第5話 第24条 婚姻

「こんなにたくさん戴けません」

 数日後の朝。ノアから提示されたアルバイト代に、タキは戸惑った。

「ヤオの食事まで作ってくれたお礼だよ。それに、これからも来てほしいし」

 今後もつながっていたい、とのノアの意思を感じ、タキは素直に受け取ることにした。

「ありがとうございます」

「今度は友人として会おう」

「はい。リビにも、ハンにも会いたいし」

 外までタキについてきたリビを抱き上げ喉をなで、ハンにも笑みを向けて、タキは去っていった。


「急に寂しくなったな」

 がらんとした居間で、ノアは独りごちた。もっと長くいてもらうよう頼めばよかった。

 温厚で思慮深く、気が利いてやさしくて、どこか懐かしさを感じさせる青年だった。

 その夜、カスミとユキの写真に、ノアは語りかけた。

「タキは帰ったよ。また3人の暮らしが始まるね」



 8月。思いがけない訪問者があった。銀色の移動機でやってきたのは、かつてのノアの教え子・カスガだ。

 ノアの最後のゼミの学生である。

 結婚したばかりの相手、スギと一緒だった。

「先生、お久しぶりです」

「ノアでいいよ。それより、結婚おめでとう」

「ありがとうございます」

 人なつっこそうな垂れ目、丸っこい鼻、やや子供っぽい印象だったカスガも、今年で30歳になるという。パートナーのスギは33歳、カスガとは対照的に痩せて骨ばった長身の男だ。

「いきなり押しかけてすみません」

 と、初対面のノアの前で恐縮する。ノアは笑顔で、

「いや、大歓迎だよ。何日でも泊まっていってくれ」

 同性、異性を問わず、周囲で結婚の話題が出るのは久々のことだ。

 自然と話題はゼミで一緒だった女性たちに及んだが、やはりカスガは暗い顔で、

「イセ、サガミにコマチも。音信不通です」

「そうか」

 闊達に意見をぶつけあった面々を思い出し、ノアは胸が痛くなる。


「都会は、どうなの最近は。すっかりご無沙汰してるけど」

 ノアが尋ねると、カスガは顔の前で手を振り、

「来ない方がいいですよ。殺伐としています」

 女性の姿が消えた街。大体、想像はついたが、やはり、相当にすさんだ雰囲気らしい。

「みんな、暗い顔をして俯いて歩いてます」

「ゴミだらけだしなあ」

 スギも、ため息をつく。

「ガールズバーも軒並み閉鎖です。おそらく禁止令が出たのだと」

 ガールズバーといっても、接待するのは女装した若い男性だ。女性的なムードを求めて、それなりに繁盛していたというが。もちろん、本物の女性が接待する店は、とうの昔に姿を消した。


「僕らは、友達のふりして歩いてます。手なんかつないだら、白い目で見られる。お前らばっかし楽しそうで、て絡んでこられてもイヤですし」

「以前は、そうでもなかったんです。温かく見守ってくれる女性もいました」

 ゲイカップルに対して、女性たちは比較的、寛容な視線を向けていたというのが、ふたりの共通認識だった。


 カスガが、いきなり声を潜めて、

「24条も書き換えられていますよ」

「え、婚姻に関するあれが」

 驚きで声が大きくなるノア。

「はい。『両性の合意』が、『両名の合意』になっています」

 スギも、

「条文の最後。『両性とは、男姓と女性、男性と男性、女性と女性のいずれかを指すものとする』もカットです」

「憲法の改正には国民投票が必要なはず」

 ノアは愕然とした。それすら無視されたのか。そして反発の気配もないとは。


 21世紀中盤まで、憲法第24条は、このような書き出しだった。


【婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。】


 冒頭の「両性」は男姓と女性を指すとの司法の見解は、同性カップルの「両者の性を指している、男と男、女と女も含まれる」との主張と真っ向から対立した。先進国の中では同性婚の承認が遅れに遅れ、世界情勢からいって非常にますい、と、ようやく2059年、同性婚は承認された。


「それほどに女性は減っているのでしょうか。確かに、ここのところ、女性をひとりも見かけない」

 カスガたちの血縁や周囲の女性も、すべて他界しているのだ。

「近所で、赤ちゃんを残して亡くなった奥さんがいます。保育アンドロイドが派遣されてきたけど、男性型なんです」

 どういうことなんでしょう、とスギは首をかしげる。徹底的に女性らしきものを排除する気だ、とノアは思った。


「僕らも子供が欲しいです。代理母がみつかれば、と思っていましたが、それどころじゃなさそうだ」

「僕は血縁には、こだわりません。小さな命を見守る喜びを味わえたら、それでいい」

 ふたりとも、真剣に子供を持つことを考えていた。

 代理母がみつかれば、カスガかスギ、或いはふたりの精子と卵子バンク経由で、血のつながった子供を得ることができたかもしれない。だが、今となっては。


 ノアは改めて戦慄した。

 女性が消滅する。それは、子供が生まれなくなるということだ。今はいいとして、この先、男だけの社会では、さらに人口減が深刻になる。新しい命は生まれてこない。そして、やがては。


 人類滅亡。


 この現実に、アマテラスは、どう対処するつもりなのか。もしくは、対処しないのか。

 今は、女性が存在していた痕跡を、さりげなく消している段階。今後、子供たちは、女性を知らずに育ち、やがて、男性だけの社会が当たり前になる。

 そんな世界では、男性を「男性」ではなく、単に「ヒト」と呼ぶようになるのか。


 その夜、ノアは寝室で一人になると、ヤオを呼び出した。

「ヤオ。アマテラスは、どこにいるんだ」

「はあ? なんだ、いきなり」

 不明だ、とヤオは答えた。この国に核弾頭を向けている国も複数ある。心臓部ともいえるアマテラスの所在地は極秘事項だ。

「居場所を知って、どうする気だ」

「そうだよな」

 一介の世捨て人である自分が、巨大な存在に近づくことなど不可能だ。

「あの人は、表には出ない」

 ぼそっとヤオは言った。

 何故か科学者はコンピュータを人扱いする。いつしかヤオもノアも、この呼び方に慣れた。


 ノアは、聞いてみたかった。

 アマテラスが何を考え、この先、どう進んでいくつもりなのかを。

 たかが機械、と心のどこかで軽んじながらも、神話の中の太陽神が降臨している気がしてならないのだ。

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