第6話  女の平和

 翌日も、よく晴れて暑くなった。

 カスガとスギは、敷地のはずれの斜面を下り、川に行った。泳げる深さはないが、水遊びには申し分ない。

 しばらくして、ノアが様子を見に行くと、楽しそうな笑い声が聞こえる。

 沢に降りると、二人はパンツ一枚の姿で水を掛け合い、はしゃいでいた。まるで小学生だな、と、ほほえましく見守る。

 公認されているとはいえ、まだまだ同性婚への偏見は強い。女性が消えた今、彼らがこぼしたように、人前で親し気にふるまえば、冷たい視線が待っている。


 十年前、

 両親も、妻のカスミも元気だった。カスミはノアとの子を宿していた。

 どれほど誕生を待ちわびたことだろう。生まれてきたユキのかわいらしさに夢中になり、三か月で死なれた時には、二度と立ち直れないと思った。

 しかし、もっと辛いのはカスミだったろう。体調を崩し、一年もしないうちに、死の床に就いた。


「もう行くわ。ユキが、寂しがってる」

 弱々しく言う、カスミ。

「僕はどうなるんだ、ひとりぼっちにしないでくれ」

 ノアは訴えたが、

「ユキと、私の分まで、長生きして」

 引き留めることはできなかった。


 都会での大学勤めに嫌気がさし、リビ、ハンと共に、祖父の建てた、この別荘に移ってきた。両親が元気なことに油断していたが、母が二年前に他界すると、父の落胆は大きく、半年もたずに母のもとに旅立った。


 私は、ひとり取り残された。両親が見守ってくれ、妻子がそばにいてくれたなんて、今では夢のように遠い幸せ。


 せめて、君たちは末永く、仲良く楽しく暮らしてくれ、と、カズガたちに目を向ける。

 こんな何もない田舎でも、彼らにはユートピアなのだ。

 ふたりで気兼ねなく、過ごせるなんて最高の新婚旅行です、と、カスガとスギは口をそろえた。



 翌日は雨になった。

 予報では数日、続くという。

「収穫してしまおう」

 ノアはレインコートを取りに行った。

「僕らも手伝います」

 カスガとスギも立ち上がる。

「助かるよ。雨が上がってから、とのんびりしてたら野菜が腐ってしまったことがあってね」

 ハンの手も借り、大量のトマト、きゅうり等の夏野菜がキッチンに運び込まれた。

 トマトは、トマトソースに、きゅうりは、ピクルスに。その他、いろいろと保存できるように加工する。

「おいしい!」

 出来たばかりのトマトソースをなめて、カスガが歓声をあげる。

「帰るときには、どっさり持たせるよ。大したお土産にはならないけど」

「いやあ、素晴らしい結婚祝いですよ」

 スギは嬉しそうに言った。


「なんだかんだ言って、この国は豊かだよ」

 太陽の恵みと豊富な水源。肥沃な大地には、それだけあれば十分だ。

 雨の夜長。ノアは、うっかり重い話題を口にしてしまった。

「21世紀の話だけど。もし第三次世界大戦が起こるとしたら。原因は、食料だろうと言われていたんだ、飢餓戦争だよ」

 ワインを飲みながら、ノアが言う。

「当時は、人口爆発が懸念されていたから」

「今は、逆ですね。人口減が問題になっている」

 スギが、小声で言った。

 パンデミックだけではなく、女性を見かけなくなったことも不安なのだ、とノアは思った。カスガは無言だが、きっと同じことを考えているだろう。


「これも21世紀初頭のことだが」

 ノアは、話を続けた。

「中東のある国で紛争がひどくなった。原因はなんだろ思う?」

「さあ」

 カスガもスギも、首をかしげる。

「干ばつなんだよ、それも、一年きりの」

 ひどい干ばつがその国を襲った。日照りが続き、雨は一滴も降らず大地はひび割れ、農作物は全滅した。

 大多数の国民は、農民だ。

 どうやって生きていくのか。

 水も食料もない国で、争いがおこった。

 農民は、反政府軍の兵士として雇われ、戦いに駆り出される。その後も、内戦は広がる一方で、かつての平和な農業国は、紛争の絶えない地になってしまった。


「ショックだったよ。一年きりの干ばつで、そんなことに。先進国なら、食料を輸入すれば済むが、新興国には、そんな力はない」

 先進国が買い占めることで、穀物の相場が跳ね上がり、さらに新興国を苦しめる。

「紛争が続いてる国、まだ多いですよね」

「うん。せめて、灌漑技術や農業指導で貢献していきたいよね。残念ながら安全面の問題で、人ではなく、アンドロイドを派遣しているが」


「こんなに美味しい野菜を食べられて、幸せです」

 野菜スティックをつまみながら、カスガはしみじみと言った。

「ジャンクフードに、マルチミネラル、ビタミンのサプリを摂って、済ます人もいるようです」

「味気ないよね」

 スギが口をはさんだ。

「奥さんや恋人を失って、自分じゃ料理をする気にも、ってことかな」

 無気力な男性が増えている気がする、とカスガたちは言う。

 女性は戻ってこない。地球上から永遠に失われた。カスガやスギに、そんなことは明かせない。しかし、彼らも、残された男たちも、敏感にそのことを察知しているのではないか。

 ノアの心は重くなる一方だ。


 その後の雨の日を、カスガたちは読書をして過ごした。

「リビと遊びたいけど、寝てばっかり」

 ソファの上で眠り続けるリビを、カスガが恨めしそうに見つめる。スギは、

「雨の日の猫は、とことん眠いんだって」

「一日,17時間、寝るらしいよ」

「えーっ」

 ノアの声に、ふたりともびっくりだ。


「僕は昨日、『女の平和』を読みました」

 面白かった、とスギは笑顔になる。

 アリストパネスの戯曲。アテネとスパルタの戦争を止めさせるために、女たちがストライキを起こす。男たちのセックスの要求を突っぱねるのだ。

 結局、男たちは折れて、戦争を終わらせる。

「ほんと、戦争を始めるのは男ばっかり」

「愚かだよね」

 僕も読もうかな、とカスガは言った。

「そうだね。もうネットでは読めない。図書館でも無理だろう」

 ここにいるうちに、とノアは勧めた。


 確かに、女が始めた戦いなど、聞いたことがない。我が子を、夫を、父を、兄弟を、喜んで戦争に送り出す女はいないはずだ。

 いや、いなかったはずだ、と、過去形でしか語れないのが口惜しい。

 アマテラスは、どう思っているのか。

 何かにつけて、この問いを、ノアは繰り返さずにはいられない。


 さらに数日後。

 晴れ渡る空の下、カスガとスギは都会に戻っていった。トマトソースときゅうりのピクルスの瓶を、移動機に詰め込んで。

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