第3話 自由からの逃走
ヤオは、真昼間から酔いつぶれ、ソファで、いびきをかいている。そんなヤオを振り返り、ノアは、
「ヘンなヤツだろう、ヤオって」
来たばかりのタキに、申し訳ない気がした。
「ヤオは、世界的な富豪で、諜報関連の会社も、持っている。超がつく機密も素早く耳に入る」
昨夜の、衝撃の速報も同じルートだろう。
「あの話は、他言無用だ」
つい、タキに話してしまったが。公表しないことを、一般人が知り、拡散するのは困る。
「わかっています」
とタキは答えた。
女性が急速に減り続けていることは、実感していた。タキの母はもちろん、親類縁者、友人知人。女性はことごとく世を去っている。
「何か原因なんでしょうか」
「この間の、パンデミックが疑われたんだが」
10年前に全世界を覆いつくした、感染症。女性の死者が圧倒的に多かったため、そうした疑いが出たが、終息後も、女性の死亡者数には、歯止めがかからなかった。
最初に地球規模の危機となった感染症は、2020年の、いわゆる新型コロナだ。1年半で、感染者が2億人を突破。終息には数年を要した。
パンデミックは、その後も、15年から20年の周期で、人類を襲い、何度も同じことが繰り返された。
始めは全く対処ができず、死者が続出する。緊急事態宣言。ロックダウン。経済の停滞。
犠牲者が多数、出たところで、ようやくワクチン開発、接種、終息へ。ここまでに数年かかる。
先進国は、それでもワクチンが入手しやすく、犠牲者は抑えられたが、新興国は、そうはいかなかった。おびただしい犠牲者が出てから、ようやく接種。下手をすると、次の感染症の脅威が迫っている。人口爆発という予想は、大きく外れて、むしろ地球は、人口減の危機を迎えている。
「気が滅入る話ですね」
「ああ、確かに。しかし、現実だ」
ノアは、ため息をつく。
「政府は山積する課題を前に、ギブアップ。そこで頼ったのが、量子コンピュータの進化形」
「アマテラスだ」
口をはさんだのは、ヤオ。いつの間にか目をさまして、ソファから、がばっと起き上がった。
「俺がしてやった話だ」
続きは俺が、と、ふたりの間に割り込んだ。
「アマテラスに、なんでもかんでもお伺いを立てる。大昔、巫女経由でご神託を伺ったのと同じだよ。苦しいときの神頼み、いや、機械頼み」
表向きは何も変わっていない。選挙制度も続いている。しかし実態は、アマテラスの言いなり、とヤオは力説した。
「おそらく数年前には、アマテラスは、予測していた、女性は消滅すると」
ノアもタキも、蒼白になって聞いている。
「3年前、
「パンとサーカス、だな」
ノアが口の端を歪めた。
食うに困らず、娯楽があれば、人はとりあえず、充足する。
現実逃避に、VRは、うってつけだ。女性が消えたらしい今も、男は架空の世界で、どんな美女をも思い通りにできる。
「そんなことで、本当に満足できますか」
タキの疑問はもっともだ。だが、ヤオは、
「自由.からの逃走、だよ。考える自由、疑う自由、そんなものは、かったるいと思う人間が増えすぎた」
自由には責任が伴う。それは確かに面倒で煩わしいものなのだ。
「もらうもんもらって、楽しんで。後は、すべてを他人に、上層部に任せりゃいい」
ノアもタキも、黙りこくってしまった。
「今夜は、一緒に寝よう。布団を並べてさ。和室、あったよな」
唐突なヤオの言葉。ノアは頷いた。
「ああ」
「それじゃ、布団を干しましょう」
まだ昼どきだから間に合います、と、タキは立ち上がった。
「そんなことは、ハンに」
ノアが言うと、タキは、
「ええ、手伝ってもらいます」
タキは、羽根布団を抱えて、庭に出た。夏の太陽が、ぎらぎら照りつける。
「これなら、すぐ、ふんわりするね」
「はい。片側、30分で十分です」
ハンは、二人分の布団を干しながら答えた。
ノアとヤオの話は、タキには、重すぎた。
一般人の知らないところで、政治は、機械に牛耳られていた。アマテラスは、女性の滅亡を予測した。
それでも、ランチタイムは、表向きは楽しく過ごした。
「野菜って、うまいもんだったんだな」
ヤオが、もりもりサラダを平らげる。ノアは目を細め、
「ハンが、丹精してくれるから」
ハンは、農業に関する、あらゆる情報を蓄積しているアンドロイドだ。任せておけば、何もしなくていいが、ノアは、それではいけないと思っていた。
基本的にひとり暮らしだ。できることは自分でしたい。
「晴耕雨読。理想的な暮らしだよ」
女性が消滅した、という事実さえなければ、どノアは思い悩む。
午後、ヤオは、また少し酒を飲んだ。
風呂から上がって、浴衣姿になり、
「いいなあ、旅館みたいで」
タキの手料理をほめちぎり、たらふく食べた。
和室に敷かれた布団の、左端にもぐりこんで、ほどなく、いびきをかき始め、
「子供みたいだな」
ノアを苦笑させた。
今日のヤオは、いつもと違う。非情な経営者の顔をかなぐり捨て、気を許せるノアの前で、昔のヤオに戻っていた。
夜半、タキが、腑とを目を醒ますと、話声がした。
「俺は寂しいそ」
がなり立てるヤオ。ノアは静かに、
「ああ」
寂しくない人間がいるのだろうか。口にする人間と、そうでない人間がいるだけで。
「アキナには、悪いことをした」
ふーっと、息をつくヤオ。
「おまえも、嫌だたったろう、ごめんな」
「いいよ。終わったことだ」
「そうだな。謝りたくても、もうアキナは」
翌朝。
早起きしたタキが、庭を散歩していると、ノアが近づいてきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「ゆうべ、ヤオがうるさかっただろう」
「いえ、大丈夫です」
「アキナっていうのは、私の姉だ」
タキは、はっとしてノアの顔を見る。
「姉は、ヤオと婚約していた。私たちは、義兄弟になるはずだったんだ」
ノアは、庭のヒマワリに目を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます