第4話 紀元は2600年

「ヤオは昔から女好きで気が多くてね。結局、姉とは別れてしまった」

 ノアはタキの方に向き直り、

「長年、つきあった恋人も、昨年亡くなった。確かに寂しいと思うよ」

「そうですね」

「つまらない話をした。すまない」

 ノアの言葉に、タキは首を横に振り。明るい声で、

「今朝は、和食がいいって。ヤオのリクエストです。だし巻き卵が、食べたいんですって」

「へえ。いいねえ」

 ノアは笑顔になり、

「話し相手に来てもらったのに、いろいろさせて、申し訳ない」

「いいえ。食べてくれる人がいると、張り合いです」


 食卓についたヤオは歓声をあげた。

 だし巻き卵はもちろん、味噌汁も申し分ない味付けだ。

「しじみの味噌汁、二日酔いに最高なんだよ。気が利くなあ、タキは」

 ヤオは、感激していた。

「23世紀は、最悪の幕開けになったが。今朝の食事で、俺は希望が湧いてきたよ」

 おいしい食事は人を幸せにする。機嫌をよくしたヤオは、

「ウチに来ないか。専属料理人として優遇するよ」

 シンガポールの自宅に来ないかと誘う。

「はあ」

 曖昧な返事のタキに、ノアは、

「ヤオの家は、まるでお城だよ。いっぺん遊びに行くといい」


 朝食後、あわただしくヤオは帰っていった。

 ノアは、タキを亡き父の書斎に案内した。

 壁三面が作り付けの書棚で、天井までびっしりと本が詰まっでいる。分類された書架がいくつも並び、ちょっとした図書館ほどのスケールだ。

「すごいですね。今時、こんなに紙の本が」

 タキは感嘆の声をあげた。

「祖父の代から集めた本ばだよ。今後は、女性に関する情報は消去されていくだろう。紙の本なら、そうはできない。焼かれでもしない限りは」

 ナビや配信システムの音声さえ、女声は消されつつある。女性的なものをアマテラスは排除していくのだろう。


 きらきら目を輝かせ、蔵書の山を見つめるタキの横顔は、ういういしい少年のようだ。

 昨日、タキが布団を干している間にヤオが口にしたことを、ノアは思い出した。

 タキが28歳とは、どうしても信じられない。天才的な頭脳で飛び級したのを隠すため年をごまかしているのでは、と。

 確かにタキは十代で通用しそうなあどけなさを残しているが、あまり詮索するのは如何なものだろう。


 タキは、歴史書をぱらぱらめくりながら、

「ノアは、どうして20世紀の歴史を、研究しようと思ったんですか」

「ターニングポイントだと感じたから」

「どんな時代だったんですか、20世紀って」

 真っすぐに、タキがノアを見る。

「一言でいえば戦争の世紀だね」

 ふたつの世界大戦があった。その後も、あちこちで紛争が絶えず、それは21世紀に持ち越され、一向に止む気配はなく、結局は23世紀の今も、地球のあちこちで紛争は絶えない。


 ノアは、話題を変えた。

「20世紀の前後20年も興味深いよ。昨日、パンデミックの話をしたけど。新型コロナに見舞われた2020年。他にも大変なことがあった。オリンピックの1年延期。前代未聞だよ」

 しかも、五輪にまつわる忌まわしい出来事は、それが初めてではなかった。

「なぜか40年周期なんだよ」


 2020年、東京オリンピック、延期。

 1980年、西側諸国のモスクワオリンピック、ボイコット。

 1940年、東京オリンピック、返上。


「ほんとだ」

 タキが目を丸くする。

「呪いの40年サイクル、かな」

 ノアは、ぽりぽりと頭を描いた。

「1940年は、紀元2600年で、それはそれは盛り上がる五輪のはずだった」

「紀元?」

「タキは知らないか、当然だね。『建国記念日』てあるだろう」

「はい」

「第二次世界大戦が終わるまで、あの日は『紀元節』と呼ばれていた。2月11日に、初代の神武天皇が即位したということで」

「建国記念日」の制定には反対も多かったが、まだ国民の祝日が少ない時代で、休みが増えていい、と、すんなり通ってしまったらしい。

 神武天皇は、天照大神の子孫、ということになっている。

「結局、戦線の拡大で、1940年の五輪は返上。翌年には、太平洋戦争に突入だ」

 ノアは厳しい顔つきになった。

「だから、2020年の二度目の東京五輪、中止にはできなかったんだ。80年前にも、同じことをやったわけだから。今度こそ開催すると世界に約束したのだからね」

 タキは黙って聞いていた。

「変異株のせいで陽性者が増える中、よく開催したもんだよ。いざ始まったらメダルラッシュで、大方の国民は、開催を支持した」

「2060年。次の40年後は、大丈夫だったんですか」

 タキが尋ねると、

「ああ、特に何もなかったようだ。前の年に、同性婚が認められたくらいで。そして、2066年には」

「『チェンジ』が始まったんですね」

「そう。よく覚えてるね」

「マヒル氏の、自伝に書いてありました」


 マヒル。それは、ノアとタキとを繋いだ人物。心理学を専攻したタキが、たまたま読んだ、心理学者マヒルの自伝で、この制度をマヒルが利用したのを知った。

「まさか、ノアが彼の子孫だったとは」

 ノアの話し相手選考の面接中に、マヒルの著書の話が出たのがきっかけて、その縁をタキは知った。

「彼は、私の父の大叔父に当たる。4代前の人だ、マヒルの姉の孫が、私の父。ややこしいね」

 ノアが苦笑する。

「チェンジ」は、外科手術ではなく、ふたりの男女の意識を交換し、性転換するシステムだ。

 主に、自分の肉体に違和感を覚える少年少女を救済するための試みだった。

 当時は、制度を利用できるのは14歳に限定されていた。それを、マヒルたちの研究グループが年齢幅を広げることなどを働きかけ、改正された制度は、数年前まで実施されていた。

「廃止されたのは3年前だったかな」

「そうです」

 女性になることを希望する男性が、女性は短命に終わると気づき、希望者のバランスが崩れ、制度は崩壊した。

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