第8話 岩戸隠れ


 人間は、地球にとって要らない存在。

 ヤオの言葉は、ノアにはきつすぎた。

「海には自浄作用がある」

「うん」

 ノアも聞いたことがある。

 地球の7割を占める海。ある程度の汚染は、自浄作用で凌いできたが、海洋プラスチックのダメージは大きかった。死んだ魚やクジラの胃袋から大量のプラごみが出てきた、など枚挙にいとまがない。

「20世紀半ばからだよな、環境汚染がひどくなったのは。19世紀までプラスチックは存在しなかっただろ」

 自然界では分解されない物質が、地球全体を汚染する。

「地中に埋まってるものを、安易に堀り過ぎたよなあ」

 化石由来の燃料や、ウラン。

「埋まったままにしておけばよかったものを」


「地球は、人類を見限ったのかもな。自浄作用で、消してしまえ、と」

 ヤオは、恐ろしいことを言った。

「地球の意志かもしれない」

 定期的に襲うパンデミックで、人口は激減した。そのためか、温暖化も異常気象も21世紀の予測よりは緩やかだが。元凶が人類であることは間違いないから、消してしまえ、とヤオは続けた。

「女性消滅も、地球の意志か」

「そうは言ってない、地球の意志、なんてのは飽くまで俺の妄想だ。ただ、人類を消すのは、簡単だ。産む性を滅ぼす。そのうえで、卵子バンクをダメにすればいい、解凍とか焼却却処分とか。事故でした、でおしまいさ」

 自棄になったように、ヤオが言う。

「子供は生まれようがなくなる。そのうち皆、老いぼれてあの世行き、人類滅亡だ」

 突然、荒れだしたヤオ。ノアは何と言ったらいいか、わからなくなる。

 女性が消えた今、卵子バンクを大切に使っていくしかない。この国では一千万ともいわれるストックを、計画的に有効に。それが命綱だ。

 卵子が尽きれば、もう子供は生まれない。ヤオが言うように人間は徐々に減っていき、やがて死に絶えるのだ。


「アマテラスは、女性の消失を予測していた。女性が完全に消える前に、卵子バンクをもっと充実させられたはずだ」

 傍観しただけじゃないのか、とヤオは語気を強める。

「女性が死んでいく原因だって、探れたかもしれない」

 アマテラスは、世界一の性能を誇る、量子コンピュータの進化形なのだから、と。

「まあ、精いっぱいやって、今の状態かもな。

 あれこれやってみたが、女性の消滅は阻止できない。だったら、初めからいなかった、と思わせるために、女に関するあれこれを消しているのかな。姑息だよ」

 アマテラスは、人類は要らない、と判断したわけではない。そう思いたいのだろう、ヤオは。

「女が生まれて、育つといいな」

 何か奇跡が起こって、そうなってくれれば、とノアは願う。

 遅くなったが、人工子宮は量産化に成功した。今後、どうなるのか、見守るしかない。


 ヤオは、グラスの水を一気に飲んだ。さすがに飲みすぎだと思ったのか。

「卵子が尽きたら。あとはクローンに頼るしかない」

「クローン」

「もう倫理性がどうとか言ってられない、今からでも実行すべきかも」

 技術的に人間のクローンは可能なはずだ、とヤオは言う。

「仮に俺のクローンをつくるとして。誕生するのは、赤ん坊なんだとさ」

 現在のヤオそっくりのクローンが出現するわけでないらしい。

「子供ができたみたいで、それはそれで楽しいかな」

 そうやって、男だけでも絶えないようにしていく。

 クローンだらけの地球。やがては、クローンだけの地球に、なるのだろうか。

 そんな未来を想像すると、ノアは気が滅入る。


「アマテラスは、表には出ない、と言ったよな」

「ああ」

 ヤオは、新しいミネラルウォーターを開けた。

「岩戸隠れでもしてるのかな」

 天照大神が怒って、天岩戸に隠れてしまったことがある。世界は闇に包まれた。

 実際には日々、太陽は輝いているが、この希望のない現状は、暗闇の中にいるのと同じだ。

 彼女を表に出すために、神々は策を練り、天宇受賣アメノウズメという女神が岩戸の前で踊った。

 男神たちは盛り上がり、岩戸の中で騒ぎを聞きつけた天照大神は、わずかに入り口を開け、外の様子を窺う。男神たちは力いっぱい岩戸を引き開け、太陽神を表に出す。

 しかし今、天宇受賣はいない。

 ここは、アマテラスが君臨する世界。



 翌朝。ヤオは二日酔いで朝食の席に現れ、タキが作ったシジミの味噌汁に、再度、感激していた。

「マジ、うちの料理人になってほしいよ」

 シンガポールに来いよ、と誘う。

「はあ」

 困ったようなタキの応答。

 このやり取りも、前回と同じだ。

 堂々巡りの、ほとんど光の見えない話ではあったが、言いたいことを吐き出してヤオは気が済んだのか。すっきりした顔で帰っていった。もちろん、両側にボディガードのアンドロイドを従えて。

 秋晴れで、気持ちのいい朝だ。

 額の上に手をかざし、上昇するヤオのヘリジェットを見守るタキ。その横顔を、ノアはちらりと見た。


 昨夜。いいかげん寝るか、となったとき、ヤオが突然、言った。

「気がついてるか。タキの、お前を見る目が熱い」

 ノアは絶句した。

「そのうち、告白されるかもしれんぞ」

「よせよ。タキは、単なる友人だ」

 父の書斎の本の山に、目をキラキラさせていたタキ。

 熱い目だなんて。自分の話に興味を引かれ、そんな目になっただけだ。ノアは、そう思おうとした。


 ヤオのヘリジェットは、完全に視界から消えた。

「タキ、立ち入ったことを訊くけど」

 ノアは、尋ねずにはいられなかった。

「はい?」

「恋人はいるの? いたの、と言うべきかな」

 タキは一瞬、黙ったが、

「婚約者がいました」

 と答えた。

「すまない」

 半ばほっとして、ノアは謝罪した。

「いいえ」

 タキは、特に気にしていないようだ。

 いました、とタキは言った。女性の婚約者がいて、亡くなったのだ、とノアは思いたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る