第7話 進化

 タキは、大丈夫だろうか。

 都会でひとり暮らすタキのことが、ノアは、気になる。

「女の平和」では、アテネとスパルタの女が共闘して夜の営みを拒否、男たちがギブアップしてめでたし、めでたし。

 だが現実世界では女性は消えてしまった。男たちの欲望は何処へ向かうのか。

 ほっそりとした、やさしげな風貌のタキが、妙な目で見られたりはしていないか。


 居てもたってもいられず、連絡すると、タキは喜んで、

「では来週。伺います」

 少し仕事はしているけど、リモートでできますし、と。

 翌週。

 約2か月ぶりに元気なタキの顔を見て、ノアは安堵した。リビも喜んでタキに甘える。

「タキが、しばらくウチにいることになったよ」

 ヤオに連絡すると、そりゃいい、と、すぐに飛んできた。


 今度は、ヤオはヘリジェットでやってきた。

 着地点の上空で翼をたたみ、ゆっくり垂直に降りてくる。

「宇宙に出れば、5分なのに」

 出迎えたノアに、

「いやあ、あれはもう使わん、レイを思い出すから」

 レイは、ヤオが長く付き合ってきた恋人だが、昨年、亡くなった。

「はじめて宇宙そらから地球を見たとき、レイは大感激してたよ」

 あの時はレイに地球をよく見せたくて、地上100キロまで上昇した。

 本当に青い星、水の惑星なのね、と涙さえ浮かべた、とヤオはしんみり話す。


 遅れて出てきたタキに駆け寄り、ヤオは、

「会いたかったよ」

 いきなり抱きしめた。

 びくっと体を固くするのが、ノアにもわかった。

 ヤオはゆっくりと体を離し、小刻みにふるえるタキに、

「ハグしただけじゃないか」

 青ざめた顔を、面白そうに見つめる。

「ごめんなさい」

 確かに親愛の情を示されただけだ。タキは、つくり笑いを浮かべた。ばつが悪いのか、先に邸内に戻っていく。

「タキは、童貞バージンなのかな」

「おい」

 たしなめるノアに、

「詮索はよくないよな」

 反省してます、と言いながら、ヤオは全くそんな風ではない。


「イキのいいタコを買ってきたよ。刺身にして食べよう」

 ぬるぬるした脚をうごめかすタコに、タキはヒッ、と声をあげた。

「ビビりだなあ。俺がやるよ」

 手際よく処理していくヤオ。

 ほどなく、酒宴が始まった。ヤオは日本酒をぐびりとやり、

「そうだ。タコの先祖って何だと思う?」

 ノアもタキも、首をかしげる。

「オウムガイだってさ」

「生きた化石と言われる、あれ?」

 巻貝で、90本ほどの触手が出ている。


「5億年前。オウムガイは、海の中でのんびり泳いでいた。頑丈な殻があるから、食べようとするヤツもいない」

 ところが、サメの先祖か、丈夫な歯を持つ種が現れ、殻ごとオウムガイをむさぼり食った。

「オウムガイは、徐々に海底に降りて行った、1億年かけて」

「1億年」

 ノアにもタキにも想像がつかない長い時間だ。

「海底ったって5~600メートルだよ。それを、ゆっくりゆっくり1億年かけて移動。ご苦労な話だ」

 ヤオは、タコの刺身を口に放り込んだ。

「ほんと旨いわ、このタコ」

「海の底で、オウムガイはタコに進化したんですね」

 タキも、タコの刺身に箸を伸ばした。

「そう、殻を脱いでね。古い姿のままの連中もいるけど」


 海の底に逃れることで、オウムガイは絶滅せずに済み、今もひっそりと生息している。一方、タコへと進化したものもいる。

「人類は、いつ出てきたんでしたっけ」

 タキの問いに、ノアは、

「ホモ・サピエンスが10万年前」

「オウムガイと、けた違い」

 5億年と10万年。確かに違いすぎる。

「進化って、なんてしょうね」

「時間をかけて変化すること? 良し悪しは、ないかな。変わった、それだけだ。オウムガイも、タコに変化したり、しなかったり」

 ヤオとタキのタコ談義に、ノアはイライラしてきた。もっと大事な話があるはずだ。


「ヤオ。それより、あの件は」

 焦れたようにノアが言うと、

「ああ」

 妙に勿体ぶるヤオ。

「人工子宮。量産化が始まったよ」

「おお」

 ノアはほっとした。先日、ヤオから仕入れた人工子宮の話を、詳しく知りたい。

 タキも、興味津々の顔つきだ。

 子宮に似せた特殊な容器に無菌の人工羊水を充填。その中にヒトの受精卵を着床させ、人工的に栄養を与え、胎児を成長させる。


「10例ほど、先行して実施中。胎児は、順調に育ってる。そろそろ生まれるんじゃないかな」

「そうか」

「問題は、女が生まれるか、だ。生まれても、早死にされたら意味がない」

 ノアの胸は痛む。どうしても3か月で逝った愛娘を思い出してしまうのだ。

「受精卵に何か刺激を与えて、女が生まれやすくするらしいが」

 男児だけでもいい、とりあえずは。ただでさえ女性消滅で人口は半減している。何年も新生児ゼロ、はまずい。


 11時。タキは自室に戻った。

「さて、これからは大人の時間」

 ヤオは、ことさらタキを子ども扱いする。

 28歳だが、とてもそうは見えない、と。

 ノアは、ヤオに不安をぶつけた。タキのような、あまり男を感じさせない存在は、都会では危険なのでは、と。

「欲求不満の男に狙われる、てか。まあ大丈夫だろう。VRがあるからな」

 現実以上の快楽が味わえるから、とヤオは言う。

「いいセーフティネットだよ、VRは。あれががなかったら、精神を病んだり自殺したり、が増えていたかも」

「そんなに凄いのか、VRは」

 若い頃に少し試したが、自分向きではないと感じた。リアルに人や自然に接する方が性に合っている。だが、そうでない人間の方が多いらしい。


「現実逃避にうってつけだ、現実は、女がいない世界。VRに依存したまま生きるのが幸せかもな」

 ノアには理解できない世界だが。

「俺もたまに使ってるよ。レイに会いたくてたまらない時は」

「そうか」

「だけど、VRの共有はできなくなった。女が出てくるアプリもすべて消去」

「なんで」

「次世代に、女を知らせたくないんだろう。俺たちは女がどんなものか知ってるが、子供たちは知らずに育つ」

 


 デジタルの母親の映像、画像もすべて消去、と聞いて、ノアは怒りすら覚えた。アナログ画像、いわゆる写真だけは残るというが。

「母親の顔くらいは見られるが。女がどうういうものかは知らずに大人になる」

「アマテラスは、何故そこまでするんだ」

「さあな。この世に女は自分だけでいいと思ってる、てか」

 天照大神は、女神ということになっている。男神だと主張する向きもあるが、どちらにせよ、神話の世界だ。量子コンピュータのアマテラスは、女性太陽神の名を冠しているに過ぎない。


「それより俺が気になるのは」

 ヤオが、グラスにウィスキーを注いだ。

「人工子宮の開発が、遅すぎた件だ。もっと早くできたはずなのに、何故かな」

「さあ」

「アマテラスは、決断を保留してきた、そんな気がしてならんのだ」

「保留。なんで」

「この地球に、もう人類は要らない。そう思ったんじゃないかな」

 ヤオの言葉に、ノアは総毛立った。






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