アマテラス~女性消滅社会

チェシャ猫亭

第1話 原始、女性は太陽であった

 天照大神


 と、黒板に白いチョークで大書した教授は、

「いいですか。『テンテルダイジン』じゃありません。『アマテラスオオミカミ』ですからね」


 その言葉を、ノアは、鮮明に覚えている。

 はじめて目にする名だった。

 太陽神にして、女神。

 ギリシャ神話のアポロ、エジプトの太陽神、ラー、ホルスもか。その程度しか、ノアは知らないが、彼らは男神。何故かこの国では女神が太陽神である。

 20世紀史を専攻していた20年ほど前。木造の、特別保存建造物の中の、一室だった。

 黒板という、20世紀の遺物が現存することさえ、

 ノアはその時まで知らなかった。黒板、チョークの現物を見たのも、はじめて。そもそも、対面授業が、めったにないことだ。ほんの数名の同期生とともに、ノアは、「クニの創生」という、この国の神話を学びはじめたところだった。



 2201年、7月某日。

 空中を、ふたり乗りの移動機ドローンが進む。

 運転席に当たるシートに身を沈めるのは、タキという青年だ。歴史学者のノアの話し相手として、これから数日、彼の邸宅で過ごす。

 あどけなさを残す、やさしげな風貌。隣のシートと後部スペースには、ぎっしりと食材や調理器具が積まれている。


 こんなに緑が深くなっている。


「眠りの森の美女」というメルヘンを、タキは思い出した。

 100年の眠りについた姫を王子が救いに行く。

 王子を拒んだのは、鋭いイバラの森。魔女を滅ぼすことで、城への道は開けたが。道がなくなってしまった今、移動機なしでは、街から出るのは難しい。


 眼下に広がるのは、緑、また緑。もともと山岳地帯に高速道路を通したものが、道路が不要になり、100年が過ぎた。かつて道だった部分がどこなのか、今では見当もつかない。緑は上から下から繁茂し、道を覆いつくし、ひび割れたアスファルトの間から、はじめはおずおずと、次第に大胆に、やがて我が物顔に勢力を広げた。


「まもなく、目的地です」

 ソフトな男声が、タキに告げる。この声も、少し前までは女性の声だった。少しずつ、女性の存在を消しているのだ、と、タキは感じる。

「タキ。ノアです。着地点に誘導するよ」

 移動機の接近を察知したノアの声。

「ありがとう、ノア」


 深い緑の中に、土が剥き出ししの一画が見えた。かなりの敷地のようだ。丘のふもとに真っ白な屋上の邸宅。長方形に半円のバルコニー付きで、停泊中の船のようでもある。

「ようこそ、タキ」

 知的で、温かい人柄がにじみ出る笑顔。

「はじめまして」

 しっかりと握手した。人のぬくもりが伝わる。

 VRで、何度も話しあっているが、実際に会うのは、はじめてだ。

「本当に若いね、タキは」

 まぶしそうに、ノアがタキを見る。28歳というが、どう見ても20歳くらいにしか思えないのだ。

「お昼、何がいいですか」

 タキは、移動機の方に、視線を向けた。

「何でもできますよ、いろいろ道具も持ってきました」

「昼は、ありあわせでいいだろう。ちょうど夏野菜がおいしい時期だ」

 ノアは、広い畑を指さした。


「ハン」

 畑の方に声をかけると、俊足で、男がやってきた。

 50歳くらいの実直そうな男だが、

「農業アンドロイドのハンだ。農作業の私の先生だよ」

「よろしく、ハン。私はタキです」

「タキ。ハンです、よろしく」

 ハンは、タキに会釈した。


 どっさりの野菜をハンが室内に運び入れる。

 ノアに続いて、タキがリビングに入ると、シンプルな部屋の隅から、ニャア、と声がした。

「愛猫の、リビ。猫アレルギーは大丈夫?」

「猫、大好きです。リビ、おいで」

 タキは、笑顔でリビを抱き上げた。

 茶系のトラ柄で、足先が白いソックス猫。

「猫の発祥の地はリビア砂漠なんだ。それで、リビ」

「砂漠。だから、猫は濡れるのを嫌がるんですね」

「そうかもね」

 タキは、リビを床に下ろし、キッチンへと向かった。昼は、サラダやパンで、簡単に済ませた。


 食後、ノアはタキに邸内を案内した。

 祖父が建てたこの家は和洋合わせて10部屋、祖父の書斎や作業スペースもある。

「この部屋でいいかな」

 ノアに見せられたのは、クリーム色の壁、日当たりのいい部屋だ。

「私には広すぎます」

 都会で借りている部屋の倍の広さがある。しかし、小さい方の部屋だよ、とノア。


 タキは仕事を辞めたばかりで、しばらく休養するつもりだった。そこへ、田舎でセミリタイア中の大学教授の話し相手、というアルバイトに目を留め、応募してみた。

 ノアは、すでに何人かの若者をVR面接し、すべて気に入らなかった。選定を急ぐつもりはなく、気の合いそうな相手が見つかるまで、ハンやリビと暮らし、友人たちとVRで交流すればいいと思っていた。

 タキとは、最初から気が合った。何度か話しているうちに、この青年しかいない、となった。

 実際に会ってみたら、長年の知己のように親しく話せて、時のたつのも忘れた。それは、タキも同じだった。


 料理が得意というタキを手伝って、夕食は、野菜カレーにした。

 夕食後も、後片付けをしながら話続け、少しワインも飲んで、ノアは、久々に楽しい夜を過ごした。

「明日は、シンガポールから、友人が来る。ヤオという実業家だ」

 偶然、タキの滞在期間に、ヤオの来訪が重なった。

「にぎやかになりますね」

「ああ。ヤオは、45だったかな。私より、いつつ上。小さい頃、近所に住んでたんだ」

 姉の同級生だった、そして。

 タキが小さく、あくびをした。

 時計は11時を回っている。

「今日は疲れただろう。また明日」

「はい、おやすみなさい」


 本当に、気持ちのいい青年だ。

 こんなに楽しい夜は、何年振りだろう。

 満ち足りた思いで、ノアは寝室に入った。

 ベッドサイドの写真に話しかける。

「カスミ、ユキ。今日は、お客さんが来てくれたよ」

 明日は、タオもやってくる、と言おうとしたとき、

「ノア、大変だ」

 突然、眼前に、ヤオが現れた。

「いきなりだな。どうした」

 もちろんVR映像だが、前触れもないとは。明日は、ここへ来るのに、その時ではだめな話か。


「すまない。明日まで、この気持ちを抱え込むのは無理だ」

「何があった」

「ノア。女性は、完全に死滅した、らしい」

「えっ」

「まだ速報段階だか、おそらく、地球上に、もう生きている女性は、いない」

 まさか、早すぎる。

 いつかは、そんな日が来ると危惧していた。だが、それが今、だとは。


 原始、女性は太陽であった


 平塚雷鳥の言葉が、唐突に脳裏に浮かぶ。

 20世紀の女性活動家。女性の参政権運動などに尽力した。

「今、女性は月である」の言葉も残している。

 当時の男権社会における女性の立場を嘆いたものだか、その苦闘の歴史さえ、女性が消えたらしい今、いとおしく感じるのだ。


 太陽でも月でもいい。

 女性に、この地上に、いてほしかった。

 もう二度と、あなたたちには会えないのか。

 ヤオ同様、気持ちのやり場に悩む、ノアだった。



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