中のユキは、いつまでたっても生後3か月のままだ。
「ノア。お願いがあります」
タキが緊張の面持ちで言った。
「うん?」
「ここで、ずっと暮らしていきたいです」
リモートでアルバイトは続けるが、この屋敷で生活したい。田舎での生活にあこがれるようになった、と。
「ここに越してくるってこと。大歓迎だよ」
ノアは満面の笑みで答えた。
「今の部屋が狭かったら、別の部屋を使っていいよ」
タキは、ほっとしたように、
「ありがとうございます。今の部屋は、とても気に入っています。父たちに、移住の件、伝えますね」
「うん」
「どっちも、賛成してくれるといいけど。私には父親がふたり、いるんです」
母親が再婚でもしたのか、とノアは思った。実の父と継父がいるのか、と。
タキは、急に真剣な顔になり、
「もう一つ、聞いてほしいことがあります」
と言った。
「ノア。私は、女です」
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